第十三話
梅雨も抜け、雨ばかりだった頃とは違い暑い日が続く時候がやってきた。夜になれば幾分涼しくなるが、昼間は空からもアスファルトからも熱視線を浴びる。
そんな七月下旬、いつもの制服やスーツではなく私服姿のハツカとコウガは庭穂市の街中に出ていた。それはコウガの訓練の為。と言うのも――。
「コウガ、わかるかしら?」
「んー……さっぱりっすね!」
コウガは地図が読めない。大学時代に事故に遭い頭と足を負傷した際、打ち所が悪かったようで地図を読めない体質になってしまったのだ。本当は陸上の選手を目指していたコウガだが、その怪我の影響で夢を諦め公務員となり、現在は同僚から無真に勧誘されこの部署に所属している。
そして今はコウガが少しでも地図を読めるようになれないかと、スマホの地図アプリを使いながら特訓中だ。地図が読めないのはオペレーターとして致命的――事実、地図が読めない上に説明がとんでもなく下手なコウガは仕事でも役目を果たせず毎日怒られている。それでもクビにならないのはコウガの人柄がいいからだろう。
今回の訓練でも中々芽は出ない。だが、わかったことはある。
「コウガは記憶力がいいから、地図は読めなくても場所を覚えるのは得意なのよねー……」
ここまで地図を使いながら街中を歩いてきたが、コウガは道のりはしっかり覚えていた。右に何があったか、どの角にどんな標識があったか……その全てを記憶していた。
「その能力を活かせたらオペレーターとしても活躍できると思うのだけれど……うーん、考えるって難しいわね!」
現実世界であればナビゲートする地域の様子を全て暗記してしまえばいいが、夢の世界は毎日形が変わるためにそれはできない。
「でもハツカさんが訓練に付き合ってくださってありがたいっす! ……そうだ、そろそろ喉渇きません? 近くにコンビニありましたし、何か買ってくるっすよ!」
元来た道を指で示す。向こうにはコンビニ、オニーマートがあったはずだ。
「ならお願いしようかしら! はい、御駄賃ね。お釣りはいらないわ!」
「ありがとうございます! んじゃ、行ってくるっす!」
ハツカから二百円を渡され、コウガはコンビニを目指し走っていった。その後ろ姿を見送るハツカは一人思案する。
「(記憶力をどう活かすかが鍵になるはず。……一応の案はあるわ。けれど、それはコウガを危険に晒してしまう……)どうしようかしらね……」
ふぅ、と一つため息。……その背後には不審な人影が近づいていた。
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございますっ!」
店員のマニュアル通りの丁寧な挨拶に律儀に挨拶を返し、コウガはオニーマートを後にする。買ったのはハツカへ渡す用のココアと、自分用の炭酸飲料。最近オニーマートではチョコレートフェアをやっており、ココアが増量キャンペーン中だったのだ。
「(ハツカさん、きっと喜ぶだろうな〜!)」
脳内ではデキる後輩に喜ぶハツカの姿が。これは自分も間違いなくお役立ちだろう。のんきに妄想をしながらハツカがいる所へ軽く走りながら戻る。
「ハツカさーん! 買ってきたっす、よ……」
だが、浮かれたコウガの目に入ってきたのは。
「もう、しつこいわね。アタシはそんなに軽くないのよ、坊や?」
見知らぬ男数人に絡まれるハツカの姿。これはよくないものだ、直感がそう告げる。
「ハツカさん! お待たせしたっす!」
ハツカを囲うように立つ男たちの間を無理やり通り抜ける。
「あん? 何だテメェ」
当然男たちは不機嫌にコウガにガンを飛ばした。だが。
「あ?」
コウガも負けずに男たちを睨みつけ、内一人へ顔を近づける。
「うちのパイセンに何か用っすかぁ?」
比較的背が高くガタイもいいコウガに圧をかけられ、男たちは怯んだ。
