『くぁwせdrftgy』
無口だと思われているのか、私に語りかける人は、私に尋ねるようでいて自己完結している。
まるで空気に向かって話しかけているかのようだ。
初めのうちは一つ一つに返事をしていたのだが、誰も私の返事を求めているわけではない事に気付いたので、今ではそういうものだと割り切って静聴している。
今私に語りかける大男も聞かせるというよりは、一方的に懺悔を行っている様だ。
それを私は静かに受け入れる。
彼との付き合いは他の誰よりも一番長い。
その最も付き合いの長い彼からの別れの言葉を聴きながら、私は自分の半生を振り返っていた。
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『新たな出会いのために別れはあるのだ』と誰かが言っていたが、正に私の生はそれである。
私には生母の記憶が無い。
生別なのか死別なのかは分からないが、自分の記憶の中にその姿は存在していない。
だがそのことを思っても寂しさを感じることはない。
何故なら私の周りには常に『家族』がいた。
記憶に残る限りの最初に私を『家族』に迎えてくれたのは4人家族だった。
私が記憶している最初のおとうさん、おかあさん、おにいさん、おねえさん。
「今日からしばらくの間、ここが君の『家』、私達が君の『家族』だよ」と皆が温かく私を迎えてくれたのをおぼろげに覚えている。
今となっては何をあれほど取り乱していたのか分からないが、初めて出会ったその日の私は暴れたり噛み付いたりと、よくあれで放り出されなかったと思う程に彼らを困らせた。
そんな私を『家族』は根気良く落ち着かせ、寄り添い、夜毎に鳴く私を慰めてくれた。
家族の暖かな献身と注がれる愛に支えられて落ち着きを取り戻した私は、少しづつ『家族』と共に生きる喜びを見出していった。
私の中には本能のレベルで『家族』の為に尽くしたいという想いがある。
私は常日ごろ何か『家族』対して何か出来る事はないかと考えていたが、幼く身体の小さな私には『家族』に捧げられるものは何も無かった。
私と同じ事を考えていたのか、おねえさんが食事の後にお皿を運ぼうとして落として割ってしまった時、おかあさんが「おねえちゃんにはちょっと早かったかな。大きくなったらできるようになりますからね」と言っていたので、私も大きくなったら必ず『家族』の為に尽くそうと決心した。
こんな幸せで暖かな日々がいつまでも続けば良いのにと思い始めた矢先、突然の別れが訪れた。
昨晩は皆で行楽に出かけて沢山遊んだ。その日の最後には今までで一番のご馳走が出されて幸福感でいっぱいだった私だが、何故か『家族』は遊ぶ時も、折角のご馳走を前にしても、哀しげな目で喜びはしゃぐ私を見るのだった。
『家族』の間に流れる空気がいつもとは違うことを察知してはいたのだが、美味しいご飯でお腹が一杯になって遊びつかれた私は、そのことをあまり気に留めずにグッスリと眠ってしまった。
翌日、私たちの家に大きな男が訪ねて来た。
表情の少ない、暗い顔をした不気味な大男だった。
総出で男を出迎えた『家族』は、隣の部屋から隠れるように見ていた私にこっちへおいでと手招きする。
私は大男が怖くて行きたくはなかったのだが、大事な『家族』の頼みを無碍にもできず、恐る恐る向かった。
出てきた私を『家族』は一人ひとり私を抱き、名残惜しげに撫でた。
最後に私を抱えたおとうさんは、私を大男に向かって「よろしくお願いします」と手放した。
これからも明るく楽しい毎日が待っていると思っていた。
大きくなったら『家族』の為に一生懸命仕事をして尽くすと決心もしていた。
それを期待させるだけの愛情を『家族』は私に注いでくれていた。
暴れて大男の腕の中から逃れようとするが大男の力は強く、ガッチリと固定されて身動きが取れない。
家を出る時、後ろから『家族』たちの様々な別れの言葉が聴こえて来た。
初めは裏切られたと思った。
でも『家族』が私への愛情を捨て去ったわけではない事は、彼らの言葉や表情や態度から明白に伝わってくる。
