神殺しとゴキブリと落ちこぼれ
とある報告を受け、元神殺しであるルシファーは下界へ降りた。
見渡す限り草原。野生の動物達が太陽の光で体を温めながら寝落ちする。幾度となく人間界を闊歩してきた彼にとってはそこまで珍しくない世界。
だが、そんな世界であろうと、彼はひしひしと人間が苦しむ音が聞こえた。
かつては地獄を旅したこともあったが、あそこは人間が死に対する恐怖と痛みに絶叫してばかりでうるさかった。特に、痛みを嫌がっていた。何故なら地獄では死んでも死にきれないからだ。
が、ここでの悲鳴は死に対するでも、痛みに対する絶叫でもなく、ただひたすらに得体の知れない何かへの畏怖であった。
畏怖してるのに悲鳴とは不思議なものだと、白髪を風になびかせるルシファーが現場に辿り着いた時、彼は非常に困惑した。
目の前には、たくさんの血塗れの衣服と骨が散らばっており、その上を覆い隠すように大量の黒い虫が歩き回っている。そしてその中心には、最後の餌を口の中で弄ぶ害虫が座っていた。
下僕なのか、小さな黒い虫達を愛でながら、人間の肉塊を細かくして分け与えている害虫は、自分の体長と同じくらいの触覚をひくひくと動かしながら、新たにやってきた白髪の少年に目を向けた。
一瞬、ルシファーは彼女と目が合った時、凄まじい殺気を感じ取ったが、それは直ぐに収まった。
それはルシファーが威嚇したのではなく、少女がルシファーを殺す気をなくしたからだ。
「ねぇ!君ってもしかして、緋斗耶ちゃんのお友達?」
人間と同じ見た目をした害虫は、同じく人間と似た見た目の堕天使ルシファーへ笑いかけた。
ルシファーはその害虫が発した名前に心当たりがあり、それから周りの骨を見回して、なるほどと肩の荷を下ろした。
「お前か。はぐれた仲間ってのは」
「あー!やっぱりお友達なんだ!じゃあ、私ともお友達なろー!」
満腹になってご機嫌な害虫は、仲間を見つけて安心した堕天使へと飛びついた。
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「私、キリカって言うの!君は?」
「ルシファーだ。所属は、天野快斗の所だ」
「あー!知ってる知ってるよー!私はねー、緋斗耶ちゃんの所ー!」
「あぁ、さっきも聞いたぞ」
それぞれの所属と名前を名乗り合い、2人は大量の黒い虫に囲まれた状態で互いの出会いを祝福した。
「それで、はぐれた理由だが……」
「うん!ここに来る途中に、いやーな風を感じて追いかけてきたら、見失っちゃったの。そしたら急にここら辺に住んでた人間さん達が襲ってきたの。おなかも空いてたし、食べちゃった!」
「襲ってきた理由はわかるか?」
「ううん!でも、洗脳?みたいな感じ。助けようともしてみたんだけど、無理だったから食べちゃった!みーんなで!」
そう言って半壊した誰かの頭蓋骨をルシファーに見せるキリカ。見たところ普通の頭蓋骨だ。しかし奇妙な点がある。額の部分に横一閃の切り傷がついていた。
「これはキリカが?」
「違うお。私はこういうのつけられないから。多分ね、私が追ってた悪い風さんだと思う!」
「なるほど、風のせいか」
原因の追求はできた。次にすべきは、その原因の抹消だ。
「風が行った方向は?」
「うーん、わかんない。風って空気とぶつかるといなくなっちゃうし」
「確かにそうだな」
ルシファーは立ち上がり、今も尚吹いているそよ風を頬にあてる。が、何かをされるような気配は無い。この風は悪くない。
「探すぞ、キリカ。これを撲滅するのが、俺達の任務だ」
「おー!私がんばる!風もぶん殴る!あれ?でも風って殴れないよね?」
「俺が斬るから、大丈夫だ」
「本当?じゃあ大丈夫!」
こうして、奇妙な二人組が、草原を歩き始めた。
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物語に描かれたことのないこの世界は、ルシファーが生きた世界線には登場しない。だが、ここにあるということはなんらかに関わったか、あるいは今ルシファー達のためにあるのかもしれない。
「まぁ、俺がいくら考えようと、わかることではないか」
「それでそれで?今私達どこに向かってるの?」
ルシファーとキリカ、並びにキリカの下僕達何億匹を引き連れて、彼らは草原を抜けた先の森の中を歩いている。
