私が何を司る聖女か、お忘れですか?
会談に使う部屋で、テーブルを挟んで向かい側に座るのは、私の婚約者と──。
「あの……レミリオ様。そちらは……?」
アイリス・ニケルトは、戸惑った表情で婚約者レミリオ・エンフリーデと隣に座る長い黒髪の女性を交互に見た。
「彼女は、トーナ・カーリー。カーリー大佐の娘だ」
「初めまして。トーナ・カーリーと申します」
思わず見惚れるほど綺麗な会釈と、凛とした綺麗な声だった。
「……た……大佐って……」
見下すわけではないが、アイリスはこの国の為にわざわざ隣国から嫁いできたのだ。
国を繁栄させる『聖女』として。
アイリスは嫌な汗が流れ落ち、重ねていた手をぎゅっと握りしめる。
「……アイリス。すまないが、君との婚約を破棄させてもらえないだろうか?僕は、トーナと結婚する」
心底申し訳なさそうに切り出したレミリオの言葉に、アイリスは頭が真っ白になる。
「君のご両親へ、『婚約破棄させてほしい』旨の手紙ももう送ってある」
「っそんな──!」
アイリスは、思わず身を乗り出した。
「だから、すぐにこの国を出ていってくれ」
レミリオが厳しい表情で言い放つ姿なんて、見た事がなかった。
ましてや、その顔が自分に向けられるなど。
(私を切り捨てるほど、彼女を愛しているのね……)
レミリオは『王』よりも『司書』になった方が良いのではないか、と思うほど、真面目だけど少し頼りなくて、優しかった。
虫が飛んでくれば悲鳴を上げ、犬がいればアイリスにしがみつき、勉強は好きなようで、よく本を読んでいた。
『アイリス……僕、頑張って父上のような立派な国王になるから……ずっと一緒にいてほしい』
12歳の時、図書室で帝王学の本を読みながら、恥ずかしそうにそう言ってくれた。
頭をよぎった思い出に涙がこぼれそうになったが、それを必死にこらえ、恭しく頭を下げた。
「……っ末長く……お幸せに……」
アイリスは頭を上げると、声を震わせながら「失礼します」と言って席を立つ。
そのままのろのろと部屋を出ていった。
アイリスが部屋を出ていくのを見届けたレミリオは、長く息を吐いて背もたれに寄りかかる。
「お疲れ様でした、殿下」
「……上手く出来ていたか?」
レミリオは、かすれた声でトーナに尋ねる。
「はい、お見事でした」
トーナは沈痛な面持ちでレミリオを見るが、姿勢を崩す事はない。
「悪かったね、少尉。びっくりしただろう?命令で『婚約破棄をするために、婚約者のふりをしてくれ』なんて」
「ええ、驚きました。ですが状況が状況ですので、『アイリス様を愛しているが故』なのだとも、理解しています」
「ありがとう」
レミリオはしばらく放心状態で天井を見つめたが、「さて」と上体を起こす。
「やるか。アイリスが国を出た事を確認してから、本格的に動き出す」
「かしこまりました」
やるか、とは言ったが、精神的疲労が重なっているレミリオは、うなだれたまま動けない。
「……まさか、将軍が裏切るなんてな……」
ダグラス将軍は、密かに北の隣国と手を組んでいた。
『隣国が不穏な動きをしている』という情報は得ていたし、『レミリオが次期国王』である事を不安視する声も聞こえている。
父の学友でありライバルだったダグラス将軍は、その筆頭だった。
「僕が……もっと父上に似ていれば……」
先日、母と共に事故で亡くなった先代は、優しくも聡明で、強かだった。
次期国王として会議に参加させてもらった時の、穏やかながらも背筋の伸びるような圧倒的存在感は『一個人としてついていきたい』と思うほどだ。
そんな父に、ダグラス将軍も忠誠を誓っていた。
(僕はただ……優しいだけだ……)
優しくて、勉強が出来るだけだ。
剣術の稽古は、弱いわけではないが最後の詰めが甘く、何度も『何故あそこで手を抜いたのですか』と師範に怒られた。
何度言われても直らなかった為、その怒りは次第に呆れへと変わっていき、今では何も言われなくなった。
その『優しいだけ』のレミリオを力強く支えてくれたのが、アイリスだった。
聡明で明るくて、まるで姉のようにレミリオを引っ張っていってくれる存在だった。
アイリスがいると、一気に場が明るくなった。
アイリスを、心から愛していた。
(しかし、まさか将軍が裏切るほど期待されていなかったなんて……)
レミリオ自身も、勝ち目が無い事を理解している。
それに、アイリスを内乱に巻き込めば『繁栄』という目的で生かされはするだろうが、どのような扱いを受けるかは分からない。
「すまない……幸せになってくれ……」
何かがおかしい。
揺れる馬車の中でアイリスは、ショックよりも違和感で頭がいっぱいだった。
レミリオに「すぐにこの国を出ていってくれ」と言われて部屋を後にしたら、荷物をまとめる間もなく執事に馬車へと案内された。
「アイリス様。お荷物は私共でまとめ、のちほどニケルト家へ送らせていただきます。ご安心を」
信頼していないわけではないが、馬車の前でそう言い放つ執事に絶句した。
「……私はもうレミリオ様の婚約者ではありません……そんな手間をかけさせるわけには──」
「『手間』だなんて、そんな!」
執事は、眉を下げて両手の平を大きく横に振る。
「これが最後の仕事です。アイリス様、ありがとうございました」
「……こちらこそ……?」
(まさか、善人ぶって何か盗む気じゃないでしょうね……?)
