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所長と助手

男と女

作者: mosuco

 あなたを愛してる。

 愛に溺れるあなたを尚も愛そう。

 あなたが求めるエニシを手にする日がきたとしても


 都内某探偵事務所。

「これもまた詩人ですね」

 黒いカードを眺めて、男は呟いた。

「で、これは何枚程送られてきたんですか?」

「カードも2、3週間にまとめて14、5通は来ます」

「手紙と一緒に。ですか」

 問い掛けに向かいの女はキュッと口を固く閉じ、眉間にシワを寄せて頷く。

「なるほど…2、3週に手紙とカードが14、5通…内容からも見て、まぁよくあるストーキングですね」

 視線をカードから手紙に移し、カードをそれの上に放り投げる。

「…映画の鑑賞チケットにビデオテープですか」

 パサっと紙が擦れ合う音の中、男の視線は、傍らの半透明のケースに収められた黒い長方形と、細長い紙に向けていた。

「ビデオは気味が悪くて中を確認してないんですが」

 更に深いシワを刻んだ彼女も、それを睨みつける。

 男はビデオの側面を見て、ケースから取り出すと彼女へと掲げた。

「これは不定期、なんですよね」

「そうです。手紙と一緒にたまに来ます」

 女からの返答に、男はビデオをクルクルと回して観察する。

「確認してみますか。私たちも一緒なら大丈夫ですよね?」

「一緒だったら…」

 ニコリと笑いかけた男に、女は眉間のシワをほんの少し緩めた。

「助手、蒲江(かまえ)さんからテレビデオ借りてこい」

 男は笑みをしまうと振り返り、後ろに立つ少女、助手に告げる。

「はい、所長」

 頷く少女はそのまま、アルミで出来た扉を開き、出て行った。

 カシャンと閉まった扉を、口を半開きにして眺めた女は、バッと向かいに座る男、所長に顔を向ける。

「あの…あの子1人で大丈夫なんですか?」

「ああ、大丈夫です。ウチの助手は普通より腕っ節があるので」

 眉を寄せて、おそるおそる女が尋ねると、所長は先程のようにパッと笑った。


 数10分後、テレビデオを担いだまま助手の女の子は平然と戻ってきた。

 私より細くて小さなその子の姿に驚くも、探偵は顔色も変えずに向かえた。

 奥にある机に置いて、コンセントを差し込み、電源をつける。

 ザーっと砂嵐が映るテレビデオに、探偵がリモコンで操作すると、真っ暗な画面の端にビデオという文字が映る。

「では、よろしいですか」

 探偵の言葉に唾を飲み込み、頷いた。

 ビデオが差し込まれ、ガチャンと飲み込むと、自動的に再生された。

 映像はCMの途中からで、すぐに終わると、女優が都内の駅を走るシーンが流れた。

 これ、ドラマ?なんでドラマ?

