第三話
フユキがミサクと出会ってから一週間が経過し、時期は五月中旬。学部が同じだからかどうやら取っている科目がある程度被っているらしく、毎回とはいかないものの、授業が被った際はどちらからともなく隣に座り共に授業を受ける習慣が付いていた。席はもちろん講義室の一番左後ろだ。二人ともサークルには入っておらず、放課後は時間が合えば共に勉強もしている。主にフユキが教える側である。
そしてフユキは今日も太陽に照らされた構内の道を一人きりで歩いている。周りは人で溢れ返っているが、ありがたいことにフユキに目を向ける者はいない。
「(今日も井治さんと会えるかな)……ふふっ」
知り合い以上友達未満の彼のことを思うと何だか楽しい。まだ知り合ったばかりな上に向こうがどう思っているかはわからないが、何となく仲良くできている気がして、つい一人で笑ってしまった。……笑って、しまったのだ。
「――あ」
立ち止まる。一人で笑って、変な人。変ということは目立つこと。目立つことをすれば周りは当然自分を見る。きっと周りは自分を見て怪訝に思っているだろう、おかしな人だと嘲笑うだろう――フユキの体が、心が、全ての視線に敏感になる。
「あ、ぁ」
怖い。人の目が怖い。確認することも恐ろしい。怖くて動けない。そのせいで周りが自分を見ている。やめて、誰もワタシを見ないで。呼吸が上手くできなくなる。心臓が暴れ回って苦しい。頭がくらくらして、まともに立っていられない。怖い、助けて、助けて。
「アキ兄――」
ぎゅっと目をつむり、尊敬する従兄弟の名を呼んだ。来るはずのない彼に救いを求め、心ごと胸元を掴む。
……ふと、フユキに注がれていたものが遮られた。
「……大丈夫ですか?」
蹲る彼女が顔を上げると、ミサクが自分の日傘をフユキの上に差していた。
「井治さん……」
「……とりあえず、あっち行きましょうか。人の少ない所」
ミサクに連れられ、構内でもあまり人が来ない非常階段の下へ移る。日陰となり、ひんやりとした空気がフユキの緊張した体を宥める。
フユキはしゃがみながら呼吸が収まるのをゆっくりと待ち、その間ミサクが彼女の背をさする。ミサクの人より冷たい手が心地良いようで、心も体も落ち着きを見せ始めた。そして徐々にいつも通りの彼女へ戻る。
「……ありがとうございます。井治さん……」
顔色もよくなったフユキがどうにか笑ってみせる。笑みは作ったものだが、体調がある程度回復したのは間違いないだろう。
「……ミサク」
「えっ?」
「名字じゃなくて、ミサクでいいですよ」
目を逸らしながら告げてくる。フユキも最初は意図を図りかねたが、数秒の後に察する。……これは、もしや?
「その……僕としては、河出さんともっと距離を詰めたいっていうか、仲良くなりたいっていうか……友達になるならもっとフランクでもいいのかなって」
……ビンゴ。彼は自分と友達になりたがっている。まさか“仲間にしてほしそうにこちらを見ている”場面にリアルで遭遇するとは。いや、ミサクはフユキではなく気まずそうに別方向を見ているのだが。
「……じゃあ、ミサクくん。ワタシのことも名前で大丈夫だよ」
「そ、そうか。じゃあ……フユキ」
……無言の時間が流れる。何か話した方がいいだろうか。話すことなど特に思いつかないが……。
「ねぇ」
「なぁ」
同時に口を開いてしまった。
「……あっ、ごめん。ミサクくんが先でいいよ」
「いや、僕の方こそどうでもいい話だし、フユキが先に話してくれ」
「ありがとう……」
口を開きかけて、本当に話すべきかを考慮して一旦閉じる。だが、せっかく話す機会を貰ったのだからとゆっくり話し始めた。
「ワタシ、色々と変っていうか……人と変わってるところがあって、上手く人に馴染めないんだよね。だから、その……ミサクくんがいてくれて助かったよ、ありがとう」
ふわりと微笑む。今度は作り笑いではなく本心。そのことは伝わったようで、ミサクの表情も柔らかくなる。
「フユキがどんな人かはまだよく知らないけど、僕から見たフユキは優しい人だぜ。……もっと、胸を張っていいと思う」
「そう、かな……」
また無言の時間。ただ、二人にとって居心地の悪い時間ではない。お互いに、言いたいことができるのをゆっくりと待っている。
――チャイムが鳴った。もうすぐで授業が始まる合図だ。
「……そろそろ時間だ。フユキ、一限目って何?」
「社会学だよ」
「なら講義は違うか。……途中まで一緒に行こうか」
二人は立ち上がり、一限目の講義室へと向かった。流石に恋人のように手を繋ぐ……なんてことは決してしないし、恥ずかしいのでやるつもりも無いが、心は何だか繋がった気がする。
この日、ミサクとフユキに大学での初めての友達ができた。
「ミサクに友達ができたの⁉」
夜、皆でカレーを食べている途中に勢いよく立ち上がったのはモスケだ。遊びに来ていたナツキも口を大きく開けたままで、事情を知っているコクアだけがドヤ顔をしている。ちなみにナツキの要望により甘口である。皆中辛も食べられなくはないが、わざわざ辛いものを食べる理由も無いので甘口を受け入れている。
「この間ミサクから“友達を作るにはどうしたらいい”なんて聞かれたからよー、このボクがアドバイスをしてやった、ってワケ! おわかり?」
コクアの自慢にナツキが歓声を上げる。ついでにスプーンを持ったままぱちぱちと拍手のおまけ付きだ。
「あのミサクに友達がついに……! めでたーい! ねぇねぇ、友達ってどんな子⁉」
「ちょっと臆病だけど優しい人」
「んじゃあ、どこに惹かれたんだよ? やっぱそのお優しいーってところか?」
三人ともフユキのことが気になるようで、ミサクは矢継ぎ早に質問される。何せミサクに初めてできた友達だ、好奇心が疼いて仕方がない。
「……別に僕が誰と友達になろうがどうでもいいだろ」
「よくないよくない、一大事だって。その子に菓子折りでも持っていった方いいかな……」
「モスケ、やめろ」
それ程までの衝撃であり、今夜の悪夢との戦いが始まるまで話題はそのことで持ち切りだった。
そして夜が深まり、獏句の裏の活動が始まった。コクアは眠り、モスケとミサクは夢の世界へ向かった。残されたのはまだ起きているナツキのみ。廊下を進むナツキには一つの腹積もりが。
「(ミサクの友達、かぁ……)……今度見に行っちゃお〜」
ぬいぐるみを抱きかかえながら呟いたナツキの独り言は誰に聞かれるでもなく、闇に消えていった。




