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愛の花  作者: 沖田猫
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3

 

 彼女と連絡がとれなくなって、僕はまだ後悔と闘っていた。

 その日は不運にも、飛行機に搭乗しなければならない日だった。いつか彼女が自分の目で確かめてみたいと言っていた、あの新種の花を見に行くのが目的だった。


 しかし、肝心の彼女がそばにいない。電話が繋がらないからメールを送ってみたけれど、いっこうに返信がない。やっぱり昨日、喧嘩した後にすぐ彼女を追いかければよかったんだと、僕はまた過去を悔やむ。気の利いた言葉なんか言えなくても、何も行動に移さないよりはよっぽどましだったのかもしれない。彼女もそれを望んでいたかもしれないのに。



 彼女が子どものように無邪気に笑いはしゃいでいた姿を、僕はふと思い出す。いつかラジオで聞いた花の話を確かめるために、僕が飛行機のチケットを予約しておいたのだ。そのことを知ったときの彼女は、しばらく笑いが止まらなくなるくらい大喜びして、その日の夜ご飯には僕の一番好きな料理をつくってくれたのだった。



 あんなに楽しみにしていたはずなのに、彼女からは結局、返信がくることはなかった。空港へ向かわなければならない時間が少しずつ迫ってくる。いつもの喧嘩だったら、もうそろそろ連絡がきてもいい頃なのに、おかしい。もしかしたら僕は本当に嫌われちゃったのかもしれない。もしこのままずっと連絡がとれなかったらどうしよう。そんな不安に駆られる。彼女の自宅まで行って謝りに行こうかとも考えて、やっぱりやめた。もし自宅の前まで行って、彼女に会うのを拒絶されたりしたら、そのときこそ僕はもう立ち直れなくなるかもしれない。やっぱり今はとりあえず連絡がくるのを待とう。勇気のない僕にはそれしかできなかった。



 かといって自分の部屋の中でじっとしていることもできなかった。時計を見ると、そろそろ自宅を出る準備をしなければいけなかった。


 少し迷ったけれど、僕は出かける支度をする。正直言えば僕はそこまで花に興味はない。それなのに飛行機のチケットをとってまで花を見に行く予定を立てていたのは、全て彼女の笑顔を見るためだった。彼女が喜ぶ姿は僕の幸せなのだ。

 だけど彼女が隣にいない今、わざわざ飛行機に乗って遠くの町に行く意味がない。けれど、せっかく飛行機のチケットをとったのだし、もったいない気もしたので一人で行くことにしたのだった。



 僕の目には、その花びらは何色に見えるのだろうか。

 飛行機に乗っている間、僕はずっとそのことを考えていた。長い間、一緒に過ごしてきた恋人と喧嘩してしまった後だから、涙を連想させる水色にでも見えるのだろうか。それとも、失意の黒色に見えるのだろうか……。



 飛行機を降りると、僕はバスに乗って目的地の町まで移動した。町に到着すると、僕は寄り道をしないで真っ直ぐ、その花が咲いているという路地へ向かうつもりだった。この町には他に目立った観光スポットもないようだし、興味のある食事処もなかったから、花を見たらすぐに空港へと戻って時間をつぶすつもりだった。


 しかし誤算が一つ発生する。僕は道に迷ってしまったのだ。なぜだか僕は、子どもの頃から方向音痴という能力が異常に高く備わっていて、はじめてきたこの町でも何度も道に迷ってしまったのだった。地元の人に道を尋ねたり、途中偶然見つけた喫茶店でとりあえず休憩していたりするうちに時間が経っていることに気づく。やっと目的地の路地まで辿り着いたときには、当初の到着予定の時間を大幅に過ぎてしまっていた。



