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強化魔術師は最弱冒険者を最強にしたい

少年漫画の読み切りの感覚で書きました。

楽しんでいただけると幸いです。

「美しい……」


 ロココ=フラゴナールの姿を初めて見たとき、マニエリ=ヴァザールは思わず息を呑んだ。

 背格好に似合わない無骨な皮鎧を身につけた彼女が、あまりに儚く美しかったからだ。

 彼女は冒険者だ。ギルドが公募する依頼クエストを受注し、剣を振って日銭を稼ぐ荒事師だ。

 しかし彼女の外見は、一般的な冒険者とはかけ離れていた。

 アルビノを思わせる、輝くように白い肌。

 剣を握るより繕い物の方を得意としていそうな細い指。

 白銀に艶めく髪。

 深窓の令嬢として花を愛でている方がずっと似合っているような、線の細い儚げな少女だった。

 似合わない皮鎧を整えながらギルドの集会所を出て行く彼女の自信なさげな背中を見ながら、ヴァザールは確信する。


「間違いない。彼女こそ、僕が探し求めていたひとだ」








「お、終わりました……」


 ロココがドブネズミの駆除を終わらせたのは、夜の七時半過ぎのことだった。

 彼女が出発したのは朝。時間にして十二時間以上に渡る長丁場である。

 

