『ハート・ダイヤモンド』
わたしには『大人になったらなってみたい職業』が沢山ありました。
その枕詞に必ず『かわいい』が付く職業。
かわいいスチュワーデスさん、かわいいお花屋さん、かわいいコックさん……
それを聞いた人は例外なく顔が凍りつく。
分かっています。わたしは可愛くありません。
醜い顔、高い身長、薄い胸、うじうじした言動。
人に愛されるような要素なんかこれっぽっちもありません。
面と向かって言われるならまだ良い方で、たいていの場合はこそこそと陰口を叩かれます。
でも知らないところで言われている分にはまだ良いんです。
わたしにだって自覚がありますから。
でも、隠れているように見せかけながらわたしがそこに存在していないように振る舞い、明らかにわたしに聞こえるような、聞かせるための声で言っている場に出くわすと、悲しみで胸が張り裂けそうになります。
「身分不相応だ」「鏡を見てからモノを言え」『キモくて見るだけで目が腐りそうなのに、馬鹿デカいから嫌でも目に入る。死んでくれないかなあ」「嫌よ、死んだだけじゃ死体が残るじゃない。跡形も無く消えて欲しいわ」
これみよがしに囁かれる悪口雑言に押し潰されそうになる毎日。
なんで、わたしはこんなに可愛くないんだろう。
可愛くないわたしに生きる価値なんてあるのだろうか。
そんな事をいつも自問自答していました。
おとうさんは、
「こんな不細工に生まれやがって。これ本当に俺の子か?」
と言っておかあさんと喧嘩をした後、家に帰って来なくなりました。
おかあさんは、
「わたしだけが悪いんじゃない。あの人だって……いいや、全部お前が悪いんだ!」
と言っていたので、わたしは本当におとうさんの子供ではなかったのかもしれません。
せめてわたしの顔が普通だったら、2人は別れずに済んだのかもと思うと罪の意識すら感じます。
おとうさんが出て行った後のおかあさんは、
「お前誰よ?お前はわたしの子供じゃないの。邪魔だからもっと小さくなって生きなさいこのブス」
と言いますが、特に暴力を振るう事も無く育ててくれます。
ただ全てが事務的と言うか、わたしを見る目が変わりました。
そんなわたしの人生に転機が訪れたのは、高校2年の春。
新学年に上がってしばらくたったある日の休み時間。
わたしはいつもの様にクラスメイトのあからさまな罵詈雑言と少しの暴力に耐えていました。
何が原因だったかはもう思い出せません。
ただその時クラス中がヒートアップしていて、先生が教壇に立つまで誰もその存在に気付いていませんでした。
静かに教室を見渡していた先生は、やがてカツカツと大きく音を立てて黒板に字を書き始め、鳴り響く音に少しづつクラスが気付き、次第に教室内が静かになりました。
やがて出来上がった文章は、太く力強い字で『自習。次回小テスト。』と書かかれていました。
「この時間は自習。ただし、教室から出てはいけないし、騒いでもいけません。守れなかった場合はそれ相応の処分があるので留意するように」
いつもはもっと温和な話し方をする先生だったので、怒るでもなく嘆くでもなく、断固とした口調に教室中が凍りつきました。
「それから立原。付いて来なさい。」
呼ばれたのはわたし。
みんな訳が分からず怪訝な顔をしています。
何も分からないまま、先生と教室を後にしました。
教室からは、ドッと戸惑いと喜びの声が聞こえてきたのを朧に覚えています。
先生に連れて来られた先は、進路指導室でした。
部屋に入った先生は、わたしにソファに座るように促し、自分はお茶を淹れに行きました。
静かな部屋の中で俯いたままのわたしは、先生が何を言い出すのか考えていました。
湯気の上がる湯飲みを2つ持って再び現れた先生は、一つをわたしの前にドンと音を立てて置き、対面のソファに腰を下ろして、もう一つの湯飲みに口をつけました。
少しの間、沈黙と先生がお茶を啜る音が響き、不安が高まって行くのが分かりました。
やがてお茶を飲み終えた先生が、ゆっくりと口を開きました。
「アンタ、いつもあんな事言われてるのかい?」
先ほどの怜悧な口調とも授業中の温和な口調とも全く違う、粗野な口調に驚きました。
怒っているのでしょうか?
