第十一話 金の匂い
敵は、まだ何もしていない。
それでも、世界は少しだけ動き始めていた。
仲村工房。
朝。
潮の匂いと、
染料の匂い。
そして今日は――
もう一つ。
妙な空気が漂っていた。
⸻
作業台の上。
一枚の名刺が置かれている。
『林明浩
林グループ CEO』
健太が腕を組む。
「……やばい匂いしかしないな」
彩乃も頷いた。
「企業規模、桁違い」
継は静かに言う。
「調べました」
ノートPCを回す。
画面には
林グループの情報。
IT。
物流。
アパレル。
投資ファンド。
そして――
世界中の拠点。
健太が眉をひそめる。
「企業っていうより、
国家じゃねえか」
彩乃が続ける。
「しかも沖縄進出してる」
継は小さく頷く。
「はい」
⸻
沈黙。
工房の外では、
観光客が歩いている。
平和な朝。
だが、
作業台の空気は重かった。
健太が言う。
「で、何で紅型なんだ?」
継は少し考える。
「分かりません」
彩乃が言う。
「でも、
林は“日米地位協定”を指定した」
沈黙。
三人の視線が、
倉庫の奥へ向く。
そこには
布がある。
尚造の紅型。
⸻
健太が頭を掻く。
「……文化ビジネスか?」
彩乃が首を振る。
「それなら普通は買収」
継が言う。
「林は、買うと言いました」
健太
「同じじゃねえか」
彩乃
「違う」
彩乃は静かに言う。
「買収は会社。
買うのは作品」
沈黙。
継が言う。
「文化を買う」
健太
「……怖い言い方するな」
⸻
その時、
電話が鳴った。
彩乃が出た。
「はい、仲村工房です」
一瞬。
表情が変わる。
「……え?」
継と健太が見る。
彩乃は電話を切った。
沈黙。
健太
「どうした」
彩乃
「百貨店」
継
「はい?」
彩乃
「紅型の取り扱い、
一度見直すって」
沈黙。
健太
「……早すぎないか?」
継も頷く。
林が来たのは昨日だ。
彩乃が小さく言う。
「金の匂い」
継
「……え?」
彩乃
「お金が動くと、
世界はすぐ動く」
健太
「嫌な世界だな」
⸻
継は少し黙る。
そして言う。
「……隆司さんなら」
健太
「何?」
継
「こういう話、知ってるかも」
彩乃
「世界回ってたって言ってたよね」
健太
「でも」
少しだけ間。
「もう聞けねえだろ」
隆司は
工房を去った。
継は静かに言う。
「昔、こんな話してました」
⸻
回想。
夜の工房。
隆司が酒を飲んでいる。
隆司
「上海にはな、
化け物みたいな商人がいた」
若い継
「化け物?」
隆司
「林玉蘭」
継
「林?」
隆司は笑う。
「商売ってのはな、銃より強い」
⸻
現在。
沈黙。
彩乃
「……林?」
健太
「偶然か?」
継は名刺を見る。
『林明浩』
継
「……分かりません」
健太
「でも、偶然じゃなかったら?」
沈黙。
工房の奥。
倉庫。
そこにある布。
日米地位協定。
⸻
健太が言う。
「……なあ。
これ、もしかして」
彩乃
「うん」
継
「……はい」
健太
「世界が欲しがるやつ?」
誰も答えない。
⸻
外。
風が吹く。
紅型が揺れる。
仲村工房。
まだ小さな工房。
だが――
世界の匂いが、
近づいていた。
⸻
(第十一話 了)




