後編②
こ、これは一体なんのイベントなんだろう。
御機嫌よう、いきなりブチ切れたヒロインさんに腕を掴まれ、痛たたな悪役令嬢のイリス・カメーリエです。
病室のプライベートスペースに入ってきたヒロインさん。私を見るなり、顔色が真っ赤になってて、熱中症!?それとも、あのお色気担当のネルケに何かされたの!?
思わず声をかけたら、「違う!!」と言われましてやはり悪役令嬢が悪役やってなかったのが不満だったのか、ブチ切れされました。
あんた誰だ!って言われても、イリスだー!て言うしかないのですが…確かに悪役令嬢はゴキブリみたいな生命力持ってましたよね。キルシュヴァウム先輩ルートで、魔獣ひしめく死の森アームでヒロインを追い詰めるシーンがありますけど、普通、貴族令嬢が猟銃片手に全力で追いかけてくるとかどんなホラーだよって前世での記憶に残るぐらいイリスはタフですが、今の私じゃ猟銃も持てない貧弱だし、森にすら行けないですわ。
すいません、体力的に悪役令嬢できなくて。
異様な雰囲気に、咄嗟にアンネさんが間に入ってくれましたが、運動のステータスが高いヒロインさんに突き飛ばされてしまいました。
あまりの暴挙に唖然としてしまいましたが、抗議しようと意識を戻しました。
アンネさんを突き飛ばすのは許せませんわ。
その隙にヒロインさんにすごい力で右腕を掴まれてしまいました。
あイタタタ!
ガッと掴まれた腕には点滴が付いてまして、地味に爪が食い込んで痛いんですけど。
あ、点滴を引き抜くつもりですの!?勘弁してくださいまし!
あまりの痛さに、ギュっと目を閉じたときでした。
「そこまでにして貰おうか。」
ハッとし、顔を上げるとユリウス様が入り口に立っていらっしゃいました。
「…ゆ、ユリウス様」
「もう一度言うリーリエ・ボーデン。イリスから手を離せ。」
ヒロインさんは顔を真っ青にすると、ようやく私の腕か
ら手を離してくださいました。
よ、よかった。
「ユリウス様、これは、そ、そう何かの間違いです。イリス・カメーリエ様がこんな…」
「イリス、腕を見せよ」
「えっ」
まさかの無視?
「…怖かっただろうに、」
労わるように優しい声と表情に目を細めるユリウス様に、顔が熱くなるのがわかります。
フォーおおー!!と、ときめいてませんから!!
「…あ、あのユリウス様、何故ここに?」
「前に、約束しただろう?この薔薇が咲く頃また贈ると。先程、城から使いが来てな。早くそなたにと気が急いてしまった。すまぬ、入室の許可を貰おうとしたが、怒鳴り声が聞こえたのでな。」
もう、咲く時期だったのか!わざわざわたくしのために殿下自らいらっしゃるなんて。
べ、別にポワポワなんかしてませんわ!してませんたら!
あ、いい香り。
「わざわざ、わたくしのために?」
「ああ。棘の処理はしてある。」
花束を受けとると、わたくしは花の香りを吸い込む。
薔薇の匂いは強いけど、この薔薇は甘やかだけど品があって刺激も少ない。
優しい香りがユリウス様のようで、わたくしはこの薔薇が大好きです。
しかも、ユリウス様自ら届けに来てくださるなんて
嬉しいに決まってます!
え?否定しないのかって?できませんわよ!
ええ、わたくしの負けです!好きです!何気ない優しさが大好きなんです!
昔からそうです、殿下はわたくしのわがままに、ウンザリしてても、決してわたくし自身を否定されませんでした。
拒否もせず、わたくしが近寄っても無視は絶対しませんでした。歩調だって、ドレスのわたくしにも合わせてくださったし、小さな頃から紳士な方なのです。
思わず小さな頃を思い出して、へにゃと笑うと、ユリウス様も笑い返してくれました。
ゲームですと、イリスは徹底的に無視されますから、なんだか変な感じですが…。くすぐったいといいますか?
