第89話 隠れ里への帰還
青い潮流に乗った一行は、帝国兵の追跡を振り切り、夜の海を進んでいた。
セレナの歌声が水面を震わせ、波は彼らを穏やかに運んでいく。
「……信じられねぇ。さっきまであんな荒波だったのに」
オルドが目を丸くしながら呟いた。
「歌が……海そのものを調律しているのよ」
フィオナは感嘆の声を漏らす。
「これが人魚族の本当の力……」
セレナは息を整えつつ、かすかな微笑みを浮かべた。
「私の歌はまだ未熟。でも……仲間の隠れ里までなら、導けます」
やがて、潮流が岩礁の間を抜け、海底へと沈み込む。
暗い海中に灯る青白い光――無数の貝殻とサンゴが作り出した幻想的な光景が広がっていた。
「……ここが」
カイは目を見開いた。
「人魚族の隠れ里……!」
サンゴ礁の洞窟の奥には、傷ついた人魚たちが身を寄せ合っていた。
その姿は痛ましかった。鱗の欠けた者、声を奪われ沈黙する者、鎖の痕が残る者……。
里の長老がゆっくりと近づいてきた。
白銀の髪に深い皺を刻んだ老女で、瞳には海のような静けさと悲しみが宿っていた。
「セレナ……無事で……!」
長老は震える手で彼女の頬を撫で、涙を流した。
「……ごめんなさい、長老。捕まってしまって……でも、この人たちが助けてくれました」
セレナはカイたちに視線を向けた。
長老は深く頭を垂れた。
「解放者よ……我らの命を救ってくれて、心から感謝します」
カイは拳を握り、前に進み出る。
「俺たちはまだ、ほんの始まりに過ぎない。
帝国の人魚狩りを止め、みんなを解放する――それが俺たちの戦いだ」
紅と蒼の瞳が深海の光を映す。
その言葉に、隠れ里に沈んでいた人魚たちの瞳が、少しずつ輝きを取り戻していった。