特におかしな生物もいないし、ルシファーの操るような術や力を持ち合わせた獣もいない。ここは魔法世界ではないらしい。
そんな安全で簡単な世界は、必然的にそこまで強くない人の管理下に置かれる。
「その管理人は、確か……」
彼らが辿り着いた場所。それは、森の奥深くの小屋だった。
「誰か──」
「お邪魔しまーす!」
「うぎゃあ!?」
留め具が錆び付いた木の扉をルシファーがノックしようとしたが、先にキリカが殴って壊してしまった。
中の住民のものらしき悲鳴が聞こえたが、音的に大丈夫そうなのでルシファーもそのまま小屋に入ると、羽根ペンで手紙を書いていた最中だったらしい細身の男が地面へ這いつくばっていた。
「何してるんだ?」
「今の見てましたよねぇ!?あなたの連れのせいなんですが!」
モノクルを付けた藍色の髪を持つ青年は、細い体を震わせてルシファーへ文句を言った。
青年はズレたモノクルを戻し、乱れた髪を直して立ち上がった。
「まぁ、今手紙を出そうとしていたところなのですが、早く来てくれて助かりましたよ。あなたはルシファーさんですよね。それと、君は……」
「キリカだお!」
「キリカさんですね。とりあえずこの気持ち悪い虫達を僕の足元にスタンバイさせるのやめてくれませんかね?」
触覚を揺らして青年を監視するように鎮座している虫達。キリカが「みんなどいたげて!」というと、カサカサと音を立てて一気に森の中へ出ていった。
「僕はアラキ・エステートと申します。魅琴さんの話で、お仲間をさせていただいておりました」
丁寧にお辞儀するアラキはそう言って、エメラルド色の目でルシファーを見つめた。
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合流を果たした三人は、悪い風を追うべく、この世界で一番大きな都市へと向かっていた。都市に近づくほど道が整備され始め、ガタガタと煙と音を立てて走る不格好な機械が姿を現し始めた。
「わぁ!汚ったない車!私が知ってるのと全然違ーう!」
「キリカさんのいた話では確か、近代でしたっけ。僕らとは違う近代というのは興味深いですが、あれよりも高性能な車が走ってるんですか?」
「そーだお!沢山いすぎて、渋滞するし、みんないらいらだし、汚い空気出しすぎて温暖化!」
「いいことないですねぇ!?」
段々と見えてくるのは、一番大きな人間の集落であり一番汚い場所とも言える都市、トキノジョーである。
工業が発展し始め、様々なものが自動化し、人々が肉体労働から頭を使う職業を増やし始めた。当然流行も代わり替わりで、食材は好き嫌いが別れ、要らないものは地面へ落ち始める。
「私のお友達が沢山いるみたい!」
キリカの触覚と同じものを持った虫達も沢山生きており、人間とはほぼ共生のような関係になっていた。なってないが。
「それで、悪い風はここにいるって?」
「正確には、風が悪いのではなく、悪いものが風に乗って飛んでいるんですよ。しかもそれは自然の風に乗っているのではなく、風そのものを操って乗せてもらってるみたいなんですよね」
「なんでそんなことわかるの?」
「教えてもらったんですよ。でも解決は忙しいからできないって。まぁ、そうなんでしょうけど、非戦闘員の僕にどうしろってんですか」
上層部への文句が途切れないアラキは、トキノジョーの中でも一際背の高い煙突を指さした。黒い煙を野に放つ煙突の頂上に、微量ながら風が渦巻いているのが見える。
「あれが操られている風の一部です」
「操ってる悪いやつは?」
「それが、トキノジョーの中のどこかにいるってことは分かってるんですが……」
そう言いながらアラキはトキノジョーの資料の数々からマップを取り出してどこにいるのだろうかと悩んでいる。
紙を見つめて場所がわかるならそれでいいが、現実そう甘くないので、ルシファーは残りの資料を読んでみる。
ふと目に付いたのは、トキノジョーの労働者の満足度アンケートなるものだ。
「なぁ、このある時から満足度が飛躍的に上昇してるんだが」
「あぁ、それは労働関連の規定を定める労働省なるものの省長が変わったんです。若くて革新的な方で、労働者に寄り添った規定に変えて支持を集めるようで」
「あやしっ」
