プロローグ あの満月に永遠の禁煙を誓います。
「やべぇマジでタバコが吸いたい・・・」
俺の名前は田場浩矢。タバコをこよなく愛するニコチン中毒者だ。三度の飯よりタバコが好きだしタバコについての知識なら右に出る者はいない。
それほどタバコを愛してやまない俺だが、悲しきかな、現代社会は空前の禁煙ブーム。タバコの値段はどんどん値上がりするしタバコを吸えるスペースも日に日に減っていく。飲食店はもちろんのこと、電車や飛行機の中でタバコが吸えたあの時代に生まれたかったと何度後悔したことか。
そんな愛煙家の俺だが、つい先日の飲み会でこんな出来事があった。
19時半、俺は池袋のとある居酒屋で一人の女と待ち合わせをしていた。彼女は俺の唯一の居場所であるトゥゥイッターで知り合った2つ年下の人物だ。会ったことはなかったが、幾度となく電話をし、顔写真を交換し、そしてついに今日!会うこととなった女性だ。
待ち合わせ場所に到着した俺は彼女を探した。すぐにわかった。会ってみてわかったことだが、彼女は身長が小さい。小動物のようだ。美人というよりも愛らしい見た目をしていた。
女が外れじゃないことにひとまず安心し、「なんだかこうやって実際に会って話すと緊張するね(笑)」などと他愛もない会話をしつつ、予め予約しておいた居酒屋へと入店する。
俺は呑んだ。
とにかく呑んだ。
普段女との縁がまるっきりない俺は女に耐性がなかったのだ。
そして酔っ払って調子に乗ってしまった俺は、有ろう事かその女相手に欲情してしまったのだ。いや、最初から欲情していたのかもしれない。酒によりほのかに赤くなった頬、GOOD。次第に乱れていく髪の毛、GREAT。さらにこの女、前日に「もしかしたらあなたの事が好きかもしれない・・・えへへ、冗談だよ」などと甘言をのたまっていた女だ。EXCELLENT。行ける。絶対行ける。
そう思った瞬間、体内でくすぶっていたアルコールが脳みそに向けて全力疾走を始める。最後のストレートで驚異的な脚力を見せるウサイン・ボ○トも思わずその場で立ち止まり笑顔で拍手をしだす勢いだ。そしてアルコールがゴールテープを切った時、俺の理性は音を立てて崩れ落ちた。この女を抱きたい、襲いたい、そんな本能の躍動を抑えきれなくなった俺の理性はその職務を放棄したのだ。
「ねぇねぇ女ちゃん。ちょっとこっちおいでよ」
俺は隣でコークハイを呑んでいるターゲットに先制攻撃を仕掛ける。暖色のライトが薄暗く灯るオシャレなバーで一人佇むシルクハットを被ったミステリアスな探偵を演じきった。完璧だ。寸分違わずターゲットの急所を突いたはずだ。
モブ女「え・・・。田場くんちょっと臭いから無理・・・。」
悲しきかな。あれほどたぎっていたはずの血液の脈動がスーっと冷めていくのがわかる。あれ、どうしよう、背中が冷たい。
「あはは、ごめん(笑)タバコ吸いすぎちゃったかな?(笑)」
皆は忘れていたかもしれないが、そう、俺は愛煙家だ。この飲み会の際にも既に5,6本は吸っていた。ただ、ただ、問題はそこじゃない。違うんだ。ええい、もうどうにでもなれ。何を隠そう、俺はワキガだ。軽度だ。軽度だと思いたい。
俺は信じたくなかった。「え・・・。田場くんちょっと(タバコ)臭いから無理・・・。」ならまだ救いはある。問題は、「え・・・。田場くんちょっと(ワキガ)臭いから無理・・・。」という旨の発言だった場合だ。男として、いや、人間として凄まじい敗北感と劣等感、羞恥心に苛まれてしまうだろう。
結果、俺は逃げたのだ。タバコという予め張っておいた予防線に逃げてしまったのだ。
わかっていた。思い返せば今日の俺は緊張して普段より多めの汗をかいていた。普段愛用しているデオドラントのキャパシティーを超えてしまっていたこと。タバコは分煙された喫煙所で吸っていたこと。わかっていた。ただ、俺は認めたくなかった。男として。一匹の狼として。自分が臭い事実を認めたくなかった。
無論、女とは何もせずに別れた。
綺麗な満月が照らす帰り道、僕は泣いた。一人声を殺して泣いた。
