第5話「展覧会の招かれざる客」
担任の坂本先生から知人の展覧会に見に行かないかと誘われた文たち二年三組。「瑠璃を絵具として使った絵画」があると聞かされ嫌な予感がするが……。
魔法少女とミ=ゴっぽい宝石泥棒の戦いが始まる!
体育館裏の騒ぎによる職員会議の為、五限目は自習となった。つまり生徒たちは自由である。宿題をする者もいれば遊ぶ者もいて、違うクラスの教室へ遊びに行く者までいた。
未知の生物により負傷した木村辰馬は治療の為、彼に庇われた御凪佳世も気が動転しているので保健室に連れて行かれた。そのことで噂話をする者もいた。
「四組の木村君を傷付けたのは聞いたところ、鉤爪の付いた足をした人間大の昆虫だそうじゃないか。中畑君、今朝の事件の犯人かもしれないね。」
たまたま中畑の隣の席が空いていたので、大部戸はその席を拝借した。
「こじつけじゃねーか。ってか昼休憩の事件と例のラピスリ...言いにくいから瑠璃でいいか。瑠璃泥棒に何の関係があるんだよ?」
「君も見ただろ?今朝御凪君が机の上に落とした青い宝石。あれはまさしくラピスラズリだよ!」
その「ラピスラズリ」が「人間大の昆虫」に盗られたので、奪い返そうとした木村が右腕を「ソイツ」の前足の爪で引っかかれたのだと、大部戸は人づてに聞いた。
「よく分かったな。」
「僕の審美眼を舐めてもらっては困るねぇ!」
「そう言えば」と口を挟んだのは御凪佳世と同じ女子テニス部の瀬川久美だった。
「あの石、昨日の放課後に告白と一緒に木村君がくれた物なのよ、佳世の誕生石だからって。折角付き合うことになったのに、ひどいことする奴っているね。」
「可哀想だよね。お昼ごはん食べ損なっちゃって」
中畑の後ろで聞いてた沼尾の言葉に、三人は呆れた視線を送った。
「だってお弁当までひっくり返ってたんでしょ?もったいないなー、食べ物を粗末にするなんて。」
「そりゃ初めてのランチデートが台無しになったのは合ってるけどさー...」
後ろの方でやたら多い宿題を片付けながら、リコリコは事件の噂話に耳を傾けていた。
「プレゼントして愛の告白かぁ。」
数学の問題にうんざりしてきた彼女は、古い少女漫画の夢見る瞳になっていた。
「いいなぁロマンティックで。あたしもダイヤモンドの指輪とか素敵な男性から貰いたいなぁ。憧れるよねぇふみふみ?」
リコリコと同じ問題に頭を悩ませていた文は思わず服の上からルビーの感触を確かめた。それからこれをサイコースがくれた時の言葉を思い出そうとした。「そういえばまだ12月じゃないのになんで誕生石あげたのかなぁ」という沼尾の問いに「だって誰かに先越されるかもしれないじゃん」と返す瀬川の声が聞こえてきた。
「お前ら静かにしろよー!」
担任の坂本先生が帰ってきたので、2年3組の者たちは各々の席に、他のクラスの者は自分たちの教室へと戻っていった。
「佳世と木村君大丈夫ですか?」
単刀直入に瀬川が尋ねた。
「木村の傷は大したことはない。二人とも保護者の方が迎えに来て下さることになった。そんで昼休憩の事件なんだけどな__」
文も大部戸も、クラス中が緊張した面持ちになった。
「まだこの辺に例の不審者がうろついているかも知れないから、全部活休みになった。早めに帰るようにな。」
ウェーイ!と何人かが歓声を上げた。
「だからって寄り道すんなよ!一人で帰るなんてもっての外だからな!