「お元気で」
執事の顔には、愛娘を見送るような温かさと寂しさが滲み出ていた。
「……お世話になりました……」
アイリスは、困惑しながらも執事に丁寧にお辞儀をすると、馬車に乗り込んだ。
馬車は今、森の中を進んでいる。
南の国境には大きな橋が架かっており、本来、往来にはその橋を通るはずだ。
(このまま、私を森の中に置き去りにするつもりじゃ……?)
そう考えて、アイリスはゾッとする。
アイリスは、森の中で生き抜く術など持ち合わせていない。
行き倒れになるか、獣のエサになるだけだ。
「アイリス様、お疲れ様でした。ここから隣国です」
「え?隣国……?」
隣国という事は、アイリスの故郷だ。
国境の森で、馬車の戸を開けて恭しく礼をする御者に、馬車を降りたアイリスは「ありがとう……?」と疑問形になりながら礼を言う。
「どうか、お元気で」
「マルコムさんも、お元気で」
マルコムは頭を上げると、涙をこらえるように「ありがとうございます……!」と深く礼をした。
何かがおかしい。
「アイリス様」
故郷側の木の陰から、騎士が一人現れる。
「お待ちしておりました」
「スレイグ!」
数年ぶりに再会した幼馴染みの騎士に、アイリスは満面の笑顔で駆け寄る。
「どうぞ、こちらへ」
「あ……ちょっと待って」
アイリスがマルコムの方を向くと、マルコムは名残惜しそうにアイリスを見ている。
アイリスは感謝の意を込め、深く一礼をした。
「お世話になりました」
マルコムは目を丸くすると、ベレー帽を取って「こちらこそ!」と再び頭を下げた。
国境を越え、スレイグと共に森の中を少し歩くと、道が開けた。
路肩には馬車と御者、2名の騎士が待機している。
「アイリス様!お帰りなさいませ!」
「ただいま……え、コルト?」
「はい!お久しぶりです!」
「大きくなったわねぇ!」
コルトは、3歳下のスレイグの弟だ。
「アイリス様、突然の帰郷で心身共にお疲れでしょう。どうぞ馬車へ」
コルトと一緒にいた騎士は、優しい笑顔で馬車のドアを開けてくれた。
「ありがとう……ごめんなさい、婚約破棄された私なんかに気を遣わせてしまって」
アイリスは、申し訳なく思い俯く。
「……その事で、ランディナー様からご説明があると思います」
スレイグは、真面目な表情でアイリスを見る。
「お父様から……?」
「ひとまず、屋敷へ戻りましょう」
「……分かったわ……」
アイリスは、『何を言われるのだろう』と不安を抱いたまま、馬車に乗り込んだ。
「アイリス!良かった、無事だったのね!」
屋敷に戻るなり、母・ルイスは号泣しながらアイリスを抱きしめる。
「お母様……?」
「アイリス!良かった!怪我はないか!?」
ルイスの後ろで、ランディナーも心配そうな表情を浮かべている。
「お父様……ごめんなさい、婚約破棄をされてしまって……」
弱々しく謝るアイリスの言葉を、ランディナーは怒るどころか「いいんだ!無事で帰ってきてくれたなら!」と強い口調で遮る。
「あの、さっきから何の話を──」
「まずは一休みしましょう!疲れたでしょ!」
お茶の準備をしてちょうだい!とルイスはメイドに指示を出す。
「お嬢様、お帰りなさいませ。お着替えはなさいますか?」
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう……」
婚約破棄されたのに、『怒られない』どころか『ここまでの厚待遇』なんであるのだろうか?
