鎖 家 犬
僕が生まれる前から、うちでは何匹かペットを飼っていた。敷地の外に出してもらえない僕にとって彼らはちょうどよい遊び相手であった。僕はコロと遊ぶのが好きだった。彼は僕が生まれる前からいるので、まぁ僕にとっては兄にあたる。だから両親がいないところでは違う呼び方をしたし、正直コロと呼ぶのはあまり好きではなかった。
うちの庭には何棟か小屋があってそのうちの1つが彼の小屋だった。彼はいつだって一緒に遊ぶと喜んでくれるし、どこか僕の言葉を理解しているような気さえした。実際、分かっていたんだと思う。
けれど両親の態度は違った、僕が一緒に遊んでいるところを見ると、ものすごい剣幕で怒った。僕は怒られるだけで済んだが、彼はただでさえ食事をほとんどもらっておらず弱っているのに、棒で何度も殴られた。後で知ったことだが、いつも静かなのは喉を殴り潰されていたからだった。右肩から先がないのは生まれつきらしい。まあそんなわけで僕らは親のいない時を見計らって遊ぶしかなかった。
ある日、いつものように両親が出かけた隙に遊んでいると彼は、片方しかない手を使って器用に花の絵を描きはじめた、僕は驚いた。そんなことができるなんて知らなかったし、何よりとても上手いのだ。そういえば前から賢いと思う節はいくつもあった、僕が語りかけると時々相槌を打つかのように頷くし、彼を思いやることを言った時なんかは涙を流すことさえあった。こんなにも賢く、表現豊かな彼をただのペットとして見るなんて僕にはもうできなかった。何とかして彼を今の状況から助けてやりたかった。そして考えあぐねた結果、誰かに相談することにした。
とはいえ誰かにこのことを伝えるにしても、こっそり近くの山に遊びに行ったことは何度もあったが人の住んでいるところまでは行ったことがなかったのでどうすることもできない。それに、見たこともない子供の話を真剣に聞いてくれるだろうか。僕は何日か悩んだ末に、半ば諦めつつも両親に話した。実は彼はとても賢いこと、僕が彼を家族だと思っていること、子供なりにうまく伝えようとした。両親は顔を強張らせていたが、僕らが遊んでいたことについては叱らなかった。それどころか、滅多にあげない食事を今日は出していた。どうやら、僕は勘違いをしていたようだ。両親がたとえ彼をペットとさえ思っておらず、ひどい仕打ちをしようとも、僕のことは家族として認識しているんだから僕の気持ちは尊重されるし痛め付けられることもない。そうだ、僕が彼を守ってやればいいんだ、もっと早くこうしておくんだった。その夜、一仕事終えた気になった僕は久々に心地よく眠ることができた。
翌日、彼は死んでいた。僕は悲しくなるというより、自分と両親に絶望し、憤った。辺りには血を吸った土が広がり、昨日あげたはずの食事の一部が少し溶けた状態で彼の口元にあった。そのうえ、唯一残っていた左手も、胴体の根元から切り離されていた。しばらく状況が飲み込めず呆けていたが、徐徐に落ち着きを取り戻すと悲しさと情けなさが堰を切ったように押し寄せてきた。結局僕はなにも分かっていなかったし、そのせいで彼は死んだ。直視するのが苦しい現実だったが、せめて彼のためにお墓を作ってやりたいと思い裏庭に穴を掘った。別れの準備ができ、あとは埋めるだけとなったところで父に見つかった。僕は思いっきり憎しみを込めて睨み付けた。けれど父はそんなこと気にもとめていない風に、「気味が悪いからどこか見つからないところに捨ててこい」と言った。僕は何か言ってやりたかったが、ここで、父に詰問し、反抗することは得策でないことに気付いたので堪えた。つまり、死んでしまってはいるが彼と一緒に敷地の外に堂々と出られるのだ。この機会を使わない手はない、絶対に復讐してやる、そして彼を家族だと認めさせる、そう決意した。
影が小さくなる頃には考えがまとまったので、感傷に浸りながらどこにお墓を作ろうかとしばらく悩んだ。ほどなくしていつも鎖で繋がれていて連れていくことの出来なかった、僕のお気に入りの場所にしようと決めた。家からは少し離れている山の中だが、僕が知っている場所なら後で困ることもないだろう。滅入っていた気持ちを切り替え、僕は彼と共に家を出た。道すがら僕は枯れ枝のように軽い彼の亡骸を背負いながらさんざん泣いた、彼をこんな目にあわせた両親を許すなんて無理だった。でも、所詮は非力な子供なのだ。他人に頼るしかない。
僕は帰り道、警察に寄った。人がいない事を確認して、彼の切り取られた手を置いていった。遠い道草だった。数日して両親に逮捕状が来た、容疑は殺人だった。灯りが消え、静まりかえった家の前で僕は「こころ兄さんは殺されないと人として扱われないのか…」と、笑いながら呟いた。