♭10 強制連行 (os-36)
「アキ、もしかして、化粧してる……?」
最初に気付いたのは章灯さんだった。オッさんの車の後部座席に並んで座っていたから、わかったのだろう。気付いてもらえて少しだけホッとしたが、恥ずかしさがそれに勝り、やはり顔を上げることは出来なかった。
すると、章灯さんは、外で顔上げる練習しようぜと言った。
成る程、そうやって免疫をつければいいのか、と思い了承した。
異変に気付いたのは、手を引かれ、車を降りて数歩歩いた時だった。
その日履いていたのは、細く高いヒールのブーツだ。つま先も少し尖っている。いつもはスニーカーか、踵の低い男物のブーツだったから、女物はこんなにも歩きづらいのかと驚いた。章灯さんは目的地を見つけたのか、脇目も振らずにどんどん進んでいく。手を引いてくれているので何とかついて行くことが出来たが、それでもペースは落ち、図らずもその手を引っ張ってしまう形になる。立ち止まり、乱れた呼吸を整えようとすると、通行人の邪魔にならないように大きなビルとビルの間に誘導された。
すまなそうにしている章灯さんに、そんなことはないと顔を上げると、そのまま頬を挟まれ凝視された。この人はいきなり何をするんだ。そんなに見ないでほしい。恥ずかしさで顔が熱い。
「せっかくだからバシッとやってもらおうぜ」
章灯さんはそう言うと、自分が逃げ出さないようにだろう、また手を引いて歩き出した。
着いた先は化粧品のカウンターが多く入っている華やかなフロアである。どこもかしこも何だかキラキラとしていて、自分がとても場違いに思えてくる。しばらくフロア内を歩き回り、『Rosy Brown』という店の前で足を止めた。そこは店舗がそのまま入っているようで、店の中をちらりと覗いてみると、黒やブラウンで統一されていて落ち着いた雰囲気だ。
店の前で待たされたかと思うと、今度は一人で残るように言われ、フルメイクをされた。
30分ほどして出来上がった顔を見る。これは、女の顔だ。女の顔になれば、郁とまったく同じになると思ったが、どうしてか、そんなに似ているように見えなかった。
章灯さんが迎えに来たが、やはり顔を上げることは出来ない。
普段の顔だって、じっと見られるのは恥ずかしいのに、こんな女の顔を見せるなんてもってのほかだ。
だから、ずっと下を向いていた。相変わらず章灯さんは自分が逃亡するとでも思っているのか、移動の際には手を引いていた。そんなことをしなくてもどうせこの靴では走れないのだし、いつものスニーカーだとしても、自分の足ではすぐに追いつかれてしまうだろう。
顔を見せまいと下を向いていたが、近くに楽器屋さんがあると聞いて、つい顔をあげてしまった。彼はその隙を逃さず、さっきと同じように頬を押さえて、顔を凝視してくる。さっきよりもまじまじと見られ、またも顔が熱くなっているのを感じる。手を離す直前、章灯さんがすごく苦しそうな顔をしたのが見えた。
どうしたんだろう。やっぱり似合っていないのだろうか。
やっぱり私は、女なんて向いていないのだろうか。
そう思った時、またあの痛みが襲ってくる。
本当に、どうしてしまったんだろう。悪い病気なんだろうか。
ちくちくと刺さるような痛み。それに、動悸。
この痛みが襲ってくる『条件』って何だ?
1人でいる時はこんなことはあまり起こらない。ただ少し、食欲が落ちて、体重が減っただけだ。
誰かといる時はどうだ?誰かって言っても、それはコガさんかオッさん、章灯さんしかいない。
考えても自分では答えが出ない。一体、誰に聞けばわかるのだろう。
病院に行くしかないんだろうか。憂鬱だ。




