学園裁判②
ギィと扉が開く音がして、振り向くとそこにはヴィオレ様とオランジェ様が緊張した面持ちで立ち、そのやや後方に医学基礎課程の教鞭をとっていらっしゃるシャムロック教授がにこやかに佇んでいます。ヴィオレ様達の手には見慣れた数冊のノートを持っています。あれは…わたくしが借りて、写し、纏めたノートですわ。
「証人、所属と名前を述べよ」
「高等部医学科一年オランジェ・トゥルベです!」
「同じく、医学科一年ヴィオレ・アーホルンと申します」
「高等部医学科、医療実技および医学基礎課程担当教諭のクレイ・シャムロックです」
オランジェ様とヴィオレ様はわたくしの方を見ると力強く頷くのをみて、不思議と涙がうるっと出てきます。ゲーム内のイリスは誰も味方がいなくてひとりぼっちだったので、心強く感じます。
三人はそれぞれ、宣誓をすると法廷の端で控えていたスピラル先輩が証拠品を受け取りにやってきました。
「では証拠品をお預かりいたします」
「よ、よろしくお願いします!」
「それでは、三人の証言から始めよ。証拠品の真偽はその後行う。まずはトゥルベ嬢、アーホルン嬢。両人とも同時証言とある。証言台の前へ」
「は、はい!」
「それでは、2人は被告人の日頃学習内容の証言とあるが、相違ないか?」
「「相違ありません」」
「よろしい、証言を述べよ」
ヴィオレ様は深呼吸するとわたくしの方を向き、頷くと真っ直ぐ裁判官席へ顔を向けました。
「イリス様は日頃から弛まぬ努力をされてきました。イリス様は授業の時には常に真摯に先生方のお言葉を聞き漏らさないように常にメモして、ノートに事細かに書いていました。クラスメイトの方々にも驕り高ぶらず、欠席した日には必ず休みの日の授業内容を教えて欲しいと頭を下げられ、教えを請われています。」
「わたくしは歯牙ない男爵家の末娘、ヴィオレ様も伯爵家、到底、侯爵令嬢が頭を下げるべき身分ではありません。しかし、イリス様はわたくし達に教わる身に身分は関係ないといつも真摯に礼をとってくださいます。正直、幼い頃のイリス様とは違い、今のイリス様の懸命な姿にわたくし達は戸惑いました。本当に、あのイリス・カメーリエ嬢なのかと」
オランジェ様の言葉に過去の黒歴史が思い浮かびます。あの頃の私は本当にどうしようもない我儘女でしたものね…。
「あの、とは?」
他国の事情を知らないエーデル様が首を傾げますと、ヴィオレ様とオランジェ様が思わず言い淀んだ。
「…えと、」
「良いよ、トゥルベ嬢。事実なんだし、忌憚なく言っていい」
「今更だしな」
お兄様達の許可が降りて、2人は決心したのか頷き合い、顔をあげました。嫌な予感がします。
「……イリス様は当時、皇太子殿下の婚約者筆頭でございました。それはもう他の令嬢達を威嚇し、登城するたびにユリウス殿下にべったり。我儘三昧のご令嬢でした。わたくし達も、子供の交流会でお目にかかった事が数回ありましたが、いずれも他の公爵家のご令嬢との罵り合いの応酬で、何というか我が強く尖ったナイフみたいな印象でございました」
「正直、触れるな危険みたいな?」
「傍若無人とはよく言ったものでした。わたくしの従姉妹など下心満載で殿下に近づこうものなら、平手打ちされたり、オレンジジュースをかけられてましたし…本当に怖くてわたくし達は遠巻きで見ていた覚えがあります。」
「わたくしの一つ下の弟など、イリス様の剣幕が怖くて交流会に行きたくないと何度泣いたことか…」
2人の言葉に思わず顔を覆いました。恥ずかしい。本当に恥ずかしい過去でございます。その節は本当にご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした。と言うか、あの交流会におふたりともいらしたんですのね。よくお友達になってくださったものだわ。
「は?」
「え、嘘でしょ?」
エーデル様とヴィント先輩が信じられないと言った顔でわたくしを見ます。そうですわよね、こんな骨と皮みたいな痩せギスがまさかの昔は狂犬みたいな子供だったなんて。どうみても、弱っちいミジンコみたいですものね。
「ですがイリス様は大病を患い、皇太子妃候補から外され、暫く交流会にもいらっしゃらなくなりました。入学式の際に久しぶりにお会いしたイリス様は別人でございました。昔の面影はなく、直向きに学問に取り組む姿にわたくしは、わたくしたちは考え方を改めるようになりました」
「わたくしとヴィオレ様は、イリス様と偶然にも同じ授業選択だったので、自然と仲良くなりましたの。」
「ちょ、ちょいまち、君たち、令嬢だろ?淑女課程は取らなかったのかい?女の子なんだから結婚したあと大変でしょ?」
ヴィント先輩の言葉に2人は不快そうに眉を顰めます。これだからお花畑王子はと言わんばかりの視線ですわ。リーリエ様のことも可愛いお花ちゃん扱いですから、ヴィント先輩のお国柄がよくわかる発言ですわね。
