ひとめぼれ
俺には競技者達の世界など知る由も無い。
自分自身が身体を動かす事には興味なかったし、知識は精々がテレビの中で繰り広げられる肉体の競演を鑑賞するのがわりと好きな程度で、野次馬レベルの好きと言って良い。
そんな俺ではあるが、金髪が単なる拝金主義者では無いという事を薄々ではあるが察していた。
テレビや本で読んだ色んな経験談から想像しただけの、ほんの思いつきのような察しではあるが、どこかそれが間違っていないと確信に近い思いで感じるのだ。
何と言うか『走る』という事に対して並々ならぬ想いを持っている気がする。
時にそれに対する比重が『金』よりも重いのではないかと感じさせる瞬間がある。
そんな事を思わせる彼が勝負に徹したいと言うであれば、止める事は出来ないし、してはならないように思える。
俺にどうしても譲れない想いがあるように、彼にとっての譲れない気持は『コレ』なのではないのかと思えるのだ。
アレが本来の獣の姿であれば、そこまで彼の魂が揺さぶられる事はなかっただろう。
『チーター』が速いなんて事は当然なのだから。
だがヒトの姿であれだけのパフォーマンスを見せ付けられたのだ。
基本的にアスリートというやつは、マゾヒスティックというか好奇心旺盛な処がある。
その競技者としての闘争心が、目の前に現れた高い山を征服したいと思わせるのだろう。
もしかすると競技者としての彼は、相当高いレベルなのかもしれない。
普通は『登れる』というビジョンがほんの少しでも見えなければ、『登ろう』とは思わないものだ。
あの究極とも思えるスピードに対して『挑戦』できるだけの何かを秘めているのだとしたら、それは人類の中でも最高峰の力なのではないだろうか。
元より2度目のボーナスまで残留する事を許容していたのだ。
その範囲内であればどれだけ挑戦してもらっても構わない。
だがそれを越えた先となると話は別だ。
万が一でも優勝されてしまうと計画が台無しである。
あの圧倒的な走りを見た後だというのに余計な心配かもしれない。
しかし嫌な予感は膨らむ一方だ。
『ファミリー・リレー』の時の金髪の猛追走を見ている俺は、なんとなく金髪ならやり遂げてしまうかもしれないという妙な期待を持ってしまっているのだ。
最大限彼の意思を尊重したいとは思うが、ここは再度釘を刺しておかなければいけない処だろう。
「惚れましたか」
口から出てきた言葉は意図していたのとは別のものだった。
ここはきちんと念押しをしておかなければならないというのにだ。
不思議に思いながらも、俺はその理由を理解してしまっている。
人の心が強く揺さぶられ惹かれる様を見てしまうと、野暮な事を言って壊れてしまうのが恐ろしくなってしまったのだ。
「ああ。まさかこんな所でアレだけのものに出会えるなんて……夢にも思わなかった」
興奮冷めやらず、口調が変わったままの金髪。
今までは冷めた守銭奴というイメージだった金髪だが、今の彼からはとても熱い魂を感じる。
まるで新しい遊びを見つけたガキどものようにキラキラと輝く瞳がまぶしい。
ダメだ。
俺はこの手の笑顔にとても弱いのだ。
『この笑顔を曇らせたくない』と、ガキ共を無事に帰したい気持と同じぐらいの比重で思った。
「『イロアス』さんならアレに勝てますよね?」
金髪は意外なものを見る目で俺の方を向いた。
俺がそんな事を言うとは思っておらず、不意を突かれたのだろう。
1拍置いて、俺の言わんとすることを理解したのかニヤリと笑った。
「ああ、勝ってみせるさ。絶対に」
決意と自信と喜びでが混ざった、実に良い笑顔だった。
「それでは第2走目を開始いたしします。位置について」
審判からの次走の合図が始まる。
俺も慌てて金髪もうつ伏せになって号砲を待つ。
こうなったら毒を喰らわば皿までと、事の成り行きに任せてみようと決心した。
その後は順当に走力の弱いものから脱落していった。
子供2人と『オウム』の子が早々に脱落し、今の第5走目では最後尾を飼育員が走っている。
明らかに走力が足りない第3集団と言うべきものたちが、これで全員脱落したことになる。
次に落ちるのは現在第二集団を形成している、雄雄しい少女・オラウータン・野獣・俺の中の誰かだろう。この集団はほとんど団子状態で、誰から脱落してもおかしくない。
チーター・犬・金髪の走りは別格だ。
ここまでの戦いでは彼らが確実に第一集団を形成している。
だがその中でも格付けが出来てしまっている。
『犬』の子は第一集団の一番後ろ。
第一と第二の丁度間ぐらいの場所で背後を警戒しながら走っている。
恐らく全力で走れば金髪と競える程度には走れるだろうが、どうも後ろで何かあった場合に備えているような印象を受ける。
もし何らかのアクシデントが起これば引き返すであろう事は想像に難くない。
金髪は何度も『チーター』の子に追いすがるが、その差は未だ広い。
一つにはスタートダッシュが違いすぎる。
どうやっているのか解らないが、こちらが振り向いた時には既に数歩先を進んでいるのだ。
トップスピードに入るまでも異常に早く、そのままのスピードを維持する持久力もある。
少なくとも俺には攻略の糸口すら掴めない。
しかし金髪の表情を見るに諦めた様子は無い。
むしろ回を追う毎に、何かを掴んでいるような節すら見受けられる。
ゴールから次のスタートまでの短いインターバルも無駄にせず、確認と検証を行う真剣な姿に周りも呑まれ始めた。
迫り来る金髪のプレッシャーに押されているのか、どこか『チーター』の子の背中に焦燥が見え始めた。
この数本の間に、金髪は明らかに走り方を進化させている。
まずスタートで引き離される距離が明らかに少なくなっている。
最初の内は号砲と同時に振り返ると『チーター』の子だけが視界に移っていたのだが、今では彼女と金髪の二人が存在している。
もちろんそれでも何歩かは負けているのだが、それは驚異的な成長だった。
『チーター』の子は、その気配に気付き始めているようだった。
彼女は常に追うものだったのだろう。追われる経験などあろうはずもない。
その始めての経験に彼女は恐怖しているに違いなかった。
その感情は、只でさえ慣れないヒトの肉体を操るという作業を更に難しくした。
焦りが彼女の運歩を僅かに狂わせ、常態であればそれでも問題なく走り続けただろうが、今走っている大地は乾いてサラサラな砂の上。
滑る体を支える長く鋭いスパイクのような爪も無い。
急激な慣性の力に彼女の筋肉は耐え切れず、その身は宙を舞い、砂の大地に転がった。
「なんとッ!」
彼女の転倒にその直ぐ後ろを走っていた金髪もまた巻き込まれた。
肉体的な接触はあったが審判からの反則の宣言はされなかった。