「ドラマですね」

「そう、ですね」

 探偵も気がついたようで、私は頷く。

 映像では、有名歌手の曲をバックに、ドラマのタイトルが流れている。

 こんなドラマ、いつやってたんだろ。

「何か心当たりは?」

「いえ、別に見ていたわけでもないですし…あ」

 質問に答えればドラマはプツンと切れて、またCMの途中から流れはじめ、そしてドラマが始まった。

 さっきと同じ女優がテレビデオに映る。

「…途中で終わって次の話か」

 ポツリと探偵が呟いた。

 なにこれ…不気味。

 結局、そのドラマは話数がとびとびで中途半端のまま終了。

 最終回でさえ、途中で切れたけど、全くドラマの結末が気にならない。話の内容なんて入ってこなくて、ただただ気味が悪いだけだった。

 間も空ける間もなく、違うドラマが始まった。それは先月終わりを向かえたコバキョー主演のものだった。

「ああ…これが」

 また探偵が呟いた。

 自分の職が題材のドラマなんだし、気になるのかな。

 まぁ私も話題だったから、1回だけ見たことがある。これはその話だった。

 それもプツリと途中で終わると、昼間にやってる情報番組が始まった。

 それも途中で終わって、次はバラエティー番組の2時間スペシャルが始まった。

 それは最後まで放送し、CMを二回やったところでビデオはプッツンと黒い画面に切り替わった。

 呆然と画面を眺めていたら、探偵が黒い画面に向けてリモコンを操作する。

 ピュルルルと高い音が鳴ると、画面に筋が下へ下へと下がっていくのが映る。

 ガタン、と音が鳴ると画面に停止の文字が左上に現れた。

 画面は黒一色で、口を開けた私と、リモコンを持った探偵が映っている。

「…これで終わりみたいですね」

「そうですね」

 呟いた探偵に私も頷く。

 ガシャとビデオが出てきた。

「映っていた番組の中で、植田(うえだ)さんが見ていたもの、もしくは見たかったものはありましたか?」

「ええと…見たことあるのは一つだけで、特に見たかったものはないです。あまりテレビ見ないですし」

 不意に話し掛けられたけど…うん、あのドラマ以外見たことない。話は聞いたことあるけれど。

「そうですか。録画時間もバラバラ、ジャンルもバラバラ…贈り主からの何らかのメッセージだと思うんですが」

 探偵さんは考える人のように顎を拳で支えて言った。

 それもすぐに崩し、姿勢を正した探偵は、テーブルに置かれたままのチケットを取り上げると、ペラリと見せた。

「それではコチラ、この映画のチケットは?」

 タイトルにも、大きく載った主演の写真にも、全く見覚えがない。

「余り詳しくないので…映画自体観に行くことも滅多にないです」

「そうですか。ではコチラで調べさせて頂きますので、お預かり致します。その後の処分は」

 処分、か…気味が悪いし、捨てるつもりだったから持って帰るなんて事はしたくない。

「捨てて下さい。なんだったら燃やしてもいいです」

 一瞬ぱちくりとした探偵は、すぐに笑顔に戻った。

「燃やして、ですか…わかりました。では最後に…ボディーガードの件、本当によろしいんですね?」

 ここに最初に来たときに否定した話を、探偵はもう一度繰り返してきた。

「はい。今までもつけられたり、変な視線を感じたりしないですし…あんまり拘束されるのも嫌なんです。私は誰がこんなマネをするのか知りたいだけですし」

 もう一度答えて、キチンと理由もつければ、探偵は諦めたのか、笑顔を苦笑に変え、首をほんの少し右に傾けた。

「まぁ…そこまでおっしゃるなら無理にはいいませんが、護衛が欲しい時はいつでもどうぞ」

「ありがとうございます」



 都内某探偵事務所

 午後、緩やかな日差しを背中に浴びながら所長は、机の上のテレビデオを睨みつける。

「ビデオですか」

「あぁ」

 パーテーションから現れた助手は、テレビデオ越しの所長に声をかける。

 所長は視線をテレビデオに向けたまま返す。

「もう一度観るんですか」

「あぁ」

 更に声をかける助手に所長は再度返す。

「何か引っ掛かるんですか」

「…助手」

 三度声をかけた助手に、所長は上目の状態で助手を見遣る。

「はい、所長」

「お前は…いや、なんでもない」

 応えた助手は、所長の元へと近付く。

 テレビデオの傍まで来た助手に、所長は言葉を濁らせ、視線をテレビデオにもどす。

「私は、なんですか」

 所長の仕草に助手は彼の隣で立ち止まり、僅かに首を傾げた。

「…お前はコレが解るか?」

 チラリと横目で助手を確認し、すぐに視線でテレビデオを指す。

 それにならって助手は、テレビデオに映る映像を見る。

 テレビデオの映像は夜の公園にて女が男に告白をしている場面を映す。

「ビデオ。映像を録画し、記録を残す媒体です」

「…あー、そうだな、ビデオはそういうものだ」

 暫くそれを見つめた助手は、淡々と答え、所長はズルリと肩の力を抜いて抑揚なく肯定する。

「間違っていますか」

 パチと瞬きをひとつ行う助手に、所長は椅子に座り直す。

「いいや、間違ってはない」

 緩く呟き、机の上のカードを手に取って、裏表をしげしげと眺めると、チラリと足元に置かれた一杯に詰められたゴミ袋を見つめた。

「しかしこの犯人、押し付けがましいな」

「ストーカーとはそういうものじゃないんですか」

 ゴミ袋を見つめたままの所長を見遣り、助手は首を傾げる。

「まぁ確かにな。ただ、押し付けるだけってのがな…実害はこの大量の郵便物のみ、監視も無言電話も無し」

 ゴミ袋から視線を外した所長は、息を吐いて椅子の背に体重をかけ、日に焼けた天井を仰ぐ。

「依頼人が気付いていないだけでは」

「その可能性な…まぁ無いとは言えないが」

 助手の言葉に所長は髪をかきむしると、机に置かれた一枚の封筒から便箋を取り出し、開いたそれに記された文字の羅列を目でなぞり、止めた。

「…手紙の内容が見守っている、お仕事お疲れ様、なんて書いてるからな」

 トントン、と右の人差し指で叩き、助手に示して見せる。

 少し屈んだ助手は、所長の手の中の便箋を覗き込む。

「ただ…今日も、ってのが引っ掛かる」

「も、今日以外にも見守っているということですか。文章としておかしくはないと思います」

 右手で顎をなぞりながら眉間にシワを寄せて唸る所長に、助手は淡々と告げると、所長はチラリと助手の顔を見る。

「そりゃ今日も見守っているっていう文章はおかしくはない。けど、それが週に届く大量の郵便物に書かれているんだぞ。手紙単体には日付も記されてないし」

 顎から手を離し、ペシンと人差し指で弾く。

 助手は揺れた便箋に一度視線をやると、すぐに所長へと戻す。

 所長も便箋から助手に視線を合わせると、眉間のシワを緩め、ニヤリと口角を上げる。

「今日も、なんて毎回書く犯人が、まとめて一気に送るなんてしないだろ?普通なら一日に一通のペースで送るはずだ」

 そこまでスラスラと語った所長は、深い溜め息を吐き出して、眉間にシワを刻んだ。

「純粋に関係の縺れなら簡単だったんだがな、手紙もビデオもチケットも謎だらけだ。これは一個ずつ片付けていくしかないな…」



 商店街から少し離れたこの喫茶店は雰囲気があり、ウマイ珈琲が飲める僕のお気に入りの店だ。

 今日もまた、仕事となった執筆活動の合間にやってきて、カウンターの店の奥の席で一杯を楽しむ。

 この瞬間が僕の人生の中で、幸福を感じる瞬間だ。

 カランコロン、と入口の方から客を知らせる音が静かな店内に響く。

「いらっしゃーい。あ、考助(こうすけ)くんに 雨子(あめこ)ちゃんだ」

 間延びしたマスターの声が訪れた客を迎える。

 現れた男は今の時代には古めかしいコートとハットを被り、傍らにはシャツにショートパンツ姿というシンプルな格好をした少女がついている。

「どうも、蒲江さん。今日はそっちなんですね」

 そんな珍しい組み合わせの二人はどうやら常連らしく、男がマスターに話し掛けながら入口側に近いカウンターの席に座ると、少女もその隣に並んで座った。

「うん、麻里亜(まりあ)はお友達と遊びに行っててねー」

「そうですか。あ、そうそう…テレビデオ、しばらくお借りします」

「使ってないからいいよー。なんだったらあげるけど」

「いや、遠慮します。事務所にあまり物を置きたくないので」

「そっかー」

 ニコニコと人当たりのいい笑顔を浮かべるマスターに対して、男はハットを外して口元を緩め、苦笑した。

 しかし、それもすぐに引っ込め、男は顔を強張らせて真剣な表情をつくる。

「蒲江さん、これ知ってますか」

 懐から紙切れを差し出し、マスターに渡す。

「チケット?うーん知らないなぁ…CMも見たことないや」

「そうですか。ありがとうございます」

 首を傾げるマスターは受け取った紙を綻んだ表情に戻した男に返す。

「どういたしまして。それって依頼?面白い映画を調べて欲しいとか?」

「そんなくだらない依頼じゃありませんよ」

 マスターはコーヒーメーカーに触れ、豆を入れながら問いかけると、男はまた呆れたように苦笑を浮かべた。

 店内にビィィンと特有の音が響き、珈琲の香りが広がる。

「くだらないかなぁ?意外とそういうのが大事なことだったりするんだよ」

 また首を傾げたマスターはポツリと呟いた。

 このマスター、見た目とは裏腹で、なかなか鋭い言葉を口にする。

 鋭い、と例えると語弊を生んでしまうが、なかなかコチラの虚をつき、埋めるような発言をするのだ。

 かく言う僕も、彼には何度か作品のヒントを頂いたものだ。

「はい、いつもの」

「どうも」

 カチャリと、ソーサーがカウンターにのり、男は会釈する。

「雨子ちゃんもどうぞ」

「ありがとうございます」

 もうひとつソーサーがカウンターにのったのか、男の奥に座った少女がポツリと初めて言葉をこぼした。

 言葉の割には抑揚がなく、淡々とした冷たい印象を受ける。

「どういたしましてー」

 しかしマスターは特に気にもせずにニッコリと返す。

「蒲江さんはこれ知っていますか?」

 男は次に白く折り畳んだメモのような紙を渡す。

 疑うことなく受け取り開いたマスターは、また首をコテンと傾げた。

「ん?最近までやってた番組ばっかだねぇ…たまーに見たことあるかなぁ」

「チャンネルや時間帯なんかの共通点ってあります?」

「ううん、チャンネルも時間帯も内容もバラバラ。もしかして暗号?だったら考助くんのが得意じゃないの?」

 マスターは首を振って男にメモを返すと、受け取った男はそれを開き中をじっと眺める。

「メッセージだとは思うんですけど、あまりテレビを見ない質なんで」

「そっかー難題だね。でも僕もわかんないなぁ…ごめんね、力になれなくて」

 しばらく眺めたままだった男は、折り畳むとスッと胸元に手を差し込み、抜くと、カップを持ち上げた。

「いえいえ、話が聞けただけでも助かりました」

 そう言ってカップに口をつけた。

 その時、男の反った首の後ろからコチラをじっと見つめる少女と目があった。

 無表情のまま見つめてくる少女にいたたまれなくなり、目を逸らして、珈琲を一口飲む。

 少し冷めてしまった珈琲は苦く、思いの外悪い癖が長引いてしまったことを感じとれた。…いい加減、次の記事の構想を練ることにしよう。



 都内某探偵事務所

 日が傾き、辺りを橙色に染め上げる中、所長は椅子にもたれかかり、ギィっと椅子が鳴いた。

「はぁ…一体何を伝えたいんだ?録画時間を掛け合わせるのか?それともタイトルのアナグラムか?」

 しきりに髪をかきむしり、ブツブツと呟きながら、テレビデオに映る映像を睨みつける。

「所長」

「番組の最終シーンを暗示させたいのか?そこでぶち切るなら一番それが可能性高いが」

 傍で立ち尽くす助手がポツリと呼ぶも、所長はブツブツと呟くのは止めずに、掻きむしる手を止めてテレビデオの映像を睨みつける。

「所長」

「っなんだ助手」

 変わらず所長を呼びかける助手にキッと助手の顔を見上げて荒く返事をすると、顔色変えずにテレビデオの画面を指した。

 画面にはこれから来るイケメン特集と表されたコーナーが展開されており、出演者よりも大きなパネルに、何人かの男の写真が貼られていた。

「この男、また出ています」

「…なんだ、ちっちゃくて見えないが?」

 カメラは熱く語る女性アナウンサーを中心に映し出しており、所長は目を細めてテレビデオとの距離を詰める。

「この男、さっきの番組にも、その前の番組にも出ていました」

「本当か?」

 指を下ろした助手は、淡々と告げると、勢いよく所長は助手に振り返る。

「はい」

「最初から確認するか」

 頷く助手を確認してから、所長はリモコンを手にとった。



 依頼を頼んでから3日。

 探偵から連絡をもらい、事務所に来ると、前回来た時に座ったソファーに通される。

 席に座ると、向かいに座った探偵が付箋が貼られたページを開いた雑誌を見せた。

「この男を知っていますか?」

 まるでアイドルのように爽やかな笑顔の男が自転車にまたがり、コチラを見つめてくる。

 その笑顔に見覚えがある、ような…モヤモヤとして自分でも分からない。

「うーんどこかで見たような気はするんですが…名前までは」

速見(はやみ) 俊治(しゅうじ)、という俳優もやっている売れっ子モデルらしいですよ」

 速見 俊治…?それ、どっかで聞いたことあるような…テレビ?ラジオ?いや、違う…あれは確か(めぐみ)から…。

「…あ、知ってます!私、会ったことあります、その人と」

 やっと思い出した私は、嬉しさのあまり大きな声を出してしまった。向かいの探偵は目を大きく見開いた。

「会ったことあるんですか…直接?」

「はい。友達と遊んでいた時なんですが、友達が見かけて、声をかけたんです」

 そう、先月に友人の惠とウインドウショッピングで町をぶらついていた時に、すれ違った男相手に聞いたこともないような高音で声をかけ、引き止めた相手だ。

「友達は彼を知っていたんですね」

「はい、大ファンらしくて…凄く興奮して、サインまでねだっていましたね」

 町中ではしゃぐ恵が恥ずかしくて、あまり思い出したくない。ちょっとアレは大袈裟過ぎるし、ジロジロ人に見られていたし。

「へぇ、それは…相手はどういった反応を?」

「そうですね、急だったのに笑顔で了承してましたね」

 恵いわく超有名人の彼は、嫌がるそぶりも見せずにニコニコしながらスラスラサインを書いていた。

 逆に、私にもサインはいいのか?なんて聞いてきたほどのサービス精神溢れていた。

「植田さんはどうされたんですか?」

「いや、私は全く知らなかったんで、貰ってないですよ」

 探偵が意外そうにおや、と声をあげた。

「そうなんですか」

「はい。友達も貰いなよって言ってはくれたんですけど、知らないからいいって断ったんです」

 もったいない!と彼女は言っていたけど、たいして興味ないモデルのサインを貰っても、正直邪魔になるだけだ。

 探偵は渇いた笑いをこぼした。

「ハッキリ言いますね」

「はい、ごまかすのとか嫌なので」

 なんでも正直に言っちゃうから、人からキツい奴だと思われるのよね。

 直した方がいいなんて言われるけど、生まれてずっとついてきた性格というものは、なかなか抜け出せないものだから…しょうがない、って私はもう諦めている。

「そうなんですか」

 なるほど、と探偵は頷くと会話はそこで終わった。

 ちょうどいい、どうしてこのモデルの事を聞いたのか聞いてみよう。

「ところでそのモデルがどうしたんですか?」

「ああ、送られたビデオの映像の共通点は彼だったんです」

「え…どうして」

 探偵の言葉にキョトンとしてしまう。

 あの気味の悪いビデオの共通点がどうしてそのモデルなんだろう。

「そうですよね、興味のない彼が出演した映像をあなたに送り付けるなんて、意味が分かりませんよね」

 そう、意味がない。

 恵みたいに彼の大ファンだったら、きっと気味も悪く感じないし、喜んで受けとったんじゃないかな。

 好きでも何でもないモデルの出演ビデオに、まとめて送り付ける手紙という名のゴミ。

 やっぱり、私が受けたのはストーカーでも何でもない、私を恨んだ人物の行為なんだろうか。

「…ただの嫌がらせなんでしょうか」

「嫌がらせ、ですか」

「私、こんな性格だし。ストーカー被害って言っても、変な手紙とビデオが送られるだけで、無言電話も追い掛けられたこともないし…ニュースで見たような被害をうけてないんです。私がストーカーにあうなんて、やっぱり考えられないし」

