♭3 引っ越しと企画会議 (os-2~4)
ユニットの話をされた日の夜、言い忘れたことがあると電話がかかってきて、社宅を変えるぞと言われた。
それまで住んでいた社宅は家具付きだったから、自分の荷物など、そんなに多くはない。翌朝、引っ越し業者が押し寄せて手早く梱包を済ませ、断る間もなく新居に連れて行かれた。新居は世田谷区三軒茶屋の平屋の一戸建てだった。1人で住むのに3LDK……、と圧倒されているうちに業者はあっという間に荷解きまで済ませて帰った。
「電化製品はまだ使えるやつだから、好きにしろ。地下室は防音だから、エレキを使う時は地下でやれ。アンプもサービスだ」
そう言って、渡辺は帰った。
広い家に取り残されたが、特に寂しいなどとは思わなかった。むしろ、社宅と違って上下両隣に気を遣わなくていいのでホッとした。
それからは毎日ギターを弾いて過ごした。料理は得意だったが、1人で食べるのにわざわざ手を込んだものを作る気になれず、ほとんど外食で済ませた。
「明日、ユニット関連の会議があるから、お前も来い」
1週間後、渡辺から連絡が来た。
時間通りに向かうと「お前は重役出勤な」と言われ、別室で待機させられた。しばらく待っていると、日の出テレビの社長だと名乗る年配の男性が入ってきて、一緒に行こうと言われた。
「君は、『男』として接すればいいんだね」
温和そうなその男性は会議室に向かう途中でぽつりと言った。「はい」と返事をすると、「出来る限りのことはさせてもらうよ」と言って、それきり黙ってしまった。
その後は『山海章灯』という自分の相棒となるアナウンサーの前で紹介された。彼はどうやら事情を知らされていないかったようで、終始驚いた顔をしていた。やがて、彼の上司らしい男が説明を終えると、手を挙げて自分に関する注意事項について質問をしてきた。
・テレビ、ラジオ等のインタビューは禁止
・テレビ出演時は司会者、共演者との会話禁止
・ラジオ出演は公開録音のみ可だが、ファンサービスのみ
・雑誌のインタビューは事前アンケート形式のみ許可
・衣装指定有り
無理もないだろう。自分でもおかしいと思う。榊という彼の上司は「彼は……ちょっと極端に喉が弱くてな。コーラスに全力を注ぐために極力しゃべらないようにしているそうだ」とこれまた無理のある理由を話した。
彼は明らかに納得していない様子だったが、上司がそう言うのだ、仕方ないだろう。
自分の話題が終わったと思って、完全に気を抜いていた時、渡辺はとんでもない発言をした。
「明日から、お前らは一つ屋根の下で共同生活をしてもらう」
一つ屋根の下……。3LDKはそのための……?
「お前が隠しきれるとは思えんがな」この言葉は、きっとこれだったんだ。やられた。こんなの、時間の問題じゃないか。
お偉いさん達が退室した後は、ユニットの方向性を話し合わなければならなくなった。
この人が「こういうのがやりたい」と言ってくれればいいのに、と思っていた。第2の『SUPERNOVA』等と言われても、自分に出来るのは曲を作ることと、ギターを弾くことくらいで、ユニットを1からプロデュースすることは出来ない。だから、命じてくれた方が楽なのだ。
交流を深めるために、と自己紹介が始まる。彼は、実際に見ても、コガさんやオッさんと比べると縦にも横にも小さかった。ただ、自分より大きいのは確実だったが。アナウンサーという職業柄なのか、元々の性格なのか、人懐っこい印象で、自分とは正反対だな、と思った。
彼は、自分が身に着けていたオレンジがモチーフの指輪を見て、ユニット名に『ORANGE』を入れようと言いだした。
オレンジは自分がいちばん好きな果物だ。一度も行ったことがない母の実家である和歌山の果樹園から、毎年旬な時期にネーブルとバレンシアが届く。近況を尋ねるような手紙も何も入っていない。ただただ箱いっぱいのオレンジ。「礼とかは、俺がしてるから、気にするな」届くたび、コガさんはそう言う。そういうのが苦手な自分にとっては、ありがたい話だった。
「アキの実家を入れるなら、章灯の実家から何かヒントないのか?」
どうやら彼の実家は釣具店だったようで、コガさんが釣り具から連想した『ROD』と組み合わせて『ORANGE ROD』というユニット名になった。
何でもいい、帰りたい、と思った。