執事もマルコムも、アイリスは婚約破棄された身なのに嫌悪感など微塵もなかった。
(一体、何が……?)
テーブルについたアイリスは、紅茶を飲んで一息つく。
「アイリス様、旦那様からの伝言です。『落ち着いたら執務室に来るように』と」
執事の言葉にアイリスは身を硬くし、「……分かったわ」と呟く。
(破門……されるのかしら……)
そう考えた途端、恐怖で紅茶の味が分からなくなる。
紅茶を飲み終えると、アイリスは意を決して執務室へ向かった。
ドアをノックすると「どうぞ」というランディナーの声が聞こえた。
「失礼します……」
「おお、アイリス!どうだ、少しは休めたか?」
「ええ、ありがとうございます」
明るい笑顔を見せるランディナーに対し、アイリスは硬い表情だ。
『その事で、ランディナー様からご説明があると思います』
スレイグの言葉が、頭をよぎる。
アイリスは、重ねた手に力がこもりながらも「お父様、何か御用でしょうか……?」と尋ねた。
ランディナーは、悲しそうな表情で引き出しから封筒を取り出す。
便箋を広げ、テーブルの上にアイリスに向けて置いた。
「レミリオ君から届いた手紙だよ」
「レミリオ様から……?」
失礼します、と言いアイリスは便箋を手に取る。
『拝啓 ランディナー・ニケルト様
突然のお手紙、申し訳ありません。
誠に勝手ながら、ご息女アイリス・ニケルト様との婚約を解消させていただきたいのです。
将軍が裏切り、この国は近々戦争が起こるでしょう。その前に、お嬢様をお返しします。
素敵なお嬢様で、明るく、誰からも慕われ、アイリス様がいるだけで場の雰囲気が活気づくような方でした。
本当に愛していました。
なのでどうか、どうか幸せな人生を歩んでもらいたいのです。
最後に、ニケルト家の末永い繁栄を願っております。
レミリオ・エンフリーデ』
手紙を読んだアイリスは、しばし何も考えられなかった。
しかし、次第に沸き上がってきた怒りに、アイリスは手紙を握り潰す。
「レミリオ君は、アイリスを戦争に巻き込みたくないから、事が起こる前に──アイリス?」
ランディナーは、アイリスの雰囲気が変わった事を察したのか、恐る恐るアイリスを見る。
「……お父様、あの『鎧』を使用しても構いませんか……?」
「っあれを!?しかし、あれは使用者への負担が──」
「構いません。その為に、幼少の頃から鍛練は積んできたんです」
「しかし──」
「お願いします!それから、無茶な頼みだとは分かっていますが──」
1週間後。
将軍を失った国の陥落は、あっけなかった。
ダグラスは、捕縛されて独房で膝を抱えているレミリオを冷たい目で見下ろす。
「本当に、先代に似ているのは見た目だけですね」
それだけを言い残し、ダグラスは背を向けてさっさと行ってしまった。
レミリオは、膝の間に顔を埋め「分かってるよ……」とぼやく。
(何で、僕は王族なんかに生まれてしまったんだろう……)
市街地で生活する人達が羨ましかった。
活気があって、露店市場で店員と客が楽しそうに話をしていて、友人と買い食いしている人もいて、自由に見えた。
令息令嬢の通う学院で、マナー、愛想笑いにまみれて勉強しているレミリオとは大違いだった。
そんな中で、婚約者として子供の頃から国に度々来ていたアイリスは、気高くも無邪気に笑っていた。
子供の頃、レミリオは警備についていたドーベルマンが怖くて、いつもアイリスにしがみついていた。
アイリスは、物怖じせずにドーベルマンに近づいていく。
「あっアイリス……!」
アイリスはドーベルマンの前にしゃがみこむと、笑顔で頭を撫でて、レミリオを振り返る。
「レミリオ様、この子可愛いわよ?」
「……でも……」
「私の後ろからでもいいから、少し触ってみない?」
「……うん……」
レミリオは不安げに近づいて、アイリスの後ろからおずおずと右手を伸ばした。
ドーベルマンは匂いを嗅ごうと、スンスンと鼻先を上げる。
「うわっ!」
レミリオは、驚いて右手を引っ込める。
「もう、いきなり動いたらワンちゃんもびっくりしちゃうでしょう?」
アイリスは呆れたように笑うと、ドーベルマンの前に片手の平を出し、匂いを嗅がせる。
「レミリオ様も、匂いを嗅がせてみて」
「……うん……」
レミリオが片手の平を出すと、ドーベルマンはスンスンと鼻を近づける。
そのまま、恐る恐る頭を撫でてみた。
「……可愛い……」
「でしょう?」
大人しく頭を撫でられているドーベルマンに、レミリオは目を輝かせる。
そんなレミリオを、アイリスは微笑ましく見ていた。
(さすがに蜂が飛んできた時は二人で悲鳴を上げたけど……)
思い出に浸っていると、何やら外が騒がしい。
(こっちに近づいてきている……?)