 ポツリと漏らせば、探偵が相槌をしてくれて、スルスルと口から弱音が流れ出る。

「ニュースや先輩に言われて、大袈裟に考えすぎてました。居もしないストーカー犯の正体を突き止めてくれなんて、無理言うなって話ですよね…依頼、取り消す事ってできますか?」

 こんな私には、恨まれる相手がいても、愛してくれる相手なんていない…異常なものですら、いないんだ。

「取り消す事は可能です…ですがね、植田さん。何かがあってからじゃ遅いんですよ。今、解決して以前の生活に戻る方がどれだけいいか…今では安心できないでしょう?」

 ゆっくりと、探偵が私の目を見て語りかける言葉に頷く。

「犯人の行動が謎だらけですが、あなたの依頼を受けた以上、必ず解決するとお約束いたします」

 微笑んだ探偵の言葉に、ツンと鼻の奥が熱くなる。

「本当、ですか?」

「勿論。ハードボイルドですから」

 再度確認をとる私に、探偵は意味ありげに笑った。



 滅多にこない苦情がきた。

 マンション入口から少し離れた位置に、見張るようにして停められた車が昨日からずっとある、気味が悪い。

 それを受けてチラリと管理人室から覗けば、確かにあった…型の古いワーゲンだ。

 なんとかする、と答えた手前、放ってはおけない。

 なにより苦情を告げた佐藤(さとう)さんの奥さんは、婦人会を牛耳る会長様だから…きちんと対処しなければ管理人という職を追い出されるかもしれない。

 何度か深呼吸を繰り返し、意を決して、私はワーゲンに近づいた。

「ああ、どうも管理人さん。ご苦労様です」

 突然開いた窓から顔を出した男に、ノックしようとした拳は空回りして、倒れそうになった体をなんとか持ち直し、ズレた老眼鏡を直してから、改めて男の顔を確認する。

 帽子を被った男はつばを軽く持ち上げて、チラリとこちらを見上げている。

 歳は30代くらいだろうか。

「なんでしょう」

 男はニコリと笑って話し掛けてきて、ハッと佐藤さんの奥さんを思い出す。

 相手は年下で、怖そうな人じゃないじゃないか…ここは勇気を出して、が、がつん!と言ってやろう。

「あ、あの…私、マンションの管理人なんです」

「ええ知ってますよ」

「え!?」

 な、何故私の事を知ってるんだろう。

 住民ではない…筈の男は笑顔のままで、思わず半歩下がってしまう。

「それでわざわざマンションの管理人さんが私達に何の用でしょうか」

「あ、ええ…そのー、実は住民からくじょ、いや、相談されまして、おたくらの車が、その…昨日から停まって、いるので…」

 話を切り出してくれた男に、がつん!とはいかなかったが、なんとか苦情を伝える。

 これで意味を汲み取って、勝手に出ていってもらえれば有り難いんだけど…。

 改めて男に視線を向ければ、男は頷いた。

「なるほど、私達を追い出して欲しいと」

「え、いや、そ…そうなんです、が」

 た、確かにそう、なるんだけど…追い出すなんて、なんだかコチラが悪い様な気が…。

 汲み取って欲しい、とは思ってもハッキリそう言われるのは…辛いうえに反応に困る。

「住民のお気持ちは私も痛いほど分かります。そんな住民の苦情をきちんと処理しなければいけない管理人さんの気持ちもね」

「はぁ…では」

 出ていってくれるのだろうか…。

「ですが、私達も今、重大な仕事をしていまして、ここを動くわけにはいかないのですよ」

「じゅ、重大な仕事ですか…?」

 男は首を傾けて笑うのをやめた。

 ゴクリ、渇いた喉を唾を飲み潤す。

「そうなんです。詳しくは言えないのですが…ここを離れたらマンションが…」

 小声になった男は、気になる所で言葉を区切って目をそらす。

「マンションが、ど、どうなるんですか!?」

「ここ最近、怪しい人影や行動を見たことは?」

 尋ねた筈が、逆に尋ね返された。

「へ?い、いえ…特に気になる事は…なかった、はず、です」

 世間では嫌な事件のニュースばかりだが、今でもこのマンションは静かだし平和だ。

「そうですか…」

 それでも、男は何か考えているのか、口元を片手で塞ぐ。

 大丈夫、だと思うが…私の見過ごしがあるのかもしれない。詳しくは分からないが、マンションに関わる重大な仕事だと彼は言っていた。

 得体の知らない恐怖と不安で、思わず視線が定まらず、ソワソワしてしまう。

 ふ、と男と視線が合えば、男はまたニコリと笑った。

「ご心配いりません。必ず私達でこのマンションをお守り致します。安心してください」

 笑顔で安心させた男は、次に真剣な表情で私の目を見つめて話してくれた。

「あ、ありがとうございますっ」

「ただし」

 反射的なお辞儀の途中、中途半端な位置の顔の前に彼の人差し指が突き出された。

「私達が重大な仕事をしていることは口外せぬように。お願いします」

「はい!」

 その言葉に、背筋がピンとなる。

 話してはいけない、と言われると…ついつい口が軽くなってしまいがちなんだけど。

「ああ、それと」

「な、なんでしょう」

 終わったと思っていた矢先に声をかけられ、ビクンと肩が跳ねた。

「管理人さんにも協力していただけると有り難いんですが」

「きょ、きょ、協力、ですか?」

 一体何をされるのだろうか…もしや、管理人という私を利用して住民の個人情報を調べたりとか!?

「危険なことではないですよ。不審者を見かけたらコチラにお電話下さい。すぐに私達もかけつけますので」

 渡されたメモを開くと、そこに書いてある番号よりも、その下に印刷された警視庁の三文字に目がいって、ストンと私は落ち着いた。

 ああ、警察か。だったら大丈夫だ。

「わ、わかりました!あの、その、マンションのこと…よ、よろしくお願いします!」

 男の頼りがいのある笑顔に向かって再三お願いし、さりげなく敬礼をした。


 都内某マンション前

 一台ポツンと停車されたワーゲンの運転席に座る所長はニヤリと口元に弧を描き、ギッと背に体を預けた。

「これで万が一マンション内に犯人がいるなら、知らせてもらえるだろ」

「今のは所長が不審者です」

 所長の言葉にポツリと助手が呟き、パタンと手の中の文庫本を閉じた。

 ちらりと横目で助手を見やり、所長は笑みを深めて目を閉じる。

「いままでは、な。今の管理人には俺のことを、マンションに関わる重大な事件を追う警察関係者、ってところか」

「所長は所長です。警察関係者と偽る詐称は犯罪です」

 助手の間髪入れずの反論に、パチリと所長は瞼を上げる。

「確かに詐称は犯罪だが、俺は偽ることなく正直に仕事があるって話しただけだし、たまたま使ったメモ用紙が警視庁オフィシャルグッツだっただけ。向こうが勝手にそう思ったんだから、詐称にはならない。わかったか?」

 ツラツラと語り、首を傾けた所長を、助手はじっと見つめるとゆっくりと口を開いた。

「…わかりました」

「まぁそう言い訳する犯罪者もいるから気をつけろよ、雨子」

 頷く助手の頭に右手をポンと乗せて、外を眺めたまま所長は呟いた。



 キィイと悲鳴を上げた扉にパッと笑顔を張り付けて振り返る。

「いらっしゃいませー」

 普段よりもワントーン高めの声を掛けたお客は、男性と女の子の二人組だった。

 まぁ珍しい取り合わせ。昼間の花屋に来る客層ではないわね。

 ついついじっと観察すると、パチリと帽子の隙間から見えた男性と目が合う。

 ニコリと笑った目にドキリとする。

 うーん、年下好きな私だけど、年上の大人の男性もなかなか…。

「い、一体どうしてココに…」

 ポツリと呟かれた言葉に、首を後ろにやればパタパタと隣で足音が過ぎ去った。

 足音へと首を戻せば、スタッフの美香(みか)ちゃんがあの男性と対面していた。

「ただ買い物に来ただけですよ。えーと…コレを」

「…わかりました。お決まりになりましたらお呼び下さい」

 男性が出入り口近くのミニサボテンのコーナーを指すと、美香ちゃんはペコリと頭を下げるとコチラに戻ってきた。

「ちょっとちょっと美香ちゃん!あの人達知り合いなの?」

 持っていたリボンを放って、戻ってきた美香ちゃんを問い詰める。

「え、あぁ…まぁ」

 目を丸くした美香ちゃんは直ぐに視線を逸らした。

 あら、なんだか良くない反応ね。

「…もしかして例のストーカー?」

 ココ最近、美香ちゃんの悩みである人物を挙げると、美香ちゃんは首を振った。

「違いますよ。…ちょっと世話になってる人です」

「そうなの。じゃあサービスしないとねぇ」

 なんか訳ありって感じだけど、美香ちゃんは正直な子だから嘘はついてない。

 それにまぁ格好いいし…悪い人じゃないわね!

