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夏、黄色い太陽は馬車が通れる程度に整理された肌色の大地を焼くかのように照らしつけ、揺らいで見える陽炎は、まるで暑くてたまらないと人が発するように大地が熱を放出しているように思わせる。
お気に入りの麦藁帽子を被っている私は幸いにもこの重みのある日差しから幾許か護ることが出来ている。けれども白いワンピースから出た私の腕は極熱の光に晒されることになり白銀に輝く産毛を少し眺めて、この暑さに奪われていく体力に一つ溜息を吐いた。
進んでいる道がやや上り坂なことがこの疲労の溜まる速さに拍車を掛けているに違いない。
人や馬車と出くわさない所為なのか道に落ちているこぶし大の石や遠くに見える緑に視線があっちにこっちにと動いてしまう。
それでもそれらを見終えた私の目は必ず一点を見定める。
なにも私は用が無くて都市から離れた一本道を一人歩いているわけではないのです。この先の、一本道の続くその先、この道の終点に生い茂る一本の大樹、その根元に私は向かってひたすらに歩き続ける。
何の木なのか、樹齢もわからない、全長も誰一人測ろうともしない所為でわからない、一体誰が何のためにそこに生やしたのか誰一人として知らなければ文献に残されてもいない。
ないない尽くしの立派な大樹。
人の住まう都市から遠く距離を置いたその位置に生えるそれについて唯一知っている事がある。
あれは図書館である、と。
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巨大なシンボルとも言える大樹のおかげか、それとも大樹が図書館となっている事か、またはその両方がここを有名にしている。
もっとも、この図書館には名前が無いのでここと表現する他になかったけれど、街の人々や他国の人々も大図書館や樹木書庫、果てには御霊木様なんて呼んだり人によってさまざまでどれが正しいのか、どれも正しくないのかは定かではない。
おまけに大きな事から細かな事まで謎めいている所為で噂話もあれよこれよと立っており、あそこには神様が宿られており大図書館に並ぶ本たちは神様の知識であるとか、目が覚めたら追い出されていたとか、閉まっているはずの夜の図書館を出入りする人影を見かけたとか、あそこは無人のはずなのに綺麗なのは利用者から魔力を吸い上げて浄化に使っているからではないのか等と根も葉もないものばかり。
信じれるとしても神様の書庫であるというものくらいだろうか、信憑性がまるでない分、空想に近いことのほうが返って信じやすい。
大図書館にはいくつかの不思議があるので噂が立ってしまうのもわからないでもないけれどそれでも冗談が過ぎるものもあって私はあまり好きじゃない。
でも、私はこの図書館はとても大好き。
初めて知ったのは私のおばあさまに聞かされたお話で、初めてこの場所に訪れたのは興味が沸いた私がおばあさまに頼んで連れてきて貰った時。
どうしてこんなところにあるのだろう、どうして木が図書館になっているのだろうと疑問に思っていたのも最初だけで扉を開いて中に入った私はそんなことはどうでもよくなっていた。魅了されてしまったのです。
始めに目に入ったのはいくつもの大きな書棚、芸術的な螺旋階段、入って右手側にあるとても重そうな黒い木製の机。それら全てを照らすぼんやりとした橙色の明かりがこの場を幻想的に思わせる。
私はほぼ無意識的におばあさまから離れて書棚に近づき、目の高さにある本を無作為に引き出す。黄色いカバーでそこには私には読めない文字でタイトルが書かれている。落とさないよう左手を背表紙にあてて右手で真ん中あたりのページを開いた。やはりそこに書かれている文字も私には読むことが出来ない。でも、だからこそ持っていた興味は一層増した。
私の知らない文字が、私の知らない知識がここには沢山あるという素晴らしさは私の想像をはるかに超えていた。
もっと見たい、もっと知りたい、その欲が強くなった私がそれから10の日の間の一日は必ずといった頻度でここに足を運ぶようになったのは必然的で、雨の日も風の日も、今日のような暑い日でもこうしてここに訪れている。
図書館に入った私は扉を丁寧に閉めて目的の場所へと迷わず歩く。大体2~3人くらいはすでに居たりするのだけれど今日はまだ誰も来ていないらしい。広いので本棚に隠れてしまっているのか、本当に居ないのかはわからない。少なくとも足音は聞こえないから居ても黙々と本を読んでいるに違いない。
そうこう考えながらも目的地に無駄なく辿り着いた私はお目当ての本を片手にとった。紺色の表紙にはオード語で【薬学・上】と、書き記されている。厚さは人差し指の第一関節くらい。丁寧に扱われていたのか折れていたり痛んでいる箇所は私が見る限りでは確認できない。
この本を見つけた時私はとても驚いた。何故って状態が良かったのはもちろん、なにより使用されている紙の質が良すぎた。今の世界で見かけることの出来る紙はこの紙ほど白くすべすべとしていない。素人目で見ても上等な紙と確信することができる。
私は王宮に仕えたことがないから予想で語ることしか出来ないけれども上流階級や王宮で扱われている紙はきっとこんな物なんだろうと触りながら思った。
中を開けばびっしりと詰め込まれた文字、所々薬草の絵や工程の図説が書き込まれている。まだ目を通していないけれどもこの本が置かれていた隣に並ぶ【薬学・中】も【薬学・上】も事細かに書き記されているに違いない。
