記録004|観測|英国:所有者不明
所有とは、理解より先に発生する。
少なくとも、この国では。
ユーロスター車内。
揺れは、ほとんどない。
「……走っていますか?」
尚造が窓の外を見る。
景色が、速すぎて流れている。
「走ってます」
「速いですね」
「高速鉄道です」
尚造は、しばらく黙った。
「……これは、どれくらい出ているのですか」
「最高時速300kmです」
「止まれますか?」
「止まります」
「本当にですか?」
「多分大丈夫です」
尚造は頷いた。
「……“多分”が多いですね」
⸻
英仏海峡トンネルに入る。
外が暗くなる。
「……夜ですか?」
「海の下です」
「……海の下?」
尚造が窓に顔を近づける。
「水圧は大丈夫なのですか」
「大丈夫です」
「崩れませんか」
「崩れません」
尚造は、しばらく沈黙した。
「……海の中を通す必要があるのですか」
「あります」
「なぜです?」
継は短く答える。
「近道だからです」
尚造は、小さく息を吐いた。
「……合理的ですね」
⸻
車内は静かだ。
誰も騒がない。
「ずいぶん静かです」
「そういうものです」
「速いのに、静か」
「はい」
尚造は、少しだけ考えた。
「……怖いですね」
「何がです?」
「速さを感じないことです」
継は何も言わなかった。
「もうすぐです」
「もうですか?」
「はい」
尚造は、窓の外を見る。
まだ、暗い。
「……距離の感覚が、なくなりますね」
「そうですね」
一拍。
「便利ですが」
継が続ける。
「はい」
「どこにいるのか、分かりにくいです」
⸻
ロンドン。
空は低く、色は薄い。
「……静かですね」
尚造が周囲を見回す。
「そういう街です」
「人は多いのに、音が少ない」
「抑えてますから」
「なぜ」
「それが礼儀です」
尚造は少しだけ考えた。
「……戦場では逆ですね」
「ここは戦場じゃないです」
⸻
カフェの前。
整然と並んだ椅子とテーブル。
「座っていいですか?」
「どうぞ」
紅茶が運ばれてくる。
「お茶ですね」
「順番があります」
「順番?」
「先にミルクを入れるか、後にするか」
尚造は黙った。
「……どちらでも同じでは」
「違うと考える人もいます」
「戦場でそんな余裕はないです」
「ここは戦場じゃないです」
尚造は、カップを持ち上げた。
「面倒ですね」
「文化です」
⸻
地下へ続く階段。
「ここは避難壕では」
「地下鉄です」
人の流れが、途切れない。
「多すぎます」
「通勤です」
「毎日?」
「毎日です」
尚造は、しばらく黙った。
「……慣れると、気にしなくなるんですね」
「何がです?」
「いや」
言葉を切る。
⸻
地上に出ると、時計台が見える。
「合図?」
「時計です」
「全員が同じ時間を見るのは危険です」
「生活です」
「時間を揃えるのは作戦です」
「ここでは違います」
尚造は、針の動きをじっと見た。
⸻
「着きました」
大英博物館。
「ここは?」
「集めたものを、見せる場所です」
「どこから?」
「世界中から」
尚造は、少しだけ目を細めた。
「……返さないのですか」
「難しい問題です」
「つまり、強い」
「言い方」
⸻
展示室。
床の下に、“それ”。
尚造は一歩、踏む。
学芸員
「収蔵対象になり得る」
「ただし、この展示方法は適切ではない」
来館者
「規則は、すべてを想定しているわけではない」
女性
「踏んでいい理由が、見つからない」
男性
「これは——誰のものだ」
継
「決まっていません」
男性
「なら、展示していい理由もない」
⸻
静かだ。
誰も、結論を出さない。
ただ——
距離だけが、違う。
尚造は、下を見る。
「継くん」
「はい」
「ここでは、“持つかどうか”で揉めるのですね」
「そういう人が多いです」
「中身ではなく?」
「はい」
尚造は、わずかに笑った。
「……便利ですね」
「何がです?」
「誰のものでもないのに」
一拍。
「誰かのものにできる」
継は答えなかった。
⸻
その日。
展示は止まらなかった。
ただ——
それが何なのかを、
説明する者は、
一人もいなかった。
⸻
(つづく)