 泥だらけでギルドに現れた彼女に嫌悪のまなざしを向けつつ、ギルドの受付係は報酬のはした金を叩きつけた。


「はい、お疲れ様でした。ここは午後八時に閉まるので、それまで居座ることのないように注意して下さいね」

「……はい」


 本来は丸一日かけてやるような仕事ではない。

 駆け出しの新米冒険者であっても、半日もあれば規定の数を駆除できる。

 ロココがそうできない理由は単純で、彼女が冒険者としてあまりにも弱すぎたからだ。


「へっへっへ、また一日使ってネズミ退治かい、フラゴナールのお嬢ちゃん」

「偉そうな腕輪に見合わねえ無能女! もう辞めちまった方がいいんじゃねえのか~!」

「……っ、バロック一味……!」


 カウンターを離れると、すぐに数人の男が寄っていってロココを取り囲んだ。

 筋骨隆々とした屈強な荒くれ者ばかり。

 全員、このギルドに所属する冒険者である。


「邪魔をしないで、帰るところだから」

「おお、怖い怖い! 相変わらず、きかん坊の小型犬みたいだな! うかうかしてると噛まれちまいそうだぜ!」

「噛まれたところで怪我なんてしねえけどな!」

「違えねえ! ゲラゲラゲラ!」


 ロココがありったけの怒気を剥き出しにして男たちを睨んでも、彼らは笑うばかりだ。

 彼女の渾名は『側溝のチワワ』。このギルドに所属する者で、彼女を侮らないものはほぼいない。


「冒険者ギルドは、腕っ節に自信がある奴が集う場所だ。弱い奴がうろちょろしてると、目障りなんだよ!」

「そうそう! なまっちょろいガキはさっさと故郷に帰って、お嫁さんでもやってればいいんじゃねーの!?」

「黙れ! 今は弱いかも知れないけど、いずれ強くなって……」


 左右に立つ比較的小柄な二人の煽りに噛みつこうとしたとき、今まで黙っていた中央の一人がおもむろに口を開いた。

 虎並みの体躯を持つ血走った目の大男だった。


「お前がここに来てからもう二年になるな」


 雷鳴のような深い声に、ロココは思わず肩を震わせる。

 男の名前はバロック=トゥール。この町で最強と謳われる冒険者である。

 男は、取り巻き二人とは明らかに違う迫力を纏いつつ、自分より二回りも小さな少女冒険者にずいと詰め寄る。


「……っ、どうしてそれを知って……」

「だがお前は一歩も前に進んでいない。普通、どれだけ筋が悪い奴でも半年冒険者を続ければE級には進めるもんだが、お前はまだ最下層のF級のままだ」

「うっ……」

「この二年、つまらない仕事をこなしながらせっせと一人で修行を続けていたな。夜な夜な身の安全も考えず広場で素振りをする姿は、危なっかしくて見ていられなかったぞ」

「! そんなことまで知って……」


 驚愕して一歩後ろに下がるロココの鼻先に、バロックの太い指が突きつけられた。


「だが何の成果も得られなかった。理由を教えてやろうか?」

「い、いらな」

「筋肉が足りない。センスがない。上背が足りない。日に焼けにくい。病弱。胃腸が弱い。覇気が足りない」

「や、やめてって……」

「冒険者に必要な全てが、お前には決定的に欠けている。他の誰よりも自分が一番よく分かってると思うが――――」

「やめてって言ってるでしょ!」


 ロココの平手がバロックに放たれる。

 バロックは、身じろぎ一つせず淡々とそれをつかみ取った。


「うっ……」


 バロックがロココを軽く押すと、彼女はその場で尻餅をついた。

 深々とため息をつき、バロックは冷ややかにロココを見下ろす。


「要するにお前には才能がないんだよ」

「……」

「身の程を弁えて危険な仕事を受けないのはいい。だがお前の才能のなさは筋金入りで、見ていて気の毒になるほどだ。正直不快だから、さっさと引退して――――」

「ちょっとちょっとちょおっとぉ!!」


 その時、ロココとバロックの間に一人の女冒険者が割り込んでいった。

 ロココに比べると随分と背が高く、肌の色も健康的に焼けている、冒険者らしい女性だった。


「ちょっと! 言い過ぎでしょ。男三人でよってたかって女の子を虐めて、みっともないと思わないの!?」

「る、ルネさん……」


 炎のように真っ赤なポニーテールが、彼女の動きに合わせてゆらゆら揺れた。

 彼女の名前はルネ=アリオスト。

 ロココが冒険者になったなりに出会った先輩冒険者で、ギルドで彼女に優しく接してくれる数少ない人だった。

 バロックは鼻で息を散らして、ルネを煩わしげに睨んだ。


「男だろうが女だろうが、一人前の冒険者を名乗るなら相応の扱いをされて当然だ。そもそも俺は事実を指摘していただけで、虐めたつもりなど毛頭ないな」

「そうだそうだ! バーカバーぐはっ!」

「女はすっこんでやが――――ごふっ」


 バロックに呼応して取り巻きがキャンキャンと叫んだが、ルネの鮮やかな回し蹴りで悶絶して口を閉じた。

 ルネはほどけた髪を結び直して、研ぎ澄まされた刃のような目でバロックを睨む。


「だとしても、他人の夢を否定する権利は誰にもないわ!」


 そして彼女は、背後に立つロココを抱きしめて頬を寄せる。


「ロコちゃんだって、今は成果が出てないかもしれないけど、ずっとそうとは限らない! いつかは最強の冒険者になるんだから! ね、そうよねロコちゃん!」

「……う、うん……」


 言葉を濁すロココ。バロックは舌打ちして、二人に背を向けた。


「寝言を言っていられるのも今のうちだけだ。あんまり冒険者を舐めてると、いずれ痛い目を見ることになるぞ」


 そしてバロックは、失神した取り巻き二人を肩に抱え上げて、集会所の外へ歩いて行った。

 その背中目がけて、思いっきりあかんべえをするルネ。


「へーんだっ! 痛い目を見るのはそっちの方よ! お前らこそ、あんまり冒険者わたしたち舐めんなよっ!!」


 じたばたと大げさに威嚇を続けるルネの袖を引いて、ロココはもういいとルネの手を握る。


「ありがとう、ルネさん。助けてくれて」

「いいのいいの気にしないで! でもあいつらも懲りないわね。何度もロコちゃんにばっかり絡んできてさ。ま、大体理由は分かるけど……」


 ルネがロココの手元に視線を送る。

 ロココは右手に嵌めた腕輪を無意識に握りしめた。


「『シノワズリの腕輪』をロココちゃんが持ってるのが、気にくわなくて仕方ないのよ」


 シノワズリ――――シノワズリ=ブーシェといえば、世界中のあらゆる人々に尊敬されている英雄的冒険者で、あらゆる冒険者の憧れの的。

 そしてロココの右手首を覆う紅蓮の腕輪は、そのシノワズリ=ブーシェのかつての持ち物の一つであった。

 彫り込まれた竜の紋章は、シノワズリの象徴。

 シノワズリ自身の手によって彫り込まれた、彼女以外に再現できない細やかな意匠が、その腕輪が偽物ではないことを表していた。


「……」

「ロコちゃん。そんなもの持ってるから絡まれるのよ? 私が預かっててあげようか?」


 ルネの提案に、ロココは首を横に振った。


「……ありがとう。でもこれは、私にとって命より大切なものだから……」


 ロココが腕輪を胸元に抱える様子を見て、ルネは優しく嘆息する。


「そ。分かった。じゃ、くれぐれも取られたりしないよう大切に持ってないと駄目だよ?」


 無理を言わないルネの優しさが、ロココには辛かった。






 ロココが冒険者を志すようになったのは、十年以上前のこと。

 盗賊団が彼女の生まれた村を襲い、あわや村が滅びるかというところまで追い詰められた。

 それを救った者こそ、伝説の冒険者シノワズリ=ブーシェだった。

 村を燃やし、全てを奪おうとした盗賊たちを次々に打ち破っていくシノワズリの姿は、幼き日のロココにとってまさにヒーローだった。

 団を殲滅して去って行こうとしたシノワズリに、ロココは叫んだ。


『貴女のようになりたい! 貴女のような冒険者になって、私もいつか誰かを助けたい!』と。


 シノワズリはくすりと微笑み、ロココに自分の腕輪を託してくれた。


『これを励みにして、頑張りなさい。貴方ならきっと、立派な冒険者になれるわ』


 シノワズリが去り際に残してくれたその一言が、今までロココの原動力になってきた。


 あのシノワズリ=ブーシェが認めてくれたんだ。

 そんな自分が、ただの無能で終わるはずがない。



 ――――だけど、自分を誤魔化し続けるのももう限界だった。




 旅立つ前から気付いていた。

 自分が冒険者に全く向いていないということに。

 はっきり言って適性は皆無だ。

 バロックやその取り巻きに、冒険者を辞めろと言われて当然だ。

 彼らの方がよっぽど正しいことを言っている。


 だけど、認めるわけにはいかなかったのだ。

 彼女にとってのヒーローが、きっとなれると認めてくれたのだから。

 なってみせると、約束したのだから。

 だから――――……






「随分となじられていましたね。あれはいつものことですか?」

「――――っ!?」


 そんなロココの前にマニエリ=ヴァザールが現れたのは、ルネと別れてからおよそ二十分後。

 集会所から彼女の家までの帰り道の途中だった。

 普段人気の少ない場所で出会った見知らぬ男の影に、ロココは少なからず身構える。


 涼やかな空色の瞳が印象的な、身なりの良い男だった。

 夜の暗闇の中でも、身につけている極彩色のジャケットの素材がいいことは見れば分かる。

 人並みの上背だが、袖口からちらつく手首から、それなりに筋肉質なことも見て取れた。


「……一体、誰」

「マニエリ=ヴァザールと言います。ただの通りすがりですよ、ロココ=フラゴナールさん。貴方に興味を持って、後をつけさせてもらったんです」

「私に、興味……」


 何を見たんだろうか。ロココは今日一日を追想する。

 いつものように恥をさらすばかりで、いいことなんて一つもなかった。

 そんな一日に興味を持ったというのはどういうことだろうか。


「……なに、馬鹿にしにきたってこと?」

「いえいえ。朝に貴方の姿を見かけました。小さくて可憐で、とても冒険者でないようなその姿に、僕は強く惹かれたんです」

「可憐って……」


 ロココはちっとも喜べなかった。

 平和な市井で生きるならば、美貌だって武器になったかもしれない。

 だが冒険者としては、華奢さと不可分の美貌なんて足枷にしかならないのだから。


「それから興味を持った僕は、一日集会所で貴方を待ちながら聞き込みを続けました! すると面白い話を色々聞けましたよ。二年の間ずっと最下層でくすぶってるのは、貴方一人だとかなんとか」

「……!」

「他にも、身の程知らずがシノワズリの腕輪をつけているのが気にくわないとか、お嫁さんに欲しいが仲間には要らないとか……いやはや、散々な言われっぷりです」


 ロココは確信した。この男も自分を馬鹿にするつもりのようだ。

 そんなに私の存在が面白いか。

 分不相応にあがくちっぽけな小娘を嘲笑うのが、そんなに楽しいか。

 ふつふつと燃える怒りを押さえつけるために、ロココは短刀の鍔を指でこするように撫でた。


「……どいて、ください」

「こんなに冒険者として欠陥品なひとに会ったのは初めてですよ。よくもそんな貧相な体をひっさげて、今まで続けてこられたものですね」

「どいて。黙って。貴方の話に付き合ってられるほど暇じゃないから」

「並大抵のことではありませんよ。賞賛の拍手をいくら浴びせても足りません!」


 聞くに堪えない嫌味だ。耳を貸す気にもなれない。


「いい加減にして! たとえあんたらに何を言われようと、私は……」

「見返してやりたいと思いませんか?」


「……はい?」


 全く予想だにしない一言に、ロココは虚を突かれる。

 唖然とする彼女につけ込むように、マニエリはぐんと距離を近づける。

 そして油断した彼女の手を握って、深みのあるバリトンボイスで囁いた。


「僕なら貴女を強くすることができます。いい加減、最底辺の最弱冒険者呼ばわりされるのはうんざりでしょう」

「……」


 ロココは何も言わなかった。

 マニエリの迫真の勢いに呑まれたというのもある。

 だがそれ以上に興味があった。

 才能のない彼女を強く出来ると断言するこの男の頭の中に、何があるのか知りたかったのだ。

 そしてもし本当に強くなれるなら――――そのためにどんな努力だってやるつもりだった。


「興味を示してくれたようですね」


 黙り込むロココを見て、マニエリは嬉しそうに自分の眉をなぞった。

 好奇心に負けてロココは自分から問いかける。

 一つ、どうしても先に聞いておきたいことがあった。


「……それは、私だからこそできることですか?」

「ええ。貴女以外の誰も、このやり方で強くはなれないでしょう」


 それを聞いて、ロココはぐっと心を引きつけられる。

 今まで彼女は、自分が持っている才能カードは、冒険者になるために不必要なものばかりだと思っていた。

 だけど、もし自分にしかできない自分だけの才能で、今より強くなれるなら――――そんなに幸せなことはない。

 だってそれは、昔シノワズリがロココに対して寄せてくれた期待に応えることに他ならないのだから。


 先ほどまでより少し前のめりになって、ロココは続けて問いかける。


「で、では……一体どういうやり方で……私を、強くしてくれるんですか……?」


 マニエリは指を立てて、ニヤリと笑った。




「『魔法』です。僕は、魔法使いなんですよ」

「……え?」




「僕が扱うのは強化魔法。身体能力を向上させたり、耐性や特性を与えたりして人を強くする魔法のこと」


 『魔法使い』。世界中に百人もいないという不思議な力の使い手で、国家の中枢や組織の主幹を担うことも多い生まれながらのエリートたちである。

 そのエリートを名乗る人物がこんな辺鄙な町に来ていることも驚きだったが、それ以上にロココには聞き捨てならないことがあった。


「ちょ、ちょっと待ってください。それだとなんていうか、あの……」

「僕、これでも強化魔法の第一人者でして。世界中の誰よりも、強化魔法が得意だと自負しています。そんな僕にかかれば、どれだけ弱い人間だろうと最強になれる。そう……」


 困惑して目を瞬かせるロココに対応するように、マニエリは小気味よくウィンクした。


「たとえ万年F級冒険者の貴女であったとしても、ね」

「ま、待ってください。私しかできないっていうのはその……強化魔法を使える対象が私しかいないとかそういう……」

「いえ? 違いますよ。僕は一流の強化魔法使いです。誰にだって使えるに決まってるじゃないですか」

「じゃあなんでさっき、私以外に強くなれないって――――」

「ああ、それ」


 夜の静寂に、マニエリの指が鈍く響いた。


「僕、面食いなんですよ」

「――――は?」

「僕、どうせならできるだけ可愛い女の子に使って欲しいんですよね。そうじゃないと気分が乗らないんです。貴女は実に十数年ぶりに、僕の気分を乗せてくれたひとだったんですよ!」