 キィイ…

「いらっしゃ…あら」

 響いた扉の悲鳴に条件反射に顔をあげれば、新たなお客の姿はなく、男性の背中のみだった。

 男性がコチラに振り返る。

 申し訳なさそうに眉を寄せて、苦笑を浮かべていた。

「すみません、急用が入りまして…また来ますね。では」

 そう会釈すると、三度目の悲鳴を上げた扉から出て行った。

 扉が閉まると緩やかに流れるBGMがさっきより大きな音のように響く。

「残念ね。せっかくだしミニサボテンプレゼントしましょう。美香ちゃん今度会う時に持っていくといいわ」

「え、お代はいいんですか?」

 目を丸くして、コチラに振り返った美香ちゃんに微笑む。

「もちろん。美香ちゃんがお世話になってる人でしょ?構わないわよ。それに…」

 素敵な人だったし…是非ウチのサボテンを可愛がって欲しいわ。

「それに?」

 不思議そうに眉を寄せる美香ちゃんの言葉に冷や汗をかく。

「え、ああ、サボテン、最近売れてないから在庫整理になってちょうどいいのよ」

 なんとか笑って返せば、美香ちゃんは首を傾げつつも仕事に戻って行った。

 流石にお世話になっている男性に対して一目惚れしたかもなんて発言はマズイわよね…。

 さぁて、私もお仕事に戻らないと…その前に、プレゼントするミニサボテン、選ばなくちゃね。


 都内某路地裏

 薄暗い路地を、スーツ姿の男が息も絶え絶えにもたつかせながら走る。

「は、は、は…っひぃ、ぐっ!」

 男は背後からの衝撃を受け、地面へと倒れ込む。

 すぐさまその上に座り込み、男の手を掴み拘束すると、助手は後ろを振り返る。

「捕まえました」

「よくやった。さて…と」

 ニィッと口元を緩めた所長は、コツコツと近づいて足元に散らばった一枚の長方形の紙を手にとる。

「キゲキプロダクション…マネージャー、田野(たの) 和久(かずひさ)さん?」

「っ!?」

 そこにかかれた文字を読み上げれば男は息を飲み、ビクリと体を震わせた。

 所長は紙から男に視線を移し、押さえ込む助手もジッと下の男を見る。

「田野さんですね。まさか貴方が…」

 またゆっくりと歩き出した所長は、拾った名刺をコートの胸ポケットにしまい、助手と男を通り過ぎて男の顔の前に立ち止まる。

「ち、違う!違うんだ!!僕は脅されただけで、仕方なかったんだ!!」

 所長の言葉に、慌てた様子で男は喚き立て暴れるも、いっこうに助手は微動だにしない。

「脅された?」

「全部…全部、アイツが仕事しないって言うから」

 ギリ、と歯を食いしばり訴える男の目にはうっすらと涙の膜を作っていた。

「なるほど。貴方は仕方なく実行しただけで、それを企んだのは別にいる、ということですね。それではその別の方って誰ですか?」

 口元を緩めて男を見下ろす所長の顔は、逆光で男には見えない。

「…っ!?そ、それは…」

 男は目を逸らし、所長は大げさに溜め息を吐き出した。

「まぁいいでしょう。方法を変えますので」

 所長は右ポケットに手を突っ込むと、携帯を取り出し、軽く操作をおこなう。

 それはすぐに終わって耳元に携帯を当てる。

「あぁ、津川(つがわ)…そうだ。案件は最近流行りのストーカーだ。置いておくから捕りに来てくれないか。場所か?商店街にある花屋、フラワーショップ桜から見て左の細い路地裏だ。…あぁ、わかった。13時だな。大丈夫だ、大人しくしてるから逃げることはない」

 淡々と出る言葉に男の顔は蒼白していく。

 ピッと軽い音が響き、所長は携帯をしまった。

「な、何を」

「なに、田野さんは少しばかりお休みしていただければいいだけですよ」

 所長は震える男に笑顔と優しげな声をかけてやる。

 男はポカンと口をあけた。

「え?おやす…ぐぅっ!!」

 男の言葉の途中、背後の助手が男の首筋目掛けて手刀をうつ。

 ガクリと男の頭は完全に地面に落ちて、助手は立ち上がると所長を見つめる。

「13時になっても起きることはありません」

「よし、一旦事務所に戻るか」

 助手の言葉にニヤリと笑みを浮かべ、所長は元着た道へと歩きだす。

「はい、所長」

 助手は頷くと所長の後ろについて歩き出した。



「犯人は速見 俊治。若い女性に人気のモデルらしい。犯行動機は自分に憧憬、愛情を向けなかったから。お前達が捕まえた犯罪荷担した男、田野 和久は速見のマネージャー。速見に仕事をしないと脅されて手伝っていたようだ。聴取をとったが気の弱そうな男だったよ」

 カランカランとグラスの中の琥珀の海で氷を泳がせながら、黙って聞いていた隣の考助は、微かに頷いた。

 ぼんやりとした様子に、俺は手帳を胸ポケットに閉まい、隣の男に向かって顔を向ける。

「…なんだ、気にいらないみたいだな。依頼はこれで完了したんだろう?」

「ああ」

「じゃあよかったじゃないか。今回は特に何もなくて」

「ああ」

 …なんだ。こいつはまた気になる事があるみたいだ。

 顔をカウンターのグラスに戻して、俺はクイっとウイスキーを喉に流す。

「なぁ津川。お前、昔ラブレター貰ったことあったよな。差出人の名前のない」

「ゴホッゴホッ…どうして急にそんな話しになるんだ!」

 急に話しかける内容が、関係のない学生時代のそれなんだ!

 気管に入ったウイスキーに咳こみ、空気を吸い込み、また咳こみ…落ち着いたところで俺は隣の横顔に睨みつけた。

 考助はグラスの氷をカラカラと鳴らしながらそれをじっと見つめている。

「なんて書いてあったっけ…確か、親愛なる津川 慶治(けいじ)サマ。こんにちは。貴方をお慕いしております。貴方の爽やかな笑顔に胸が高鳴り…」

「なんで覚えてるんだ…朗読はやめろ」

 抑揚なく口にする考助にグラスを離して額を押さえる。

 いくら客が少ないとはいえ、店の中での自分が貰ったラブレターの内容を晒されるのは堪える。

「じゃあ聞くが、手紙の相手はすぐ分かったんだよな。一年生の坂山(さかやま) 加奈子(かなこ )

 ああ、確かにそうだった。彼女が出したのだと言い当てたのは考助だったが。

「…そうだな。すぐ分かった、というのはお前がだろう?」

「ああ、お前と一緒にいると必ず接点の無いはずの坂山と出会う。その度、お前の事を熱く見つめていたんだからすぐに…わかった」

 スラスラと話す考助は最後だけ詰まると、ゆっくり完結させながらも視線、声、空気が変わった。

「どうした。何か気づいたか」

「いや…余計スッキリしなくなった。わかんないもんだ、愛情なんて感情は。単純に見えて拗れる可能性が高すぎる。ったく、難しいな…」

 溜め息を吐き、氷がほとんど溶けたグラスを置いた考助は、グッタリとカウンターに突っ伏す。

 愛情、か。確かに難しいな。

「そうだな…考助」

 呼びかければ、チラリと視線だけ向けてきた。

「俺が坂山と付き合っていたら…お前はアイツの事、諦めなかったのか」

 俺の問い掛けに考助はじっと俺を見た後、目を伏せて顔を反対側に向けた。

「過ぎた仮定ほど無駄なもんはないだろ。俺は今現在、ハードボイルドな探偵をやっている…それだけだ」

 ボソボソと呟いた考助の言葉は、静かな店内でさえ聞き取りづらい音声で、カランと鳴った俺のグラスの音よりも小さかった。

 俺は左の薬指にはめられた、存在しなかったかもしれない濁った金色を眺めた。



 ストーカー事件は解決した。

 探偵がマンションで現場を取り押さえたらしくて、今は警察に捕まっているみたいだ。

 私の家に大量の郵便物を届けていた男は全く知らない人だったけど、彼を操っていた主犯は、あの超人気だというモデルだった。

 彼がストーカーで逮捕されたと知らされた週刊誌やワイドショーなんかでは、元カノを思ってだとか一途過ぎた熱愛だとか、勝手なことをでっちあげて面白おかしく盛り上がっている。

 驚いたのは、モザイクで隠された知らない女の人が、被害者としてテレビに出ていたことだった。

 もちろん実際の被害者は私で、テレビの被害者は涙混じりに語っている。

 なにこれ。大体毎日一通じゃないし、いっぺんにまとめて来たんだから…くっだらない。

 プツン。


 休みがあった友人の美香と映画を見た後、映画館の近くのファーストフード店でお昼をとる。

 職場の先輩に面白いなんて言われた映画はまぁまぁそこそこな感じ?で、一通り映画の感想を言い合った私たちの間にほんのちょっと無言の間が流れた。

 隣のオジサンが開いた新聞には、今朝もニュースでやっていた話題の事件の事だった。

 そういえば、美香も一緒だったのよね。あの時。

「ねぇねぇ美香、ニュースみた?速見 俊治が警察にストーカーで捕まったって!!」

 前のめりになって向かいの美香に話かけると、ストローから口を放した美香は眉間にシワを寄せた。

「…あぁ、またそれ」

「またって何よー!爽やかキャラ演じてるくせに、すんごい粘着なストーキングしてたんだって!!キモいよね、もーサインもらうんじゃなかったー」

 一緒に会ったことがある美香なら、おんなじように盛り上がるのかと思ったのになぁ!

「恵、あの人の大ファンじゃなかったの?」

 目を丸くした美香は、首を傾げて聞いてきた。

 ファン…?アタシが?

