灯りの町で
「――こちらが、今日からあなたのお部屋になります」
案内人の言葉に、私は小さくうなずいた。
扉の鍵を受け取り、手にした瞬間に思った。重い。
扉じゃなくて、この“始まり”が、少し重い。
この町に来るのは初めてだった。
マルグ市。灯りの町。
夜になると、街路樹の根元から光る花が咲くという、不思議な町。
私は、そこに来た。ひとりで。
* * *
扉を開けると、部屋は、思っていたよりも広かった。
窓が一つ。台所もある。天井にフックが三つ。
家具は、あるようなないような。机と椅子がひとつずつ。
その机の上に置かれた紙に「歓迎」とだけ書かれていた。
歓迎、か……。
部屋の片隅に、鳥の羽が落ちていた。
小さな虫もいた。触角のある、ちょっと強そうなやつ。
「ごめん、今日はやめて……!」
私は悲鳴のかわりに布を投げ、しばらく固まった。
これは魔王より怖い。
けど、なんとかしなきゃ。
他には誰もいないんだから。
いやでも、やっぱ無理。
無理でしょ、これ。
こんなとき、みんなどうしてるの?
わっ、布が動い……
キャーーーーーーッッッ!
* * *
落ち着いてから、町を少し歩いてみた。
この世界に来たばかりではないけれど、ここは“私の場所”になる予定の町。
そんな場所を、他人みたいに歩いてるのが、ちょっとだけ寂しかった。
でも、不思議なものもあった。
道ばたで歌っていた吟遊詩人の声が綺麗で優しげで、立ち止まって聞き入ってたら「新入りかい」と言われた。
パン屋では、角のとがったパンをすすめられた。
見た目も固さも武器みたいで、正直ちょっと食べづらかったけど、おいしかった。
広場の噴水で、子どもが水を蹴って笑ってた。
私は、そんな光景を見ながら、武器みたいなパンをかじった。
なんか、うまく言えないけど――
「生活」って、たぶんこういうものだと思った。
* * *
部屋に戻って、もう一度、あの布をどけた。
虫はいなかった。逃げたのか、消えたのか、どこかに潜んでいるのか。
どれでもいいや。今日は勝ったことにする。
窓を開けると、風が入ってきた。
灯りの花が、どこかで咲き始めていた。
「あした、カーテン買おうかな」
誰に言うでもなく、つぶやいた。
でもたぶん、そういう言葉が、この部屋を“自分の場所”に変えていくんだと思う。
部屋の空気が、少しだけ、軽くなった気がした。
さっきより、深く息が吸えた。
* * *
私は、マルグ市に来た。
ひとりで来て、部屋に虫がいて、パンが固くて、ちょっと泣きそうになったけど。
でも今は、ちょっとだけ、楽しみになってきた。
灯りの町で、
私の灯りも、これから、ちゃんと灯っていく気がする。
読んでくださってありがとうございます。
「灯りの町で」は、異世界の町・マルグ市に引っ越してきた女性の、新生活一日目のお話です。
このシリーズでは、彼女の日々だけでなく、マルグ市で暮らすいろいろな人たちの物語も描いていけたらと思っています。
ときどき不思議で、ちょっと笑えて、少しだけ切ない。
そんな、日常の中の“灯り”のような話を、これからも灯していけたら嬉しいです。
**またこの町のどこかで、お会いできますように。**