「そ、それだけ……」


 それって要するに、私じゃなくてもいいってことじゃん。

 そう思いながら愕然と立ちすくむロココの前で、マニエリは楽しそうにくるくると回った。


「さあ、早速僕の強化魔法を体験してみてください。一回体を動かすだけで、きっとすごさを実感しますよ!」

「……わ、私の……」

「はい、『クルリンパ』。さあ、まずは軽い腕力強化をかけてみましたからそれで適当な岩でも――――」

「――――私の期待を返せっっ!!」

「殴って……へ?」


 どうせ効かないだろうと思って、半ば諦め気味に振りかざした平手打ちだった。

 しかしロココの右腕は、彼女が思っていたより数倍、十数倍速くマニエリの頬に激突し――――




「へぶらしっ!」




 マニエリの体は、放物線を描いて近くの茂みに飛んでいった。




「……え?」


 ロココはしばらく、自分の目の前で何が起こったのか理解できなかった。

 それも当然の話だ。今まで前腕ほどの長さの短刀の扱いにさえ四苦八苦していたような少女が、いきなり大の大人を吹き飛ばすなんて、現実として受け止められるはずがない。

 そして理解した後も――――この状況をどう捉えていいのか、さっぱり整理ができなかった。


 なるほど確かに、あの男の力を借りれば自分は強くなれるらしい。

 でもこんなやり方で強くなったところで――――一体何の意味があるというのか。


「……私が欲しかったのは、こういう形の力じゃないよ……」


 自分が二年間重ねてきた努力は、マニエリの三秒の『クルリンパ』にも及ばない。

 それを思うと今までの努力すら鼻で笑われたような気がして、ロココはその場でうなだれた。





 ロココがマニエリを張り手で吹っ飛ばしてから約一時間後。

 マニエリはロココの部屋の中で目を覚ました。


「あ、目を覚ました。良かった、一時は死んだかと……水飲みます?」

「いえ、結構です」


 ロココが暮らす冒険者長屋は、格安なことからロココのような貧乏冒険者に愛されている。

 ただしその分設備は壊滅的で、四六時中隣近所から変なうめき声が聞こえるし、大量のシラミが生息しているし、雨漏りも床抜けもしょっちゅうだ。

 あまりに住環境が酷いので、ロココ本人も寝るとき以外長屋に寄りつかないようにしている。


 ベッドからのっそりと起き上がったマニエリに、ロココは静かに頭を下げた。


「えっと、ごめんなさい。まさかこんなことになるとは思わなくて」

「いいんです……美少女に殴られるのならば、ある意味逆に幸せですから」

「何言ってるの?」


 ロココの申し訳なさそうな顔が一瞬で呆れ顔に変わる。

 マニエリは振り返り、ロココの両手を包むように握りしめた。


「むしろ、僕を殴ってみてどうでしたか。ウザい奴を今までにないパワーで殴れて爽快でしたか!?」

「ウザいって分かってああいう立ち振る舞いしてたんだ……やめた方がいいと思いますよ」


 それはさておき。ロココはマニエリの手を払って咳払いをする。


「自分じゃ絶対出せない力を出すという経験は新鮮で、ちょっとすっきりした気持ちも……ないではなかったです」

「そう! それは良かった。では僕と一緒に――――」

「だけど、強化魔法のことは遠慮させてもらいます」

「おや」


 ロココの真剣なまなざしに、おどけるのをやめて身を引き締めるマニエリ。

 ロココは淡々と続ける。


「私は、私の力で強くなりたい。誰かの力で手に入れた力じゃ、自分を納得させられない」

「僕が手を貸そうとしたときは、割と興味を持ってくれていませんでしたっけ」

「修行とか、知らない才能を教えてくれるとか、そういうのを期待していました。魔法の力で外から強くするなんて、求めてなかったんです」


 田舎の村出身のロココは、『魔法』についてよく知らない。

 だがそれが確かにこの世界にあって、ごく一部の選ばれた血統の持ち主だけが使える超常の秘技であることまでは知っていた。


「修行で力をつけるのも、強化魔法で強くなるのも、別に違いないと思いますけどね」

「全然違いますよ! 修行で強くなるのは、私自身の力になる! だけど強化魔法は、あくまで貴方に力をもらってるだけじゃないですか!」

「でもロココさん、武器は使っていますよね」

「え、あ、それは……」


 立ち上がったマニエリが、ロココに近づく。

 ロココはたじろいで数歩後ろに下がった。


「武器だって貴女が作った物じゃない。自分自身の力でないと駄目だというなら、武器を捨てて徒手空拳で挑むのが道理というものでしょう」 

「……うぐっ……えっと……」

「武器も強化魔術も同じですよ。たとえ自分自身の力でなかったとしても、自分で勝ち取ったものなら――――」

「わー! ストップ、ストップ!!」


 ロココはあまり口が上手い方ではなかった。

 対してこのこのマニエリ=ヴァザールという男は、どうやら口八丁に長けているようだ。

 このまま喋っていると押し切られてしまいそう。

 そう思ったロココは、強制的に話を打ち切ることにした。


「とにかく! いいんです。その力は、もっと効率よく強くなれる誰かに使ってあげてください」


 そう、きっとシノワズリも、自分がこういう形で強くなることを望まない。

 彼女の期待に応えたくてこの道を選んだんだ。

 だったら一足飛びに力を手に入れても、何の意味もないじゃないか。

 ロココは、脳内で言い聞かせるように念じた。


「私は自分なりに、こつこつ頑張っていきますから。はい、ありがとうございました。怪我もなさそうですし、そろそろお帰り下さい」


 マニエリの背中を押して、ロココは彼を部屋の外に出そうとする。


「……誰かに修行をつけてもらって覚醒したり、誰かに素質を見いだしてもらえる日を待つつもりですか?」


 だが次のマニエリの一言で、ロココの動きは止まった。


「言っておくけど、ロココさん。いくら待ってもそんな日は来ませんよ」

「……!」

「僕には分かるんですよ。人それぞれの身体能力に、どれだけ伸びしろがあるかということがね。強化魔法を極めたことによる副産物です」


 マニエリはロココの手を振り払い、向き直って彼女の髪を撫でつけて言った。


「はっきり言って貴女はこれ以上どう頑張っても強くなれませんよ」

「……!」

「もちろん、一人ではという意味で――――」


 次の瞬間、マニエリの顔に向かってロココが水を叩きつける。

 マニエリが水を手でぬぐって目を開くと、ロココの顔は真っ赤に染まっていた。

 綺麗な顔をくしゃくしゃにしながら、ロココは怒鳴る。


「勝手に人の可能性を否定しないでよ! 私は……私は、あのシノワズリ=ブーシェに認めてもらったんだ!」

「シノワズリ・ブーシェ? ああ、あの有名な冒険者ですか。……」


 マニエリはしばし考えるように顎を弄ってから、疲れたようにため息をつく。

 冷め切った視線には、真に迫る圧のようなものがあった。


「だったら彼女には見る目がなかったんでしょうね。それか、深く考えず適当に話していたんでしょう」

「……出て行け!」


 マニエリは無言で彼女に背を向け、長屋の外へと歩いて行く。

 彼の姿が見えなくなってからロココは部屋の戸を閉めて、ドアにもたれかかるようにうずくまった。

 どっと疲れがやってきたのだ。

 ベッドまで歩く気にすらなれなかった。






 分かっていたんだ。全部最初から。

 自分のような小娘に慕われることも、目標にされることも、シノワズリ=ブーシェにとってはよくあることだったはず。

 そしてそんな子供一人一人に真面目に取り合っていられるほど

 要するに、私に言った言葉は取るに足らない社交辞令で。

 きっと、何の意味もないんだってこと。