「やだ、ストーカーのファンなわけないじゃん!それよりさぁまた休みあったら一緒に買い物行かない?年末セールやるんだってー」

 あーおっかしい!手を叩いて笑えば、美香はため息を吐いてストローをくわえた。



 都内某探偵事務所

「所長、所長、所長」

「…ん、なんだ助手」

 椅子に腰掛けた所長が呼びかけ続けた助手に振り返る。

「3回目、ようやく返してくれました」

 パーテーションの前に立つ助手が所長を見つめたままぼやき、所長は溜め息を吐いた。

「なんだ用はないのか」

「いいえ、依頼人がきました」

 端的に告げた助手に、所長は頷き腰を上げる。

「わかった…じゃあ用意しろ」

「はい、所長」

 助手がパーテーション奥へ入るのを見届け、所長はデスク前の応接セットのソファーに座る。

 ちょうどその頃に、トントンとアルミの扉が音をたて、どうぞ。と所長が扉に向けて発した。

 カチャリと開かれた扉へ向けて、所長はニコリと笑みを作る。

「ようこそハードボイルド探偵事務所、え…」

 声と笑みを崩し、見開いた目で、扉の先の依頼人を見つめた。

 依頼人の彼女は小さく頭を下げた。

「おはようございます」

「植田さん…!?」

 依頼人の名前を口にした所長は、バッとパーテーションへ視線を向けると、お盆を持った助手が立っていた。

「私は言いました。依頼人がきましたと」

 助手の言葉に所長は一瞬、眉を寄せるも、すぐに笑顔を貼り付けて、扉へと向ける。

「…どうしたんですか?依頼は完了しましたよね?新しい依頼でしょうか」

 依頼人は一度口を開くも、すぐにキュッと固く閉ざして目を伏せる。

「まあ座ってください。お話、伺います」


 8日ぶりに来た探偵事務所は特に変化はなく、私はまた同じソファーへと通された。

 事の発端である手紙をテーブルの上に差し出せば、向かいに座る探偵がそれを睨みつけた。

「まだストーカー被害を、ですか?」

「はい。探偵さんが捕まえてくれたあの日から一週間は何もなかったんです。でも、今朝これがポストにはいってまして」

 昨夜は恵に夜遅くまで付き合わされたせいで、今朝に回したポストをチェックすると、中に入っていたのは白い封筒。

 探偵はそれを手にとる。

「これは…似ている。いや、同じ物じゃないですか」

 表裏を見て、中を取り出すと探偵は目を見開いてそれを見つめた。

 中身は便箋とカード。

 あの時と同じ印刷された文字に長文の内容。

「そうなんです。だから、余計気味が悪くて…。犯人はあの速見ってヤツじゃなかったんですか?」

「犯人は速見で間違いないです。自供が嘘でないのなら」

 訴えても探偵はポツリと小さな声で返してきた。

「それじゃコレはなんなんですか!?一体誰がこんな事っ」

 下唇を噛んで、膝の上に置いた両手をグッと力強く握る。

 …どうして私ばかりこんな目に合うのよ。

「植田さん…泣かないで」

「泣いてません!怒ってるんです!!」

「は」

 かけられた言葉にガッと顔を上げて反論すると口をポカンとあけた探偵と目が合う。

「コソコソ変な物送り付ける嫌がらせを考えて!しかも他人を脅してやらせるなんて卑怯なマネで…あげくまたこんなの送ってきて!捕まった癖に反省も後悔もしてないじゃないですか!ああもうイライラする!」

「植田さん…落ち着いて」

 そのままの勢いで溜まっていたものを吐き出す。

 さすがに…一息は…キツイ。

 息を整えていると、カチャリとカップが私の前におかれた。いつもと同じティーカップからは湯気がたつも、いつもと違う乳白色の液体が入っている。

「なんですかコレ」

 隣に立つお盆を持った探偵の助手だという女の子に尋ねる。

 彼女は私を見ると、持ってきたそれに視線を向けた。

「牛乳です。イライラするというのはカルシウム不足と聞きました。カルシウムを摂取できるものは今現在牛乳しかありませんでしたので」

「私はカルシウム不足でイラついてるんじゃないの!嫌がらせを続けるストーカーのせいよ!!」

 淡々とそれについて説明するその子に噛み付く。

「すみません植田さん。ウチの助手が…。ホラ、お前は向こうに行ってろ」

 探偵が慌ててペコペコしつつ、彼女に向けて小動物を払い退けるようにシッシッ、と手を振る。

 女の子は表情を何も変えずに、探偵の背後にあるパーテーション奥へと消えていった。

 全く…カルシウムなんてむしろ人の何倍も採ってるってのに…今更ホットミルクとか。

 さっきから沢山喋ったおかげで喉が渇いたってのに。

 フゥフゥと息を吹きかけて、コクンと喉に流す。あ…甘くておいしい。

「それではこちらで引き続き調査を行う事でよろしいですか?延長の為、調査料金が発生しますが」

 カップを降ろすと、探偵が説明しながら書類を見せる。

「はい、大丈夫です。お願いします」

 頷けば、探偵はニコリと笑った。

「ありがとうございます」


 都内某探偵事務所

 ヒュウヒュウと冷たい風が時折窓を叩く音が響く。

「延長する意味ありますか?ストーカーは捕まって終わったはずです」

 パーテーションから顔を覗かせた助手がポツリと口を開く。

 助手の問いかけに、所長はニヤリと笑った。

「確かに速見は捕まって罪を認めたが、それで終わり、めでたしめでたしってわけじゃない。現実は常に動いてんだ。決まりが着いても反応がある…現に起きてるだろ?」

 所長の言葉の中、助手がポスンと向かいに座る。

 所長は助手の目を見る。

「つまり調査する意味は常にあって、それに気付く、気付かないのは意識の問題だ」

「常にある、それだとお仕事が終わりません」

 助手もまっすぐ所長を見つめて言う。

 助手の言葉に、所長はフッと笑みを零した。

「そうだな。だから探偵ってのはやめられない。俺の人生みたいなもんだ」

 呟き、所長は立ち上がると、机横のポールにかかったコートを掴む。

「やめられない。では、所長は探偵を辞めたいのですか?」

 所長の後ろ姿に向かって助手が投げかける。

 ピタリと所長は動きを止めるも、僅か3秒で動きを再開し、掴んだコートを羽織る。

「…さあてな。それはお前が考えてみろ。助手、行くぞ。お仕事だ」

 片方の口角をあげて所長は、ポンと助手の頭を叩き、左手でコートのポケットを探りながら右手で扉を開き、外に出た。

 助手は扉を見つめ、首を傾げた。



 朝から始めた清掃を終えた昼時、管理人室に向かう途中、住民たちの郵便受けの前に見知った二人組がいた。

 あの二人組は…そうだ、警察の。

 ま、まさか、また何かあったんだろうか…?

「あ、あの…」

「おや、管理人さん。こんにちは」

 声をかけると、二人はこちらに振り返り、コートを来た男の方がニコリと笑って返してくれた。

「こんにちは…あの、実は前に…は、話して頂いた不審者の件ですが」

「ああ。その節はどうも。何かありましたか?」

 え、あ…不審者の件を聞きたかったのに逆に聞かれてしまった。

「い、いえ、先日あった…ストーカーとかいう男も、心あたりなくて」

「目立った行動はしていなかったようですしね」

 男は頷いて、そこで話は止まった。

 男も話しはじめる雰囲気はなく、なんとも居づらい雰囲気が漂う。

「…そ、それで、あの、不審者は、その、ス、ストーカーだという男、の事だったんでしょうか」

 この雰囲気の中、無理矢理な形になってしまったが、聞きたかった用件を思い切ってぶつけてみた。

 も、もし不審者が別の人物なら…今後、危ない人物と出会うかもしれない。

 ゴクリと自然と唾を飲むが男は顔色一つ変えなかった。

「えぇまぁ…管理人さん、それは一体?」

「え、あ…どうぞ」

 曖昧な返事をした男が私の持つ一枚のチラシを指差した。

 興味深そうに見るので渡す。

「お弁当お届けします…手作りお惣菜、ゆかり。配達はじめました」

 チラシに書かれた文字を読む。弁当が気になるんだろうか…。

「朝、それを配りに来ていたみたいで…わ、私も一枚頂いて」

 警察はアンパンと牛乳のセットを食べるなんてイメージがあるんだけれど…流石に飽きるのかもしれない。

「デリバリーサービスですか。最近は弁当まで配達されるんですね。お返しします」

 なんだか難しい英語を言った男がチラシを返してくれたので受け取る。

「あ、はい。そうですね…あの、それで…」

「ところでこのマンションは随分と空室が多いようですね。特にこのポストはチラシがまた大量に入れられて…住所変更されてないのですか?」

 え、空室?

 男の視線を辿ると、様々なチラシや明細書がはみ出している郵便受け、305号室のものだ。

「あ、その部屋の方は…仕事の都合で、滅多に帰ってこないんで…か、勝手に、捨てるわけには…いかないので」

「へえ…空室ではないと。空室のチラシなんかは管理人さんが処分されるのですか?」

 しばらく郵便受けを眺めた男は顎を一撫ですると、私を見て尋ねてきた。

「ええ、まぁ…大体昼間に」

「なるほど。では今日はまだ?」

「あ、はい」

 確かにチラシを処分するのは私の仕事なんだけど…何故そんなことを尋ねるのだろうか。

「そうですか。ありがとうございます」

「あ、いえ…こちらこそ」

 頭を下げられ、コチラも釣られて頭を下げる。

「それでは私たちは行く場所があるので。これで、失礼いたします」

「え、あ、そ、そうですか」

 ニコリと笑顔を浮かべた男に、ホッと息を吐く。

 あぁよかった…ようやく解放された。掃除用具を片付けて…いや、ここに来たついでだ、先にチラシを処分しよう。

「あぁそうだ、管理人さんに渡さなくてはいけないものが」

「え!?な、なんでしょう」

 突然声をあげた男に、心臓と体が跳ねた。

 渡さなくてはいけないもの…?今度は一体なんなんだ!?

