後編③
私は疲れていたのかもしれない。
あの、悪魔の囁きに目が眩むぐらいに。
『イリス・カメーリエが邪魔じゃない?』
えぇ、邪魔よ。そう思っていた。
『……授業を休んでばかりいる女が、貴女より順位が上だなんて信じられないわよね。いや、信じたくないんじゃない?』
そうよ。信じたくなかったわ。だって私は毎日毎日机に齧り付いて、勉強をしてきた。お父様だって、「なんで病人に負けるんだ、努力が足りてないんじゃないか?」と愚痴を溢す。
違う、頑張っているの!私だって慣れない医学書を片手に頑張っているのよっ!
そう叫びたい心を彼女は察したのか、甘い笑みで私に囁いた。
『ならば、真偽を問わなくちゃ。あの女が、本当に努力をしているのかを。』
***
「イリス・カメーリエ嬢の成績の不正だと…それは、我々教師を愚弄するつもりかね?」
「先生方を愚弄するつもりはありません。休みがちなイリス・カメーリエが学年8位である根拠を精査したく学園裁判をしたいのです!」
その日、職員室は緊張に包まれた。
学年指導警備主任フリードリヒ・アイヒェは冷え冷えとした瞳で法学科のエーデル・ラヴェンデルを見下ろす。魔王もかくやの迫力にエーデルは負けじと言い放つ。
「さらに言えば、イリス・カメーリエ嬢はある特別待遇処置をうけているそうですね?」
「特別待遇処置……ああ、附属病院に入院しながら学園に通学していることか。」
フリードリヒは顎に手を当てながら、目の前のエーデルを見下ろす。くだらないと一蹴するつもりだったが、一応、その真意を聞かねばならない。
「中等部に入れば強制的に学寮に入り、学園の秩序の名の元に、集団生活を通して質素倹約に努め、伝統を学び、友を作り絆を深め切磋琢磨すると言うのが学園の理念と我々は認識しております。」
「いかにも。」
「ですがユリウス皇太子殿下ですら、学生寮に入寮されているのに侯爵家カメーリエ嬢だけ入寮されていないのは、実に不愉快至極、学園による特別待遇を疑わざるをえません。」
鋭い言葉にフリードリヒは眉間に皺を寄せる。確かに特別待遇に思われてもしかたない。正論だが、一方的な正論だ。視野が狭く、自分を正義だと疑わない愚か者の論理である。
「もっともだが、カメーリエ嬢は幼い頃からの重病を患っている。女子学寮は病院からは離れており、カメーリエ嬢の容態急変した場合、間に合わない。それ程までしないとカメーリエ嬢は学園に通うのも難しいのだ。」
「聴くところによりますと、病室は応接室つきの準二級相当のロイヤリティだとか?これは、一人で使うにしては行き過ぎでは?2人ひと部屋で暮らす慎ましやかな学生たちになんと申し開きをされるおつもりで?」
「……警備が行き届いた学生寮と一緒にするな!病院内では学生寮と違い外部の人間の出入りが多い!彼女の身の安全を考えるなら致し方ない処置だ。彼女は普通の令嬢ではない。我が国の魔法の最高顧問の娘だ。誘拐などされてみろ、大変な事になる。我々学園はそれを考慮して許可をだしている。そうしなければ、生徒を預かる我々学園の責任問題に関わるからだ。」
「っ……。」
こんどはエーデルが声を詰まらせた。だが、その目は
尚も引き下がることはなかった。
「ならば、それ程までに重病なら何故学園に通っているのです。授業も休みがち、具合が悪ければすぐに早退。そのような人間が学園に通っている事が信じられないのに、成績が8位?正直に納得できることではありません。
」
「確かに、彼女は休みがちだがその分のレポート、論文は素晴らしく評価に値する。もちろん、小テストや、実技の日に休んだ場合は遠慮なく成績ポイントも引いている。特別扱いなどしていない。我々はあくまで公正であり、妥当な評価をだしている。」
「だとしても……我々はカメーリエ嬢の待遇への疑問を他生徒にかわり問いたい。カメーリエ嬢の成績が正統なものであるかを問い、彼女の待遇の根拠である彼女の病気の開示を請求いたします。」
「……個人情報に関わる議題だ。彼女にとっては致命的なスキャンダルにつながりかねない。それを開示しろと?貴様、何様のつもりだ。淑女の個人情報を暴くなど紳士がする事ではない。この学園で何を学んできた!」
ビリビリと職員室の窓ガラスを揺らすフリードリヒの声に、その場の空気は凍りついた。普段寡黙なフリードリヒの重たいバリトンによる叱責は目の前のエーデルも身震いするが、後にはひけない。エーデルは3枚の書類と分厚い書類の束をフリードリヒに突きつけた。
「……法学科一年エーデル・ラヴェンデル、騎士科三年ヴァールハイト・グランツ・キルシュバオム、美術科ヴィント・ナルツィッセ。ここに、3人による告発による学園規則の請求権に基づき、学園裁判の開廷を請求いたします。原告代理人としてエーデル・ラヴェンデルがここに、被告人イリス・カメーリエの出廷を要請、審議を要求いたしたします。また、これは学年の三分の一の学園裁判開催への要望の署名です。……聞き入れてくれますね?先生。」