レミリオが首をかしげていると、真っ赤な鎧の騎士を先頭に、数名の騎士が独房に向かって走ってくる。
「ひっ!何──」
「レミリオ様!」
赤い鎧の騎士から、聞き覚えのある声がした。
騎士が鎧の頭部を外すと、汗だくになったアイリスが満面の笑顔を見せた。
「お待たせしました!ご無事ですか?」
「……アイリス……?」
アイリスが、鎧を着て援軍を連れて助けに来た。
その事がすんなりと飲み込めず、レミリオは「何故……?」と聞き返す。
「レミリオ様、私が『何を司る聖女』かお忘れですか?」
アイリスの笑顔の背後に、鬼のようなものが見える気がする。
見張りから鍵を奪ったのか、アイリスの後ろにいたスレイグが「失礼します」と前に出て、独房の錠前に鍵を何種類かはめている。
ガチャンと錠前が開き、スレイグがドアを開けてくれた。
「ありがとう……確かに、アイリスは『戦い』を司る聖女だけど、だからって戦場に出るなんて……」
「そうですね。子供の頃から鍛練は積んでいますが、よほどの事がない限り、私も戦場には出ません。鎧、重いですし」
よく見ると、疲労のせいなのかアイリスは少しやつれている。
レミリオは、やつれながらも笑うアイリスに心が痛み、「本当にごめん……」と弱々しく謝った。
「その鎧は、一体……?」
「この鎧は、聖女のエネルギーを吸って赤く染まるんです。元々は白いものなんですよ」
「聖女のエネルギーを吸う!?」
「そして今回は、なるべく犠牲者が出ないように騎士500名全員に加護をつけました」
「全員!?そんな無茶を──」
「ええ、無茶をしました。でもレミリオ様も、私を内乱に巻き込まない為に手を回してくださいましたよね。『自分では将軍に勝てない』と分かっていたからこそ」
レミリオは、図星を突かれて押し黙る。
「僕は、父上みたいに立派じゃない……いつも、誰かの陰に隠れて守ってもらって……だから、『堂々と君を守る』なんて出来る自信がなくて……これが精一杯だった……」
傷つけてごめん、とレミリオはアイリスに頭を下げる。
アイリスはレミリオを見下ろし、「本当ですよ」と大きなため息をついた。
「相談してくだされば良かったのに。久しぶりに泣きそうになりました」
レミリオは、『泣きそうになった』という言葉にぐっと息を詰まらせる。
「頭を上げてください。恐らく、連れてきた援軍がダグラス将軍達を制圧している頃だと思います」
その時、後ろから騎士が一人走ってきた。
「報告します。敵は制圧、ダグラス将軍を捕縛しました」
レミリオは勢いよく頭を上げ、涙ぐみながら「ありがとう……!」と再び頭を下げた。
レミリオは、アイリスや援軍の騎士と共に、城で捕縛されているダグラスと対峙した。
「将軍……何故、裏切ったんだ?」
縄で縛られて座っているダグラスは、静かにレミリオを睨みつけた。
「いつもめそめそして、誰かの陰に隠れて、決断してもらう。恥ずかしくないのか」
ダグラスの言葉に、レミリオは何も言えなかった。
スレイグは何か言いたそうに顔を歪めたが、アイリスが手で制する。
「せめて、裏切り者の処遇くらい自分で決めろ」
「将軍……まさか……」
「まさか、裏切り者の処遇までアイリス様に任せるつもりではあるまいな?」
「いや……」
レミリオは、思わずたじろぐ。
それはつまり、アイリスに『ダグラスの処刑の判断までさせる』という事だ。
そんな惨い判断までさせられない。
だけど、怖くて処刑の判断が下せない。
「……レミリオ様。ダグラス将軍は、覚悟が決まっているようです。その覚悟を、汲み取ってさしあげてはいかがでしょうか?」
アイリスは、真剣な表情でレミリオに進言する。
「はっ。結局、アイリス様が口を挟まないと何も決められないじゃないか」