それとこれは関係ないことだが」
と坂本先生はカラー印刷の用紙を配り始めた。展覧会のチラシで、知らない画家の名と彼の作品が数点載っていた。
「俺の友人がパリの修行から帰って来たんだけどな、日本で初めての個展を開くことになった。今日からだけど休みにでも来てやってくれ。」
青い背景に手を組み、目を閉じた少女の絵が右上に大きく陣取っていた。
「目玉作品は“沈む少女”っていう絵でな、なんて名前なんだっけか...宝石が絵具として使われているんだとよ。」
「それで早速見に行くなんて、いい趣味してるねぇ。」
大部戸は助手席から振り返った。文と中畑は大部戸家の車の後部座席に乗せてもらっていた。ホームルームが終わった後で二人は坂本先生の友人の美術展に連れて行くように、大部戸に頼み込んだのである。
「こちらこそありがとう。ごめんね、無理言って。」
「構わないさ、僕もこのチラシにある目玉作品が気になったのでね。」
大部戸は車内で何度も美術展のチラシの右上――「沈む少女」を見ていた。
「まぁ日曜日あんなことがあったんだし、もっとお釣り貰っていいだろ。」
中畑はあの日化け物に追い回された上にスマホを壊されたのだった。
「アポなし取材でもいいか?」
「それは行ってみないと分からないね。僕も知らない画家だし。
それより気になることがあるのだろう?」
目玉作品の「沈む少女」には。坂本先生曰く「宝石が使われている」とのことだった。
「これってラピスラズリかな?印刷じゃよくわからないけど。」
文は大部戸の持っているチラシの「沈む少女」を指差した。作品の大部分を青色が占めている。
「棚端君もそう思うかい?フェルメールの名画“真珠の耳飾りの少女”のターバンにも使われているんだったね。この絵もそうだとしたら――」
「例の“瑠璃泥棒”の化け物が来るかもしれないってか?」
「その通りだよ中畑君!」
大部戸が後部座席に身を乗り出したので、運転手は「危ないですよ坊ちゃん!」とたしなめた。
「本物の怪物のシャッターチャンスじゃないか!今度こそ新聞部部長をギャフンと言わせてやろうじゃないか!」
「んなこと言われても」と言いつつ中畑は無意識に鞄越しのカメラの感触を確かめた。
文にとっては困った事態である。彼女も目的は違えど「怪物目当て」なのだが、大部戸の勘の良さはともかく、中畑まで付いてくるのは想定外だった。文の変身姿――「チェリーピンク」を一番間近で見て尚且つ写真まで撮影している人間なのである。彼女はどうやって二人を撒こうか、車内で考えあぐねていた。
「坊ちゃんあと少しで着きま...おや?随分人が集まっていますね。」
美術展が開かれているビルの前に人だかりができていた。
「あっ、じゃあここで降ろしてください!」
あの中に紛れ込もうと文はひらめき、扉を開けた。「日を改めた方がよくね?」と中畑は言おうとしたが、人ごみの中から悲鳴を聞きつけた。
「僕たちも行くぞ!」
運転手が呼び止めるのも聞かずに、大部戸も車を飛び出した。
「繁盛しているにしてはおかしい!」
一方で大部戸の中のオカルトマニア魂は、愉快な予感がしていた。
ビル前で人々に囲まれているのは、人間大の昆虫だった。ただでさえ通常のサイズではないのに加え、両前脚に付いているカニのような鋏、背には退化した翅、何より不快な印象を与えているのは突起物に覆われた頭部だった。鋏は奇妙な銃を掴んでおり、それが人々を遠巻きにさせていた。
「誰か警察!」と群衆の中から声が上がったのと同時に、その怪物はビルの中へ入っていった。
「ほら中畑君、追うんだよ!」「わーってるって!」などというやり取りをしている頃、文はすでに路地裏に入っていた。
「開け、シャトルキー!」
右手に銀の鍵をかざし、紅玉の首飾りの中を通過して変身している最中に、文はビルに潜入する手段を考えていなかったことに気付いた。このビルは非常階段が屋外ではなく屋内にあった。
「チェリーピンク」に変身したのはいいものの、このヒラヒラした格好は登攀とうはんには向いてない。それでも窓枠を使って登ろうかと思い、ビルの窓に近付いた時だった。チェリーピンクの両肩から胴体に肩身付いている羽衣――文はこれが何の為の装飾だろうと疑問に思っていた――が地面にまで伸びて、らせん状になった。
「え?」
さらにその「らせん」は勢いよく跳ね上がり、一番上の窓まで文ははじけ飛んだ。
「えーーーーーーーーーーーーーっ!?」
窓にぶつかりそうになり、文は両腕で顔をかばった。そのまま文の体は窓ガラスを割り、何か硬い物にぶつかった。腕をどけると目の前には例の昆虫――旧支配者の“落とし仔”の突起物だらけの顔面があった。文は窓に飛び込んだのと同時にソイツを押し倒していたのだった。
「ど、どーも」