本能が私に囁く。
きっとこれは避けられない別れ。
出会ったときに既に定められた逃れ得ぬ宿命。
鳥が巣立つ様に、獅子が千尋の谷にわが子を突き落とす様に、これが私に与えられた通過儀礼なのだ。
でもどうして私だけが『家族』から引き離されなければならないのか。
どうして私に甘い夢を見続けさせてくれないのか。
悟ってはいても受け入れ難い思いに、車の窓から見える小さくなっていく『家族』を見ながら私は泣いた。
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大男は何も言わず次へと私を送り届けた。
次にやって来たのはは年老いた夫婦の家だった。
『家族』が恋しいと泣き喚く私に、老夫婦は根気良く付き添い寝かしつけてくれた。
数日すると、彼らが『家族』と同じ様に私へ愛情を注いでくれている事に気が付いた。
もちろん私が悪戯をしたり、粗相をした場合は厳しい教育が施される。
しかし、それが私のために行ってくれているという事を感じることができた。
そう感じ取れた瞬間、私にとってこの老夫婦が新たな『家族』となった。
前の『家族』とは違って、ここではゆったりとした時間が流れていた。
縁側でおじいさんと一緒に昼寝する時が最高に大好きだった。
あまり外出する事はなかったが、時々公園に連れて行って貰った時は、近所の子供たちと夕方まで体力の続く限り遊び、力尽きておばあさんに抱っこしてもらって帰った。
だが、そんな穏やかで緩やかな楽しい時間は長く続かなかった。
私を最初の家族から引き離したあの男がやってきたのだ。
哀しげな顔で老夫婦は私に別れを告げた。
やめて!連れて行かないで!と泣き叫び暴れたが、男の力は強く、がっちりと抱きかかえられ、身動きが取れなかった。
その後も私はまた新たな家族と出会いと別れを何度も何度も繰り返した。
みんな私に良くしてくれる。惜しみない愛情を注いでくれる。
それは間違いのない事実だ。
だが、どの家族も一度分かれると二度と再会することはなかった。
叶うことならまた会いたいと思うが、それはきっと叶わないのだと悟っている。
会えなくても今まで触れ合ってきた全ての『家族』達は、今でも私にとって大切な『家族』だ。
彼らが与えてくれた優しさ、厳しさ、その他いろいろな愛情は私にとって掛け替えの無い宝だ。
そして次第にこのどうしようもない出会いと別れを楽しむようになった。
次はどんな『家族』に迎えてもらえるのだろうか?
彼らはどんな愛情を私に向けてくれるのだろうか?
そうやってころころと移り変わる環境に慣れ始めたある日、いつもの大男が新たな『家族』の待つ家ではなく、ある施設へと私を送り届けた。
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私を『家族』から引き離す大男は、いつもは無言のまま受け渡して去っていく。
しかしこの日の彼は、受け渡しの前に初めて私に語りかけた。
「これからお前さんはここで仕事に就く為の訓練を受ける。今までの沢山の『家族』との辛い別れはここで学ぶ為の準備だったんだ。我々の一方的な思いでお前さんには色々辛い思いをさせたな。でもここでお仕舞い。訓練が終われば、お前さんに本当の『家族』が出来るからな」
彼もまた他の人同様に私からの返事を聴けるとは思っていなかったようで、一方的に話し一方的に切り上げた。
以前は『家族』と私を引き離す鬼か悪魔だと思っていたが、受け渡しの際に強い力で逃がさぬようにしているものの、同時に私を傷つけまいと優しく気を遣ってくれていた事に気が付いた辺りから、今では彼もまた私に愛情を注いでくれる特異な形の『家族』だったのだと理解している。
こうやって彼が懺悔の言葉を私に向けるのを聴くと良く分かる。
彼がいつも無口なのは、あふれ出しそうになる感情を堪える為なのだ。
彼が聞き取れたかは分からないが、別れ際に「今までご苦労さまでした」と一言応えた。




