灯りの町を離れて
灯りの町、マルグ市。
まだ夜の名残が空に溶けきらぬうちに、私は静かに家を出た。
* * *
誰もいない路地。
昨夜咲き誇っていた灯りの花は、今はもうすっかり萎びて、花弁が地面にそっと落ちている。
その一枚を避けるように歩きながら、私は足元に目を落とす。
思い出が、町のあちこちに、しみ込んでいる気がする。
* * *
数年前、母を見送り、そして数日前、父を。
晴れた日を選んで送り出したのは、この町の風習でもあるが、私自身の願いでもあった。
夜になれば、花が咲く。
灯る。
その光の中で見送ればきっと、亡き人の心残りも、見送る私たちの寂しさも、少しやわらぐような気がして。
* * *
あの夜、花はゆっくりと咲き、父を知る人たちは、静かに、けれど愛情深く見送ってくれた。
もう、ここには誰もいない。
誰かに言えば、「思い出があるじゃないか」と返されるかもしれない。
でもその思い出が、今の私には、少し重い。
朝の光がゆっくりと町を照らしはじめ、昨日までと何も変わらぬ景色の中に、ただ私だけが立ち止まっているような、そんな気がした。
* * *
角をひとつ曲がると、清掃員の青年が、まだ遠くの通りを歩いているのが見えた。
花の名残を片付ける人。
あの人が来る前に、この町を出ようと決めていた。
灯りの花の輝きが、すっかり消えてしまう前に。
* * *
私は一度だけ、振り返る。
家の屋根。
窓辺の鉢。
見慣れた壁の色。
どれも、昨日までと同じままだ。
だけど今日は、そこにもう誰も手を振る人はいない。
私はもう……。
* * *
心がちくりと痛む。
けれど、不思議と涙は出なかった。
あまりに静かで、あまりに当たり前の朝だったからだろう。
* * *
私は歩き出す。
まだ動き出す前の町を抜け、外れの坂道へと足を向ける。
ここから先は知らない町、知らない生活。
けれどそれでいい。
そう思えるほどに、昨日までを生きた気がしていた。
* * *
背後で風が吹いた。
どこかで最後の花が、ひらひらと散る音がした気がして、私は帽子を深くかぶり直す。
──灯りの町に咲く最後の光を、目に焼きつけて。
私は、振り返らずに町をあとにした。
人を魅了する、灯りの花が咲く町。
そんな町を離れる明け方に、
誰にも告げずに出てきたのに、
風が吹いて、花が揺れて、
もういないあの人が見送ってくれているような──
そんな光景が、確かにそこにありました。
思い出が残る場所を離れるのは、やはり少しだけ苦しいけれど。
それでも、次の町でも、
灯りも、花も、きっと咲くと信じて。
また、この町のどこかで。




