始まりの終わり
●10月初旬 日本
最近は様々な会合への出席や、社内での会議に追われて深夜まで業務が続くことが多かった水沢であるが、その日は偶々《たまたま》日付が変わる前にベッドに入ることができた。
しかし、その貴重な睡眠時間も電話の音で中断されることとなる。
水沢は眠気が完全には取れないまま、努めて不機嫌さを出さないようにしながら電話に出た。
「はい、もしもし水沢ですが……」
「やあ、こちらは川崎だ。その様子だと私が一番に連絡したようだね」
電話の相手は、ネットTV局の社長を務め、水沢たちの会社の社外取締役でもある川崎からであった。
「こんな時間に何の御用ですか」
「先ほど本年度のノーベル生理学・医学賞の発表があったんだが、それが君たちの会社の設立者3名に決まったんだ」
その言葉を聞いても、水沢には疑問しか浮かばなかった。
「ノーベル賞というと、あのノーベル賞ですか?」
「うむ、そのノーベル賞だよ」
「ご冗談を。私は医師でも医学博士でもありません。もちろん、医学論文を書いたこともありませんよ」
川崎はやれやれという風に苦笑した。
「君は自分の成果を過小評価しているようだね。君が世界に先駆けて発表したダンジョンを用いた若返り法の功績は多大なものがあるのだよ」
「確かに、海外を含めてマスコミから注目を集めていたのは認めます。しかし、あれは学術的な研究とは程遠いものです。あれはいわば、落ちていた石を拾ったら、それが偶然宝石の原石だったような幸運の産物にすぎません」
「なに、石ころが宝石の原石であることを見抜く目も才能のうちさ。まあ、君たちがノーベル賞を受賞したのは事実だ。ダンジョンこそが人類最後の不治の病『老化』に対する治療法だと、あちこちで言いまわった責任を取るんだね」
「ああ、君が医学博士ではないことは気にしなくてもいいよ。ノーベル医学賞の受賞者ともなれば、どこかの大学から名誉博士号くらいは送られるだろうからね」
「さて、話はこのくらいにしておこうか。もうすぐ、君たちの家にマスコミが押し掛けるだろうからね。もちろん、私のTV局も君たちのコメントを取りに向かっているよ」
そこで、川崎は口調を真面目なものに変え、水沢に賛辞を送る。
「改めて言わせてもらおう。ノーベル生理学・医学賞受賞おめでとう」
◇◇◇
それからは、会社の経営以外に、ノーベル賞の授賞式や、ダンジョンサービス法案の諮問委員会の会合など様々な行事に追われる日々が続いた。
幸い、ノーベル賞受賞の実績もあって、ダンジョンサービスの健康保険適用については、総理や高浜厚生労働大臣から、前向きな回答を得ることができた。
ノーベル賞記念講演を終えた後、水沢たちは久しぶりに3人で落ち着いた時間を持つことができた。
水沢たちは社長室で雑談に興じていた。
その場で、水沢はポツリと呟く。
「さて、これでダンジョンサービスもひと段落付きましたね。次は何をやりますかね」
その言葉に伊吹が不思議そうに首をかしげる。
「まだまだ、会社を大きくするためにはやることはいくらでもあるじゃろう」
「確かにダンジョンサービスは、まだ始まりが終わったにすぎません。しかし、それは同時に終わりの始まりでもあります。今はまさにダンジョンブームです。このブームに乗っていれば企業を大きくするのは比較的容易い。しかし、このままダンジョンサービスだけに注力していれば、いずれ過当競争でバブルが弾ける日が来るでしょう」
「バブルが弾ける時まで企業を大きくし続けることは、誰にでもできます。私たち経営者が考えるべきことは、そのバブルが弾けた後何をするかを考えることです」
その言葉を聞いて清美が嬉しそうに頷く。
「つまり、新しい事業が必要ってことよね。それならモンスター肉の精肉事業を……」
「まだ、諦めとらんかったのか」
その時、秘書が急いだ様子で部屋に入ってきた。
「社長、ダンジョンの次の階層への門が突如現れたそうです。どのような対応を取るかご指示をお願いします」
その言葉を聞いて水沢はにやりと笑みを浮かべる。
「どうやら、次に何をすべきかのヒントが向こうから現れたようですね。ヒントは自分自身で現場に行かなければ掴めないでしょう。さあ、冒険の始まりですよ」
そう言って、水沢は立ち上がると、ダンジョンに向かって歩き始めた。
この小説はここで一端完結とさせていただきます。
私のつたない文章にお付き合い下さりありがとうございました。
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