第88話 海への飛翔
断崖の下には荒れ狂う波がぶつかり、白い飛沫が立ち昇っていた。
背後からは帝国兵の怒号と足音が迫る。矢を番えた兵が崖を取り囲み、逃げ場はない。
「どうする、若造! ここじゃ袋のネズミだ!」
オルドが戦鎚を構えるが、数の差は歴然だった。
その時、セレナが前へ出た。
まだ体は震えていたが、深海を思わせる瞳は強い光を宿していた。
「……海が呼んでいるわ。私が……導く」
彼女は胸に手を当て、静かに歌い始めた。
澄んだ旋律が夜風に乗り、波音と調和して広がっていく。
歌はやがて青い光の魔法陣となり、崖下の荒波を穏やかな潮流へと変えていった。
「……歌で、海を操ってるのか」
フィオナが目を見開いた。
「これなら、飛び込める……!」
帝国兵が慌てて叫ぶ。
「止めろ! 人魚を逃がすな!」
矢の雨が降り注ぐ。
「俺が押さえる!」
カイが翼を広げ、紅と蒼の光を纏った拳で矢を弾き砕く。
「行け! セレナを先に!」
「よしきた!」
オルドがセレナを抱き上げ、崖際へと走る。
フィオナも杖を構え、風の障壁を展開して後続を守った。
兵士たちが突撃してくる中、カイは最後まで踏みとどまった。
「……誰も捕まえさせるもんか!」
拳を振り抜き、石畳を砕いて敵を退けると、翼を大きく広げて海へ飛び込んだ。
冷たい海水が全身を包む――だが、そこには不思議な温もりがあった。
セレナの歌が海を導き、一行を柔らかな潮流で抱きしめていたのだ。
「……すごい……これが、人魚の歌……!」
カイが思わず呟く。
帝国兵たちは崖の上で叫んだが、手を出すことはできなかった。
一行は青い光の潮流に乗り、港町の外へと導かれていく。
夜の海に響く歌声は、確かな希望の旋律だった。