 太陽が僕の真上にいた頃、狭い路地の一ヶ所にだけ人だかりができていた。その光景は奇妙である。夜の間はもちろん、昼間でも都会に比べたらあまり人が通らなさそうなその路地に十数人の大人たちが身を寄せて集まっていたのである。きっと、その人たちの視線の先に何があるのか知らなかったら、僕は不気味に思って違う道を通っていただろう。それか恐る恐る近づいていって、人が集まっていた訳を探ってみたのかもしれない。でも、僕はもうその訳を知っていたので何のためらいもなくその場所へ歩いていった。



 ラジオで聞いた通り、その花は人気があるようだ。見る者によって違う色に見えるというのだから、きっと皆、期待してやってくるのだろう。

 しかし、なぜだかそこにいる見物客たちの表情は暗かった。



「あーあ、何だよせっかくきたのに。花が見られないなんて、最悪だよ……。あぁ~もう誰なんだよ、花をもぎとっていった奴はっ」



 そこにいた一人の男性が、大きな声を出してそう文句を言っているのが聞こえてきた。何だか嫌な予感がして、僕は人だかりを掻き分けて目的の花を探した。でもそこに花は見当たらなかった。路地の片隅には見慣れた雑草があちこちに伸びているだけでいつかラジオで聞いた花らしき姿はどこにもない。どうやらその花は、その場にいた誰かが言っていた通り、何者かに盗まれてしまったようだ。よく見てみると、雑草の一部分だけ誰かに踏みつけられたような跡があって、そのそばには花の根っこのようなものが無残に落ちていたのだった。



 結局、僕はその花の色をこの目で確かめることができなかった。せっかくここまで時間をかけてきたのに無駄足だったようだ。


 僕は心の中で苦笑いをした。どうやらこの僕には、その花を見ることすら許されない不運を持ち合わせていたらしい。



 これからどうしようかと考えて、結局、きた道を引き返すことにした。目当ての花をこの目で見られないのなら、これ以上、ここにいる意味はない。僕はまた人だかりを掻き分けて、真っ直ぐ続く路地をゆっくりと歩き出した。



 路地の角を曲がると、向こうから見覚えのある女性が歩いてきた。よく見てみると、それは僕の彼女だった。花柄のワンピースの上にベージュ色のコートを羽織っていて、片手には小さな地図を持ち、それを真剣な表情で見つめながらこちらに向かって歩いてくる。どうやら彼女は、僕より遅れて飛行機に乗ってやってきたらしい。僕がこの町に着いて迷子になっていた間に、方向感覚が抜群によい彼女は真っ直ぐここまで辿り着いたのだろう。


 僕はその姿をしっかりと確かめてから、小さく息を吐いた。そして、彼女に声をかけようと足を止める。けれど近づいてくる彼女の左手を見て、僕は息を止めた。


 彼女の左手の薬指には、小さな輝きを放つ指輪がはめられていたのだ。それには見覚えがある。僕が数日前に用意していた婚約指輪だったからだ。なぜ彼女がそれを持っているのだろうと思い、やっと気づいた。僕は今日、その指輪を自宅のテーブルの上に置きっぱなしにしたまま出かけてきてしまったのだ。せっかくサプライズとして今まで指輪のことを隠してきたのに、僕は何て馬鹿なんだろう。彼女は僕の部屋の合鍵を持っている。だからきっと彼女は今日、昨日の喧嘩のことを謝りに部屋へ戻ってきてくれたのだろう。だけどそのときにはもう僕は出かけてしまっていたから会えなかったのだ。留守の部屋の中で彼女はテーブルの上にあった小さな箱を見つけてしまったのだろう。その指輪は以前、二人で宝石店の前を通り過ぎようとしたときに、彼女がしばらく見惚れていたものだったから、すぐにその意味がわかったはずだ。



「あの……」


 彼女が僕の存在に気づき、そばに立ち止まった。でも口を小さく開いたまま顔を俯けてしまう。どうやら昨日の喧嘩のことを謝ろうとしてくれているらしい。それでも彼女は謝るのに慣れていないのか、次の言葉を必死に探しているようだった。