 だけど――――それでも―――――。


「……私に、特別にこの腕輪を渡してくれたのは……私に、何かを見たからですよね。そうですよね、シノワズリさん……!」


 腕輪が何かを答えてくれるわけでもないのに、すがりつくように握りしめる。

 結局その日は、扉に寄りかかる形でそのまま寝付いてしまい、朝を迎えることになった。




 次の日も、ロココの仕事はネズミ退治だ。

 いつものように朝一番で地下水道に潜り、一日かけて規定数を仕留めてはした金を受け取る。

 日課の素振りを昨日やらなかったせいか、今日はいつもより少し早く終わった。

 十八時頃の人で賑わう集会所に来たのは久しぶりだった。

 だが、活気づく喧噪や団欒の景色を見ても、ロココはただ孤独感に苛まれるばかりだった。

 その場にいる誰も、自分を歓迎していないことを知っていたから。


「へえ、珍しい。どうした銀毛のチワワ。今日は仕事をさぼったのか?」

「きっとドブネズミすら怖くなったに違いないぜ!」

「……」


 その上、やけに上機嫌なバロック一味にも絡まれる始末。

 何故かバロック本人はいなかったものの、取り巻き二人ですらロココだけでは振り払えない。


「……あんたらに用事なんかないんだから、どっか行って」

「まあそう言うなよ。時間はあるんだろ?」

「今日はバロックの旦那もいねえし、俺たちとちょっと羽目を外そ――――」

「また懲りずにちょっかいかけてるの? いい加減情けないからやめなさいよ」

「!」

「ちっ、アリオスト……!」


 そして救いの手を差し伸べてくれたのは、またルネだった。

 近隣ギルドで五指に入る実力とされるルネは、バロックほどではないにせよ周りに恐れられる存在。

 取り巻き二人は、そんな彼女と関わるのを避けて悪態をつきながら帰っていった。


「ルネさん、いつもありがとう」

「ううん、これくらいいいのよ。でも珍しいわね。ロコちゃんがこの時間帯に来るなんて。何か嫌なことでもあったのかしら?」

「……」


 少し逡巡した後、ロココはルネに昨日のことを話そうと決めた。

 荒唐無稽な要素も多分に含まれているが、ルネなら真面目に聞いてくれて……それでいて、自分に共感してくれると思ったのだ。




「――――なるほど。そんなことがあったのね」


 ロココが昨日の全てを語った後、ルネは黙って目を閉じた。


「ルネさん。私は魔法の力なんかに頼らない道を選んだんだけど……これって、間違ってないよね?」

「……」


 しばらくの沈黙。周囲は相変わらず喧噪で騒がしいが、ロココには時が止まったように静かに思えた。

 少し経ってから、ルネは笑顔で目を見開く。


「ええ。ロコちゃんは正しい判断をしたと思うわ。努力もなしに手に入れた力なんて、何の意味もないものね」

「! 本当!? ありがとう! そう言ってもらえると、とっても嬉しいよ!」


 ロココは嬉しかった。

 昨日の煽りのせいで、彼女は自分一人では、マニエリの提案をはねつけた判断を正しいと信じ切れなくなっていたのだ。

 たった一人の友人であり、かつシノワズリの次に尊敬する冒険者でもあるルネに認めてもらえたのは、彼女にとっても大きな自信に繋がった。

 立ち直ったロココの様子を見て、ルネは何かを悟ったように頷いた。


「だったらあと必要なのは、努力を活かすための土壌ね。誰かと一緒に修行できれば、きっと今より効率が良くなると思うわ」

「……! それって……」

「頼りない妹分のために、お姉さんが一肌脱いであげる。ロコちゃんが良ければ、私がロコちゃんのことを鍛えてあげるわよ」

「る、ルネさん……!」


 両手を広げて、暖かな微笑みを浮かべるルネ。

 ロココの目元から、知らぬうちに涙がこぼれ落ちる。


「……うっ、ありがとう。ありがとうね……」

「はいはーい、よしよし。泣いちゃ駄目よ、冒険者でしょ」


 ロココの頭をルネが抱える。

 ルネはしばらく、ロココの胸に顔を埋めたままでいることにした。


「どれだけ役に立つか分からないけど、色々教えてあげるわ。時間と場所だけど、明日の夜八時に郊外の森の奥にあるあばら屋に集合ね」


 森。ロココはしばらく、それがどこを表しているのか分からなかった。

 二人が生活圏にしている地方都市は広大で、森と言えるような森に行くまでにはそれなりに歩かなければならない。

 稽古に広い空間が必要というだけなら街中の公園でも足りるので、ルネがあえてそこを指定したのがロココには奇妙に思えた。


「あばら屋がある森と言えば、近隣だと一つしかないけど……わざわざそんなところまで?」

「うん。ほら、結構踏み込んだ秘伝的なことまで教えるつもりだから、できるだけ人に見せたくないんだ」

「私のために、そこまでしてくれるなんて……」


 ロココの手が感動で震えた。

 地獄に仏。周り中敵だらけでも、ただ一人味方がいるというだけで、こうも気持ちが救われるものなのか。


 その後、ルネと別れて帰り道についた後も、ロココの気分は晴れやかなままだった。


「見てろよ-! 私にだって何らかの才能があるってこと、見せつけてやるんだから!」


 誰もいない闇に向かって、高らかに拳を掲げるロココ。

 自分自身に言い聞かせているようでもあった。





 その後、ロココは行き先を変更して公園に向かい、昨日できなかった素振りの特訓を行うことにした。

 気分が良かったので、日課分と合わせていつもの二倍くらいなら出来そうな気がしたからだ。

 ところが向かったいつもの公園で、ロココは今一番会いたくない相手と遭遇することになる。


「やあ、こんばんは。また会うなんて奇遇ですね」

「……まだこの町にいたんですね、ヴァザールさん」


 極彩色のジャケットは、夜の闇ではひときわ目立つ。

 彼はベンチに座って、ポケットサイズの書籍を読みながら時間を潰していた。

 まるでロココがここに来るのを、前もって見越していたかのようだった。


「当分は。そうですね、ロココさんにオーケーをもらえるまで居座るつもりですよ」


 この魔法使いは、相変わらずロココのストーカーを続けるつもりらしい。

 また口八丁をぶつけてくるのかとたじろいだロココだったが、すぐ思い直した。

 そう、今日は昨日とは違う。こちらだって、マニエリの横暴に対するアンサーを持ってきているのだから。


「悪いですけどオーケーを出す時は来ませんよ。問題は解決できましたから!」

「……解決?」


 ロココは、ルネに修行をつけてもらえるようになったことをマニエリに話した。

 マニエリの驚いたような顔を見られないかと思っていたが、帰ってきた反応は白けきったため息だった。


「残酷なことをしますね。それだけ腕が立つなら、ロココさんに修行つけたって何の意味もないことぐらいよく分かっているでしょうに」


 マニエリの反応が想定外に湿気ていたので、気分を害したロココの語調がまた荒くなる。


「……残酷なのはどっちですか。私のモチベを削るようなことばっかり言って!」

「事実を伝えているだけです。それより僕と手を結んだ方がよっぽど楽に強くなれますよ」

「楽をして手に入れた力なんて何の価値もない。それは昨日も言ったと思うんですけど」


 分からない。そう言いたげに、マニエリはロココの目をじっと見て、それから首をかしげて言った。


「……ロココさんは、どうして冒険者になりたいと思ったんですか?」

「え?」

「努力することが目的なんですか? 努力して、辛い思いを味わうために冒険者やってるんですか?」

「ま、マゾって……そんなわけないでしょ! 私は――――」

「もしそれ以外に目的があるなら、別に楽をしたっていいと思うんですけどね。むしろ優先順位の低い要素にかまけて本来の目的を達成できないなら、本末転倒もいいところです」