「ひぃっ⁉ し、仕方ねぇ……覚えてろー!」
こうして男たちは退散し、その場には得意げに腕を組むハツカと、見えなくなるまで後ろ姿を睨み続けるコウガが残された。
「……ハツカさん、大丈夫っすか⁉」
「ふふっ、大丈夫よ。ありがとう、コウガ。頼りになる後輩ができて嬉しいわ!」
当初予定していたものとは違う役立ち方をしたが――これはこれで、先輩に褒められるので悪い気はしない。ココアを渡しながらにかっと笑った。
さあ、飲み物も確保したので訓練を再開しよう――そうスマホを見たハツカ。だが、スマホの時計には午後一時の表示が。
「あら、もうこんな時間だったのね。せっかくだし買い食いでもしましょ。この辺り、色んなお店があるのよ!」
「いいっすね! じゃあ店選びはハツカさんに任せるっす!」
二人で庭穂市の街並みを眺めながら、のんびりと歩く。街路樹の葉は青々と煌めき、夏が来たのだと懸命に伝えてくる。
「この近くにはおいしいお店が密集していてね……あら?」
ハツカとコウガが立ち止まる。二人の目線の先には見知った顔――フユキと雨延がベンチに座りおいしそうに揚げパンを食べているではないか。
「フユキさん、探偵さん、こんにちはっす!」
「! こ、こんにちは、コウガさんにハツカさん……」
話を聞くに、二人は近くの揚げパンを買いに行った際に偶然出会ったそうだ。
時は少し前に遡る――。
――。
大学生のフユキにとって、現在は夏休み中。大学に併設してある図書館で勉強をしてきた帰り、彼女は空っぽを訴えるお腹を満たすべくどこかで買い食いしようと街を散策していた。本当は家にアキハルが作っていってくれた料理があるのだが、このお腹は帰るまでに保ちそうにない。
この辺りは食べ物の店が立ち並んでいるため、選択肢は豊富にある――期待を膨らませあれこれ眺めていると、揚げパンの店、そしてそこの近くで何かを頬張る一人の女性が視界に映った。
「(あれ、探偵さんだ)こんにちは、探偵さん」
「⁉」
近づき声をかけると、雨延は手を口元に当てて何かを飲み込みながらこちらを振り向いた。
「……いかがなされた」
「用事とかじゃないんですけど、見かけたのでつい……揚げパン、お好きなんですか?」
雨延の手にはすぐ傍で売られている揚げパンが。かじった跡からは白いホイップが覗いている。
「甘味は美味故、な」
「へー……ワタシも買っちゃお。よかったらあっちのベンチで食べながらお話しませんか」
――。
「それで今に至る、のね」
「ハツカさんの言う通りです」
……ふと、雨延が自らの揚げパンを見つめ、語り出す。
「思えば、夢とは揚げパンのようなものかもしれぬ」
「と言うと、どういうことですか?」
フユキの質問に、彼女の目をしっかりと見る。
「材料は心と記憶。睡眠という油で揚げることで夢の奇天烈さができ、そこに感情の粉糖をまぶして完成。最後はそれを食べて終わり。自分で食べたならそこから得られる思いはあるが、他者……悪夢の化け物に材料の心を食われては、何も残らないどころか作ることさえ侭ならぬ。夢の揚げパンを消されるという点では、悪夢を獏句や無真に払われるのも同様、残るものは何も無い」
言い切ったところで、また揚げパンを一口。
「なる程、雨延ちゃんはそう考えているのね」
「念の為に言うがあくまで例えだ。某は無真や獏句を非難している訳ではない。むしろ称賛している」
「わかってるっすよ! 理解者がいてくれるのはオレたちにとってもありがたいっす!」
ならよい、と残った揚げパンを全て食し雨延は立ち上がった。
「では別件がある故、某はこれにて」
「あら、もう行っちゃうの? ……冗談よ、行ってらっしゃい!」
ハツカたちの見送りを背に雨延は立ち去る。そしてハツカとコウガはフユキたちが食べていた揚げパンがどうしても気になり、早速買い求めに行った。