 男は着古したであろうコートの胸元を探り、一枚の紙を取り出したので、私はそれを受け取る。

 長方形のそれはシンプルな名刺だった。

「また何か悩みなんかがあれば、どうぞご依頼下さい」

「た、たん…てい…じむしょ?」

 ただ書いてある内容が、衝撃的だった。

「警察じゃ…なかったのか」

 ポツリと口にした言葉に、ハッと顔を上げる。

 けれど、そこには静かに郵便受けが並んでいるだけだった。


 都内某路肩

 平日の昼間に走る車は少なく、唯一停められたワーゲンは目立つ。

 その車内にて、運転席の所長は深い溜め息を吐いた。

「やっぱり直接…話を聞かないとだな」

「直接話すにも、今は警察の中です。刑事に協力してもらうのですか?」

 ポツリと呟いた言葉に、すぐさま反応したのは隣の助手席に座る助手だった。

「そうだな、津川には協力してもらうが…そう簡単にはすまないだろうな。今じゃ有名人になっちまった犯人だ。いや、前から有名人か」

 前方遠くを見つめながら話す所長は言葉尻にククッと笑みを混める。

「簡単にすまない。では、何か行動を?」

 助手は笑みもこぼさずに問い掛けを続けた。

「この言葉はお前も知ってるだろ?目には目を、歯には歯をってな」

 得意げに話す所長は背をシートから離して左ドアのポケットを探る。

 そこから取り出したフレームの細い眼鏡をかけると、ニヤリと口元を歪めて助手席へと向けた。

「俳優には俳優だ」

「…そんなことわざ、辞書に載ってませんでした」

 パチパチと瞬きを繰り返した助手は淡々とした言葉を返した。


都内某警察署、接見室。

 長方形の室内に入ってきた青年は、アクリル板に向けられたパイプ椅子に腰掛けた。

「こんにちは。速水さん」

 アクリルの壁を挟んだ先、青年の向かいに座るネイビーのスーツを身に纏う男がニッコリと笑う。

 衿元には男の身分を示す金の向日葵が輝く。

 青年は背にもたれ、パイプ椅子はギシっと悲鳴をあげた。

「苗字で呼ばないでくれる?俊治って呼んでくれないかな」

 彼は正面のスーツの男に視線を合わさずに、あからさまに嫌悪を含んだ声色をあげた。

「失礼。では、改めまして…こんにちは俊治さん」

「どうも。君が僕の弁護を担当してくれるんだって?」

 笑みをこぼして頭を下げる男をジロジロとあからさまに視線を動かし、小首を傾げた青年は、チラリと男の隣に座る少女に目を向けた。

 姿勢よく座るその少女はまっすぐに青年へと向けられた。

「ええ、よろしくお願いします。伊三(いみ ) 達夫( たちお)と申します」

 ニコニコと伊三は会釈し、眼鏡をクイっと人差し指で持ち上げて下げる。

「あぁ、彼女は助手です」

 反応のない青年の視線を辿り、伊三は隣の少女を紹介する。

「へぇ弁護士サンの助手ってそんな若い子もいるんだ」

「いやぁ…普段はついて来ないんですが、俊治さんの大ファンで…無理矢理ついて来てしまって」

 興味を示す青年に渇いた笑いをこぼす伊三はすみません、と謝るも青年の口元は緩む。

「僕のファンなんだ。そっか、こんな姿でゴメンね」

「いえ」

 前に身を乗り出し、ニッコリと眩しい笑顔を向ける青年に対し、少女は無表情のまま首を振る。

「…なんか硬いな。本当に僕のファン?」

「はは…緊張してるみたいで。すみません。早速ですが本題に入ってもよろしいでしょうか?」

 ギロリと隣の伊三に鋭い視線をやると、眉を垂れた伊三は肩を竦め、眼鏡を持ち上げて下ろして顔つきをキリッと変えた。

 青年はフゥ、と息を漏らし、背にもたれた。

「そう、緊張か…じゃあ仕方ないかぁ…で、本題って?」

「示談の際に俊治さんの立会人として同席するのですが…やはりスムーズにいきたいじゃないですか」

 ねぇ?と笑う伊三の瞳は眼鏡の反射で全く見えないものの、青年はニィっと笑う。

「なるほど、打ち合わせってわけか。いいよ。僕はどう演じればいいのかな?演技は得意なんだ」

 両腕を広げて得意げな青年に、伊三は眼鏡を持ち上げる。

「いやぁーご理解が早くて助かります。では、まずは何故、俊治さんのような芸能人の方が、一般人の彼女を相手にされた理由は?」

 眼鏡から手を離した伊三は、机に肘をつくと両の指を絡めて、そこに顔を近づけると声のトーンを落とし、視線は鋭くなる。

「理由ね。そういうのも必要?」

「まずは俊治さんが何を思い、どう行動したのか理解しなければ。俊治さんと私はいわば一心同体です」

 首を傾げ、おどけて見せる青年に、伊三は体勢を変えずに言葉を放つ。

 ジッと視線を交わした後に、溜め息を吐き出したのは青年の方だった。

「そ。まぁ…トークの練習と思えば面倒じゃないね。じゃあ話そうか、僕のドラマを」


 超カッコイイ!今、気になるイケメン!抱かれたい男!爽やかで素敵!

 それが僕だ。

 世間一般に向けられる視線、言動、プレゼント…それらは常に愛情だった。

 僕は皆から愛される存在で、皆は僕を敬い愛する存在だ。そのはずだったのに。

 僕の人生で起こりえない事が起きたのは完全なるオフの日に、街をブラブラと散策していた時だ。

 僕に気付いた人が、いつものように目を輝かせ、頬を染め、僕にサインや握手を求めてきた。

 その時、一緒にいた彼女は無反応だったから…恥ずかしがってるのだと、コチラから声をかけてやった。

「よかったら君もどうかな?僕のサイン」

 …欲しいだろ。なんたって僕は今をトキメク俳優もこなす超イケメンモデルだ。

「私はいいや。急に悪いし」

「構わないよ。僕、そういうの慣れてるしね」

「ほらほら俊治君も言ってくれてるじゃない!遠慮してちゃ勿体ないわよ?」

「別にいいってば。私、知らないし。興味あるわけじゃないもん」

 は?