「っなんで、」
「リーリエ・ボーデン。おまえは、人に傷を負わせておいて謝罪もないのか?」
あ、リーリエさんまだいたんでした。一気に部屋の温度が低くなったのは気のせいでしょうか?
「っ…ひ」
「…良かったな、イリスの前でなければその右腕切り落としていた。」
淡々と言う声が怖いです。あ、これ、絶対 マジな声です。
「っ!!」
ガタと貴族令嬢にあるまじき様子で強く扉開いて逃げ去るリーリエさん、命の危機でも感じたのでしょうか、見事な逃げっぷりです。
思わず、長いため息を漏らしてしまいました。
色々疲れました。ええ。
「お嬢様、も、申し訳ございません、っあんな乱暴な方だと知ってたらネルケを側から離さかったのに!」
「わたくしは大丈夫よ、アンネ 、大丈夫?貴女、軽い脳震盪起こしているのではなくて?」
「私のことなど…っお嬢様こそ、白魚のような手がこんなに紅くなって…っ」
ポロポロと可憐に涙をこぼすアンネさん。この人こそ真のヒロインだと思うのはわたくしでしょうか?
ユリウス様も、ソッとハンカチを差し出していらっしゃいます。ヒロイン力なら多分リーリエさんより高いですわね。
「イリス、今後 あの娘と直接話そうとするな。いずれ、なんらかの形で責を負わすゆえ、そなたは養生に努めよ。」
「なんらかの責ですか?」
「学園内であれば、学園裁判で裁けるが、病院内ではそうもいかん。警備騎士隊を出動するはめになるが、そなたはそれは望むまい?」
そうなんです。平和主義な日本人の記憶から、わたくしは争い事は好みません。
学園裁判とは学生3人以上による告訴により、学園内のルールを破ったとして罰則を下す裁判でして、1番重い刑は退学となります。
逆に、教師による罰則も可か不可かも検討されます。
生徒の自主性を育て、身分階級の差を唯一覆せるのがこの学園裁判です。
ここは学園ではなくあくまで病院です。なので、治安維持をつとめる警備騎士隊が出動し、正規の障害事件として、刑事処罰を受けることになります。
そうなれば、リーリエさんは犯罪者のレッテルをはられ貴族社会からも、平民社会からも爪弾きにされるでしょう。
わたくしは、臆病者ですからリーリエさんのこれからの人生を、左右してしまう大事にしたくないのです。
確かに、リーリエさんはヒロインです。わたくしを学園から追放するフラグです。、だからこそおおごとにしてまで、排除したいとは思えないのです。
甘いと、おっしゃる方もいらっしゃると思います。
でも、だれかを攻撃しようとするのも、疲れますし、倍返しだ!って叫ぶ某銀行員みたいにタフでもございません。
今回は、犬に噛まれたと思って諦めます。
出来ることと言えば避ける事だけでしょうね。
「…ありがとうございます、殿下がいらしてくれてよかっうっ」
「イリスっ!?」
あ、ヤバっ 油断してました。ああ、どうしましょう、好きな人の前で吐血してしまいました。
久々の吐血です。2週間ぶり、ずいぶん溜まってたみたいです。
殿下に頂いた薔薇には血にはかからず良かったですわ。
グラナード先生の時もそうですが、タイミング悪すぎません?
学院で吐血しなくてよかったのですが…しばらくトラウマですわ。
「お嬢様!これをっ」
アンネに渡された陶器の桶の中に、顔を埋めて胃の中の物を吐き出します。アンネが立ち上がり、凄まじいスピードで私の体勢を直すあたり流石ですわ。
「殿下、申し訳ございません、お嬢様の背を摩って下さい。私は医療道具を用意致しますので、今暫く、お願いいたします!」
そう言うや否や、テキパキと用意するアンネを尻目に、殿下が私の背を摩って下さいます。嬉しいやら情けないやら、泣きたい気持ちを堪えて、桶に集中いたします。
うぇえ、気持ち悪いですわ。通りで今日体調がイマイチだったわけです。
「イリス、っイリス!」
「…だ…いじょうぶ…ですわ。い、つもの事です。…見苦しい姿をお見せして…申し訳っ…」
「喋るな、気管に血が入ってしまう!ゆっくりで良い、吐き出せ。」
そう言ったユリウス様の姿は、今までにないほど優しいお顔でした。
***
「……。」
「殿下、お嬢様の処置が終わりました。今、お休みになられてます。」
「…そうか。」
イリス・カメーリエと言う少女と出会ったのは十三年前。良く笑い、良く泣いて、ワガママで傍若無人な幼女だった。
『でんかは、わたくしとけっこんするんですよ!』
金色の髪が、太陽にキラキラ輝いて薔薇色のほっぺに大きな緑の瞳。未だに思いだせるほど強烈で、健康そのものの印象だったあの女の子が、今、ベットに埋もれるように弱々しく眠っている。
イリスは今も病と戦っている。
胸がキュウと痛む。同情?憐み?
