第一話 スルメイカ社長、婚活はじめました
2030年
那覇の午後は静かだった。
仲村工房の作業場には、
染料の匂いと、
乾きかけの布が揺れる音だけがある。
そんな空間に、
完全に似つかわしくない男が立っていた。
スーツは仕立てが良く、靴に埃一つなし。
立ち方まで、どこか会議室のそれだった。
――林 明浩――
中国の経済王、
30代、高身長、イケメンは、
真剣な顔で言った。
「……というわけで、
婚活がうまくいっていない」
染料を混ぜていた継の手が、
ぴたりと止まる。
「何で俺に相談する?」
継は顔も上げずに即答した。
林は一瞬、言葉を探す。
「君は既婚者だし、
それに——人を見る目がある」
「それ、褒めてないだろ」
継はそう言って、再び手を動かす。
赤と藍がゆっくり混ざっていく。
林は少し前のめりになった。
「いや、真剣なんだ。
条件はすべて満たしている」
「結婚を投資案件にするな」
継は嫌な予感しかしなかった。
林は気にせず続けた。
「年齢、収入、職業、健康状態、
そして戦略的安定性」
「待て」
継が遮る。
「核抑止じゃない」
継は完全に手を止めた。
ゆっくり振り返り、林を見る。
「……あのさ」
林は、
何か重要な指摘が来ると察して
背筋を伸ばす。
「結婚ってさ」
継は染料の入った容器を軽く叩いた。
「論理で詰めると、だいたい失敗する」
林は理解できない、という顔をした。
「だが、最適解を——」
「出そうとしてる時点で、もうズレてる」
継は容赦がない。
「お前、たぶんな……
正論で人を殴るタイプだろ」
「殴ってはいない、
説明しているだけだ」
「それを"殴り"って言うんだよ」
林は口を閉じた。
初めて聞く分類だった。
継はため息をつく。
「相手はな、
説得されて結婚するわけじゃない」
「では、何を求めている?」
少し考えてから、継は答えた。
「……一緒に失敗しても、
逃げなさそうな相手」
林は沈黙した。
「……それは、合理的ではない」
「だろ?」
継は肩をすくめる。
「だから俺に聞きに来たんだろ」
林はしばらく
床を見つめてから言った。
「……自分では、
どこが間違っているのか分からない」
その声は、先ほどより少し低かった。
継は少しだけ表情を緩める。
「じゃあさ」
林が顔を上げる。
「一個だけ約束しろ」
「何だ」
「俺が紹介するとしたら、
条件の話はするな」
林は眉をひそめた。
「それは——」
「絶対だ」
継は布を干しながら言った。
「たぶん、
条件を聞かない女じゃないと、
お前は結婚できない」
林はゆっくり息を吐いた。
「……難易度高すぎないか?」
継はにやりと笑う。
「安心しろ。
結婚は人生で一番、
難易度が高い」
林は苦笑した。
その笑いが、
この男にとって
最初の“ほころび”だった。
⸻
(つづく)
※このお話はここからでも楽しめますが、
第一部・尚継編を読むと
「あれ?この人こんな感じだったっけ…?」
「え、この人そんな関係だったの!?」
と、ちょっと見え方が変わります(笑)
気になる方は、第一話からどうぞ。
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