第十四話
八月に入り、暑さも本格的になった。以前は夜になれば涼しかったはずが、都会という性質のせいか熱気が中々逃げてくれない。
人々がエアコンを点けながら寝静まった頃、ナツキは今日も夢の世界に降り立った。獏句の面々は便利屋としての仕事で疲れていたので、代わりに自分が働いてあげようという優しさだ。
元々獏句が生まれるまでの二十余年間はナツキが一人で悪夢や悪夢の化け物と戦い、夢の世界各地に散らばる心の薄片も回収していたため、大変ではあるがやれないことはない。今も獏句の手伝いを時々しているので、もう慣れたものである。
「それにしても心の薄片の代わりかぁ。うーん……夢の世界に落ちてる心の薄片の代わりになるもの。となると夢や思いを持つもの? うーん……」
このように、最近のナツキは心の薄片の代替案について考えることが多い。何か、いいところまでは来ているのだが、その具体的な案までは出ていない。何かいい方法は無いだろうか……。
「魔力は目的の為に何としてでも欲しいからね! かと言って無真とやり合いたくもない。この折衷案を出すんでしょ? もう、できる男は辛いなー!」
わざとらしく自分の頭を叩き、てへぺろする。誰も見ていないのだから特に意味は無いはずなのだが、可愛い動作をすることに意味があるとしてよく一人でこんなことをしている。
それはともかく、まずは仕事だ。黒いモヤを見つけ次第、心の薄片をリソースにして己の力にし、そのエネルギーをぶつけて黒いモヤを払う。悪夢を見ている人がいるなら、その悪夢を破裂させて消す。悪夢の化け物にも同様に心の薄片をエネルギーにして対処する。そちらは黒いモヤと違い化け物に進化している分強く、払うのは大変だが長年の戦いのおかげでコツは掴んでいた。
「あーあー、もっと強ければわざわざ心の薄片を使わなくても、敵をどかーんとやっつけられるのになー! まあ、当然食事とかで魔力の補給は必要だけど……」
もしも神ならば。わざわざ魔力源を集めずとも人の信仰を己の力に変え、思うがままに権能を振るえるのだろうか。
「……神なんて……」
そこまで言いかけ口を閉じる。不平を言ったところで現状が変わることは無い。行動は言葉よりも雄弁だ、とどこかの誰かも言っていた気がする。
そう、大事なのは口先だけで済ませるのではなく実行に移すこと。今日もナツキは自分と仲間たちの為に奮って戦う。
大方の悪夢を払い終え、後少しもすれば朝になるだろう時間。ナツキは背伸びとストレッチをしながら現実世界へと帰る準備をしていた。運動の後のストレッチは気持ちがいいもので、疲労の防止を兼ねてこれがルーティンになっている。心の薄片の回収ももちろん忘れず、傍には心の薄片が入った袋が置かれている。
そんな彼の耳に足音が聞こえた。走ってくる騒がしい音の方を振り向けば、白い制服を身に纏った――無真がこちらへ来ていた。無真の二人、アキハルとハツカはナツキの前に立つ。
こんばんは、と挨拶をしてからハツカは問いかける。
「夢の世界を自由に動ける……きみは獏句の協力者、で合っているかしら?」
ハツカの質問にナツキはその場で一回ターンし、顔の近くでピース。人との出会いが嬉しく、至ってご機嫌なようだ。
「そう! ぼくは雲居ナツキ! 獏句の元締め役みたいな感じだよ!」
ナツキはアキハルたちと会ったことはなかったため二人のことは知らないが、アキハルたちは獏句を通じてナツキについて知っている。ナツキ本人からその名を聞き、アキハルの目元が険しくなった。
「そうか……君か。私の妹の名を騙るのは」
ハツカの好意的な問いかけとは違い、非難にも似た言い回し。敢えて選ばれた言葉にナツキの顔も曇る。
「……何それ、どういうこと?」
「……自己紹介がまだだったな。私は根郷アキハル。人間の雲居ナツキの兄だ」
――アキハルの名を聞いた途端、ナツキの顔から表情が失せる。そして、嘲るように眉が寄り口元が弧を描いた。
「へー、ふーん、そう……君かぁ。あぁ……そっか。どこかで見たことがあると思ったら、“ナツキ”のお兄ちゃんかぁ」
不快さを全面的に出した表情を一転して満面の笑顔に変え、アキハルへ近づく。
「君がもし必死に止めていたらあの子は死ななかったかもしれない。君が見殺しにしたんだよ? 君のせいなんだよ?」
「君がその手に持つのは妹のぬいぐるみだな? 何故君が持っている?」
質問には答えずに問い詰める。
「質問に質問で返しちゃいけないって教わらなかった? そうじゃなくても答える気なんて無いけど」
再度その場でわざとらしくくるりと回る。ナツキの持つぬいぐるみも遠心力で宙に浮いた。ぬいぐるみの顔は何一つ変わっていない。
「それで、何? ぼくに何の用なの?」
「何故君はナツキの名前を騙っているんだ」
アキハルの拳が、音が鳴りそうなくらい握り締められる。爪が肌に食い込むが、気にしている余裕は無い。
「教えてやる義理も無いけど、秘密にするまでのことでもないから教えてあげる。そんなの、あの子のことを忘れないようにする為に決まってるでしょ」
「あの子とはナツキのことでいいんだな?」
「ねぇ、もういいでしょ? そろそろ夜が明けるよ。ぼく帰りたいんだけど」
続け様に飛ぶ質問に、あからさまに不機嫌な態度を示す。投げやりに親指を後ろへ向け終わりの時間だと告げると、アキハルはまだ腑に落ちていないようだったがハツカが彼を制止した。
「アキハル。今日はここまでにしましょう。……色々と聞いちゃってごめんなさいね。答えてくれてありがとう、ナツキくん」
「ううん! お姉さんも、また今度色々とお話しよう! 次は込み入ったお話は無しで! ね、いいでしょ?」
態度をころっと変え、いつも通りの明るい調子で話す。先程まで不満でどうしようもなかったとは思えない。
「そうね、機会があれば、ね。……アキハル、行きましょ」
「そうだな……では失礼する」
「ばいばーい!」
その場を去る無真を、ナツキは姿が見えなくなるまで手を振り見送った。……視界から完全に消えると、彼はまた無表情へと戻る。
「……そうだよ。ぼくには目的が……やることがある。あの子の為に、ぼくは……」
踵を返し、ふらりと左右に揺れながらおぼつかない足取りで歩く。
「友達ごっこなんてしている場合じゃない。獏句の子は大切だけど、でも、それよりも――」
“目的”は達成されなければならない。それが救いになると信じ、彼方を見つめる。……そして朝を迎えた頃、彼は笑顔の仮面を被り、現実世界へと戻っていった。