違う、これは焦燥だ。
今まで何をしていた?薔薇と手紙だけでなぜもっと見舞いにいかなかった?もっと、イリスと過ごせる時間はもっとあった筈だ。何故だ?
あと、どれくらい共に過ごせるのだろう、俺は彼女に何をしてやれる?
焦れる感情が、溢れていく。ああ、大切なものが掌から溢れてしまうような、そんな不安が胸を襲う。
いま、はっきりとわかる。
好きな女の子の現実は厳しく、俺は彼女を失う恐怖を抱いている。
「……失礼する。」
「お待ちを」
かすれた声を出して立ち上がると、彼女の執事と目があった。
「僭越ながら、お送りいたします。」
外を見ればもう日が落ちていた。部屋の外には護衛騎士がいるが、寮から先は入れない。この執事は寮生なのだろう、部屋まで俺を送るつもりか。
「…だが、イリスについていなくて良いのか?」
「お嬢様には母とグラナード先生がついております。それにここで殿下をお送りせねばお嬢様の面目を潰してしまう事に…」
建前はそうだがこの執事、俺に何かしら用事があるのだろう、イリスに聞かれたくないと俺を送る口実で道すがら話をしたいようだ。
「そうか、ならば否やと言うまい。」
そう、頷くともう一度イリスの病室に目を向ける。
もう一度、イリスの笑顔が見たい。声がききたい。
明日、また見舞いに来よう。そう思う自分にふと苦笑をする
幼い頃の立場が変わってしまった。幼いイリスは俺にひっついていたが、今では俺からイリスのそばに行きたがるとは
さて、ネルケと言ったか、…あの執事の話は俺に何をもたらすのやら、少なからず覚悟せねばな。
寮に向かう道がいつもより遠く、俺の足取りは重かった。
**
「名前あった?」
「あった、あそこ」
「どれ?」
掲示板の周りには人だかりができていて、そこには各学年ごとに名前が張り出されていた。
夏季休暇前の期末試験結果が張り出されたのである。
その掲示板に一人の少女が茫然と立ち尽くしていた。
「あ、見て見て、カメーリエ様また10位以内ですわ!8位ですって」
「あんなに、病欠していらっしゃるのに凄いですわ。何か秘訣でもあるのかしら?」
「あの、美形の執事とつきっきりでお勉強かしら?」
「まあ、この前、ユリウス殿下とサロンで勉強会していたからではなくて?」
「いいえ、きっとあの美形と名高く優秀なお兄様のおかげですわ。イリス様の双子のお兄様は文武ともに優秀で首席だったと。」
「羨ましいですわ、素敵な御兄弟がいらっしゃって、素敵な殿方にお世話されるなんて役得ですわ」
妬みと蔑みを込めた声に周りの令嬢達はクスクスと笑う。
「ね、あれ。」
小煩く掲示板の前にいた令嬢は、立ち尽くす少女を指差し嘲るような笑みを浮かべた。
「コルネリ様ではなくて?」
少女達は時に残酷で、時に無邪気に人を傷つける。
例え、それが悪意がなくてもだ。
「学年9位ですって、流石ですわね。イリス様には敵わないけど、」
その結果が人の人生を狂わせることになったとしても。彼女達は今日も囀る。ただただ無邪気に。
ここから怒涛の後半戦が始まります。




