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夢の中のお花畑は、いつも虹色。
名もなき花々がひっそりと咲く、優しい庭だ。
(その可愛いあなたたちは、いったいどなたさまですか?)
リリーは険しい顔で、植物図鑑をめくっていた。もちろん、猛烈な眠気と戦っていることは言うまでもない。
「名もなき花、などこの世の中にありえない」
とは、末姫付きの偉大なる家庭教師・パースの言葉だ。
「お前は世界の植物学者をなめてるのか。お前の脳みそと同列にするな。学者は日々汗水たらしながら、学問の研鑽に励んでいるんだ。お前の夢の中に出てくる花は、お前が知らないだけで、この図鑑のどこかに必ず記されているんだ」
「うっ」
「夢の中で花と戯れているなら、現実世界ぐらい勉強に励め。いいか、課題が終わるまで寝るなよ」
どん、と音がして、リリーの前に色あせた背表紙の図鑑が積み上がった。
「お、思い出せるわけないでしょう?!夢の中なのよ、花なんて覚えてるわけないじゃないの!」
(鬼教師ー!)
リリーは手あたり次第図鑑をめくりながら、目の前で腕組みをする真っ黒な男に怒鳴る。
すると、パースはふっと口の端を釣り上げた。
「確かにな。お前の脳みそはもはやキリギリス並みだ。俺の出した課題を覚えているか?なんだ、この提出物は。俺は『公式文書の体で書け』と言わなかったか。お前公式文書馬鹿にしてるのか」
「そ、それは」
パースの手にあるのは、先日リリーが出した課題だ。確か、パースの苗字が必要な理由について、公式文書の文体で書いて提出する、とかなんとか。
「おまけに、紙の端々にヨダレがついているんだが。お前は公式文書にヨダレでサインするのか」
「ぐっ」
「それは、ぐうの音もでないというやつか。自分の無能さが身に染みたか」
ぺこぺこと、リリーの課題で頭を叩かれる。
「あーーーーもうやってやるわよ、この陰険××××男ーーー!!!」
ーーーそうして、今に至る。
午後の図書室は、真っ青な空に燦々と日が差して、少し暑かった。
窓辺の花瓶が、机に濃い影を落とす。
先ほどからリリーは図鑑をめくってみるが、夢の中の花が一体何だったのか、どれがそうなのか、まったく見つけられなかった。
(見たことのない花だったのよね・・・)
瞼を必死に押し上げながら、リリーは考える。薔薇や百合のような、華々しいものではなかった。手のひらに収まる程度の小さな花。パステルカラーの、優しい色をした、華奢な花。
図鑑には、城の花瓶に飾られるような豪奢な花々がそろって記されている。
「私みたいよね・・・」
ぼそ、と呟いて、リリーは顔を上げた。しまった、と思ったが遅く、目の前でパースが分厚い前髪の奥で、驚いた目をしている。
「なんだ、何か質問か」
「えっ、ち、違うの。ただ、ちょっと、その、夢の中の花が」
「?」
「・・・私みたいだなって、思って」
人々に好まれ、愛されて、華々しく咲く大輪の花ではなかった。
図鑑でも探すのに手間取るほどの、雑草のような小さな花。
有能で美形の兄ローランドと、姉に挟まれた、出来損ないの自分。夢は深層心理だという学者もいるけれど、確かにその通りなのかもしれない。リリーという百合の名前を付けてもらったにもかかわらず、容姿も人並みで、赤茶けたくすんだ髪色をし、おまけに居眠りが特技だなんて。自分はなんて出来損ないの姫なのだろう。
「・・・あ、そっか。雑草だわ」
リリーは慌てて図鑑の中から、雑草を詳細に載せてあるものを探し出す。
くたびれた革表紙の図鑑にいきついて、開いてみると、確かに夢の中に出てきたような小さな花々が記されていた。
「そうそう。こんな感じの花だった。やっぱり、雑草だったのね」
ペンを走らせながらページをめくるリリーは、ふと視線を感じて顔を上げた。
パースが、腕組みをして無言でリリーを見つめていた。
「なに?」
分厚い前髪覆われた、パースの表情は読めなかった。