思わず挨拶の言葉を発した瞬間、ソイツは文を突き飛ばして跳ね起きた。
「わっ」
仰向けにされた文の目に映ったのは展覧会の立看板、まさに件の絵画が公開されている場所の入り口だったのである。
「させるか!」
入り口に向かった“落とし仔”の脚を、咄嗟に文は大剣で払った。切っ先から火花が走り、ソイツは一歩後じさった。展示場の入り口付近の客が悲鳴を上げた。彼らの為にも作品の為にも“大剣の火”は使えない。態勢を立て直しつつ、文はどうやって外へおびき出そうかと考えようとした。
「中畑君ほら、あぁっこの間の魔女までいるよ!」
「ちょ、危ねえから押すな!」
階下から大部戸と中畑が迫りつつあった。
「あーもう邪魔!!」
文は大剣を下方に向けて二人を近付かせまいとした。その隙に“落とし仔”は展示場に足を踏み入れた。
「アンタはこっち!かーらーのっ...」
触るのも嫌だが文はソイツの腕を引っ掴んで、
「出て行けええぇぇぇぇぇ!!」
自身が割った窓の外へと投げ飛ばした。それから文も窓から飛び出し、ソイツに大剣を突き刺した。
一人と一匹はそのまま重力に従って路地裏のアスファルトまで落下した。
着地の衝撃を足裏で感じながら、「普段ならこんな芸当できないな」という考えを浮かべた。安堵の溜息をついた途端に、腹部に硬い物を感じて“落とし仔”から飛びすさった。その直後、ソイツの右の鋏から光線が空に向かって放たれた。
「あぶねっ!」
中畑は大部戸に促されて窓から身を乗り出していて、危うく大事なカメラを破壊されるところだった。
「すごい!特撮にしかないと思ってた!」
大部戸は中畑を押しのけ、路地裏を覗きこんだ。
“落とし仔”は右腕を掲げてゆっくり起き上がると、その鋏に挟まれた銃が光を帯び始めた。二発目を撃とうとしているのである。
かわして斬り込もうか、でもあの光線の威力はいかほどか、背後に人がいないにしてもビルに当たったら――等と文が逡巡している内に、青く小さな光が降ってきた。
それは“落とし仔”の目――どこにあるのか分からないが――にも映ったらしく、銃を持っていない左腕を本能で引き寄せられるように、青い光に伸ばした。そこをすかさず文は斬りつけた。その拍子にソイツの左鋏は掴もうとした物を跳ね返した。
「還れ、母なる黒山羊の元へ」
胴体から真っ二つになった“落とし仔”は右に持っていた光線銃が暴発し、燃え上がった。その炎が小さくなっていくのを確かめた後、文は視界の隅に先程“落とし仔”が捕えようとした物を認めた。それは緑色の紐が通された青く小さな石だが、奴らが狙っていた“瑠璃”にしては青みが若干異なる気がした。瑠璃が星の瞬く夜空の藍色なら、これは遠くから見た海の青色である。
文はこの石がやってきたのか探ろうとして、ビルを見上げた。最上階の窓から人の気配が無くなったことに気付き、そろそろ変身を解かねばならないと悟った。今頃大部戸達が戦いの顛末を確かめようと、こっちに向かっていることだろう。
「確かこの辺に...あっいたいた!あれ?」
「棚端何やってたんだ?」
文が路地裏から出ようとしたところで、大部戸と中畑にかち合った。
「野次馬に混じって二人を待ってたんだけど、こっちで物音がしたから」
「で、あの怪物と魔女の戦いを見ていたんだね?」
何かを期待するように大部戸は文に両手を差し出した。
「ごめん、撮るの忘れちゃってて。でもこんなの見つけたんだけど」
と文は先程拾った青く小さな石を二人に見せた。
「僕のサファイア!窓から身を乗り出した時に落としたのか!」
「ラピスラズリじゃないのか?」
中畑は宝石にはあまり詳しくないので色でしか区別できない。
「ラピスラズリはかつてサファイアと間違われていたけど、成分からして違うんだよ。」
「大部戸君の誕生石?」
「いや、ある人のを貰ったんだ。大事な物だったからありがとう棚端君。」
礼を言いながら大部戸は胸ポケットにサファイアを仕舞い込んだ。
「この石の話も個展もまた後日にしようか。それどころじゃなくなったし。」
周囲に今更着いたパトカーのサイレンが鳴り響いていた。
「で、盗まれたラピスラズリは例のヘンテコピンク衣装が取り戻してくれたのか?」
「あ」
“落とし仔”を倒したのはいいものの、肝心の盗品を取り返せなかった上に、その在処は分からすじまいだった。言葉が通じる相手とは思えなかったが、ラピスラズリを集めている動機すら聞き出せなかった。
「私、あの化け物が倒されるとこしか見てなくて、そのピンクの子もどっか行っちゃったし...」
「でもまぁ、ラピスラズリ泥棒がいなくなってよかったじゃねえか。」
中畑はさっきまで大部戸と共に身を乗り出していた窓を見上げた。
「御凪と木村に教えとかないとな。ここでいいラピスラズリが見られるってな。」