第十一話
小さな雨粒がぱら、ぱら、と落ちてくる。少しでも雨粒が降る以上曇りと呼ぶにはおかしく、雨と呼ぶには少し弱すぎる……小雨と呼ぶにも大げさな、曖昧な天気だ。この調子であればすぐに止むだろう。
「で、呼ばれて来た訳だけどよー……」
七月上旬。古旅区に来た獏句の三人が立つ目の前には防衛省の立派で大きな正門。先日、フユキを通して無真から和解の為の談義を行いたいとの申し出があり、獏句は無真の本拠地があるらしいここに来ていた。
見学者なのか意外と人の姿が見受けられ、正門付近には一般人の列ができていた。獏句も列に並んでから正門で入門証を提示し、無事に敷地内に入る。この後は正門付近で待ち合わせるアキハルが案内をしてくれるとのことだったが……ぱっと見彼の姿は見当たらない。
「それにしても、ナツキも来ればよかったのにね」
「僕たちが動けない間に代わりに仕事をするって、変なところで律儀だよな」
無真との談義についてナツキに話した時、彼は危険だと却下しようとした。しかし今後のことを考えても無真との和解は活動において大きなメリットがあり、そのことを伝えるとナツキは渋々と三人を見送った。
そうして話をするうちに五分程経っただろうか。奥の方から制服姿のアキハルが小走りで駆けてくるのが見えた。獏句の下に辿り着いた彼は即座に遅刻の謝罪をする。
「すまない、仕事で遅れた。そこの少女は……初対面だな。私は根郷アキハル。無真の隊員だ」
「んなこと知ってらーよ。ボクは烏山コクア! で、どこで話すんだよ? 流石に人前で堂々と、って訳にはいかないだろ?」
コクアの疑問に、アキハルは建物の方を親指で示す。
「無真の本拠地は地下にある。そこの談話室で話そう。付いてきてくれ」
移動中、アキハルから無真についてある程度の説明を受ける。
人間は本来、夢の世界で自由に動くことは叶わない。基本、見ている夢のストーリーをその場で見ているだけだ。夢の旅人として動けるフユキは異例である。
それに対し無真は意図的に夢の世界に入り込み探索できる装置と、夢の世界を自動的に地図に表すシステムを開発しており、オペレーターが地図を見て案内しながら実働担当の隊員が悪夢や悪夢の化け物の下へ行き払っている。
獏句とは違う点も幾つかある。
獏句は夜間のみ夢の世界に行くが、無真はオペレーターが二十四時間常に夢の世界を監視しており、隊員はいつでも動けるよう準備している。また、悪夢の化け物は悪夢から生まれるということで、心の修復方法やストレス緩和の政策について研究しているらしい。心の薄片についてもそうで、無真は獏句とは別の理由で心の薄片を集めている。そして先日、獏句と無真は心の薄片の扱い方を巡り対立することとなった。“そのあたりについても話し合いたい”とアキハルは言う。
「着いたぞ、ここだ」
無機質な白い扉だ。アキハルが軽くノックをして扉を開ける。
扉を開けると部屋の外観に反し、中は照明と家具の温かな色味のおかげで意外と明るく、地下特有の窮屈さは感じさせない。並べて拡張された長机を囲むように設置された茶色のソファには、既にフユキ、雨延、それから無真側の人間であるハツカとスーツの男性が座っていた。
「また会っちゃったわね? 改めて、アタシは樋谷ハツカよ。知っての通り、アキハルと同じで無真の実働担当」
胸に手を当てて話す。ちなみに今のアキハルとハツカは武器を持っていない。あくまで夢の世界での装備のようだ。そして隣にいるスーツの男性を手で示し。
「で、こっちが……」
「望戸コウガっす! 無真のオペレーターをしてるっすよ!」
髪の短いスーツの彼、コウガが立ち上がり、敬礼をして威勢よく名乗った。口調からも明るさを感じられ、きっと人がいいだろうことはよくわかった。
皆で軽く自己紹介を終え獏句も座ったところで、雨延が口を開く。
「それでは、早速議論を開始するとしよう」
一番はやはり、対立の原因となっている心の薄片について話すべきだろう。
無真は人間にできるだけ悪影響が無いよう、心の薄片を拾い元の持ち主に返そうとしている。対して獏句は自分たちが動く為にエネルギーとして心の薄片を使っている。
「上にも心の薄片を回収しろ、って言われていてね。俺たちにとっては必要不可欠なんだよ。他に効率よく魔力を得られる手段も今のところ見つからないし、さ」
このように獏句側の事情もしっかりとあり、双方の意見をコウガは一言一句メモに書き記していく。
「なら代替案を考えましょう! 要するに、魔力を得られればきみたちが心の薄片を持っていく必要は無いのよね?」
ハツカが提案し、皆であれこれと練ってみる。が、いいものは浮かばない。
そこで、先程から何か気になっていた様子のフユキが一つ質問。
「モスケさんが言った上って、もしかしてあのぬいぐるみを持った男の子……ナツキくんのことですか?」
そうそう、とモスケは相槌を打つ。……が、その名前に反応したのは獏句だけではなかった。
「……フユキ、今、何と言った」
こわごわと口を開いたのはアキハル。声はどこか緊張しているように聞こえた。
「えっ? ……ああ、ナツキくんっていう男の子が獏句の知り合い? みたいで、前に夢の世界でお話したんだよ。雲居ナツキくんっていう子」
その名前を聞いた途端、アキハルの顔が歪んだ。しかめっ面のような、泣きそうな、何かを堪えるような……悲痛な顔つきだ。
「本当に、雲居ナツキと名乗ったんだな」
「そうだぜー。ボクたちの同僚なんだよ、そいつ! 今はここにはいないけどな!」
代わりにコクアが答える。その返答に、アキハルは息を短く吐いた。
「ナツキ……雲居ナツキか。はは……」
乾いた笑いが出る。笑うしか気持ちのやり場が無いのだろう。
「フユキ、私には亡くなった妹が……君の従姉妹がいることは知っているな?」
「うん。アキ兄も伯父さんもお母さんも……皆話したがらないから、その人については名前も何も全然知らないけど……」
フユキに確認し、アキハルはポケットからゆっくりとした動作でパスケースを取り出した。その内側には一枚の写真が収められており、それをフユキたちに見せる。
写真に写っているのは幼い……まだ五〜六歳ぐらいだろうアキハル。そして――。
「これは……フユキ殿か?」
フユキによく似た顔の、四歳あたりの女の子。見切れていてよく見えないが、手には水色の何かを持っている。この時点でもそっくりなのだから、成長すればフユキと瓜二つだろう。だがアキハルは小さく笑いながら首を横に振った。
「私の妹……ナツキだ。この写真を撮った数ヶ月後に両親が離婚し、私は父に、幼い妹は母に引き取られた。が……妹はそのまま虐待死して、二度と会えなかった。そして、母の名字が雲居。つまり雲居ナツキとは私の妹の名だ」