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ショート 干支の本

作者: 間の開く男

 年末。

 来年の干支という話題になると思い出す、干支についての考察が書かれた上下巻の本。冬休み目前の図書室に充満していた灯油ストーブの放つ温もり。白いテーブルクロスが体温を吸い取り下の机へと伝播させ、窓の外は降り積もった雪でまだ明るく見える。

 あれは誰の本だったか。そもそも全部読んだ記憶が無い。虎について書かれたところが面白く何度も読み返しているうちに、閉館の時間となっていたはずだ。新しい本だったのか、それとも読む人間がいなかったのか。張りの残る紙をゆっくりとめくりつつ、インクの香りと埃の焦げたようなストーブの匂いがまざった空気を吸い込んで吐き出す。


 考察。

 誰かがなにかについて考えてまとめたもの。考えない人間が居ないのならば、俺だってなんらかについて考察している。確かそんなことを考えながら司書の女性を眺めていたはずだ。この本の著者が好きだという話はラベル貼りの時に話してくれて、どこが面白いんだと馬鹿にするような素振りで貸し出しカードへと鉛筆を走らせ、席に陣取ったのではなかったか。単純に、恋い焦がれていた女性と同じものを読んで感想を共有したいとするのではなく、反抗的な態度を見せたい年頃だったはずで。丁寧な筆跡の真下に乱雑に書いた自分の名前が、まさにミミズののたくったような文字に見えて笑った記憶が、うっすらとある。

 

 冬休みをまたぐ本の返却についての説明を受けながら、石油ストーブがなぜ灯油ストーブじゃないのか考えていたはずだ。中学校と公民館、市役所の窓口が混ざりあった不思議な建物の中、音を立てているのが自分たちだけじゃないかと錯覚するぐらいの無音。気がつくと説明が終わったのか、俺の顔をゆっくりと見つめながら、なぜこの本を借りるんですかと訊ねられて。目を見つめられながら、本当の理由を話せるはずもなく。

「来年が寅年だから。」と短く告げて手提げ袋につっこみ、図書室を後にした。


 その後の記憶はあやふやで良く思い出せない。本は返却したはずだが、感想の共有をしようとして落胆した……そうだ、別の司書が座っていて、顔を合わせないままに卒業を迎えたのだ。

 

 移動。

 市内をぐるりと巡回するバスに乗り込み、当時の学び舎を目指す。学校側から図書室に入ることは度々だったが、公民館側から入ることはまず無かった。窓口で図書室を利用したい旨を告げると、短く「どうぞ」と告げられるのみであったが、冷たさは無い。利用者も少ないのだろう、ニスの剥げかけた木製の下駄箱に靴を置き、ひしゃげたスリッパを一足分取り出した。わざわざ本のタイトルを確認するためだけにココへと戻ってきた訳ではない。二十数年前の自分が何を考えていたか、何かしら思い出せるのではないかと思ったからの行動だった。

 

 経年劣化によりひび割れたコンクリート、階段隅に走るその亀裂を見つめながらもスリッパを鳴らし、昇る。当時は上履きのキュという音がなっていたであろうピカピカの床面も、今はただ掠れた音を響かせるだけだ。

 公民館の二階部分を見渡す。目的の図書室と音楽室、家庭科室と理科室がそのままの状態で並んでいた。各ドアの上に貼られたプレートは見覚えがあり、なんとなく「ただいま」と言いたいような気分にさせてくれる。スライド式のドアを軽くコン、コンとノックしてから、ゆっくりと右へ開いた。

 

 当時とはレイアウトが若干異なるものの、空気は同じだった。久しぶりに嗅いだストーブの匂いに年を経たインクの香り。懐かしさを感じながらもぐるりと本棚の壁を一周し、並び順を確認していく。歴史書やら民俗学の本の中に、やや下手くそな文字で書かれた三段ラベルと忘れていた本の題名があった。

 

 日焼けした背表紙を指先でなぞり、棚からゆっくりと抜き出した。上下巻をそれぞれ見てみると懐かしさとともに涙がこぼれそうになる。なぜ泣く必要があるのだと自分に言い聞かせながらも、当時のお気に入りであった席へと腰をかける。この角度だと図書室全体が良く見えて……理由はそれだけではなかったはずだ。あの人の横顔、時折見せるにんまりとした笑顔を本越しに覗いていたかったのでは無いか。

 

 最近は座高を測らないらしい。中学生の時と視線が同じかと聞かれれば、そんなに変わらない。そしてこの時に初めて司書がおらず、この部屋に一人きりであることに気づいた。田舎の公民館とは言え、少々不用心ではないか。

 ストーブをつけたまま長時間放置するとは考えづらい。しばらく読んでいれば戻ってくるだろう、と表紙をめくりページとともに記憶を辿った。

 

 やはりこの本で間違いない。借りてまで読む人は少ないのか、数年前に一人借りたきりのようだった。ずらしていた貸し出しカードを、本の裏表紙に貼り付けられたポケットへとゆっくり戻し、人の気配に気づいた。

 

 司書が座るべき位置に、彼女が座っていた。閉館の時間が近づくのを壁掛けの丸時計だけが知らせている。

 きっかけがなければ話しかけられないほどシャイではない。しかし、この本を目の前に差し出したなら……伝えようとしていた言葉を思い出せるかもしれない。椅子から立ち上がると、帳簿のようなものにペンを走らせる彼女へと近づき、机の上に二冊の本を置いた。さりげなく、左手の薬指を確認しながら。

 

「貸し出しですか?」

「ええ、おねがいします」

「カードはありますか?」

 

 なるほど、学生時代にはそんなものが無くても借りられたけれど、今は完全な部外者だ。カード発行用の、ざらざらとした懐かしい感触の紙へと記入する。藁半紙ゆえの、ペン先が突っかかる感覚。読みやすいよう向こうへと反転させて差し出すと、必要事項が記入されていることを確認し……背後の引き出しからクリーム色の紙片を取り出した。日焼けした背表紙よりも淡い、ぼんやりとした黄色だ。

 

 本のタイトルをさっと確認し紙片へと追記する。滞りなく処理は進み、二冊の本が再びこちらの手元へと戻ってくる。トートバッグへと丁寧に入れ、図書室を後にしようとしたタイミングだった。

 

「……来年の干支は?」

 答える必要の無い質問に、私は答えるべきだったのだろうか。

 気がつくと俺は「寅年」と短く、ぶっきらぼうに告げてドアを閉めていた。


 干支が二周したとしても、俺は俺のままだった。

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