「……」


 言われてロココは思う。

 そういえば、どうして自分は冒険者をここまで強く志すようになったのだろう。

 シノワズリに対する憧れ。それはもちろんある。

 だけど他に何かあったような気がする。

 それはただ単に強くなりたいというだけではなく、もちろん苦労したいなどという明後日の方向のものでもなく……。

 思い出せなかったので、ロココは考えるのを止めた。

 停止する彼女を見て、マニエリは深々とため息をついた。


「大体三重苦四重苦どころじゃない肉体的ハンデを背負ってるんですから、少しくらい楽したって神様も何も言いませ――――」

「黙れっ!!」


 反射的に手が出ていた。

 ロココの右手平手打ちが、マニエリの頬に迫る。

 しかしマニエリは、煩わしげにロココの手をあっさり掴んで受け止めた。

 身長差のせいで宙ぶらりんにぶら下がる形となって、ロココはじたばたもがいた。


「……ふぐぅ……」

「なるほど。一度実感しておきたかったんですが、素の力だと僕でも防げるくらい非力らしい。本当に、貴女が冒険者というのが信じられないです」


 しばらく藻掻いた後、どうにもならないのでロココは動くのを止めた。

 それを見計らって、マニエリは彼女を優しくベンチの上に下ろす。


「にしても狂犬ですね。手、出るの早くないですか?」

「あんたが失礼なのが悪いんでしょ……!」

「まあ、いくら早く手を出したところで貴女のパンチは僕には届かないわけなんですが」

「うるさいな! いい加減黙ってよもう!」

「いいでしょう、黙ります。今日はあまり長居もできませんしね。ただし、最後に一つだけ」


 マニエリはロココに背を向け、手をひらひらと振りながら去って行った。


「自分が本当にやりたかったことは何か、もう一度見つめ直してみてください。そこを取り違えていると、後々大きく足下をすくわれますよ」


 残されたロココは、煮え切らない思いを抱えたまま、手元の剣を振り始めた。


「なんなのあいつ、私のことを見透かしてるようなこと言って……」


 もやもやした気持ちは結局完全には晴れきらないまま、次の日が粛々とやってきた。





 次の日の鼠退治はいつもより時間がかかってしまった。

 結局もやもやが残ったまま、前の日の疲れを抱えながら仕事に挑む羽目になったせいだ。

 ロココは滑り込むように報酬を受け取って、ダッシュで森へと向かう。

 郊外の森は、夜間はほとんど人が寄りつかない。

 指定されたあばら屋までの道のりを草をかき分けながら進める都度に、ロココは静まっていく空気をひしひしと感じた。

 やがて、遠くの方にぼんやりと灯りが点っているのが見えた。

 あばら屋の中で、二つのランプが光煌と光っている。

 そしてそんなランプの対角線上に、ナックルダスターを身につけた戦闘モードのルネが座っていた。


「ごめん、ネズミ掃除がいつも以上に手間取っちゃって」


 時間ぎりぎりになってしまったことを、ロココはまず最初に謝る。

 遅刻したわけではないとはいえ、ルネより遅く着いたのは修行をつけてもらう身として失格、そう思ったからだ。


「今日は早く……終わらせるつも……」


 途中まで言って、ロココはルネの雰囲気がいつもと少し違っていることに気付いた。

 どことなく殺気立っているというか、冷たい気質を感じさせるというか。

 とはいえ気のせいだろう。最弱冒険者の自分の勘など当てにならない。

 そう思って、ロココは浮かび上がった違和感を無理やりに飲み込んだ。


「……つもり、だったんだけど……」

「いいよ別に。大して待ってないから」


 ルネはにこやかに立ち上がり、おもむろに手を伸ばす。

 握手を求められているのかと思って、ロココは彼女に近づいた。


「そ、そう? じゃあ今日はよろし――――」

「あ、修行を始める前に一つ」


 しかし、彼女らの手が折り重なることはなかった。


「授業料。その腕輪を私に寄越しなさい」


 手が触れ合う直前、ルネがぽろりとあり得ない一言を漏らしたからだ。


「……え?」


 友達だと思っていた女冒険者から聞かされた一言は、ロココが想像だにしていなかった残酷な真実の前触れだった。





 シノワズリの腕輪を寄越せ。

 親友の口から出たあり得ない一言に、ロココは思わず耳を疑った。

 他の何かならいざしらず、よりにもよって『シノワズリの腕輪』を寄越せとは。

 ロココ=フラゴナールのことを少しでも理解しているなら、普通はそんな提案をしようとは思わないはずだ。


「だ、駄目だよ? 前にも言ったと思うけど、これは私の大切なもので……」


 困惑しながら断るロココだったが、ルネは貼り付いた笑顔のままなおも食い下がった。


「友達でしょ? だったらそれくらい、譲ってくれたっていいじゃない」

「他のものならいいよ。でも、この腕輪だけは絶対に駄目。これがあるから、私は今までずっと頑張ってこられたんだから」

「うん、知ってるわ。知った上で、渡しなさいと言ってるの」


 このあたりで流石にロココも、親友だと思っていた彼女の様子が明らかにおかしいことを認めざるをえなくなってくる。

 怖い。つい先ほどまで全幅の信頼を置いていたはずの彼女のことが、たまらなく怖い。

 無意識のうちに体が一歩後ろに下がっていた。


「ルネちゃん……?」

「でも、知ってた。その腕輪だけは、ロコちゃんが絶対渡してくれないってこと。だからこそ……」


 ルネは、ロココが離れた分だけ近づいて、再び元の距離感に戻った。

 そして。


「奪っていくことに意味があるのよ」

「な、何を言って――――」


 次の瞬間、ルネの強烈なローキックが、ロココを右から吹き飛ばした。

 ロココは砂利混じりの乾いた土の上を転がった。


「うぐっ……!」


 額を少し砂利にこすって、ロココの顔面から血が流れ出る。

 彼女はそれをぬぐいながら立ち上がり、困惑しきったようすでルネに向き直った。

 どうして。なんで。ロココからそんな言葉が出る前に、ルネの方が先手を打って語り出す。


「ここなら人目につかないから、死んでも誰にも気付かれないわよ」

「ど、どういうことなの……?」

「苦しみたくなかったら、さっさとその腕輪を渡しなさい。そうしたら、できるだけ痛くないように殺してあげる」

「ま、待って。なんで殺すとかそんな話になってるの? 私たち、友達だよね!?」


 しどろもどろになるロココ。

 ルネが何を言っているのか、何一つ理解できなかった。


「友達? あはっ、あはははは……」


 乾いた冷笑。

 静寂のあばら屋に、からからと響く邪悪な笑い声。

 ひとしきり笑った後、ルネの目元からは粘っこい涙がこぼれ落ちた。

 それは悲しみの涙ではなく、笑って生まれた涙だった。


「ま、そうよね。そう思われて当然。だって、ずっとそうなるように動いてたんだから……!」

「えっ……ひぐっ」


 ルネに足を払われて、ロココはうつぶせに倒れた。

 着地の時に手を切って、白い肌から血が流れる。

 地べたを這いずるロココを見ながら、ルネは鼻歌を奏でる。

 そして、ルネの手首から腕輪を手際よく抜き取った。


「ロコちゃん、知ってる? 私ね。できもしないことにあくせくして、必死に頑張ってる奴を見ると虫ずが走るの」


 その声音は今まで彼女が見てきた誰よりも感情的で、嘘なんて一つもついていないように見えて。

 いよいよロココは目の前で起こっている出来事を認めざるをえなくなりつつあった。


「私のこと、ずっと騙してたの……? この、腕輪を奪うために……?」

「腕輪? まあ、奪って売ったら結構いい臨時報酬になるだろうけど、一番は――――」

「うぐっ……!」

「あんたみたいな脳天気な馬鹿娘をどん底に落とすのが、私の昔からの趣味だから」


 倒れたロココを見下ろすルネの目は、石のように冷めていた。

 立ち上がろうとしたロココの頭の上に、砂利だらけのルネの靴がこすりつけられる。


「この二年、私によく懐いてくれました。周りに他に仲間がいるわけじゃないんだから、当然よね。私にすり寄らないと、ひとりぼっちになっちゃうんだもの」


 ロココの前にしゃがみ込んで、ルネはほの暗い微笑を浮かべる。


「だけどごめんね。私もあんたのこと嫌いなの。弱い癖に勘違いして、自分が特別になれると思い上がってる間抜けな馬鹿が。見てると心底、苛々する」


 ロココは、震え声でルネに尋ねた。

 受け入れれざるを得ない現実が眼前に近づいていたとしても、彼女はまだ認めたくなかったのだ。

 ルネはそれだけ、彼女にとって大切な存在になっていたから。


「私のことが嫌いなんだったら、どうして私を助けてくれたの?」


 馬鹿ね。持ち上がったルネの口角には、そういうニュアンスが含まれていた。


「考えてもみなさい。才能のない普通はすぐに折れてさっさとどこかに行っちゃうでしょ。それじゃつまらない。もっと苦しんで欲しいのに、あっさりいなくなられたらつまらない。だから……」


