意思持つ剣と老人の日々
町の外れにその家はあった。外観は名士が住んでいそうな屋敷なのだが、奇妙なほど大きい煙突が目につく。そして屋敷でありながら庭も無く、建物が通りに面している。作った時以外は美観に無頓着だったらしく、蔦が壁いっぱいに生い茂り、大きな煙突からは煙がもうもうと常に立ち上っている。
近所の人々は“お化け屋敷”だとか、“変人の巣”とか呼ぶために、近寄るのは好奇心を目一杯膨らませた子供達ぐらいのものだ。その子どもたちも入り口があるわけではないので、近寄って何か喚いた後帰る程度しか関われない。
そんな屋敷に一人の老人が住んでいる。痩せた頬をしていて不健康そうで、片眼鏡をかけていた。老いを示す白い長髪は、これも長く立派なヒゲともつれ合って垂れ下がっている。屋敷同様に外観には固執しない性質の人間らしかった。そして知的にも見える顔貌とは裏腹に、戦士の如く鍛え上げられた肉体をゆったりとしたローブの下に隠していた。
妻子もいない彼が一日の大半を過ごす一室も、主のそんな二面性を反映していた。半分は鍛冶場であった。熱い溶鉱炉じみた設備と鍛冶台が、実用性一辺倒と言わんばかりに置いてある。そしてもう半分は魔法使いのように、小難しい本が入れられた書架と奇妙な実験設備が取り揃えてあり、こちらは雑然とした雰囲気だった。
余人から見れば奇妙な取り合わせだが、老人からすればこれほど一体感のある部屋も無かった。自身についても同様だ。なぜならば……老人はただの鍛冶師ではなく、魔剣鍛冶師と呼ばれる存在だった。
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魔剣鍛冶師は通常の武器とは違い、様々な魔法が付与された武具を作る。ただの武器を作り、後から付け足すこともできたが、製造段階から技術と魔法を組み合わせるのが老人のこだわりだった。
そんな彼は今、一本の魔剣の作成を抱えている。といっても既に形も機能も出来上がっていた。それでもまだ完成ではない特殊な剣だ。
老人が朝食を摂った後、鍛冶場に入ると、誰もいない作業室に声が響いた。声の発生源にあったのは一本の剣。幅広の刃に地味だが繊細な装飾が施された柄で構成されている。
『おはようございます。父さん』
「おはよう。今日は少しばかり柄の調整をしてみようか? きっと今よりも座りが良くなるだろうさ」
『はい、父さん』
そこに誰かが隠れている訳ではない。面妖なことに剣自体が声を発しているのだ。
インテリジェンスソード……俗に言う“喋る剣”であった。
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その剣は常に担い手に助言をし、物によっては自身が魔法を唱えるという。英雄にとっての相棒であり、所有することが一種のステータスであった。
魔剣鍛冶師としてこれ以上の作品は無い。魔導と鍛冶、双方の技量が非常に高い水準で求められるため作れる者はめったにいないが、老人はその数少ない一人だった。
「では、今日は魔法について教えよう。基礎はもう覚えたかな?」
『はい、父さん。私は眠る必要が無いので、時間がたくさんありますから』
「よしよし」
まるで祖父と孫の会話だった。これがインテリジェンスソードの難点である。
使用者への助言、自分で使用する魔法……その土台となる知性を育て無ければならないので、大変な時間を要するのだ。勿論、半端な出来でも良ければ早く仕上がるが、それでは名品にはなれない。
そして、老人は誇り高く融通のきかない人間であったため、そのような妥協を選択することはなかった。
毎日、毎日、制作物に知識と愛情を注ぎ込んだ。
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『父さん』
「なんだい?」
穏やかな昼下がり、唐突に剣が製作者に疑問を放った。こうしたことは珍しく無かったので、老人は気軽に返事をすることにした。
『毎日、この家を覗きに来る生き物は何でしょうか?』
「ああ、それは子供だよ。私と同じ人間だ」
『でも、父さんとは随分と違いますね』
「そうだな。なんと言ったら良いか……そう、子供というのは人間の幼体みたいなものなんだよ」
『そうですか。それで、あんなにも私に興味を示していたのですね』
老人は少し考え込んだ。老人の屋敷に訪ねてくる者は皆無だ。この剣が見たことがある人間と言えば老人だけである。
これは出来に関わらないだろうか? この子を振るうのは当然人間になるはずだが、知性ある剣が担い手のことを知らずに完成して、そんな状態で歴史に名を残せるだろうか?
そう悩んだ老人は、時折、家の扉を開け放つようになった。
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老人の屋敷は変わった。見た目はそのままだ。
だが、喋る剣という珍しい物を見に多くの子供がつめかけた。屋敷内はとても騒がしくなったが、元より鍛冶仕事に没頭することも多かった老人は特に気にも留めず、意外に寛容だった。
生い茂る蔦が日を受け止めて優しい木漏れ日に変わる部屋の中で、本を読む老人。その横では子どもたちと剣がとりとめもない話をしている。
鍛冶場の火は子どもたちが怪我をしないように消され、作った剣はインテリジェンスソードを除いて鞘に入れられた。老人が作業するのは子どもたちが来ない早朝と深夜だけになった。
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『父さん』
その呼びかけはいつもの言葉で、いつもと違った様子だった。製作者である老人はそれに気付いて、本を閉じて姿勢を正した。できるだけいつもの調子で返す。
「なんだい?」
『お願いがあります。昼にやってくる男の子達は英雄になりたいんだそうです。僕はその力になってあげたい』
被造物が創造主に願いを言う。それは珍しいことであると同時に、彼が創造主の意向が無ければ諦め無ければならない自由のない存在であることの証拠でもあった。
「つまり、お前は……」
『はい。担い手を決めました』
「そうか……相手の意思は確かめたんだろうね」
『勿論です。僕を皆に握ってもらいました。一人から揺るぎない心を感じました……他の子はまだ良く分からないけど。一人だけでも確かに』
老人は頷いた。それは自身がそうした機能を取り付けていたのだから、不思議なことでも無かった。使う者との意識差をできるだけ減らし、仲違いするようなことを防ぐための機能だ。
「もし……」
老人は喉がつっかえるような気分になった。彼には後継者もおらず、妻子も無かった。それで良いと思っていたが、この作業場で話すのはいつも自分の作品達だけだった。
「数年、あるいは10年後。その少年が一人前の剣士になっていたら、お前はその子に着いて行っても良い。少年にそう伝えて構わない。これは正式な契約ととっても構わない、と」
『分かりました。でも、彼はまだ子供ですから噛み砕いて伝えます』
老人は苦笑した。
インテリジェンスソードの市場価格は非常に高い。それをフイにして、どこかの子供へと渡す。利益的には大損だが、なぜかそんな気はしなかった。
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数年してから、少年は青年になり剣を迎えに来た。
彼が口にした約束に老人は黙って頷いて、自慢の魔剣を手渡した。
作品を背負った青年が、日だまりの下で去っていく光景を見送る。老人は何気なく、足元を見た。陽光が降り注ぎ、足の影ができている。そんな当たり前のこと。
「そういえば……外に出るのは何年ぶりだったか……」
呟いて、家の中に戻っていった。その家からは子どもたちの騒がしい声がしていた。