第五章 羽田恵那
夢のような出来事から数日が経ち、ついに今日は大晦日。白井くんと宇宙博物館に行く日が来ました。今日もいつもと同じように姉さんに起こされ、顔を洗い、朝食を食べ、歯を磨きますですが、ここ数日、コーンフレークの謎が付きまとっています。
クリスマスの次の日の朝食からコーンフレークが出るといつのまにか完食しているのです。その現象が起こった日の帰り道、お母さんに頼まれたお使いでコーンフレークを二箱のはずが知らないうちに六箱も購入していたのです。もちろんお母さんからはもの凄い怒声を浴びせられました。
謎はもう一つあって、織絵さんとカフェでパフェを食べていた時なのですが、気付くと、いつもアイスクリームのかさ増しで邪魔だと思っていたコーンフレークを綺麗さっぱり平らげていたのです。しかも織絵さんの分まで。
全て無意識の仕業なのですが、どういうことなのでしょう? 無意識を使う為にはコーンフレークの栄養分が必要なので、それを摂取するために無意識になっているのでしょうか? なんだか奇妙な現象です。
あれから少し無意識について調べましたが、実際にこのようなことを人は行うそうです。例えば、風邪がひきそうになればカレーを食べたくなるそうですが、それはカレーに含まれるターメリックが肝臓の働きを活性化させて、免疫力を高めるため体が無意識に欲するそうです。ですので、私の体はコーンフレークの栄養分を欲していると言う事になるのでしょう。
しかし、もう一つの方。白井くんに今日の約束を取り付けた方の無意識はどうなのでしょう? この件についても少し方向が違うかもしれませんが、類似点の多い事件がありましたので覚えておきました。
今から二十年程前、カナダで無意識のうちに殺人を起こしたという奇妙な事件がありました。
容疑者は睡眠中に二十三キロ離れた彼の嫁側の実家に向かい、嫁側の母を殺し、父に重傷を負わせたのですが、容疑者は全く身に覚えが無かったそうです。
その容疑者は職を失っていて、数日後にその義母と義父にその件を伝えると奥さんと約束していました。それに対し心的外傷を負い、二人を知らず知らずのうちに襲っていた、というのです。そして彼は検証の結果、夢遊病を患っていたことがわかり、無罪になったのでした。
私は正直に言うとこんな馬鹿な話があるわけないと思いました。きっと加害者側が無意識だと嘘をつき、それに対し弁護士の弁護が素晴らしかったので無実になったのだろう、と。けれど自分もその無意識を体験してしまったので、ありえないこともないだろうと思ってしまうのです。それにこの殺人者の気持ちも凄くわかってしまいます。
激しい後悔と自分の中に潜む何かに対しての恐怖。
ですが私には殺したいと思う人などいないので、そこまで深く考えないでいいでしょう。
そして私なりに導いた無意識を呼び出した原因ですが、会いたいけど嫌われたくないとう意識が強まり、白井くんとの会話が億劫となってしまうというジレンマが発生したので、無意識な私が顔を出して解決してくれたのかもしれません。
そんな考え事をしている間に待ち合わせの時間は迫り、そこそこに慌てながら着替えなどの準備を行うことにしました。するとドアがノックされ、姉さんの声が聞こえてきました。
「ちょっといい?」
そこそこに急いでいるので良しとしましょう。
「いいですよ、入って下さい」
入ってくるなり姉さんは私の姿をまじまじと見て動きを止めました。
「何か用ですか?」
「うん、いや、あんた出かけるの?」
「その言い草だと出かけるなんて思ってもなかったと言いたそうですね」
「だって織絵くらいしか外で友達いないでしょ」
私にだって友達はたくさんいます、……ざっと思い浮かべられる顔だけで両手の指の数くらいは。けれど自宅の距離など時間の都合が合いにくいので結果的に織絵さんとばかり遊んでいるのです、と強がります。
「うるさい」
「あ、怒った」
嬉しそうに姉さんは言って指を指します。まんまと怒らされてしまいました。むかむかとくるこの感情を消すには姉さんを驚かせる一言が重要です……何も思い浮かびませんが。
「誰とどこ行くの?」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳の中にあるであろうひらめき電球がピカリと光りました。
「白井くんです」
「白井……くん? 男勝りな女なの? それとも男になりたい女?」
「女という固定概念を無くして下さい」
その言葉でやっと私が男の方と出かける事に気付いたらしい姉さんは、みるみる内に顔の血の気が引いていき青くなりました。
私は心の中でウシシと生意気な笑い声を上げます。
よろけながら姉さんはゆっくりと私のベッドに倒れ、顔を布団に押し付けながら深呼吸を何度か行い、グワッと勢い良く私に顔を近づてきました。黒目が大きく見えて少し怖いです。
「何ですか?」
「男と遊ぶのね」
「ええ、白井くんと市立の宇宙博物館に行きます」
「どっちが誘ったの? 言いなさい」
ここで織絵さんの時と同じくわかりませんなどと答えてしまえば、鬼の形相に変わった姉さんに何をされるか想像するだけで身震いがします。目覚めのお尻パンチが強の威力で放たれ、洗顔剤を肌に合わない物に変えられる、なんてことにもなりかねません。
「私が誘いました。その……」
いざ言葉に出すと恥ずかしさで頭がぼうっとしてしまい言葉に詰まりますが、ここでためらっていては次へと進めません。
「好意を持っていましたので」
瞬間、姉さんは顔を真っ赤にして立ち上がりました。
「そうよね! 恵那にだってそう言う相手はいるものね。じゃあ私も用意しなくちゃ」
「姉さんもお出かけですか? 久しぶりですね」
正確には覚えていませんが、姉さんが最近家を出たのは半年前だった気がします。
「そうね、あいつの誕生日以来だから。じゃあ恵那も楽しんで」
『あいつ』とは姉さんの架空の彼氏です。このような見栄を張る場面で、あいつと呼ぶ男性が出てきますけれど、本人を見たことはないですし、付き合っている雰囲気も感じません。それに一年三百六十日を家で過ごす姉さんと交際する男性など、どんな方か想像もつきません。
ふらふらと部屋を出て行った姉さんを見送って、私は途中だった身支度を済ませ、家を出ました。
外は雪がちらつき、道路の脇を白く染めています。自転車で行っては横転の危険性がありますので、青色の折りたたみ傘を取り出しシュバっと広げました。自分の手を見た瞬間に手袋を忘れた事に気付きましたが、駅までは歩いて十分程ですし、駅から宇宙博物館も近いのでわざわざ取りに行く必要はないと判断して、家の方に向けていた体を前に向け、駅に足を進めます。
これからどんな一日が待っているのだろうという緊張感で高鳴る胸を、しとしとと降る雪が落ちつかせてくれ、足取りを軽くさせてくれるのでした。




