表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ホラー短編集

人魚の涙

今回は、海に願う、欲深い人間の話だ。自然の摂理を捻じ曲げた願いが、どんな代償を要求するのか。絶望的な絵が、目に浮かぶだろ?

 僕の故郷は、海に呪われているような村だった。


 痩せた土地に、潮風で錆びついた家々。漁に出ても、網にかかるのは、日に日に細っていく魚ばかり。若者たちは、皆、村を見捨てて、都会へと出て行ってしまう。


 僕、リョウも、そんな若者の一人だった。だが、病気の母を一人、残していくことはできなかった。


「ごめんね、リョウ。私さえ、いなければ……」


 そう言って、か細い声で謝る母を見るたびに、僕は、無力な自分と、この貧しい村を、どうしようもなく憎んだ。


 あの日。僕は、大時化の中、無謀にも、一人、小舟で漁に出ていた。少しでも、金になる魚を、一匹でも多く、獲るために。


 荒れ狂う波に、舟が転覆しかけた、その時だった。


 破れた網に、何か、青白く、ぼんやりと光るものが、絡まっているのが見えた。


 それは、赤ん坊の拳ほどの大きさの、滑らかな、真珠のような石だった。だが、ただの真珠ではない。その内側で、まるで、生きた心臓のように、淡い光が、明滅を繰り返している。


 僕は、その石を持ち帰り、村で一番の年寄りである、タキ婆さんに見せた。


 タキ婆さんは、それを見るなり、顔色を変え、震える声で言った。


「……それは、『人魚の涙』じゃ。大昔、人間に恋をして、叶わぬ想いに、その身を、海に投げて死んだ人魚が、最後に流した一粒の涙……。一つだけ、どんな願いでも、叶えてくれると言われておる。だが、気をつけなされ。海は、気まぐれじゃ。与える時には、必ず、何かを、奪っていく……」


 僕は、その石を、強く、強く、握りしめた。


 貧しさから抜け出せる。母の病気も、治せるかもしれない。


 タキ婆さんの忠告など、もう、僕の耳には届かなかった。


 その夜。僕は、浜辺に立ち、人魚の涙を、月明かりに翳した。


「頼む……! この村を、俺たちを、豊かにしてくれ! もう、金輪際、金に困らないようにしてくれ!」


 僕の、魂からの叫び。


 その願いに応えるように、人魚の涙は、ひときわ強く、青い光を放ち、そして、すうっと、その輝きを失った。


 次の日の朝。


 僕は、異様なほどの静けさで、目を覚ました。いつもなら、枕元まで聞こえてくるはずの、波の音が、全く、聞こえない。


 慌てて、窓の外を見た僕は、信じられない光景に、息をのんだ。


 海が、ない。


 いや、ある。だが、遥か、何キロも、沖合へと、後退している。今まで、海の底だった場所が、広大な、湿った砂浜となって、目の前に、広がっていた。


 そして、その、剥き出しになった海底に、村人たちの、歓声が響き渡る。


 そこには、何百年もの間、海の底に眠っていた、無数の難破船が、その姿を晒していたのだ。朽ち果てた船体からは、金貨や、宝石や、見たこともない財宝が、キラキラと、朝日を浴びて輝いている。


「やったぞ!」「俺たちは、金持ちだ!」


 村人たちは、狂ったように、その財宝を、かき集めていた。僕も、夢中で、金貨を、ポケットに詰め込んだ。


 願いは、叶ったのだ。完璧な形で。


 僕が、金貨の重みに、悦に入っていた、その時だった。


 ごおおおお、と、地鳴りのような、低い音が、遥か彼方から聞こえてきた。


 僕は、恐る恐る、水平線に、目をやった。


 白い、一本の線。


 最初は、ただの、白い線だった。だが、それは、みるみるうちに、巨大な、巨大な、「壁」へと、姿を変えていく。


 タキ婆さんの言葉が、脳内で、蘇る。


『海は、与えるために、まず、全てを、奪っていく……』


 ああ、そうか。


 人魚の涙は、財宝を「創り出した」のではない。ただ、海の底にある財宝を、僕たちに見せるために、律儀に、海の水を、全て、沖合へと「どかして」くれただけなのだ。


 そして、今、その水が。


 僕たちの願いを叶えるために、どいていてくれた、全ての海水が。


 一つの、巨大な、絶望となって、僕たちのもとへ、還ってくる。


 財宝を抱きしめたまま、空を見上げ、呆然と立ち尽くす村人たち。


 その、阿鼻叫喚を飲み込みながら、空を覆い尽くすほどの、巨大な津波が、静かに、迫っていた。

一番恐ろしいのは、幽霊でも、怪物でもなく、人間の「欲」そのものかもしれねえな。そして、それに応えちまう、自然の無慈悲さか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