その厚めの本を手にした私はそのままその場に立って本を読み始める。
はらりひらりとページを捲る音しか聞こえない静かなここで時間も周囲も気にする事無く読み進める。たまに足を動かしたり肩を動かしたり、それでも目線を本からそらすことだけはしない。
上というのは薬草と調合の基礎的な事を中心に書き記してあっておばあさまから教えてもらった事も載っていれば別の人から教えてもらった事も、私が自分で発見したことも書かれていて確認になった事もあれば始めて知ることもあってそれらは私の目を離させまいとしているように感じさせた。
やがて、パタンと大きな音が一つ響く。
目を瞑り、ふぅと息を吐いて集中していた気を散らす。
実に有意義な時間でしたと今の時間を誰かに説明するならそう口にする。本来ならこの貴重な書物を最も落ち着くことが出来る自分の部屋でゆっくりと、何度も繰り返し繰り返し読みたいけれどもそれは叶わない。
というのもここの本は持ち出すことが出来ないから。持ち出すことが禁止されているわけではなくて持ち出すことが出来ない。
もっと細かく言うなら外に持ち出すことは出来ても外でそれを所持し続けることが出来ないのです。私はその行為が誰にというわけでもなくここに悪いと感じるためにしたことはありませんが、これまた一つの噂で持ち出した本が少し目を離したら煙のように一瞬で姿を消してしまったとか、金庫に入れて翌朝読もうと開けてみれば空っぽとか。それらは手段は違えど共通する点が一つあって、それは無くなった翌日にここに訪れてみると元の位置に戻っていたという話。
どういう原理でそうなっているのか誰にも解らず、それがまたこの場所を謎めかせている要因となっている。
でも私はここの不思議さを不気味に感じたことは今までで一度も無い。何故どうしてが知れるのなら私はそれをとても嬉しく感じるだろうけれども進んで解明したいとまでは思わない。知れても知れなくてもここが最早私にとって大切な場所になりかけていることに違いはないのだから。
その後も私は時間が許す限り本を読み続けた。
【薬学・中】は途中で私の理解力ではわからないところが出てきたあたりでやめてしまった。
【薬学・中】をもとあった場所にしまった後、私はオード語で書き記されている背表紙のタイトルを頼りに次の本を探す。探しているとラシル語というエルフ族の公用語とされている言語について書かれている本が見つかった。それを見つけた私はもしやと思いその隣の本も手に取る。二冊目はオード語で書かれておらず何語なのか検討もつかない。
オード語で書かれた本を開いて、それとは別のほうも開く。そしてその中を一文字一文字見続けていると同じものが見つかった。
同じだったものはラシル文字の一つ。まだ確信はないけれどおそらくここのあたりは語学についての本が並べられているのだろう。そう思うと誰が整理しているのかが気になってしまったけれども神様ならこの膨大な量でもパパッと片付けてしまいそう、なんて思うと考えるのをやめました。
それからはラシル語の本をさっと目を通す程度に読み進めていく。
時々、胸ポケットに仕舞ってある蓋の付いた金色の懐中時計で時間を気にしながらも知識の吸収に励む。
結果、やはり一つの言語を習得するまでには至らなかった。これでも私は一度見たものとまでは言わずとも興味があることなら記憶に残りやすい方だと思っている。それでも語学というものはとても難しいということを再認識させられた。
覚えられたのはおはようやこんにちはといった挨拶と褒め言葉をほんの少し、それ以外はまだおぼろげで本を片付けながら声にしてみたけれど、どれもぎこちないと自分でそう感じた。本にはあくまで文字しか書いてなくてイントネーションがわからない所為かなと一人結論付けた。
ラシル語を見聞きできて、ラシル語でコミュニケーションが取れるようになって、そして自然が美しいと言われているエルフの国を旅している将来を夢想して口元が緩む。
今日の収穫は沢山の知識と一つの夢。私はとても満足している。
本当ならまだまだここに居たい気持ちでいっぱいなのだけれど、もう今日は帰らなくてはならない。
今からこの図書館を出て国まで歩いて帰る時間を私の住む中流階級地区の出入り可能時間から引くとギリギリといったところで、もしも遅れてしまおうものなら下流階級地区の宿で寝泊りしなくてはならなくなってしまう。
親に心配をかけてしまうのも宿で寝泊りをするのも出来ることなら避けたい私はそのまま出口まで歩いていく。
扉まであと数歩というところまで歩いた私はふと、左の方を向いた。
左の方、あの黒い大きな机の方を。
どうして止まったのか、どうして顔を向けたのか、どうして口を開けたのか。
私にはそれを理解できる日はきっと来ないだろう。
音が聞こえたわけでもない、そうする決まりがあったわけでも習慣だったわけでもない。
でも、思えばこれは運命だったのかもしれない。
私が向いたその先に、無人の大図書館だったはずのこの場所で椅子に座る一人の男性と出会ったこの時が。
何の気なしに向いたわけで、台本があったわけではなかったけれども発する言葉は決まっていた。存在しなかった台本は私の言葉で書き始められる。
あなたは誰?
物語はこの言葉から幕開けとなる。
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