この国は男女ともに実力主義ですので自立した考え方を常にしています。なので、女性であっても実力があれば尊ばれます。この実力主義のあり方を見出したのが、ユリウス様の曾曾祖母でいらっしゃるアプリコーゼ女大帝陛下でございます。なみいる兄弟を論破し、父帝の尻も容赦なく叩いた女傑でございました。世界に販路を広げ、運河を開き大貿易に成功。戦争にも強く、「アプリコーゼがいる限り、帝国の薔薇は枯れず咲き誇る」と言わしめた程の方です。
故に我が国では女性への差別と暴力はひとの恥とされています。男尊女卑はいまだにあるところにはありますが、それを表沙汰にすることはありません。
「原告、我が国では女性の士官や、職業選択が認められている。貴族の令嬢が全てが全て社交界にいくわけではない。女医や女史として働く女性たちは尊ばれている。実際に我が国の金融財務大臣はキーファ女伯であることは忘れたのか?今の発言は彼女達への侮辱に等しい」
「いや、それは…すいません。発言を撤回いたします」
「わたくし達は婚約者が城の文官と軍務医務官ですから社交界には入らずに、卒業後は市民病院の医者の道をゆく予定でしたので…」
「あの、話を戻しても?」
「…どうぞ」
苦笑して補足するヴィオレ様とは違い心なしか冷たいオランジェ様の視線に、ヴィント先輩は口をまごまごとし消沈したように口を閉じました。心なしか傍聴席の女子の視線も冷たいような気がいたします。
「わたくし達はイリス様がお休みのときに授業の内容をノートにまとめて、イリス様にお貸ししています。それだけでなく、三人でテスト前には勉強会をしていますの。イリス様はわからないところは先生や先輩方にも聞きながら纏めたノートが本日持参したノートでございます。それをご覧になればわかるはずですわ」
「イリス様のノートはすっごく綺麗に纏められていまして、わたくし達も逆にノートをお借りしてお互いに補いあい切磋琢磨しております!わたくし達やクラスメイトに頭を下げて教えを請い、努力されてきたイリス様が成績不正など絶対にするわけがありません!っなんで、裁判にかかるのっ…イリス様はあんなに頑張っておられるのに!」
「オランジェ様…」
思わず感情的になり悔しくてしかたないと涙をこぼすオランジェ様の背をヴィオレ様が摩ります。わたくしもすぐに駆け寄りたいのにできないのが辛くてなりません。被告人は証人に近寄ってはいけない決まりがあるので致し方ないとはいえ、…わたくしもオランジェ様の手を握ってお礼を言えないのがもどかしくてなりません。
泣き出したオランジェ様と、ハンカチを差し出すヴィオレ様の様子に原告側の三人は少し決まりが悪そうな顔で視線を泳いでいます。傍聴席からもオロオロと戸惑っている空気を感じます。
「うん、良く纏っているね、これすごく分かりやすいや」
「シャムロック教授…証拠品を勝手に閲覧しないでください」
その空気をぶち壊したのがシャムロック教授でした。シャムロック教授は敢えて空気を読まないマイペースな方ですが、あれでも国では指折りの医学博士で、何故か大学部ではなく高等部の教師をされているのかわからない謎なお方です。
「いやね、僕も長年高等部の先生をやっているけど、本当に良いノートだよこれ。君達も見てみなさい。お手本みたいに字が綺麗だし、カラーインクを使う方法なんて実に画期的だね。教科書に使いたいくらいだ」
そう言うとシャムロック教授はユリウス様にわたくしのノートを差し出しました。うう、自分のノートを回し読みされるなんて、ラブレターの回し読みの次に嫌ですわ。
前世の日本人だったころのノートのまとめ方をしたのですが、この世界の方には珍しいまとめ方らしいです。ヴィオレ様達もよく分かりやすいと褒めてくださったのですが、お世辞だとばかり思ってましたわ。
「……確かに良くできたノートだ。ロータス」
「はい、魔術補佐として断言いたします。このノートの筆跡は間違いなく、イリス・カメーリエ嬢のものであり、彼女の知識を証明する証拠であります」
断言したスピネル先輩の言葉に会場中がざわめきました。魔術補佐が証拠品としてノートを承認したことで原告側の三人ともグッと苦虫を噛んだ表情になりました。
「原告、反対尋問を」
「…原告側はありません」
そりゃあ、彼女達に反対尋問をしようものなら絶対に不利になりますものね、空気的に。ヴァールハイト先輩がエーデル様に小声で何か言っていますが、エーデル様は首をふり制止しています。
「よろしい、2人の証言は裁判の秤の参考とさせていただく。次の証人は前に」
「おや、僕の出番かな。それではよろしく頼むよ」
シャムロック教授が登壇し、食えない笑顔でそう言うとにっこり私に笑いかけました。
すいません、女の子を泣かしました。犯人は作者です。