「・・・だからお前はそうなのか」
「は?」
よくわからないパースの言葉に、間抜けな返事をしてしまう。
するとパースはため息をついて、
「世の中の学者を馬鹿にするなと言っただろう。雑草だろうが、必ず存在する意味がある。その花の価値や意味を調べて、知識を積み重ね気ていけば、やがて高値で売れる日も来るんじゃないか」
「え、売る???」
それきり、ぷいとそっぽを向いたパースの横顔を見て、リリーはきょとんとした。
(え、これ照れてるの?ということは、もしかして)
リリーを慰めてくれたのだろうか。
相変わらずパースの横顔はそっけないし、分厚い前髪に隠れていて表情がわからないが、何となく察するに彼は彼なりの言葉でリリーを励ましてくれたのかもしれない。
でもまさか。この真っ黒な××××男が?あれほど憎まれ口を叩きつけたリリーに?信じられない。
リリーは混乱した。
でもなんとなく、昼の陽光に照らされた頬が、赤いような気がしたのだ。
胸の中が、少し暖かくなったような気がした。
「・・・ゴホン。なんだか恋愛小説臭がするんだが」
突然、がたんと音がして、扉が開く音がした。
勢いよく振り返れば、リリーの兄ローランドが優雅に扉を背にして立っていた。
「わあ?!お、おにいさま!いつからそこに、」
「入室するのにいたたまれなくなったあたりからかな」
「早く入ってくれればいいじゃないの!それにいたたまれないことなんて、なにも!」
軽やかな足取りで図書室に入ってきたローランドは、ふと足を止めた。
「やあパース。お目にかかるのは久しぶりじゃないか。お前の噂は聞いているよ。私のリリーをレディに仕立ててくれたみたいで何よりだ」
「お前の目は腐ってるのか。こんな目の下にクマを作った女がどの面さげてレディだ」
「おまけに、リリーを言葉攻めで躾けてくれて、まさかうちのリリーにアレコレしようとしてくれてるんじゃないだろうね。縛り首だよ、もちろん破廉恥罪で」
「・・・この国は馬鹿ばっかりか」
青い顔で眉間を押さえるパースを後目に、華やかにローランドは笑った。
そして、リリーの前で壁のように積みあがる図鑑を一撫でした。
「可愛いリリー。勉強の調子はどうかな」
「え、ええ、まあ、順調よ」
「そうかい、それは良かった。では、来週の式典に参加できるかな」
「「え」」
リリーは目を見張って、固まった。同じようにパースも硬直している。
ただ一人、ローランドだけが、王子様然として、図書室の椅子に腰かけていた。
「お、お兄様。式典って?」
「お前も来月には十八になり、成年として王族の行事に参加しないといけなくなるだろう。そのための予行演習に、徐々に小さいものから公式の行事に参加してほしいんだよ。来週、ちょうど他国の使者がウィリミアナにやってくるからね、お前も参加しておくれ」
青い顔をするリリーの横で、同じようにしかめっ面をしている男がいる。
彼は重々しく、苦々しい口を開いた。
「・・・正気か?お前の妹は、多少マシになったとはいえ、今はまだ」
「もちろん、お前がいるじゃないか。仕立ててくれるだろう、私のリリーを、一人前に」
有無を言わさない目で、パースを見据える。
パースは、やがてちっと舌打ちをした。リリーは、そんなローランドとパースのやり取りを珍しい目で見ていた。あの口の悪いパースが、ローランドに見事にやり込められている。
(何なの?お兄様とパースの関係って・・・)
パースは、まるでローランドに脅されているようにも見えたのだ。侍女のナンシーに、パースのことを調べてほしいと頼んだのはついさっきだが、そのあたりのことはわかるだろうか。
「わかっているだろうね、パース。・・・期限はすぐそこだよ」
とどめの笑みをパースに向けて、ローランドはリリーのこめかみにキスを落とし、来た時と同じ優美な足取りで静かに図書室を後にした。
「?」
「・・・あのキツネ王子め」
言葉だけで人を刺殺しそうな、物騒なパースの声がリリーの背後で聞こえた。