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懐柔

 ここで視線を外せば終わりだと俺の直感が囁いている。

 重苦しい空気の中、野獣が口を開いた。


「アンタは、他人任せにしない最後までやり通すと言うけれど、それってアタシ達の事は信用できないけど、自分の事は信用しろって言ってるのと同じ事よ。そういうの解って言ってる?」


 これは痛烈な批判だ。

 返す言葉も見つからない。と言いたい所だが、このまま引き下がるわけには行かない。


「そうですよね……そうです。それは否定しません。でも誰かに任せて失敗したら、俺は絶対にその人の所為にしてしまう。そんな醜い自分で生きていくのは多分辛い事なんじゃないかと思うんです」


 俺が疑うのは人格ではなく、あくまで人の行動の結果だ。

 どんなに気をつけていても、人間は大なり小なりミスをする。

 だけども俺はミスした人間を怨まない様な出来た人間ではないのだ。


「それも自分の都合ね。自分本位に他人を巻き込むのが正しい事だと思っているの?」


 否定できない。

 後ろめたさから逃れる為に責任を負う。

 俺はそう言っているのだから。


「正しいとか間違っているではないんです。最上の結果を得られるかどうかなんです。」


 その為には過程で手段は選ばない。

 


「それは結果の為なら何でも切り捨てるって事にならない?」


 2戦目終了までの俺なら確かにそう思っていただろう。

 しかし先ほどの試合で、俺は金髪と心の交流を深めて確信した事がある。


「妥協しなければ進まないならそれもあり得るでしょう。でも絶対に切り捨てられないものもあります」

「それは?」と野獣が聞き返す。


「それは信念です。俺はこのメンバーが抱えている想いを裏切る事だけは絶対にしません」


 たとえばそれは金髪にとっての『走り競う事への執念』であったり、野獣の『弱者救済』であったり。

 彼らが心の底から望む、強い想いを否定したり切り捨てたりは絶対にしたくない。

 日々を無為に過ごす、かつての俺には存在していなかった魂からの強い欲求。

 ここに来てから俺はその想い貴重さを実感していた。


 

 これが受け入れられなければ最後の手段を―――と腹を据えて臨んだ野獣への懇願は、これで終わりだ。

 後は野獣がどのような裁定を下すか。

 俺は裁判官の前に立つ被告人の様な気持ちで、野獣の言葉を待った。



 野獣はしばらく沈思した後、普段よりも幾分穏やかな口調で話し始めた。



「最初にアンタと話した時アタシは、アンタがこの状況と自分の妄想に陶酔しているだけのアホガキだと思ったの。世界の全てが自分の肩にかかっているみたいな考え―――中二病だったか?昼間から夢でも見てるんじゃないかと疑ったわ」


 まあそう思われても仕方あるまいし、今でも完全にその考察を完全には否定できない。

 オタクの端くれとして、こういう状況は何度も妄想してきたし、『子供たちの為に自分を犠牲にする俺ってカッコいい』という考えが無かったと言えば嘘になる。見栄もあれば欲もあった。


 今回の告白というか懇願も、ある意味自己陶酔の一部と言えなくも無い。


 だけど、込められた想いは本当だと断言できる。

 たった3戦の間ではあるが、俺は色々と濃密な経験をしてきた。

 人と触れ合う事を拒み、自分に都合の良い社会形成を行ってきた俺が、大人たちと出会い、渡り合い、競い合った結果、俺は想像以上に大きい自信を手に入れることができた。


 彼女を口説き落とそうというのも、計画とか打算とか浅ましい考えではあるが、口にした想いは本物だったと確信できる。

 俺は自分の吐いた言葉に責任を持とうと思い始めている。

 その場限りの嘘や、周りに都合の良い事だけを言ってきた自分は、もう過去のものだ。


「でもそこまで真剣にアホを貫かれたら、もうこっちの負けね。アンタの事……信じてみるしかないじゃない」


 アホという称号は、とある地方では褒め言葉と聞いた事がある。

 少なくとも今の『アホ』には侮蔑の感情が篭っていないように感じたので気分は悪くない。


「と、言う事は?」

「アンタの気持ちは分かった……その覚悟を翻さない限り、アタシはアンタに協力する」


 喜びが心の底から一気に噴出してくる。

 多分それが顔に出ていたのだろう。


「そんなだらしない顔してると前言撤回したくなるよ」と野獣に冷やかされる。


 俺は「ありがとうございます」と万感の思いを込めて野獣に感謝の気持ちを述べた。


「案外簡単に折れちゃうんだねぇ。もっと激しく抵抗すると思ってたよぅ」

「完全に判断を委ねる心算は無いわ。協力するというだけ。協力に値しないと判断したらハッキリ反対と言わせてもらうから」


 何も考えずに他者に全てを依存するような関係を俺は野獣に求めてはいない。

 『ファミリー』にあって俺以上の良心であってくれる事。

 それこそ俺が彼女に求める、戦力以上に重要な役割だ。


「もちろんそうしてください。俺が道を踏み外しそうなら殴ってでも止めてください」


 野獣なら言われなくともそうするだろう。


「そうね、その時は片方潰すわ」

 ナニを潰すと!?

 流石は野獣。言う事が過激だ。

 爽やかな笑顔で、何かを掴んでそのまま握りつぶすような野獣のゼスチャーに股間がヒヤッとした。


 俺は「前向きに善処します」とだけ答えた。

 




「だけどアタシやこコイツを納得させたからと言って、それで終わりだとは思わないで欲しいわ」


 金髪を指差し、野獣が言う。

 説得すべき反抗者はもうこの『ファミリー』にはいないはずだが、どういうことだろう?

 

「アンタ、この子達とそろそろ真剣に向き合って話してみるべきじゃない?」


 そう言って野獣が視線を向けた先に居たのは、雄雄しき少女と迷子の少年だった。


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