旦那様は思う
「もうお前、歩く兵器とでも改名したらどうだ」
呆れた様子で王が神官長へ言う。しかしそれも仕方がないことだろう。
神官長が微笑めば、どこかで何かが倒れる音がするのだから。
「イヤよ、そんなの。でもおかしいわねぇ」
「何がだ」
「神殿に居るときはせいぜい皆さんお顔をほのかに薔薇色に染めるだけなのよ?どうして街を歩くとこうなのかしら」
それはおそらく、お前に神殿の人々は慣れているからだと思うぞ、とは言えない王は、先程の花屋で倒れてしまった女性や、道中、神官長の艷やかな笑みにふらついてしまった男性やら女性やらへ申し訳ない、と心の中で謝る。
ちなみに、花屋の女性へはしっかりと他に人を呼び、少し多めに花代を置き、騎士団へ連絡しておくなど、できるだけの対応はした。
「今日のデートも被害者を増やすだけだから行かないでほしいって部下に言われたのよね。あの子にも、今更だけど絶対に笑うな、って言われたのよ」
ヤキモチかしら?と嬉しそうに語る神官長の姿に、王は頭の中身が花畑、いや、メープルファッジで出来ているのではないだろうかと、半ば心配になった。
「……もうお前が手遅れだというのはよくわかった。特にあの方に関しては本当に使い物にならなくなるのだな」
「ねぇ、なぁに?その言い方は。まるでアタシが今は使い物にならないみたいな言い方は。ねえ、なあに?」
スッと細められたトゲのある視線から逃れるように王は顔を背けた。
背けはしたものの、やはり言わなくては伝わらないということを王はここ数日で身にしみるほど学んでいる。
だからこそ、王はぽつりと神官長への反論をこぼした。
「事実だろう」
「ええそうね。たしかにアタシはあの子のことに関してはすこぉし、冷静さを失ってしまうみたいなのよ。けれど……シュバリエに言われると、とぉっても、イヤな気分になるわ」
あなたも人のことを言えないのよ、とサジェスは楽しげに言うと、それに、と言葉を紡ぐ。
「あなた、優しすぎるのではないかしら」
「私が、か?」
「ええ、本来なら、いくらアタシとシュバリエが学友だったからと言っても、今みたいに気楽に話していてはいけないのよ?」
「知っているが?」
解っていてこれじゃあねぇ、と神官長はやや戸惑ったような声を上げた。
しかし、王にとっては神官長の態度に関してなにか言う必要性を感じていなかったから、何も言わないだけなのだ。
学友であるから、対等でありたいから、理由をあげれば沢山あるが、それだけでこのような関係性を築いたわけではない。
まだ先代の王が国を収めていた頃は、神殿側と王家ではあまり良い関係が築けているとは言えない状況だった。様々な人々の思想、権力、財、いろいろなものが絡み合う城と神殿では、どちらがより強い発言力を持つのか、水面下でのあらそいは酷いものであったのだ。
そんな状況を変えたのは、当時はまだ、ただの神官の一人だったサジェスと、聖女となったばかりの少女。
彼らが神殿を少しづつ変えていったからこそ、王は今、王妃の兄に負けぬようにと、それだけを考えることができている――そう、王は思っている。
サジェスが王の思考をよめていれば、王家の、貴族の意思を纏めたシュバリエもまた、すごいでしょうに、と言っていたかもしれないが。
残念なことに、神官長には思考をよむことなどできない。
「まぁいいわ。今この場で話すことでもないでしょう」
はやく次の目的地に行くわよ、と神官長に急かされ、王と神官長は王立公園へと歩みを進めるのだった。
「いつ見ても綺麗よねぇ」
王立公園につき、まず最初に目に入ってきたものは、春の花々が咲き誇る美しい花壇と、広場の中央にある噴水。
噴水はこの国で広く信仰される愛の神、レメディーヌ様を模した像である。
「噴水に描かれている巻き付くような薔薇の彫刻と、噴水を囲うようにして咲くつる薔薇、我が主の好きな花である幻夢の楽園に咲いているといわれるレイトルダンを持ち微笑む我が主のお姿…!何度見ても美しいわぁ」
「よく飽きないな」
「飽きるなんてことありえないわよ」
ほぅ、と蕩けた視線をレメディーヌの像ヘ向け神官長は語る。
神官長がこうなるとなかなか現実に戻ってこないことを知っている王は、しばらく適当に相槌をうち、神官長が現実ヘ戻ってくるのを待つことにした。
「……あの方が白百合を持って微笑んでいる姿と、愛の神のレイトルダンを持ち微笑む姿、実際に見ることができるならどちらがいいんだ?」