「もー美香ってば!ゴメンね、俊治君。この子、あんまテレビとか見ないから」

「あ、そうなんだ…」

「でもでも私はモデルの頃からファンだったんだよ?最近始まった雑誌連載も読んでるし、テレビだって…」

 そっか、僕を知らない子も、いるんだ。

 喉が枯れそうな黄色い歓声も、とろけるような熱い眼差しも、気持ち良くさせる言葉も、何もない。

 彼女は何も僕に与えない。

 彼女は僕に何も感じない。

 そんなはずない。

 そう、彼女は知らない。

 知らないんだ…僕がどんなに愛されているか。

 教えてあげよう。

 この僕が、特別に。


「なるほど…プライドが高いのですね、俊治さんは」

 僕の話を聞いた弁護士だという目の前の男は、そう言って頷いた。

 その言葉に少し失笑してしまう。

「プライドを持たなきゃ。あの世界に負けてしまうからね。弁護士さんはプライド、持ってる?」

「えぇそうですね…仕事に対するプライドは持っていますよ。どんなことをしてでも必ずこなすというね」

 そう答えた弁護士の目は据わっていて、ゾクリと背に何かが走った感覚がした。

 ただ者じゃないなぁ…コイツ。

「へぇ…そうなんだ。だったら僕は安心して弁護士さんに任せられそうだ」

「しかし、俊治さんを知らない女性なんているものなんですね」

 眼鏡を持ち上げて男は、意外そうに話しかける。

 あぁやっぱり?そう思うよね。

「おかしいよね。この僕を知らないし、サインもいらないなんて言うんだ」

 僕という者に会えたというのに…あんな反応は今までなかった。僕を知らない、興味ないなんて…ありえない。おかしな反応だ。

「確かにおかしいですね。ところで何故このような行為に出たのでしょう?」

 眼鏡から手を離した男の目はレンズの反射でなのか、全く見えない。

 行為というのは僕がここに閉じ込められる事になったあの事のことだろう。

 警察にも同じ事を聞かれた。

 ただ、僕にはわからない。どうして、わざわざそんなことを聞いてくるのか。

「このような行為?なにも変わったことはしてないよ」

 その時も思ったが何故わからないのだろう。

「僕は教えてあげただけさ。僕がどんなふうに愛されてるかをね」

 これは息をするように日常の当たり前な行動だということなのに。


 都内某警察署、廊下

 カツカツカツ、コツコツコツと二種類の異なる足音が響く。

 前者の足早に力強い音を鳴らす男が、バサリと背広を脱ぎ捨て、脇に挟む。

 止まない足音に霞むほどの小ささで舌を打つ。

「狂ったやつだな。とんだナルシストだ」

 整えられた前髪をグシャグシャと掻き乱しながら男、所長は苦々しく吐き捨てる。

「ナルシスト」

 半歩後ろを歩く助手が、所長の発した単語を拾いあげる。

「自分を大好きだって言うやつだ。さっきの犯罪者みたいなな。まぁ反省どころか、自分で罪を犯したなんて分かっちゃいないが」

 チラリと視線を助手に向けると、歩みを止めず口を開く。淡々と説明をした後に、先程のように苦々しく発し、鼻で笑う。

「所長は今回、詐称を二回もしましたが「二回じゃない。一回だ」

 助手の言葉を遮るように、所長はスパッと否定する。

 その言葉を聞いた助手は、歩調のリズムを変え、所長の左隣に並ぶと、所長を見つめた。

「私はナルシストのファンというものではありません。それが所長が起こした詐称の二回目です。所長も罪を犯したなんて分かっちゃいないです」

「…お前、本当によく喋るようになったな。仕事だから仕方ないだろう。大体あれは詐称じゃなくて嘘って言うんだ覚えとけ」

 淡々と告げる助手の言葉に、げんなりとした表情を晒した所長は隣の助手を見下ろし、ビシリと指を指して言い切る。

 ピタリと二人の足音は止まり、所長は反対の人差し指でエレベーターの△と記されたボタンを押した。

「嘘、ですか」

 チン、と開かれたエレベーターの扉の音に紛れて助手は呟く。

 所長は開かれた扉の先の四角に足を踏み入れる。

「仕方なく嘘をつくなんてことが人間にはあるもんだ。お前もそれぐらいは分かるだろう、助手?…かけろ。堂々と素早く出るぞ」

 中に配置されたボタンのひとつを押した所長は、かけていた眼鏡を外すと右手で助手に差し出す。

「…はい、所長」

 一拍おき、頷いた助手はフレームの細いその眼鏡を受け取り、同じ様に四角の中に足を踏み入れた。


 都内某惣菜屋

 昼時過ぎの午後。ガランとした店内に、ガラリと客の到来を示す音が響く。

「いらっしゃいませーぇ」

 ショーケースの奥からニコニコとした男が調子外れの呼び掛けを出す。

 訪れた二人の内の一人の男、所長が、出てきた男を見据えてニコリと微笑む。

「すみません。お尋ねしたいのですが」

「はいはいなんでしょう」

 揉み手をしつつ現れた男に、所長はチラリと視線を左にやると、その先の壁に貼られたチラシを指した。

「このチラシはコチラで作られたんでしょうか?」

「あーはいはい!ウチの娘が作ったものなんですよ。よく出来てるでしょう?」

 男は指先を見ると、満面の笑みを浮かべて何度も頷いた。

「娘さんが。なるほど。ちなみにその娘さんはどちらに?」

 左腕を下ろした所長は一瞬左の口角を上げて、また一瞬に笑顔を作り、男に向けた。

「娘ですか?今は部屋にいてますよ。おーい由香(ゆか)!由香にお客さんだぞ」

 ニコニコと笑みを絶やさない男は、すぐさまに、ショーケース奥の住居スペースへと呼び掛けた。


「誰?」

 寝不足なのか、やってきた由香はひどく仏頂面だった。

「お前が作ったチラシを褒めてくれた人だよ」

「…ええ、素晴らしいチラシだったので、どんな方が作られているのか興味を持ちましてね」

 後ろの方々を紹介しても由香はちっとも嬉しそうな顔をしない。

「そうですか。それ、文字以外なら誰だって作れますけど」

 素晴らしいチラシなんて言われているのに、少しくらい嬉しそうな顔をすればいいのに…我が娘ながら愛想のない…。

「それじゃ文字はお嬢さんだけしか作れないのかな?」

「っていうか、私が作ったフォントだから。ネットにも流してないし、他人が使うのは無理」

 髪を弄りながら目も合わせないで由香は答える。

 昔からの癖だが、もう大学生なんだから直させなければいけない。相手さんはニコニコしてるというのに、せめて目を合わしなさい。

「たとえば私がお願いし「無理。絶対に。これは他人が簡単に使用していいものじゃないもの」

 ああああ!もう!!相手さんの言葉にそんな!失礼だろう!

「…なるほど。よほど大切な文字なんですね」

「そうです。ホントは店のにも使いたくなかったのにお父さんが勝手に…」

「勝手に?」

 ブツブツと由香がぼやくと、男の方がこちらに振り向き、尋ねられた。

「いやぁね、横から見てたんですけど、名前が店にちょーど良いもんだから、それにしてくれって頼んだんですよ」

 あの時、コンピューターを動かす由佳に何度もお願いして、使う代わりに部屋を出ていく事を了承したのだった。

 由佳が作ったもので、しかもユカリなんて名前のものだ。そりゃもう是非とも使いたかったんだよ。

「だから違うって言ってんのに」

 それなのに由佳は溜め息を吐いて、前髪の間からコチラを睨みつけた。

「失礼ですが、どのようなお名前なんですか?」

「縁って漢字で、えにし。ゆかりじゃなくてえにしって読むの」

 チラリとお客の男に視線をやり、由香は空中に人差し指で縁となぞった。

「ユカリとも読めますよねぇ」

 強く言い聞かす由佳の言葉に、私は男に向かって同意をうながせば、そうですねぇと男はニコリと私に会釈してくれた。

「えん、ではなく…えにしと読むのは何か特別な意味があるんですか」

 すぐに男は由佳に向けて、問い掛ける。

「もちろん!そうじゃなきゃ意味が無いもの」

 頷いた由佳はさっきよりも声を張って答えた。

「へぇ、意味を教えていただけますか」

 あ、また。

「…無理。これは私と彼だけが知っていればいいから」

 また、由佳のやつ目を逸らして…人と話すときは目を合わせなさいと何度言えば…。

「そうですか、それは残念だ」

 それでも彼は怒りはせずに、言葉通り残念そうに眉を下げて笑った。

 いい人だなぁ。一緒にいる女の子も、おとなしそうな子だし…この人達なら、由佳の社会人デビューにピッタリだ。


ガラガラガラ…

「すいませーん」

 ガラス戸が開き、今度はシワの目立つワイシャツ姿の若い男がやってきた。

「あぁ、お客さんだ。いらっしゃいませー。すみません、よかったら奥へどうぞ。ごゆっくりー」

 父さんはヘラリと笑顔を浮かべてやってきた客に声をかけると、私の客だという違和感ありまくりの二人組を住居スペースになっている奥へと促した。

 ちょっと、何勝手な事言ってんの。

「お待たせしましたー何にしましょ?」

 睨みつけた所で鈍い父は気にもせず、メニューの前で悩む客にニコニコと接客してる。

 チラリと横目で私の客達を見れば、男は微笑を浮かべ、その背後の女の子は無表情で私を見ている。…どうやら帰りそうにないみたいだ。

 溜息を吐き出した私は暖簾を下ろして、部屋へと戻る。

背後でがさごそと動く物音が止むと、畳の擦れる音が二人分響く。

「いやぁすみません。なんだかお邪魔しちゃって」

 全く悪びれた様子のない話し方。ギロリと男を睨みつける。

「…あの、これでも私忙しいんですけど」

 自然と言葉に怒りが篭る。

 パチン、と男が指を鳴らす。

 何。そんな気障ったらしい事したって全然似合わない。

「あぁ大丈夫ですよ。すぐに終わりますから」

 男はニィっと笑った。

 なんなのコイツ。

「終わるって何が。さっきも言ったはずですけど、フォントは渡せません」

 私の大事な大事なものだ。お父さんが変な事しなけりゃ、他人に触れることはけして無かったのに…。

「あなたを愛してる。愛に溺れるあなたを尚も愛そう。あなたが求めるエニシを手にする日がきたとしても」

 それは。なんで。他人が知ってるの。

「なかなか詩人ですね。コレ、とある方から頂いた物なんですが」

 男はどこから出したのか、見覚えのある…ううん、私と彼しか見ることがないカードをヒラヒラと振りかざす。

「気安く触らないでよ!それは私が彼に渡したものなんだから!!」

 咄嗟に伸ばした右腕でカードを奪う。あっさりと奪われた、いや奪わせた男はわざとらしく首を傾げる。

「彼?」

「そうよ!私が愛したあの人に愛を伝えた手紙よ!!」

 なのにどうして…アンタみたいな男が持っているのよ!!

「これは彼女から私に渡された物ですが」

「それは…っ」

 男の言葉に返す言葉がつっかえる。

 だって認めたくない。彼に渡した手紙があの女に向かった事が。

 閉ざす口の中からギリッと歯が音をたてる。

「…これ以外にも渡していますよね。文面から察するに…朝と夜、毎日ですか」

「そうよ。彼、不規則な生活をしてるけど、長期の仕事以外は必ず家には帰るの」

 彼が一番好きな場所は自宅。また明日もファンの為に頑張ろうと一人ゆっくり体の疲れを癒す為の場所。

 だから

「確実に読んで貰うには早くに渡すしかなかった。」

 私は彼の事をずっとずっと前から知っていた。最近増えたミーハーな女共とは訳が違う。

 モデルデビューした時からエキストラ役で初めてドラマに出た事だって彼のコメントを一言一句きちんと覚えている。

 だから

 「他人なんかに見られたくない。私の気持ちを直接彼に届けたかったから」

 だから、だから…

「けれど、彼に届けた気持ちは別の相手に届けられた、と」

「だから私の気持ちは彼にしか渡さないのよ!!」

パンッ

 え、頬痛い…なんで私が?だって私が叩いた…叩いたの?

 目の前には男じゃなくて、一緒にいた女の子が右手を宙に上げたままこっちをじっと見つめていた。変わらない無表情の目で見つめられ、私の頭は冷静に状況を掴んでいた。

 そっか、彼女が彼を守ったのか。また私はちゃんと、届けられなかった。

 ジワリと胸に染みた現実に、女の子の顔から逸らした先にあった畳の目は、ジワリと揺れていた

「話していただけますか?あなたの気持ちを届けたという行動を」

 男の声はさっきまでの軽い感じはなく、妙に穏やかで、なのに頭にストンと落ち着いた。

 ぼやけた畳を視界にいれたまま、頷く。


 出会いは2年前、私が大学に入学してしばらくたった6月2日。

 キラキラした大学という場所では、友達なんて一向に出来なくて…ダサイ自分をなんとか変えようと、初めて手に取ったファッション雑誌。

 講義前の時間に女子が固まってキャァキャアと騒ぎたてられた物と同じやつだ。

 パラパラとめくれば派手なモデルが高いブランド物で着飾り、ポーズを決めて似たような顔をキメていた。めくればめくるほど億劫になり、半分程になると不似合いな私に嫌気がさし、買った事を後悔し始めていた。

 だけど、あるページで私の作業は止まった。

 それは街中で見かけたイケてる男性のスナップ写真を紹介するコーナーだった。その中でも私の目に飛び込んできたのは一枚の写真。

 江西( えにし) 俊治。それが彼の名前だった。

 初恋だった。胸がドキドキして、熱が上がって、苦しいのに嬉しい、切ないのに楽しい。

 そんな感情に振り回されたのは初めてで、あっという間に私は彼のファンになった。彼のこと、もっともっと知りたくなった。

 本格的にモデルデビューをした彼は、速水 俊治という名を名乗った。それがきっかけだった。

 どうして江西は速水と名乗るの?本名?芸名?偽名?