わたしが恐る恐るうなずくと、先生は続けて訊ねました。
「アンタは、何が悪かったんだと思う?」
この人は何が言いたいんだろう。
色んな大人がわたしに話しかけてきたが、こんな切り口は初めてでした。
そもそもわたしに興味など持たないし、気が付いても無視するのがほとんどです。
意図が読めなかったので、いつも思っていることを言うことにしました。
「……わたしが可愛くないのが悪いんです。だから叱られるのも、いじめられるのも仕方ないんです。わたしが悪い子なんだから」
口に出してみると、思っていたより辛かった。
堪えていたものがあふれ出し、涙と共に流れ落ちた。
人前で泣かないと決めていたのに。
泣けば不細工になってしまう、人を不快にしてしまう、もっといじめられる。
それなのに、一度零れた出した想いは止め処ありませんでした。。
「アンタは頭が悪いね。大馬鹿だね。」
わたしは悟ってしまいました。
先生の用件は、きっとわたしがクラスに悪影響を与えるガンだと告げることなのだろうと。
生徒達の前でののしる事は教育上良くないから、わたしを隔離して懲らしめるつもりなのだと。
もう終わってしまおう。
先生の話が済んだらわたしを亡くしてしまおう。
どうしようもなく価値の無い、わたしという存在を無かったことにしてしまおう。
そんな考えに浸るわたしに、先生は事も無げに言いました。
「可愛くなれないなら、かっこいい人に成ればいいんだよ」
あまりに衝撃的で一瞬何を言ってるのか分かりませんでした。
しかしその言葉は、次第にじわじわとひび割れたわたしの心の中に染み込んで来ました。
価値のあるのはかわいいもの。かわいくなければ女の子として価値がない。
そんな呪縛がたったの一言で吹き飛ばされました。
俯いた顔を上げて、先生の顔を見上げると、先生は笑っていました。
泣きながら笑っていました。
お互いに少し心が落ち着いた頃合を見計らって、先生は話を続けました。
「アンタはとても頑張ってる。でも頑張る方向を間違ってる。ちょっと考え方を変えるだけで、世界は広くも、明るくも、楽しくもなるんだ。」
この人はわたしの頑張りに気付いてくれました。
その上で何が間違っているのか、どうすれば頑張りが成果を上げるのかを導いてくれています。
「その為に大事な事は、卑屈にならないこと。堂々と人に誇れるように生きること。人と交わる事を恐れないこと。どんなに辛くても笑顔を忘れないこと。抗う事を忘れないこと。」
今までのわたしではダメだ。
わたしはかわいくする事は出来なくても、心を強くする事は誰にも負けない。
「アンタが頑張る道を間違えなければ、きっとアンタの周りにはアンタを愛してくれる人でいっぱいになるはずさ。だから人を愛する事を、人から愛される事を諦めるんじゃないよ。」
先生の口から飛び出す言葉の一つ一つが、後ろ向きだった私の生き方を前向きに変えてくれた。
その日から、わたしは自分の新しい考えを行動に移した。
顔を隠す為に伸ばしてきた髪の毛をバッサリ短く切り、体型を目立たないようにする為のダボダボで地味な装いも細い長身に合うタイトなものに変え、曲がった背中をピンと伸ばす。
悪い事や間違ってる事から目を背けないようになった。
誰にでも話しかけ、色んな集まりに顔を出すようにした。
毎日どんなに口汚い言葉を吐かれても俯き堪えてきたのを、この日からは徹底的に抗うようになった。
そしてわたしはアタシになった。
反発は大きかった。
けれど、アタシは耐える事には人一倍自信があったし、アタシを支えてくれるあの言葉の数々がある限り折れる事は無かった。
前を向いていると、今まで俯いていた時には見えなかったものが見えるようになった。
口汚い人々の醜さ、アタシの顔よりも遥かに醜い心に気付かない人。
助けようとして助けるきっかけが掴めず、苦々しい表情で見る人、自分を気にかけながらも勇気が持てずに罪悪感を募らせる人。
われ関せずと無関心を装う人、何もかもを無視する人。
様々なものが見えてくるようになった。
それからは簡単だった。
醜い人にはその醜さを指摘してやった。
必要の無い罪悪感を抱えてしまっている人には、近寄って感謝の気持を伝えた。
無関心な人には関心を惹くように大きな声で呼び掛けた。
それを心がけていると、次第に不思議と不細工と言われなくなった。
色んな人がアタシの価値を顔の皮一枚でなく、全体で評価してくれるのが分かった。
アタシの事を考え、労わり、ぶつかり、共に笑うようになった。
先生の言った通り、アタシの人生は楽しくなった。
「アンタとっても良い顔をしているね。まぶしいぐらいに輝いてるよ。」
卒業の日、アタシを送り出す先生にそう言ってもらえて、心から自分の事を誇らしく思えた。
過去話、2人目。
予告どおりの人です。
名前が初出って何さw
この人とは本当に相性が悪くて、書きあがるまでに時間かかり過ぎました。
次回から通常営業に戻ります。




