第一話 沖縄の小さな工房
2020年。
沖縄の小さな紅型工房に、
東京から一人の青年がやって来た。
彼は「尚家」の姓を持つが、
その事実は歓迎よりも警戒を生む。
仲村工房の朝は早い。
潮の匂いと染料の匂いが混じる空気の中で、
尚継は深く頭を下げた。
「本日からお世話になります。尚継です」
返事は一拍遅れた。
「……あぁ、東京の」
健太はそれだけ言って、
作業台に視線を戻す。
彩乃も同じだった。
笑顔はあるが、距離は詰めない。
その空気を、
少し離れた場所で見ている男がいた。
作業台の端。
古い染料瓶の横で、
花ばさみを研いでいる老人。
隆司だった。
仲村工房のベテランスタッフ。
この工房を何十年も見てきた男だ。
隆司はゆっくり顔を上げる。
「……尚、か」
それだけ呟いて、また刃を研ぎ始めた。
継は気づいていた。
“尚”という姓が、
この場では歓迎されないことを。
社長の美咲は
必要以上の説明をしなかった。
「住み込み。給料は最低限。
仕事は雑用から。いい?」
「はい」
それだけで十分だと言わんばかりに、
美咲は背を向けた。
(信用は、ここでは実績でしか得られない)
継はそう理解し、
黙って布を運び始めた。
その様子を、隆司は横目で見ていた。
(……さて)
(東京尚家の坊ちゃんが、
どこまで持つか)
隆司は刃を拭くと、
ぽつりと呟いた。
「布は逃げないが、
人は逃げるぞ」
継は一瞬だけ手を止めたが、
何も言わず作業を続けた。
隆司はその背中を見て、
少しだけ笑う。
(逃げないか)
(なら、少しは見込みがある)
――このとき読者は思う。
伝統工芸の世界で成長する若者の話だ。
よくある後継者修行ものだ。
その認識は、まだ正しい。
ただ一つだけ。
この工房には、
誰も触れない部屋がある。
染料棚の奥。
古い木の扉。
隆司だけが、
時々そこを見ていた。
まるで――
あの部屋の中に、
まだ誰かがいるかのように。