 そんな彼女の心を見透かして、僕はわざと違う話題を喋った。


「あの花、見られなかったよ。心ない人が花を盗んでいったみたいでさ。ここにいる人たちに訊いたら、十分前くらいまでは確かにそこに咲いていたらしいんだけど、急に誰かが花に近づいていって、もぎとって逃げちゃったんだって……。もう少し早くここに着いていたら花を見られたかもしれないのにね。誰かが遅れて飛行機に乗ってきたせいで……」



 皮肉を込めて僕はそう言った。もう怒っていないことをアピールするつもりで冗談のように軽く言ってみたのだったけれど、それは逆効果だった。彼女には僕の気持ちが上手く伝わらなかったらしい。むしろ、その言葉は嫌味として受けとられてしまったようだ。彼女は途端に困ったような表情になり、また顔を俯けてしまった。どうやら僕はまた、余計な一言を言ってしまったらしい。自分だってついさっきまで道に迷っていて花を見る機会を逃してしまったくせに。僕は心の中で自分を責めた。



「ごめん、言い過ぎた」


 自分の罪悪感に後押しされて僕は素直に謝った。最初からこうすればよかったのだと思う。僕はいつも喋る言葉の選択を間違えて彼女を傷つけてしまうのだ。そんな自分が、自分でも嫌になる。


 それでも彼女は優しかった。こんな不甲斐ない彼氏のことを理解しようとしてくれている。もしかしたらそれは、今まで一緒に過ごしてきた時間が僕たちのことを応援してくれたおかげなのかもしれない。


 彼女の顔が少しほころぶのが見えた。やっぱり素直な言葉は効果があったらしい。それで僕の心も徐々に落ち着きをとり戻していく。何だかこんな経験が前にもあったような気がして、僕はもやもや感を追い払うように頭を掻いた。すると彼女の笑顔がさっきよりも大きくなった。きっと以前にも、彼女は同じ光景を見てきたのだろう。僕が何度も頭を掻いているところを嬉しそうに見上げると、言葉を返す代わりに小さく頷いてくれた。僕はその愛情に安堵を覚えた。



 そのとき風が吹いて、どこからか飛んできた一枚の花びらが、彼女の右肩に止まった。



 彼女の肩に止まっていた花びらは、薄い緑色をしていた。それは僕の昔から好きな色だった。安らぎを与えてくれる色で、僕が毎日使っているベッドのシーツやカーテンもこんな色だった。



 だけど彼女が言うには、その花びらは薄い緑色じゃなくて、灼熱を連想させるような赤色に見えたという。



「私ね、好きな人と結婚したら、赤い屋根の家に住むのが子どものときからの夢なの」


 何年か前に、まだ学生だった彼女が友人たちとの談笑の中でそう言っていたことを、僕は突然思い出した。



 肩に花びらを乗せたままの彼女を見ると、向こうもちょうど僕の方を見上げたところだった。自然とお互いの目が合う。


 真顔のまま見つめ合うのは何だか照れくさくて、僕は唇を噛みながら笑ってみる。彼女もそんな僕に合わせるように目を細めて微笑んでいた。



 自分の住む街へ帰ったら、今度はちゃんと彼女にプロポーズをしよう。そう僕は心に誓った。

 肩に止まっていた花びらを優しく掴んだ彼女の左手には、まだ見慣れないものが光っている。その輝きの想い出を忘れないように、僕はそっと彼女の左手を握った。

 握られた二人の手の中には、一枚の花びらがどこにも逃げていかないようにちゃんと入っている。

 彼女も、僕の手を優しく握り返してくれるのがわかった。そして僕たちは、一緒に前へ歩き出したのだった。

純文学というジャンルにはじめて挑戦してみましたが……難しいですね。自分には向いていないんだということがよくわかりました(笑)なので、しばらく純文学は書きません。他のジャンルでいきたいと思います。


読んでくださった皆様、ありがとうございましたm(__)m

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