ダグラスは、呆れたようにレミリオを鼻で笑う。
「……覚悟は、決まっているんだな?」
「さぁ、どうかね?」
ダグラスは嘲笑を浮かべながらも、目には迷いはない。
「……処刑の日時は、追って伝える」
「温情はないのか?」
「……ない……」
レミリオは弱々しく呟くと、踵を返して足早にダグラスの元を離れた。
ダグラス達反逆者の処刑が終わり、アイリスとレミリオは、再び婚約を結んだ。
応接間での調印の時、アイリスはレミリオの変化を感じ取る。
(レミリオ様、少し先代に似てきたかしら……)
ダグラスの処刑は、レミリオの中に『影』と『何か』を残したようで、以前のように『ただ優しいだけ』ではなくなった。
レミリオはペンを置くと、アイリスとランディナーに深く頭を下げる。
「この度は、我が国を救っていただき、本当にありがとうございました……!私が不甲斐ないばかりに、将軍に裏切られ、北の隣国の侵攻を許してしまい……アイリス様達が来てくださらなかったら、今頃国は乗っ取られ、私が処刑されていました」
「レミリオ殿、頭を上げてください」
口を開こうとしたアイリスより、わずかに早く口を開いたのはランディナーだった。
ランディナーは、ずいぶんと険しい表情をしている。
「確かに、此度の援軍はアイリスの申し出です。あの鎧を使用した事も」
ランディナーは言葉を切って、意を決したように再び口を開く。
「レミリオ殿、あの鎧について、アイリスから説明はありましたか?」
「お父様……」
「ええ、助けていただいた時に、アイリス様から『聖女のエネルギーを吸うもの』だと」
「そうです。あの鎧は『聖女の生命エネルギー』を吸って、その度合いによって色が変化します」
「『生命エネルギー』……?」
「お父様!」
『生命エネルギー』と聞いて、レミリオを顔が一気に青くなる。
「屋敷に帰ってきて、アイリスは1週間寝込みました。まぁ、私も『鎧が真っ赤になるほどアイリスが生命エネルギーを吸わせる』なんて思いませんでしたから、ほどほどで止めなかった私の落ち度です。その上での、騎士500人全員への加護です」
「お父様……もういいです……」
「貴殿がアイリスを大切に思ってくれている事は分かっています。なので、おこがましいですが約束してください。『あの鎧は、金輪際使わせない』と。もちろん、こちらもあの鎧を嫁入りの時に持たせるつもりはありませんし、『使用したい』と願い出られても断るつもりです」
「分かりました……アイリス様に命を削る真似をさせてしまい、申し訳ありません」
再び頭を下げるレミリオを見て、ランディナーはアイリスへ視線を移す。
「アイリス、いいな?もう、あの鎧を使うんじゃないぞ?」
「はい……」
調印が終わり、アイリスとレミリオは薔薇の咲いた庭園でお茶をしていた。
「アイリス……本当に、色々とすまなかった。もう、体調は大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ!お父様が、少し大げさに言っているだけですので、気にしないでください」
「そうか……それと、トーナ──大佐の娘とは、同級生というだけで何もないから」
アイリスは、口元に手を当ててクスクスと笑う。
「分かっていますよ。それに、トーナ様はスレイグに好意を抱いているようですし」
「えっいつの間に?」
「さぁ?スレイグも、護衛の為に何度か連れてきているので、その時ではないでしょうか?なので、『引き抜き』としてスレイグを連れてきたいのですけど、よろしいですか?」
「ああ、構わないよ。トーナも喜ぶかもな」
アイリスとレミリオは、青空の下でちょっとしたお節介にくすくすと笑っていた。