「怪しいな。よし行くぞ」
「疑うの早っ!?」
そうと決まれば、早速三人は労働省に乗り込むことにした。
直接労働省に突撃する。アラキは怯えていたが、キリカは楽しんでいたし、ルシファーは至って真面目だった。
受付にお願いをして省長を呼び出す。が、不在のため要件は副省長が聞き入れると言われた。
「して、どのようなご要件で?」
出迎えてくれたのは、白髪の老人であった。年は70前半と言ったところか。しかし背筋は伸び、筋肉質な体はその年齢には不相応だった。
「省長に会いたいだけなの!省長はいつ帰ってくる?」
「省長ですか。今あの方は労働者の方々の意見を聞きいれている最中でして……」
「なんかいい人っぽいね」
「おかしいな。悪いやつならそんなことしないはずなのに」
「あなた達は単純思考しかできないんですか?」
労働省を一旦出て、三人は考える。怪しそうな省長、その腕を見定めるため、直に乗り込み調査をするはずが──
「違います違います、怪しがったんですよね?」
「でも怪しそうじゃなくなってきたな」
「だってみんなのお話ちゃんと聞いてるんでしょ?権力者にしては珍しくない?」
「だよな」
「だぁかぁら!カモフラージュかもしれないでしょ!」
「なんでそんなに疑うんだ。人間不信か?」
「あんたが言えることじゃないですけどねぇ!」
何食わぬ顔でそう言ってのけるルシファーにアラキが絶叫する。そんな二人の会話を他所に煙突を眺めていたキリカが唐突に走り出した。
「えっ、キリカさ──」
突然の行動にアラキが驚くよりも早く、ルシファーもその場から消え失せていた。
「きゃぁぁあああ!」
またもや突然響く悲鳴。見ると人々が取っ組み合いをしていた。いや、取っ組み合いなんてやわなものじゃない。
「殺し合い……!?」
見たことはあるが、ここに住む穏やかな人々がする所業にしては刺激的すぎる。つまりそれは、あの悪いもののせいだ。
「みんなー!ご飯だよー!」
「食いやすいように細切れにしてやる」
ヨダレを舌で抑え込むキリカが超高速で暴れ回る人々の頭蓋骨を砕きまわる。その後に更に残酷な斬撃の波が押し寄せ、人々は骨ごと細切れになって地面にぶちまけられた。
「すごいすごい!微塵切りだ!」
「食いやすいだろ」
その後大量に出現した黒い虫達が地面を埋め尽くすほどに集まって、数秒したら死体は跡形もなくなっていた。
殺し合いをしていた人々の半分は、傷一つもなくその場にへたりこんでいたり気絶していたりした。アラキもようやく追いついて二人へ話しかける。
「何が……!?」
「悪いやつ!」
「頭蓋骨にほら、傷跡がついてるだろ。ここから瘴気みたいなのを押し込んでるんだ。多分。救うあてはない。多分」
「そんな曖昧な状態で人殺ししないでくれますかねぇ!」
取っておいた頭蓋骨を自慢げに持つルシファーだったが、アラキに怒られてしゅんとしたので頭蓋骨を投げ捨てた。
「き、君達は……?」
すると、すぐ側に座り込んでいた一人の男がルシファーとアラキへ話しかけてきた。住民かと思われたが、その人物を見てアラキが「あ」と声を上げる。
「この人ですよ!新しい労働省の省長!」
「確保」
「うぇ!?な、私何かしたか!?」
アラキの叫び声の直後、ルシファーの華麗なる足払いによって体勢を崩した省長は地面へ押さえつけられた。突然の攻撃に混乱する省長。しかし、上から押さえつけるルシファーは怪訝な顔をした。
「こいつ、悪いやつじゃないぞ」
「え、そうなんですか?」
省長を放すと、省長は腰を抑えながら、三人へひとまず殺し合いから救ってもらったことに対する感謝を述べた。
「私はポール・アラバダだ。この街の労働省の省長をしている」
「ご丁寧にどうも。お怪我がないなら良かったですが、今は一体何が?」
「わ、分からない。私も突然襲われたんだ。私の部下も急に凶暴になって、私の首を絞めようとしてきたんだ」
「それは大変だったな。それで、その部下は今どこに?」
「あなたがさっき微塵切りにしたでしょう?」
アラキの言葉にハッとするルシファー。省長ポールは引いていたが、ひとまず命の恩人であるというプラスポイントでどうにか相殺して話を続ける。
「最近はああいう事件がよく起きる。穏やかな人達が急に殺し合いを始めるんだ」
「多発ですか。やはり何か……」