 恍惚としながら、詩を吟ずるようにルネは語る。

 まるで種明かしの『この』瞬間が、待ち焦がれた至福の時であると言わんばかりに。


「……救いをあげたの。四面楚歌でも、万年無能でも、一人それを許してくれる誰かがいたら、人間、耐えられちゃうものでしょう? だから、味方のふりをして救いを与えた。絶望より残酷な一握りの希望をね」

「そ、そんな……」

「でも、駄目ね。何を言い出すかと思ったら、魔法がどうのこうの……」


 がつがつと、背中からロココを蹴飛ばすルネ。

 その一撃一撃に、華奢なロココは悲鳴を上げる。


「あぐっ、うぐっ!」

「田舎育ちの馬鹿なあんたでも知ってるはずよ! 魔法使いが、世界全体で百人もいないってこと! そして、その誰もが超一流のエリート! 当然よね。超常現象を起こせるなら、どんな仕事だってよりどりみどりだもの! 当然、私たちのような底辺職に関わる必要があるはずないわ!」


 痛みに耐えながら、ロココは思う。

 そうか、ルネも自分の言うことを信じてくれなかったのか。

 でも、それも仕方ないのかもしれないな。

 だって先に自分を騙していたのは、ルネの方だったんだから――――と。


「その魔法使いが、よりにもよってあんたに? 側溝のチワワに力添えしようって言い出した? 冗談にしてもレベルが低いわ!」

「……私は、別に嘘なんて……」

「ああ、あんたの中では真実になっちゃってるのね。可哀想に。そんなことだろうと思ったけど!」

「あぐっ……!」

「だったらもう、壊れるのも時間の問題ってところかしら! そういうことよね! だから今日こうして呼び出して、全てを明かすことにしたのよ!」


 そこで一旦、ルネの攻撃が止んだ。

 ロココがそっと顔を上げると、ルネの吐き出した唾が彼女の顔にちょうど落ちてきた。


「明かす前に壊れちゃったら、折角のカタルシスが台無しになっちゃうもんね?」

「……全てを明かして、それからどうするの……」

「あら、そんなことも分からないほど馬鹿だったの? じゃあ教えてあげる。まずはこれから好き勝手にいたぶって、あんたのことを壊す! 冒険者なんて二度と目指せないような体にしてやるわ」


 もっとも元から、冒険者というには明らかに弱すぎたけど。

 そう言って、ルネは肩をすくめた。


「それで自分の体がどうなったのか、あんたによーく理解させて……表情をじっくり楽しんでから……そうね。殺してもいいけど、知り合いの人さらいに売り飛ばしてもいいわね」


 ロココの顔を品定めするように、ルネは指で細やかになぞる。

 ロココが背筋が凍るような感触を覚えたのは、きっとくすぐったかったせいではない。


「あんた、見た目だけはいいんだから。たとえ半身不随になったとしても、欲しがる物好きくらいはいると思うわ」


 見た目だけはいい。それはロココ=フラゴナールに対して投げかける言葉において、最大限の侮辱だった。


「あんたも馬鹿よね! それだけ綺麗な顔をしてるんなら冒険者になろうだなんて考えずに、大人しく適当な男を引っかけて嫁いでれば良かったのに」

「……」

「シノワズリ・ブーシェにかぶれただかなんだか知らないけど、下らない願望のためにここで人生終了する羽目になるなんて、本当無様ったらありゃしないわ!」


 それはきっと、正論以外の何者でもない。

 ロココだって、そんなことは旅立つ前から百も承知だ。

 自分が向いていないことなんて分かった上で、それでも冒険者になりたくて、ロココはこの道を選んだのだから。

 だけどその道は、今まさに絶えようとしている。


「さ、そろそろお別れのお祈りでもなさい。何か言いたいことでもあったら聞いてあげるわよ」

「……っ!」


 眼前に迫る死に、動悸が激しくなる。

 血流が全身を脈打つように巡り、意識が急激に活性化して――――ロココは、瞬間的に走馬燈を見た。

 過去を一瞬で想起して、ロココはついに思い出す。

 立派な冒険者になって自分が何をしたかったのか。

 何をしたいと思っていたのか。




 ロココ=フラゴナールが冒険者を目指した理由。

 第一にシノワズリに認めてもらい、肩を並べられる存在になりたかったということ。だが決してそれだけじゃない。

 あのとき自分は盗賊に襲われ死に瀕していた。生き残ったのはシノワズリのおかげだ。

 だからシノワズリがそうしたように、いつか自分も誰かを救える人間になりたいという、献身的目標も確かにあった。

 それだけじゃない。昔から体が弱かったから、元気に村を走り回れる同年代の子供が羨ましかった。強い冒険者になれば、たくましく戦うことができるようになるだろう。手段と目的が逆転している気もするが、そういう願望も無視できない。

 それに、一度この道で行くと決めて時間を費やした以上、今更別の道になんて進めないという、サンクコスト効果的側面もあった。これは正直、本来なら一番どうでもいいことだけど。


 つまりは全部。全部だ。

 脳裏に浮かんではあぶくのように弾ける願望の一つ一つ。

 どれか一つが際だって大切なわけじゃなく、全てが大縄をなす一本一本の紐のように、重なり合って夢を形作っているのだ。

 そしてこれだけ沢山の理由がある以上――――ただ人の力を借りたというだけで、全部が台無しになるわけじゃないのに。

 なのに自分は。自分の才能だけで達成することに固執して、今の顛末を招いてしまった。


「……私は……馬鹿だ……」

「え? 今更何言ってるの?」

「……大事なことがなんなのか……こんなところになって気付くなんて!」

「!」


 悔しい。

 差し伸べられた手をはねのけられるほど、今の自分に余裕なんてないということ。

 ちゃんと分かっていたはずなのに、どうして愚直になれなかったのか。それが悔しくてたまらなかった。

 もしあのとき、マニエリの提案に乗っていれば、妥協しながらも夢に近づけていたのかもしれないのに。


 だが過ぎたことを悔やんでも仕方がないということを、彼女はよく知っていた。

 だから今やるべき事を、しっかり見据えてやらねばならない――――。

 そう思ったとき、不思議と体の奥から力が湧いてきて、気付けば彼女はルネに向き合うように立ち上がっていた。

 滅多打ちにしたはずのロココがおもむろに立ち上がったことに驚いたルネは、一瞬だけ反応が遅れて立ち上がるのを許してしまう。

 だがすぐに、吹き出すように息を吐いてゲラゲラ笑った。


「ぷっ……あはは! そうだったわね! 何にも才能がないと罵倒されてたあんたにも、一つだけ冒険者向きの才能があったわね」


 笑ってはいるが、ルネの気迫は張り詰めている。

 一切の隙も見当たらない。ロココは上級冒険者の実力の高さを改めて痛感した。

 少しでも逃げる素振りを見せれば、すぐにナックルダスターによる本気の一撃を食らうことになるだろう。今までのものとは訳が違う。

 ロココは聞いたことがあった。ルネが過去に拳一発でお化け熊や人食い鮫を撃沈したという話を。

 もしそれが本当なら、生身の人間であるロココがそのパンチを耐えられる理由などない。


「あんたのたったひとつの冒険者適性、それは持続力! 体力だけは無駄にあるから、一日中ネズミを追いかけ回したってへばらないのよね」


 そう――――ロココは体力だけは人並み外れて優れていた。

 元々低出力なだけに低燃費で、それに重ねて二年間ひたすら長時間労働を続けていたせいで、スタミナだけは延々成長し続けたのだ。


「まあ仕留められないんじゃ何の意味もないけども」

「……ありがとう、褒めてくれて」

「褒めて? 馬鹿にしてるのよ! 一応人並み以上の体力があるのに、他の全てが駄目駄目の駄目だから何にも活かせてない! こんな滑稽なことが他にある? 今だってそうよ」


