小さな傷の治し方
短編です
ムィッ。
自分の下唇を右手の親指と人差し指でつまむ。
私が考え事をするときは、いつもこの動作をしてしまう。
考えることが好きだった。みんなが簡単に受け入れてしまうような物事でも、自分のナカで引っかかる事象があると、納得のいく説明を貰えるまで、何度でも人に質問をしてしまう私は、子供の頃、ほとんど無意識に下唇を抓んでいた。
別にそうすることで頭の回転が速くなるとか、ひらめきが降りてくるとかそんな素晴らしい行動ではない。本当に無意識に下唇を抓んでしまうのだ。
子供の頃はそれを誰かに指摘されることは無かった。癖の一つだと認識されていたようだし、私は無意識だったから全く気が付いていなかった。
中学生の時に、初めて好きだった男の子からそれを指摘されて、初めてこの癖の存在を知った。
それから私は、その動作を意識するようになった。
気がつくと触れている右手。聞き手が右手だから、そのせいで作業が止まる。意識してやめようと努めた高校時代は、逆に思考がうまく回らなくて、結局無意識に下唇を抓んでしまっていた。
女友達には「可愛い~」なんて言われていたけど、正直中学生の頃のあの男子に揶揄われたのがずっと記憶の片隅に残っていて、私は懸命にその癖を隠すようになった。
大学を経て、社会人になるころには、下唇を触ってしまいそうになると、脳が気が付いて、癖を止めてくれた。
おかげで大学時代は変な癖を指摘されることなく卒業できたし、就職後も誰にも何も言われない。嬉しい限りだ。
ほどなくして、私は、高校時代の友人から紹介された男性とお付き合いを始めた。
とても優しくて、おおらかな彼に私はどんどん惹かれていった。
ある日、彼が私に言った。
「君って考え事すると、下唇をこう・・・ムィッってするよね」
衝撃が走った。隠していたはずなのに。
「え・・・やってた?」
「?・・・うん」
私の顔が青ざめていくのが解ったようで、彼は私をソファに座らせてくれた。
「ごめん、俺なにか変なこと言ったかな」
私は、この癖に関する過去の出来事をぽつぽつと話し出した。
今でも中学生の頃の男子の声が響いてくるようで、私は次第に気分が悪くなっていくのを感じていた。
彼は途中で横やりを入れることなく、ただ黙って、私の話を聞いてくれた。
「ってわけで、隠していたつもりだったの・・・・でもやっぱり無意識にやってたんだ・・・」
自分に対する嫌悪感で押しつぶされてしまいそうな気がした。
「・・・・そっか・・・」
それだけ言った彼は、私を置いて台所に行ってしまった。何も言われないことにも驚いたけど、確実に失望されただろうと、私の頭の中に不安と恐怖が渦巻いていた。
ほどなくしてコーヒーの香りがしてきたと思うと、砂糖とミルクを足したカフェオレを持ってきた彼が、私の隣に座った。
「君らしくていいなって、俺は思ったよ」
「え・・・」
「別に無理に隠すことは無いよ。ただの癖なんだから」
シンプルな言葉だけど、彼の普段の人柄を想えば、この言葉に込められているたくさんの想いが、すべて伝わってくるような気がした。
彼の淹れてくれたカフェオレを飲んで、私は彼と結婚しようと決めた。
——小さな傷の治し方——
治し方は人それぞれ