しばらく黙って神官長の話を聞いていた王だが、ふとこの友人はどちらを選ぶのだろうかと考えた疑問を、ぽつりとこぼした。
その声を拾った神官長は驚いたというように、口元に手をおき、そして。
「もちろん、我が主よ。アタシはあの子に我が主のお望みをすべて任せるつもりなんてないの」
瞳をふせ、静かにそう言ってわらう、神官長の気持ちが、想いが、言葉の、意味が、王にはその時、わからなかった。否、わかってしまってはならないからこそ見てみぬふりをし、そして、これ以上この話題に踏み込んではいけないのだと、理解した。
「…そうか。神殿内の事に深く干渉することは私にはできないが、何かあったら俺に話せ」
王とて情報網がないわけではない。まぁたしかに、王妃の持つ影のような精度や、幅広い情報をもたらすものではないが。
だからこそ王は、王としてではなく、神官長の友人であるシュバリエとして、話を聞くとそういったのだ。
「少しは気が楽になるだろう…嫌なら別に構わんが」
紡がれた言葉は優しいものだ。その優しすぎる王の言葉へ、神官長は深くため息を吐き、やっぱりシュバリエは甘いわね、と心の中で呟いた。
「気が向いたら、かしらね」
穏やかに、心の中で呟いた言葉を隠す。隠したところでいつかは溢れ、見つかってしまうかもしれないが、そうなるのは今ではないとそう、言い聞かせて神官長は王へと声をかける。
「ほら、さっさとアシュリー様のお好きな花を探しましょう!野花なら摘んでも怒られないわ。もちろん、大切にしなければ我が主の怒りをかうけれどね」
「そうだな。オオイヌノフグリ…青い小さな花だ。ともに探してくれるか」
「もちろんよ。キズが浅いうちに仲直りしちゃいなさい」
もうすでに深い傷をおっているような気がして、王は苦い顔をした。
そんな王の顔を見て、神官長がなんとかなるわよ、と哀れみのこもった声をかける。
「どうにもならないときは、友人として私も協力するから、ね」
明るく、茶化すように神官長はそう言って、青い小さな花を探しに行ってしまった。
一人、愛の神レメディーヌの像がたつ噴水の前に取り残された王は、愛の神の像を見上げ――――愛とはなんだろうな、と幼い頃にかけられた言葉を思い出した。
そんなものはわからないとそう答えたシュバリエに、愛を問うたその人は、わからないと言えればじゅうぶんだねー、と間延びした、したったらずな声でそう笑う。
そして。
『ここでは愛の神様…レメディーヌ、だよね。広く信仰されているでしょう?教会では"愛"は相手を慈しみ、愛しみ、相手をおもう心。大切にすることも、かわいがることも、ここに含まれるね。そしてレメディーヌ様は信奉者をみな等しく愛してくださっている……だから日々感謝を持ち、祈りを捧げなければならない』
そう教えられるけれど、私は、この考え方とは少し違うんだ。
でもね、ほんの少し違うというだけで人はその人を受け入れがたく感じたり、受け入れられなかったり、それを悪いことだと考えたりする。
嫌なものだよねぇ、とおおらかに、楽しげに呟いてその人はシュバリエの前から姿を消した。まるで最初からそこには誰もいなかったかのように。
「なぜその言葉を私にかけたのかはいまだにわからないが」
今、同じ質問を問われれば、おそらくシュバリエの答えは違うだろう。
誰かと神官長。
「回想シーンで長々と愛について語らないでもらえないかしら」
「それはむずかしいなぁ〜っ!」
「…っ!」
「あれれ、びっくりさせちゃったかな?ごめんね」
「………今すぐ城と連絡を取らなければ」
「そんなことしても意味ないよー、あっという間にそこには誰もいないんだから」
城下町の女性たち。+幼子+通りすがりの騎士。
「ねぇ、さっき花屋に入っていった人って……」
「神殿の方よね…あの女性と見間違うほどの美しさ、それでいてあやうい――」
「いりょけー?」
「ええ、そうね」
「わたち、ちってりゅよー!あおのきりぇーにゃおにーしゃん!」
「まぁ、有名な方だしね…いやでもまさか本当に?」
「さぁ?一瞬見ただけだもの、確証は…」
「つりゅばりゃとかみしゃまのおはにゃ!みたもん!しんかんちょーしゃまだよっ!」
「あら」
「あらあら」
「そんなことより神官長様の隣にいた方…あちらこそ本当に気にするべきだと思うのですが…まぁ、国王陛下はあまり表にでませんけど」
「休暇なのに大変だなー、王立公園には行かないほうがいいぞ」
「うっわ先輩…ぜってぇ行きません」