 両手のナックルダスターを打ち鳴らし、ルネはロココを威嚇する。

 脅しているというより、遊んでいるように見えた。


「死力を振り絞って立ち上がったのは褒めてあげるわ。だけどそれでおしまい。抵抗する強さがないから戦えばすぐに死んじゃうし、逃げ切る足の速さもないから、森へ飛び出してもすぐに追いつかれる。結局あんたは、ここで終わる定めなのよ!」


 これも事実だ。

 ロココ自身、今の状況から逃げ切れる気などまるでしない。

 ただでさえルネと自分との実力差は万事において激しいのに、今の自分は全身を殴打されていて著しく体力を消耗している。こんな状態では、ルネに対抗することなんてできるはずがない。

 だからって何もせずに終わるなんてことはしない。

 何はなくともとりあえず抗ってみるのが、ロココ=フラゴナールの生き方だから。


「……定めなんて、答えが出てからしか分からない。結果が出ていない段階では、どれだけ絶望的だろうと私は足掻く!」


 そうやって今までも生きてきた。

 だとしたらこれからも貫いてみせる。

 ロココのそんな毅然とした態度に、ルネはあからさまに不快感を示した。

 激しく打ち鳴らされていたナックルダスターの音が止む。

 ルネの顔が、醜悪にねじ曲がる。


「なにそれ……酔ってんの?」


 ルネは我慢ならない様子で足下に痰を吐き捨てて、それから勢いよく飛び出した。


「青臭いことを……私の前で、そんな青臭いことを言うんじゃないわよ!!」

「っ……!」


 腰の入った、ルネの本気の一撃が迫る。

 逃げようとしたロココだったが、ここに来て体が悲鳴をあげて、その場でよろめいてしまう。

 躱しきれない。もろに食らってしまう。

 駄目だ。間に合わない、このままだと死ぬ。

 はっとして、思わず目を閉じそうになるロココ。それすら間に合わない。


「……うっ!」

「……」

「…………」

「……」


「――――あれ?」


 ――――だが、ルネの放った一撃はロココの体に激突しながら、彼女を一切傷つけなかった。

 腹部に当たったルネの拳は、殴ったというより添えられたかのような優しい感触だけをロココに残す。

 そのまま腹肉をえぐり取ろうとするも、全く届く気配もない。

 ルネは困惑していた。それ以上に、ロココも困惑していた。

 ルネの本気の鉄拳を受けたはずなのに、どうして自分は今もぴんぴんしているのだろう。


「ど、どうなって……この!」

「!」


 次の動きは明確に習熟度の差が出た。

 ロココは動けない。

 しかしルネは、分からないままに間髪入れず首目がけて蹴りを放つ。

 困惑しきっていたロココは、もろにその蹴りを食らってしまう。

 しかし、効かない。

 首筋にルネの靴が突きつけられているのに、ロココは微動だにしなかった。

 当たっていないとか、寸止めされているとかではなく――――間違いなく爪先が触れているのに、痛みを全く感じないのだ。

 その理由に、ロココはひとつだけ心当たりがあった。


「何がどうなってるのよ! ああもう、死ねっ!」


 ロココの顔面目がけて、捨て鉢になったルネの拳が迫る。

 ロココは咄嗟にそれを右手で受け止めた。

 岩を砕き、熊を一撃で昏倒させるルネの渾身の突きが、ロココの細腕に受け止められてしまったのだ。


「な、なによこれ。何がどうなってるのよ」

「……」


 ロココは、そっとルネの体を左手で小突く。

 すると。


「―――――はうっ!?」


 ルネの体は、大砲に詰められた砲丸に勢いよく飛び出し、あばら屋の壁に激突した。


「な、何がっ……どうなってるの、よ……!」


 口から血反吐を吐き、その場で悶えるルネ。


 ロココは、この感覚を知っている。

 突然今までの何倍もの力が体の中から湧いてくるその感覚を。


「……こ、これは……」


 いよいよ確信を強めるロココの耳に、どこか遠くから拍手の音が届いてくる。

 それは段々と近づいて、やがてドアが勢いよく開け放たれると同時に、拍手の主が姿を現した。


「素晴らしい。素晴らしい啖呵でしたよ、ロココさん」


 極彩色のジャケットを羽織った、涼やかな空色の瞳を持つ男。

 マニエリ=ヴァザールだ。





「……やっぱり、いたんだ」

「何者……? いつからそこにいたの?」


 呆れ半分、安堵半分で、マニエリの様子を窺うロココ。

 一方ルネは、思わぬ来訪者の出現に狼狽して、焦り混じりにマニエリを睨み付けた。


「邪魔立てしにきたってわけ? だったらまずあんたから殺すわよ!」

「さて、どうです? 今でも考えは変わりませんか?」


 しかしマニエリは、ルネを一切気にとめず、ロココの方を見てにこやかに話し始めた。


「……考えって」

「まだ僕の魔法を借りるのをよしとしないか、ということです。不躾ながら、今し方勝手に魔法をかけさせていただきました。そうしないと、死ぬところでしたからね」


 やはり突然不自然に強くなったのは、マニエリの手によるものだったのか。

 ロココは合点がいった気分だった。


「まあ、そんなところだろうと思ってたけど……」

「それで体験してみてどうでした? 攻撃面だけでなく防御面でも、僕の力があれば貴女は最強になれる」

「……」


 確かに最強にはなれるだろう。

 だがそれは、ロココでなくてもいい話だ。

 ロココには、他の誰でもない、自分でなければならない何かというものがないのは、やはり心持ち残念に思えた。

 だけど、そんな贅沢を言ってられるほど自分の状況に余裕がないということも、今回の出来事で思い知った。

 ロココのような弱い人間は、強者のほんの気まぐれで、簡単にその未来を摘み取られてしまう。

 だったら、力を借りることにもはや何のためらいもない。


「とりあえずルネさんを倒すまでは、そのままでお願い」

「はい、分かりました。では全方位にまんべんなく強くなった新生・ロココ=フラゴナールをどうぞご堪能下さい」


 恭しくお辞儀をするマニエリ。

 ロココがルネに視線を移すと、いつの間にか彼女はどこからか持ってきた大斧を手にして青筋をひくつかせていた。


「クッソ下らない茶番を見せられた気分だわ……!」


 激しく下を打ち鳴らしながら、ルネはロココに近づいてくる。

 荒々しい足音が、静かなあばら屋に響き渡る。


「何が魔法使いよ! 何が最強よ! 妄想アベックは二人まとめてぶっ殺してやるわ!」


 妄想だと思い込んでの怒りか、妄想だと思わずにはいられないからこその怒りか。

 ともかくそういった衝動に任せて、ルネは大斧を振り下ろす。

 だが、応戦して振りかざされたロココの短刀によって、それはあまりにもあっさりとはじき飛ばされてしまった。


「……~~~!!」


 吹き飛んだ斧が壁に刺さった。

 ルネは再び、至近距離でロココに殴りかかる。


「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! 認めないわ、こんなの!」


 ロココはルネが振りかざした拳一つ一つを、その場を動かずあっさりと受け止めていく。


「これじゃ、まるで! まるで!」


 やがてルネの方がばててきて、攻撃が散漫になっていく。


「――――本当に、魔法使いがあんたに味方したみたいじゃない!」


 そのタイミングでロココがルネの肩を軽く叩くと、ずしんと深い音がして、ルネは沈むように腰を抜かした。


「……なんでよ。――――なんで、そんな雑魚に味方するのよ!」


 背後から見守るマニエリを見ながら、ルネは掠れた声で叫ぶ。


「魔法なんて、そんな都合の良いもの持ち出されたら勝てるわけじゃないじゃない! 理不尽よ、こんなの!」


 マニエリは軽く頭を掻いてからそれに答えた。