臭いと言われたことがショックだったからじゃない。いやもちろん相当のショックだったが、問題はそこじゃない。俺は愛煙家を名乗っている身でありながら、我が身可愛さ故にタバコを免罪符にしてしまったのだ。タバコに申し訳なかった。ただただ、タバコに申し訳なかった。
涙で月が滲んで見えた。滲んだ月は、僕と一緒に泣いているように見えた。
そして俺は決意した。
「俺、タバコやめるよ。」
「タバコに逃げない強い男になってまた帰ってくる」
「だから待ってて」
そう強く決意した。
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「やべぇマジでタバコが吸いたい・・・」
あれほど強く誓ったはずなのに、俺は性懲りもなくタバコのことを考えていた。今現在、禁煙を始めてから2日と7時間。禁煙は三日目が一番辛いと聞く。それは本当だった。生活のルーティンワークとなっていたタバコが無くなっただけで、僕の心は荒野のように朽ち果て、四六時中タバコのことを考えることしか出来ない悲しきモンスターへと姿を変えてしまった。
「うう・・・タバコ・・・タバコが吸いたい・・・」
俺の心は禁煙と喫煙の狭間で激しく揺れ動いていた。だがしかし、徐々に、そして確実に、ニコニコと笑うニコチンの悪魔が俺の脳みそを支配する。
───別に禁煙とかやめればいいじゃん(笑)
───今吸ったら楽になれるよ(笑)
「違うッッ!俺はあの日禁煙を誓った!強くなって戻ってくると誓ったッッ!!」
───誓った?(笑)一体誰に誓ったっていうの?(笑)
───神様に?(笑)神様なんてこの世界には存在しないのに?(笑)
「違うッッッッ!!!俺はあの日、月に、俺と一緒に泣いてくれたあの綺麗な満月に…!!禁煙を誓ったんだッッ!!」
───そう?貴方が一方的に誓いを押し付けたんじゃなくて?(笑)
「違う…!あの日、あの月は俺と一緒に泣いてくれたッ!!」
鉄よりも硬い意志で、ダイアモンドよりも硬い決意で俺はニコチンの悪魔を振り払うことに成功した。タバコを吸いたい欲求が次第に減少していく。
「俺は勝ったんだ…。よかった…。ねえお月さま、僕、ちゃんと守ったよ。貴方との誓い、ちゃんと守ったよ!!」
そう呟きながら、満足げな顔で夜空を明るく照らし出す満月を見上げる。
その日は半月だった。
僕は全てがどうでも良くなり、コンビニへと走り、ラッキーストライクのソフトをカートンで購入した。
「ぷはぁ~~~。きんえんごのおたばこはおいしいでしゅね~~~!」
禁煙の呪縛から開放された俺はタバコを骨の髄まで味わった。久しぶりのニコチンで頭がクラクラするが、それすら心地よかった。神なんていない。誓いなんて関係ない。俺はワキガの愛煙家だ。柵から開放され、数十時間ぶりの至福のひとときを堪能した。
最後の一口を吸い終わり、水を入れた空き缶に吸い殻を投げ込む。
────────刹那。
視界がブラックアウトし、後を追うように聴力、嗅覚がその機能を失う。まるで無重力空間に放り込まれたかのような、今までに経験したことのないレベルの目眩に襲われる。キィィンとけたたましく鳴り響く耳鳴りがうるさい。
「一体何だって言うんだ・・・!!」
そうやって耐えていると、次第に耳鳴りが遠のいていくのがわかった。そして足には大地を踏みしめている感覚が戻り、真っ暗になった視界も次第に光を取り戻す。すぐに病院に行こう。そう決意して目を見開いた先に広がっていた光景は、想像を絶するものだった。
辺りは一面が緑色、木々が生い茂り、爽やかな風が髪の毛をなびく。呆然と立ち尽くすしか出来ない僕を知り目に、小鳥たちは優雅に歌を歌っていた。悪い夢だ、もしかしたら俺は死んでしまったのかもしれないな、はは。などとこの状況から目を逸らそうとするが、あまりにもリアルな質感で肌にまとわりついてくる空気に、否が応でも「ここが現実である」という認識を叩きつけられてしまう。僕は声の限り叫んだ。カラオケで紅を歌ったあの日より、大失恋をして泣きじゃくったあの日より、母親のお腹の中から生まれてきたあの日よりも、大きな声で叫んだ。
「一体何だって言うんだああああああああああ!!!!!!!!」
第一話・完。