「あ、危ないお」
アラキが考え込み始めたその時、事態は急速に動く。ルシファーが捨てた頭蓋骨で遊んでいたキリカが急にアラキとポールの頭を地面へ押さえつけた。ルシファーは軽く地面を蹴って空高くへ飛んだ。
その瞬間、アラキ達の頭上を鋭い風が吹き抜けた。
それは金属でできた建物達をいとも簡単に両断して破壊した。
「なぁ!?みんなの建物が!」
その風に気づけなかった人々ごと命を刈り取っていった最悪の風は、ルシファー達を中心に渦巻きを始める。
「あなた方がそこまで強いとは」
「なっ!?その声は……!」
風の中から悠然と歩いてくる一人の人物。白髪で筋肉質の人物。その老人をキリカが指さして、
「あああーっ!……誰?」
「副省長ですよ!もう忘れましたか!」
「愉快な方々ですが、あまりここに長居はして欲しくありませんな」
風はいっそう強くなる。にやりと笑う老人は、キリカ達へ明らかな殺意を向けた。
「何が目的!」
「いえ、本当は今の暴動で、ポールさんには死んでもらうはずだったんですよ。あなた方が助けなければ、ね」
「えぇ!?助けなきゃ良かった!」
「ひっど!?」
極端な結論を出すキリカに驚くポール。アラキはなおも考え続け、そして老人を指さした。
「副省長、まさかあなたは……」
「えぇ……世界を管理するあなた方は、私をこう呼ぶのでしょう?『概念核』と」
そういうと老人は浮かび上がる。それに伴い、もう一つの人影が、風の中を歩いてくる。
人影ではあったが、それは人間ではなかった。黄色い光を放つ、人型の人ならざるもの。
「まさか、風の『概念核』!?」
「その通り!土や水などの自然に飽き足らず、空間や時間など全てを支配する男、『主人公』への怒りを募らせた風の『概念核』よ!」
老人は高らかに叫んだ。風の『概念核』、以降『風』と表記するが、『風』はより一層風を強めてきた。もはや竜巻になり始めた渦巻く風は、人々だけでなく建物までも巻き込み始める。
「怒りはなんともつよい負の感情か!みなが抱える怒り、それを我慢する必要など、ないのである!」
そんな状況を楽しむ老人。アラキは彼を睨みつけて叫んだ。
「あなたは、なんなんだ!」
「私はなんなのか、その答えを申し上げましょう。………私は、我慢の『概念核』。弱そうでしょう?ですがそうでもないんですよ。強い存在ほど、負の感情を募らせ、それを少し刺激するだけで一気に暴徒へと化す!そのきっかけを作れるのは、私だけなのだ!」
『我慢』は天を仰ぎ、楽しげに話を続けていたが、ふと我に返ったようにポールを見下ろした。
「かつてはこの街も我慢に満ちていた。我慢する人が多いほど、私は強くなる。しかしなんだ。あなたが省長になってからは、我慢がとてもとても減ってしまった!非常につまらない!憎たらしい!忌々しい!即刻、あなたはこの世から解雇すべきだ!」
『我慢』が叫ぶと、風の向こう側から大量の炸裂音が響いた。それがなんなのか考える前にキリカが動いていた。
風の壁をぶち破って飛んできたものを、超高速で動くキリカが弾き回す。そのお陰でポールは無傷だったが、キリカの綺麗な手は傷だらけになってしまった。
弾かれたものは地面に落ち、ポールはそれを見て絶句した。それは、キリカによって殴られ変形した銃弾だった。
「さぁ皆々様!どうぞ我慢なさらずに!募らせていた不満を思い出し、存分に私のために暴れ回ってください!」
銃弾は、『我慢』のせいで暴走を始めた住民達が放ったものだった。人の感情や心を踏みにじり、『我慢』は自分勝手にも王であるかのように振る舞い始めた。
「最悪!」
「あぁ、最悪だ」
空から響く一声。続く斬撃が渦巻く風を更に強い風圧をもって吹き飛ばした。一気に風が炸裂し、空の雲を遥か彼方へ吹き飛ばす。
夕焼けが沈み始めたオレンジ色の空に、黒い翼を広げ浮かぶ神殺し。その厄介な敵を睨みつけ、『風』が呼応する。
「キリカ、『風』は俺が殺る。お前は──」
「うん!あの最低なおじさんを食べちゃう!」
「よし、それでいい。アラキは省長を安全な所へ!」
「分かりました!」
アラキがポールを連れて走り始める。すると、暴徒と化した住民達が波のように押し寄せてくる。
「あぁ我慢ならない!あなたが生きていることが我慢ならない!」