「……学園側としては受け入れるしかあるまい、学園裁判は生徒の自治であり、正当な手順を踏んでいるならば
我々は断る理由はない。だがエーデル・ラヴェンデル。」
「……はい。」
「…恥を知れ。貴様はこの瞬間から恥知らずの称号を手にした。男三人が、か弱い女子を吊し上げしたのだ。その愚かさを悔いるがいい。」
エーデルは深々と一礼すると、開廷許可証を手に廊下を歩く。
(………俺はとんでもない事をしているのかもしれない。)
エーデルは内心迷いが生じている自覚はあった。だが、あの日、リーリエが、普段気が強いあのリーリエが中庭で泣いていたのだ。
リーリエは特進科で成績はずば抜けていた。学年二位の彼女が白金の間のサロンメンバーに選ばれなかったからだ。エーデルはリーリエがずっと努力して来ているのを知っている。なのに彼女は選ばれなかった。相応しい能力を持っているのに。
エーデルは努力をする人を好み、その努力が報われないことが嫌いだった。彼は身分が低くても、努力家なリーリエに好感を持っていた。打てば弾むような会話も楽しくて、学友となった彼女は他学年の先輩とも打ち解けている。素晴らしい友人だと心から思っていた。
だから、あの日イリス・カメーリエに白金のサロンメンバーを降りてほしいと説得するつもりでサロンに連れてきた。だが、まさか白金の間が事前登録しないと防衛装置が働くとは知らず、リーリエは血抜き結界に囚われてしまった。
初めはイリスが妨害工作として施した結界だと認識して、彼女を睨みつけたが、後でユリウスとフリードリヒから装置の詳細を聞いて反省した。口汚くイリスを罵ってしまった自分が恥ずかしい。
あの後ユリウスから「何が俺が裁いてやるだ笑わせるな。属国の大使風情がウチの国で何を裁くと?ここはいつからお前の国になったんだ?」と盛大に不快だったとエーデルとやってきた副大使に苦情を言われ、父の皇帝からお叱りの手紙もきていた。
エーデルはその出来事もあり、冷静さを取り戻しつつあった。確かになんであんな馬鹿な行動をとってしまったのか…なんだか釈然としていなかった。強制力的な不思議な力が動いていた気がする。
あの後イリス・カメーリエを遠くから観察したが、か弱い令嬢そのもので、本当にキルシュヴァウム先輩が言うような卑劣な噂を流しているのだろうか。
そう思っていた矢先だった。
「エーデル様!ど、どうでしたか?」
「ああ、大丈夫だよネリィ。無事許可をもらってきた。君の憂いや無念はきっと晴らしてみせるさ。」
エーデルは泣きそうな女子生徒の肩に手を乗せて頷いてみせる。
彼女の名前はコルネリ・エーアトベーレ。
乳兄妹である彼女にエーデルは思考を切り替える事にした。
コルネリとエーデルは幼い頃から勉学を共にして来た竹馬の友であった。彼女の家は古くからラヴェンデル帝国内でも医学の名門で、父は宮廷医として、エーデルの乳母となったコルネリの母も才女として名を馳せていた。
今回、エーデルと共に学院に入学したが、最近は暗く塞ぎ目に見えて落ち込んでいた。
『…エーデル様、わたくし、悔しくてしかたないのです。』
『…ネリィ、どうしたんだ?』
いつもキッチリと結った髪が乱れ、目元を真っ赤に腫らし窶れた様子の乳兄妹の姿にエーデルは驚いた。
『あのイリス・カメーリエ嬢に、また負けたのです。』
厳しい彼女の両親は昔からコルネリに英才教育を叩き込んできた。その甲斐あってか、エーデル達の国では才女と名を馳せ、難関と言われたシュタム国立ブレーメ学園高等部医学科へと入学出来たのだ。だが、天下のブレーメ学園。各国からの天才が集う学舎であるなか、コルネリ以上の才女がゴロゴロいた。
その中でも一際目立つのが、リーリエとイリスだった。コルネリはこの2人の上にどうしてもいくことが出来ず、国一番の才女というプライドをへし折られ、両親からの成績に関する叱責に精神的に追い詰められていた。
『何故、あんなに休む令嬢に負けなければいけないのですか?納得できません…。ずるいです。きっと不正をしているに違いありません。寮にだって住んでいませんし…噂じゃ、傍らにいる執事がレポートを書いているのではと…』
そんな方が白金のサロンメンバーだなんて…
その乳兄妹の言葉にエーデルの義憤が蘇る。たしかにおかしい。ならばハッキリさせねばならない。
校則に則る裁判ならばユリウスやカメーリエ家も介入できまい。エーデルは必ずイリスの不正を見つけてみせると息巻いた。
こうして、その義憤は学園のみならず、国を揺るがす大騒動へと発展することとなる。
できていたんだけど…学園裁判の流れがプロットと変わってて…どうしたものか。書き直したいこの頃
因みにフリードリヒ先生も追加の攻略対象キャラだったりする。魔王系厳格教師30代の色気推しタイプ