 知りたい。知りたい、あなたのこと、もっと。

 彼は愛に飢えている。特に女性の愛に。

 ファンレターが好きって言っていた。だからあなたへの愛を綴った手紙を毎日届けた。寂しくならないように毎朝毎晩。

 他人に介入されないよう直接あなたに届くように、マンションのポストに。他人にそれが見つかって不振がられないように家のチラシを何枚か持ち出して。

 あなたが大切にしている名前の文字で、想いを込めて打ち込んだ。

 江西は彼の最愛の人の名前。彼女には敵わないけれど、彼の願いは叶わないわけにはいかない。

 彼がもっともっと前へ出るために、彼の最愛の…母親に見つけてもらえるように、私は彼に関わる物全て複数購入して、ささやかながら貢献した。

 特別になれなくてもいい。私はあなたが望むことを叶えてあげたいだけ。

 愛してくれなんて言わない。ただあなたを愛していたいだけ。

 ただそれだけで幸せになれるんだから…恋の力とは偉大だ。

 まさか自分がこんなにも行動力があるなんて思えなかった。


 都内某惣菜屋・2階

 カーテンで締め切られ、薄暗い部屋の中、主である女性はカーペットに腰を下ろし、カーペットの繊維に向かってポツポツと言葉を漏らす。

 その向かい、同じように座った男とその左隣の少女はじっと黙って話を聞いている。

 スッと顔をあげた女性は長い前髪を手で払い、青白い顔を晒す。

「彼の逮捕はテレビのニュースで知った。彼が捕まった理由がストーカーで…私の気持ちが晒された」

 男は女性の顔を見つめて由香さん、と彼女の名を呼ぶ。

「あなたの行動は褒められる物ではありませんが…彼、速水に届きましたよ」

 男の言葉はゆっくりと慈しむような語り口で、女性は目を丸くすると、フッと噴き出す。

「やめてよ。彼は速水なんて呼び方嫌いなの。彼の事は俊治って呼んであげてよ」

 そう笑う彼女の言葉の端々には、安堵が含まれて見えた。

 そのまま立ち上がり、反動で垂れた前髪を耳に掛け直す。

「由香さん」

「何、私今から警察に行くんだけど」

 再度名を呼ばれた女性は不機嫌さを装うも、丸い雰囲気で返す。

「最後にお聞きしたいのですが、何故彼女、植田さんに手紙を送ったのですか。復讐、なのですか」

 彼女はフッと視線を天井に向けてから、緩く首を振り、歩き出す。

「違う。彼が送っていたから。彼が送れなくなったら…私が代わりに送ってただけ。だって、それは彼が望んでいたことだから」

 少女の隣を通り、出入り口の襖に手をかけた女性は、男と少女に向けて微笑みを振り向けた。

 

 

 都内某惣菜屋・2階

「…綺麗な道筋がたてられない。複数の正解なんて単純で複雑でやっかいな問題だ。なにより前置きが長すぎる…俺には理解できないな。愛なんて難しい問題は」

 主が去った静かな室内に、男の呟きがこぼれる。

 隣の少女はじっと男の横顔を見つめていた。


 都内某探偵事務所

 コンコンと軽いノック音の後、カチャリと開かれた扉から、ひょっこりとふくよかな壮年男性が顔を出す。

「こんにちは。あれ?考助くんは?」

「10分程前に、刑事に会いに行きました」

 キョロキョロと辺りを見回す男に室内の給湯場にいた少女がカップにお湯を注ぎながら淡々と返す。

「そっか、行き違いかー残念」

 そう笑う男はポスンと部屋の中央に鎮座されたソファーに腰を落とす。

「マスター」

「ありがとう。なぁに?」

 湯気が香立つカップを男の前のテーブルに置いて少女は呼び掛ける。

 感謝を示し、ニッコリと笑う男は応える。

「愛とはなんですか」

 淡々と口にした少女に、キョトンと男は目を丸くした。

「雨子ちゃん、なんだか詩人のような質問だねぇ」

 ヘラリと笑うと、男は頬を掻き、唸り、天井を見上げた。

「愛っていうのはね、決まった形はなくて…そうだな、見えないけど見えるもの、だね」

「見えないけど見えるもの…意味がわかりません」

 男の言葉に少女は首を傾けた。

「うーん、そうだね…例えば、このコーヒーには僕の愛がこめられている。それは調達から煎り方まで様々な工程を経て、他とは違う味や香りが楽しめる。工程は直接見れても、味や香りは目には見えないよね。でも、確かに存在する。これが見えないけど見えるものだよ」

 男は目の前のカップを手にし、嬉々と語るとそれに口をつける。

「見えないけど見えるもの」

 じっと少女は男を眺めて、淡々と反復した。

 男はコクリと喉を潤わせると、カップをソーサーに下ろす。

 少女に向き直し、ニコリと笑う。

「いずれ分かるよ。雨子ちゃんにも愛情がこめられているからね」



 何年かぶりに見たその後ろ姿は相変わらずのハードボイルドを表してるらしいコートだった。

「あら、相手があの人なら早く来るのね?探偵さん。それともお仕事に関わるから、かしらー?」

「はぁ…津川、余計な真似を」

 軽い調子で声をかければソイツは顔を歪ませて、あからさまな溜め息まで寄越した。

 横に座っても、ソイツはただまっすぐとカウンターに向かったまま。予想できなかったわけないでしょーに…割り切りなさいよね。

「けーじさんを恨むのはおかしいんじゃない?元々それは私のものなんだから…私が直接返してもらうのが妥当じゃない」

 グラスと彼の間に置かれた金色のバッチを指してやれば、やっとソイツは視線を寄越す。一瞬だったけど。

「ま、今回は誰かさんのおかげで仕事が増えちゃって、泊まり込みの残業なのよね。あの人優しいから、貴方との約束をすっぽかすわけにはいかないってんで私が頼まれたわけ」

「津川がいない間の家を守ってなきゃならないんじゃないか専業主婦」

 やっと返した言葉がコレ。ホント、ああ言うとこう言うというか…素直にありがとうって言えないのかしらコイツは。

「主婦も息抜きが必要なの。家の中に篭って、毎回同じ作業の繰り返しなのよ?息が詰まるったらないわ」

 多少の愚痴を振り掛けてやっても、聞き流してる。グラスを傾けて琥珀色に浮かぶ氷を鳴らすポーズまでつけて。中身はどうせ烏龍茶のくせに。

「なんだ」

「まだお酒飲めないのねぇ…けーじさんから聞いてたけど、まさか本当とはね」

 こっちの視線に気付いて面倒臭そうに声をかけるソイツに、仕返しのつもりで吹っかけて、ついでにニヤニヤとからかってやる。

 途端にムッと眉間にシワを寄せた。

「うるさい。ほら、バッジありがとな…もう用は終わったな。専業主婦に戻れよ」

 そう言って私に金色のバッジを差し出す。顔は依然変わらずカウンターに向けたまま。

「相変わらず、仕事一筋なんだから。まぁ、ここで私に泣いて詫びるなんて真似したら、平手打ちじゃ済まなかったわよ。…それはそれで見てみたかったんだけどね」

 絶対に有り得ない仮定を出せば、ガタンと椅子をひく音が静かな店内に響く。

「お帰りで」

「ああ、また来る。釣りはいいから」

 そう言って千円札をカウンターに置いて、ソイツはそのまま出入り口へと歩いて行った。

 結局最後までコッチに顔を向けなかったわね。

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げたマスターは、テキパキとアイツの跡形を片付けていく。

「相変わらず、仕事ばっか…マスター、ギムレットちょうだい」

 ぼやきながらの注文でさえマスターはうやうやしくお辞儀をする。

「はい、ただいま」

 まぁ仕方ないか。アイツはハードボイルドな探偵を選んだのだから。

 あまり虐めるのも空しいだけだわ…私もアイツも、あの人も。

 チラリと薬指の金色を眺めて、私はまた溜め息を吐いた。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 なんちゃってハードボイルド第五話、初めましての方も、ここまで続けて読んでくださった方も…いかがでしたでしょうか?お久しぶりな更新で、大変申し訳ありません。この話に少しでも何か思考してくださったら天にも昇る気持ちです。


 今回のお話は所長の人間関係がジィ…ワァというよりもシュッと駆け足で打ち出した感じがいたします。ジックリと噛み砕くのはまたの機会に…。

愛情に関わるネタは大変悩みに悩みました。まさか更新間隔がここまで開くとは…愛情はスキキライと単純に見えても、こじれる可能性は無限なのでまったく難しいですね。


 ところで、所長と助手シリーズ本編で名前を明かさない方々はこっそりとキャラクター紹介でその名の通り紹介されていますが、ある意味答えみたいなものですので、明確にしていない関係もバレバレなので…ネタバレが本当に嫌いな方にはおすすめできないものとなっています。…今回は特に、ですのでご注意下さいね。と、こちらで呼びかけても果たして意味があるのか。


 さて、次回は第一話からここまで読んでくださった方には懐かしいメンツが出てくる話です。そして助手に関わる話になる…予定です。予定ではジュワァですが、はてさてどうなる事やら。


 次回、所長と助手 第六話 オッチャンとアメチャン

 どうぞよろしくお願いします。


※この物語はフィクションです。実在の人物、団体名とはいっさい関係ありません。独りよがりな愛情の押しつけ、詐称、異常なまでの愛情表現もくれぐれも真似をしないようにお願いします。

 

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