「でも彼女は、ずっとそんな理不尽に耐えて戦ってきたんですよ。生まれ持った才能という、残酷なまでに都合の良い理不尽にね」

「……!」


 言葉を失うルネ。マニエリは肩をすくめて、改めてロココに向き直った。


「さあ、これで後は貴女の思うがままですよ。煮るなり焼くなり、好きなようにしてやってください」

「……しないよ、そんな酷いこと。借り物の力でそんなことやったら、私がただの悪い人みたいじゃん」


 ロココはおもむろに、ルネの前にしゃがみ込んだ。

 そしてどことなく憐憫の籠もった声で、静かにルネに語りかける。


「ルネさん」

「……何」

「きっとルネさんにも、辛いことがあったんだと思う」


 そんな言葉をかけられるとは思っていなかったのか、ルネの目が丸くなった。


「ちょっと……やめてよ」

「私には、ルネさんの気持ちは分からないけど……」

「やめてって、言ってるでしょ」

「……ルネさんがここまでしてしまうってことは、きっと」

「あんたが……みっともなくて弱っちいあんたが……」

「でも、こういうことで鬱憤を晴らすと、ルネさんが幸せになったのの何倍も傷つく人が出てしまうから」

「いつも私にべったりで、私に頼り切りだったあんたが……」

「こういうことは、私で終わりにして。約束してくれたら、私はルネさんに何もしないから」


 たまらなくなって、ルネは顔を手で覆った。


「私を、哀れむような目で見ないでよおおお……!」


 ルネはその場にうずくまり、芋虫のように縮こまった。

 そんな彼女の様子を見て、ロココは静かにため息をつく。

 かつて尊敬していた人が、こんな風になってしまったのは、ロココにとってもあまり気持ちの良いものではなかった。


「これだけ、返してもらうね」


 ロココは、ルネの手首からシノワズリの腕輪を抜き取り、自分の手にはめ直した。


「……それじゃ、さようなら」


 そしてロココは廃屋を後にして、町へと戻っていく。

 マニエリも後ろから、それに続いた。



 森の中を抜けながら、ロココはマニエリと少し会話をした。


「いくつか、確認させてもらっていいかな」

「はい、なんなりと」


 我ながらなんて馬鹿馬鹿しい質問だろう。

 そんなことを考えながら、ロココはマニエリに背を向けたまま問う。


「この強化は、貴方が魔法をかけたときにしか機能しないんだよね?」

「ええ。ただ、貴女が望むならいつでも、僕は貴方にこの魔法をかけにはせ参じましょう」

「……別の冒険者を気に入って、私と縁を切る可能性はある?」

「決してありません。貴女は僕にとって理想の人です。

「この魔法を私にかけることで、私に何か呪いのようなものがかかったりする可能性は?」

「貴女の未来を奪うようなペナルティは、一切存在しません」

「対価のようなものは」

「一切発生しません」

「……ははっ」


 ロココは思わず笑った。

 マニエリの存在が、あまりにも自分に都合が良すぎるものだったから。


「なにそれ。まるで神様が私に味方してくれているみたい」

「本物の神様が貴女に味方してくれなかったのだから、僕くらい味方したっていいでしょう」


 そう言って、マニエリはくすりと笑った。


「もっと色んな道があるはずの魔法使いさんが、よりにもよって私を助けてくれる理由、ずっと分からなくて、だから気持ち悪かったんだけど……」

「言ったでしょう。僕は面食いなんです。華奢で、できないことをできるようになるために無謀でも必死に頑張り続けるような人が」

「!」

「だから僕は、それを応援したかった。ただそれだけなんですよ。それだけでいいんです。人の行動原理なんて」

「……なにそれ」


 ちょうどよく森を抜けて、町の灯火がすぐ側に近づいてきた。

 ロココは足を止め振り向いて、マニエリに向かって笑顔を見せた。


「それって、面食いとは言わないよ」




 次の日の夕方。

 部屋のベッドに寝転がっていたロココの元に、マニエリが訪ねてきた。


「こんばんは、ロココさん。今日は珍しくお休みですか?」

「……」


 押し黙るロココを無視して、マニエリは手近な椅子に座った。


「ルネ=アリオストは、どうやら昨日の朝一番にこの町を出たようです。ギルドの名簿からも名前を消していました。相当、昨日のことがこたえたんでしょうね」

「……」

「彼女は、貴女のように向上心の強い冒険者でした。昔は都会のギルドに所属していたようで、その頃は精力的に活動してきたと聞きます」


 ルネがロココに過去の話をしたことは一切なかった。

 それだけ自分に心を許していなかったのかと、ロココは少し悲しい気持ちになった。


「しかし実力者犇めく都会では彼女程度の冒険者は腐るほどいます。一山いくらに埋もれるのが嫌で、彼女は都を出てこの地方都市にやってきた。だけど、そこにも自分を上回る存在がいて、一番にはなれなかった……」

「だから、私を見るとかつての自分を見ているようで気にくわなかったってこと?」

「それもあるでしょうし、下を見て安心していた側面もあるでしょうね。はい、リンゴどうぞ」


 全部が全部、貴女に対する直接の悪意ではなかったと思いますよ。

 そう言ってマニエリはロココにリンゴを投げた。

 リンゴは明後日の方向に飛んでいき、床の上に転がった。


「歪んだ優しさでしょうけど、面倒を見てやろうという気持ちも少なからずあったと思いますよ。結局極まって殺人未遂に至った以上、何の気休めにもなりませんがね」


 遠くでカラスが鳴いた。

 窓から差し込んでくる夕日を見ながら、ロココはむっすりとふくれた。


「そう。まあ、それはいいんだけどさ」


 マニエリがロココにみかんを投げた。

 みかんはロココの顔に当たって、ベッドの上から転がり落ちた。

 ロココの目は、石のように冷え切っていた。


「ところで、朝から体が動かないんだけどこれはどういうことなのかな?」


 マニエリはしばらく黙った。




 夜が明けてから、ロココはベッドの上から一歩も動けなくなっていたのだ。

 少しでも体を動かそうとすると、酷い筋肉痛が全身に広がって、悶絶する羽目になる。

 働き者の彼女が今日部屋を出なかったのは、それが全ての原因である。


「……どういうことって、反動で筋肉痛になったんじゃないですか? それなりの強化魔法をかけて体に無理をかけましたからね」

「……ちょっと待って。強化魔法ってノーリスクじゃないんですか」

「基本的にリスクはないはずなんですが……よっぽど身体能力が低ければ、負荷の影響で体が多少の悲鳴を上げる可能性はあります」


 多少ってものじゃないぞ。そんなロココの視線も、マニエリにはどこ吹く風だった。

 彼はロココを一瞬じっと見つめてから、馬鹿にしたような笑顔で彼女の肩を叩いた。


「は? ちょっと、話が違――――」

「僕は一目見ただけで相手の身体能力を見抜けると言いましたが、訂正します。貴方の身体能力の底は読めませんでした。まさかここまで酷いとは。賞賛を贈ります。すごいすごい」

「そんなこと今更訂正されても困る!」


 神様だなんだと昨日は言ったが――――ロココは内心で認識を改める。

 この男は、神は神でも邪神の類だ。でなければ悪魔だ。


「うわー! 騙された! やっぱり強化魔法なんかに頼るべきじゃなかったんだ――――!!」



 ぼろぼろの冒険者寮に、ロココの嘆きが響く。

 これが、やがて偉大な英雄として世界に名を馳せることになる女冒険者ロココと、それを支えた魔法使いマニエリの、始まりのエピソードとなることを――――今はまだ、誰も知らない。

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