『イロアス』ゲーム開始
諸事情により分割。
まあ大した事情ではありません。
『仮想現実とやらは俺の失ったモノを補ってくれるのか?』
というチョッとした好奇心から、駄目で元々と半ば宝くじを買うような気持ちで応募したゲーム機の予約抽選に当選してしまった。
職場の若い連中がライン作業の暇つぶしに雑談していた『世界初のVRゲーム機』とやら。
俺はそれを仮想の体験を仮想の世界で仮想の肉体で行う、再現度の高いイメージトレーニングのようなものではないかと想像した。
現役時代に繰り返しイメージトレーニングを実践していた俺は、それが如何に現実に効果的であるかという事を経験している。
知らない事はできないし、想像できない事は再現しようがない。
重要なのは何がしたいかというイメージを持ち、反射的に実行できるようになるまで繰り返し反復する事であり、才能の有る無しとはこの作業が効率良く行えるかという点にあると言うのが超一流の競技者としての俺の自論だ。
知識としての『やり方』というのは、実はあまり重要ではない。
知識はあくまでイメージを深める為のツールであって、知識があるだけで出来るものではないのだ。
それで出来てしまうのであれば、スポーツ研究者は須らく優良運動能力者であるだろうが、実際はそういうわけでもない。
重要なのは、相手に運動のイメージをより分かり易く伝える事の出来る指導力と、受け手の観察力と想像力、あとはその運動に耐えうるだけの肉体的資質なのだ。
物理的現象をより高いレベルで仮想の空間で再現できるというのであれば、反復練習……つまり『身体に覚えさせる』というところを肉体の疲労なしに行う事が出来るのだから、VRゲームというモノにはスポーツ選手にとって珠玉の価値があるだろう。
と言っても肉体に欠損がある俺にとっては現実再現度こそが重要なのである。
現実と同じ物理現象を肉体無しに体験できる機械……これこそが足を失った今の俺にとっての微かな希望なのだ。
物理現象を無視した妄想発生装置であるなら、俺にとっては何の価値も無いただの現実逃避用の娯楽機械でしかなくなる。ストレス発散程度になら有意義なのかもしれないが、それでは少なくとも俺にとっては意味が無いのだ。
俺は仮想世界が解放される時を期待の心躍らせ、不安に怯えながら待ち続けた。
そして死の宣告が行われた解禁の時。
俺にとってはそんなのはどうでも良いことだった。
死ぬの生きるのが重要なのではない。
この世界が俺の要求に応えられるか否か。
それこそが俺にとって大事なのだ。
煩わしい解説などは全てすっ飛ばし、仮想の肉体の決定は細かい設定が分からないので出来合いのモノから自分の理想の肉体に近いものを選び、早々とゲームをスタートした。
仮想世界に降り立って、先ず一番最初に始めたのは入念な準備運動だった。
筋肉の張り、心肺能力の限界、空気の抵抗、そして何よりも踏みしめた地面の固さ。
現実世界と遜色の無い感触。
かつて自分が当たり前の様に享受してきた、あの懐かしい感触がここに在った。
素晴らしい。なんて素晴らしい世界なんだろう。
ここならかつての自分と同じ様に駆けることが出来る。
そう思うとムクムクと諦めていた欲望が込み上げてきた。
このままこの世界に存在し続けたい。
競いたい、勝ちたい、走りたい、ずっと走っていたい……もう現実になど戻りたくない。
再びこの宝物を失ってしまうなら、抱えたまま消えてしまいたい。
そう思った。
病院のベッドで目覚めたあの日からずっとずっと抱えていた、どうしようもなくモヤモヤした気持が何だったのか、今ハッキリと理解した。
ああそうだ。
俺は全てを終わりにしたかったのだと。
自分の思う様にならなくなった現実の世界。
色褪せてしまったあの灰色の生活は、ただただ苦しいだけだった。
ここなら、この色鮮やかな仮想の世界ならば、俺は再びあの日の栄光を取り戻し、輝いたまま消える事が出来るのだと確信した。
近日中に2後(そしかしたら中かも)上げます。
最終的には一つに纏めたいなあ。