『我慢』が悶えるのに応えるように住民は暴走する。そして、皆がもつ銃や斧などの武器が、一斉にポールとアラキへ飛んできた。
「あっ!」
キリカが助けようにも届かない。そして全ての武器が二人に直撃した──ように見えた。
「な……!?」
「あれ!?」
キリカと『我慢』が同時に驚いた。ポールとアラキだと思っていたものは、なんと街灯であった。
「な、どういうことだ……!?」
「教えてあげましょう。簡単なことです」
「何!?」
『我慢』の背後の方から悠々とアラキが歩いてくる。その傍らには、既にポールはいなかった。避難済みだ。しかし、『我慢』だけでなくキリカまでもが、二人がたくさんの武器の標的になっているのを見た。
そう、見たのだ。
「しかしそれが真実だとは誰も定義していない。定義できる存在はここにいない。つまりそれは、『見紛い』、ではないですか?」
そう言って、落ちこぼれはモノクルを直して『我慢』を睨みつけた。
輝くエメラルド色の瞳。それは、『見紛いの魔眼』。
「あなたは見紛えた。それこそ我慢できないほどに」
「すごいアラキっち!」
「キリカさん!住民は僕が撹乱します。その間に、『我慢』を倒してください!」
「りょー!!」
そうして、キリカが拳に力を込めて地面を蹴る。もう住民はアラキの魔眼で撹乱されて『我慢』の味方にはつけない。
「さて、かっこつけて引き受けたはいいものの、この魔眼、あと2回しか使えないんですよね……」
焦りつつも、アラキはモノクルを再び直して、
「まぁ、落ちこぼれなりに頑張りますか」
~~~
「来い」
超高度の空で、『風』とルシファーがぶつかり合う。人型の『風』は鋭い風と爪で攻撃してくるが、ルシファーのもつ刀を突破できない。
「どうした、怒りがあるのだろう?それが消えるまで、俺が受け止めてやる」
攻撃を全て受止め、されど傷がつかない頑丈なルシファー。『風』はとうとう全力を出した。
「ッッッーーー!!!」
声にならない怒りの絶叫が響き渡り、応えた風が集まり始めた。
渦巻く暴風は、大陸をもえぐりとるほどの威力のある弾丸と化し、ルシファーを目掛けて投げつけられた。
それをルシファーは刀を構えもせずにじっと身構えて待っていた。
そして、放たれた風を横目に『風』を見て笑った。
「やるじゃないか」
風はルシファーに直撃し、凄まじい衝撃波を放ち炸裂する、はずだったが、『風』は更にアレンジを加え、炸裂する風を押さえ込み、中にルシファーを閉じ込めた。
渦巻く風は、さながらチェーンソーのように人肌を切り裂き抉り、普通の人間なら一秒と持たずに血飛沫へ変わる。
しかし、30秒ほどして風の檻が効力を失ったとき、中から出てきたのは血飛沫ではなかった。
「ッ!?」
血まみれにはなったものの、肉体の原型は変わらずとどめたままのルシファーが、ボロボロの黒い翼を広げて浮かんでいた。
「今のは痛かったな。殺すというより痛みが目的の攻撃だな」
そう言いながら血を拭うルシファー。彼の体から黒いモヤが出始め、それが全身を包んだ直後、全ての傷が修復された状態でルシファーが再臨した。
「さて、次はどうくる?」
余裕の表情で問いかけてきたルシファーに、『風』は既に為す術がない。何故なら最高攻撃力の今の攻撃を、無かったことにされてしまったのだから。
「……降参か」
無言になり、両手と思われるそれを、『風』は無意識に上げていた。コチラを見つめているそれは、『風』程度の概念が立ち向かえるような存在ではなかった。
「まぁ、よく頑張った方だろう。次は、仲間として共に戦いたい」
そう言って、ルシファーの刀が紫色の炎を纏った。
そして瞬く間にルシファーが『風』の目の前に迫り、刀を振り抜いていた。
早すぎる斬撃を、世界は遅れて認識する。
「『死歿刀』」
千、二千、それでは飽き足らず、何十億という炎の斬撃が、容赦なく『風』を切り刻んだ。
魂にまで影響する斬撃は、跡形もなく『風』を消し去ってしまった。
「また会おう」
消え去り弱くなったその風を撫で、ルシファーは優しげにそう呟いた。
~~~
「ま、待て!待たんか!」
「待たないもん!君がした酷いこと、私は許さないお!」
筋肉があるとはいえ、見た目通りの老人である『我慢』は、どう頑張ってもキリカの速度には追いつけない。放たれる拳撃を防ぐ手立てもなく、哀れに全攻撃を受けている最中だ。
