コンパスの幅
銃声と同時にスタートできたのは俺の『ファミリー』だけだった。
本来リレー競技ではクラウチングスタートである事が義務付けられているのだが、この競技場にはスターティングブロックが置かれていなかった。6人制700Mという変則ルールなので当てはまらないという事なのかもしれない。
まあその辺のアバウトさが『ファミリー』っぽいけどな。
これが筋力の弱い子供にとって有利に働いた。
クラウチングスタートを完璧に決める為には、腕の力と蹴る力を支えるスターティングブロックが必要だ。
スタンディングスタートは、どちらの力も不十分な子供特有のスタートで、ワルガキも当然こちらのスタートを選択している(それしか知らないのだろう。教えた事ないし。)
今回参加している大人たちは何も考えずにクラウチングスタートを選択した。
その結果起こったのは、スタートダッシュの失敗だった。
全ての大人が何らかの形でスタートを失敗している。
残念ながら転倒にまでは至っていないが、アヴァターの馴らしが十分でない為か、足がもつれたり滑ったりしているし、そもそも銃声への反応が遅れている。
そんな中で順応力に優れている為か、単に技術を要しないスタートだからか、子供だけが完璧なスタートを決めている。
あいつの度胸を見込んでの第1走抜擢が効を奏したようだった。
大人たちは慌てて体勢を立て直してスタートするが、かなり差が開いてしまった。
いくら体格で上回っていて直線では明らかにこちらの分が悪いと言っても、この差を埋めるのは容易ではない。
その上、この先の確実にカーブを曲がる為にはトップスピードでコーナーに入ると慣性に負けて大きく膨らんでしまうし、下手をすれば転倒すらありえる。
こうなると完全独走状態である。
その様子を見ているた俺の周りの大人たちが「嘘だろ!!」などと声を上げて焦り始める中、金髪碧眼の巨漢が、横にいる俺に向かって声を掛けてきた。
「君のとこの子供、やるねぇ…それとも大人がだらしないだけかなぁ?」
特に焦った様子も無く、楽しげに告げられたが、楽観できるような戦況では無いはずだ。
不思議に思って話に乗ってみる。
「みなさんまだ身体の馴らしが十分じゃなさそうですからね。あいつに任せて正解でしたよ。」
「私たちは早めに部屋に行ってしまったものだから、十分な練習ができなくてねぇ。仕方が無いから柔軟とかはやってはいたんだけど、流石に走る練習とかはできなかったんだよなぁ。」
「フローリングでは滑りますし、あまり広くないですもんね。」
「私のところは畳敷きだから滑りはしなかったけどねぇ。一応あいつもスタート練習らしきものはやってたんだけど、ブロックが無いのは想定外だったなぁ。」
どうやらノスタルジーを選択しているようだ。
ハリウッド映画にでも出てきそうなマッシブ西洋人な男達が和室でくつろいでる姿を想像してしまった。
「どうやら君たちは問題なくこの競技をクリアできそうだねぇ。おめでとう。」
そういう彼の『ファミリー』のメンバーは最後尾をゆっくり流すように走っている。
話しているうちに走者もバトンタッチが終って第2走者に移っている。
余裕があるのも働いてか、全く危なげなく繋いで行く。
だが、アイツの走りは遅くも無いが速くも無い。
どんなに足の回転速度が速くても、ストライドの大きさが文字通り大人と子供ほど違う。
遅れてバトンタッチした他の『ファミリー』達も順調に差を縮めて来ている。
その上、スタートの失敗で細かい技術の再現が難しい事を認識した大人たちは、余り無理をしないように安全な走行をする様に方針転換したようだ。
一人ぐらいはバトンを落とすかと思ったが、全『ファミリー』がリレーゾーンで走り出さずにバトンを受け取ってから走り始めているので、取り落とす事はなかった。
タイムロスではあるが落とす危険を考えればその方が安定だという考えだろう。全く手堅いことだ。
流石に大人は経験から来る判断が早い。
順応性高さとラッキーという2つの要素があっても、体格と経験という差を覆すのは難しい。
「おっと、なんだかいい勝負になってきたなあ。」と嬉しそうに金髪が言う。
周りの大人たちも、そろそろ落ち着きを取り戻していた。
第2走者が次のリレーゾーンに到着する頃にはほとんど差が無くなって来ていた。