「君にも、我慢していることが、あるであろう!」
「我慢?そんなことした事ないもん!」
「嘘だ!人間なら、人間ならば!我らをつくりあげた人間という種族ならば!我慢しないことなど……!」
苦しむ『我慢』。その台詞に、キリカは思わず笑ってしまった。
「何言ってるのおじさん。私、人間じゃないもの」
キリカは長い黒髪をかきあげて笑った。
「私、ゴキブリのお姫様だもん!」
そうして害虫は、最後の超高速の跳躍の勢いを乗せた、最高の拳を、『我慢』の横っ面にぶち込んだ。
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「ふぅぅ……なんとかやり過ごせた……」
割れたモノクルを拾い上げ、埃まみれ泥まみれのアラキがため息をついた。怒り狂っていた住民達は突然意気消沈し、何をしていたんだと自分を戒めている。
なんとか逃げ回り、魔眼の使える限界回数も無事使い果たし、疲れ果てたアラキは地面へ尻もちを着いた。
「おーい!アラキっち!」
手を振りながら笑顔で駆けてくるキリカが見える。その片方の手には、左頬を激しく歪めた『我慢』が引きずられていた。
「うわぁ……僕はこんな顔になりたくないですね……」
「アラキっちならなかったもんね。最初の扉の時」
「やろうとしてたんですか!?初対面で!?」
衝撃の事実に衝撃を受けるアラキ。その反応が楽しいのか、キリカはキャッキャと笑い声を上げていた。
「おう、終わったかキリカ」
空からゆっくりとルシファーが降りてきた。黒い翼を消し、砕けた刀を握りしめていた。
「やっぱり使い慣れた武器じゃないと限界になるな」
刀身を失った刀へ感謝を述べ、それをポイ捨て。それからルシファーは座り込んでいるアラキを見つめて目を見開いた。
「……なんで生きてるんだ」
「ニュアンスは分かりますが、にしても失礼じゃないですかねぇ!?」
「冗談だ。忘れてくれ」
「一生引きずりますからね……!」
「あっははは!」
こうして、三人の調査、及び討伐は完了したのだった。
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「俺は帰るが、お前はどうする」
「ここに残りますよ。ここが管轄下ですし、あの街の指導もしたいですし、ね」
キリカの環境汚染の話が相当気になったのか、アラキは煙突から出る煙を睨みつけていた。
キリカは食べ物が余って地面に落ちる環境を好んでいたので、仲間が減りそうな予感にへこんでしまった。
「とりあえず、お疲れ様でした。解決にしてはとても早くて助かりましたが、もうこんなことしたくないですね」
「そう?楽しかったけど?」
「そうだな」
「あなた方は強いからいいですよねぇ!」
強者にしかないその感覚を羨むアラキ。そんな他愛のない会話を楽しみながら、三人は別れの時間を迎える。
「じゃあ、お元気で」
「あぁ、どこかで会おう」
「またクロスオーバーしようね!」
「できれば虫は連れてこないでくださいね」
「無理だお!だって私お姫様だもん!」
そうして、ルシファーとキリカは所属場所へ戻り、アラキは再び、安全な世界の管理を始めるのだった。
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「て感じだったってさ」
「そうか」
上下黒ジャージの少年が、本を読んでいる茶髪の少年へ事の顛末を全て話した。
「お前が仕組んだのか?」
「まさか。さっ君だと思う」
「まぁ、確かにあいつか」
この二人にしか分からない人物の名前に納得し、茶髪の少年の視線は本に戻る。
「久しぶりにルシファーと話せて楽しかった?」
「楽しいかと思ったが、思えば話のネタが何も無かった」
「あはは、確かに」
黒ジャージの少年は立ち上がり、感じ取った新たな危険に視線を向けた。
「まただな」
「人間がいる限り仕事は終わらないみたい」
「大変だ。だが、これは俺達が選んだ世界だからな」
「よぉーっし!うち、本気出しちゃうぞー!」
「お前以外消し飛ぶからやめろ」
そうして、茶髪の少年、『好敵手』と、黒ジャージの少年、『主人公』は、仲間の功績を喜びながら、次なる概念の暴走を止めるべく、世界を股に掛けるのだった。