第六話 七番目の弟子
一章の折り返し地点です。
翌日、レイチェルに起こされたリリアンヌ。二人仲良くそろって顔を洗いに下へと降りた。三日連なる連休の内、二日目だという今日。屋敷の者達はゆっくりとした朝を過ごしているようで、食卓にはエリックだけが席について朝食をとっていた。淡い黄緑色の肌着と黒い股下が別れた膝丈の洋服。今日もまた、女の子と見間違えそうな服装である。
「昨日は偉くうるさかったな。あの怒鳴り声あんただろ」
「そうよ。悪い?」
ふんと鼻を鳴らして睨みつけるとさっさとその場を通り過ぎた。その後を不思議そうな顔をしたレイチェルが続く。リリアンヌは昨日、ルビウスに勝手に話を切り上げられた事に大層腹を立てていた。
今日会ったら、徹底的に吐かしてやると朝起きた時から考えていた。
「リリア、機嫌悪い」
「うん、ちょっとね。ごめんねレイル」
「大丈夫。リリアの機嫌、治るまで待ってる」
「そう?もう、敬語なんて使わないんだから!そして絶対、あの自己中心的な公爵を、ぎゃふんと言わせてやるんだ!」
「誰が自己中心的だって?」
「「うわぁー!出たあっ!!」」
背後から聞こえた声に二人揃って悲鳴を上げ、レイチェルと共に慌てて洗面所に入ると扉を閉めて防戦体制にはいった。
「僕は幽霊か何かか」
溜め息をつくルビウスの寂しそうな声を扉越しに聞きながら、いきなり背後に現れるからだと悪態をついた。
顔を洗い、廊下に出たときには既にルビウスの姿はなかった。上の階に戻って、エリックが去った机で食事をしていたハイディリア兄弟にどこに行ったのか知らないかと聞けば、フレッド兄さんを連れてどこかへ出掛けて行ったと返ってきた。少し形は違えど、似たような淡い灰色の肌着と股下が分かれた濃い緑色の洋服を揃って身にまとう姿は、さすが兄弟と見える。
「逃げやがったな、卑怯者め」
帰ってきたらひっつかまえて問いただしてやるとぶつぶつ小声で悪態をついた。そんなりリリアンヌをとんでもない物を見たと兄弟は驚きを隠そうとしなかった。
「意外と猫被りだったんだな…」
「女は誰でも。私だけじゃない」
ジュリアンの言葉に簡潔に答えると席に着いた。
「女は怖いね、ジョーン兄さん」
「全くだな、弟よ」
二人の半ばふざけた静かな会話は、幸か不幸かリリアンヌには届かなかった。食事を終えたリリアンヌ、レイチェルの二人は昨日出来なかった屋敷の探索を始めた。
「リリア、こっち」
「待ってよ、レイル」
屋敷の最上階はレイチェルの部屋とオリヴィアの部屋しかないため、二人は二階にある廊下の突き当たりに来ていた。普通は壁で遮られているであろうその場所は、長方形の縦に長い硝子張りの扉が存在していた。その硝子張りの扉を開けて外に出ると真っ青な空の下、洗濯物を干しているマーサ小母さんがいた。
暖かい空気を含んだ風が屋上に吹き、その風とまるで踊りを楽しむかのように真っ白な敷布が沢山なびいている。そんな広い屋根の上に出ていたレイチェルがリリアンヌを手招きしている。
屋根がない屋上に出れば、心地よい風が頬を撫で、空は濃い青の色合いで絶好の洗濯日和といえよう。
真っ青な空を見上げて外に出た。
周りは黒い塀が囲み、その塀の上を小さな剣が一列に規則正しく並んでいる。先端は鋭く尖り、誤って刺されば命は無いだろう。そんな光景を横目に、屋根のど真ん中で硝子を覗いているレイチェルの隣に座り込んで、リリアンヌも覗き込んでみた。
硝子張りの一面は、皮靴ではツルツルと滑りそうなものだが、魔法で加工が施されているようで耳障りな音も立たない。
透明な硝子は無表情のレイチェルともの珍しげに眺めるリリアンヌの顔と青空を映し出していて、硝子の向こう側に見える下の様子はまるで大昔に、海底に沈んでしまった世界のようだった。
「あっ、ヴィア姉さんだ」
食卓についてるオリヴィアの姿を見つけたレイチェルは、嬉しそうに声をあげる。
オリヴィアは天窓から差し込む動く影に気付いたようで、二人に手を振ってくれた。二人も手を振り返して立ち上がると屋敷に戻って、探索を再開した。
書物を保管している書籍室、客室、談話室(ルビウスとリリアンヌが話していた部屋)二階にある全ての部屋を見てまわり(ルビウスの寝室と仕事部屋は鍵が掛かっていて中を窺えなかったが)、地下は兄弟子の部屋しかないから面白くないと言われた。そんな話をしていた最中、二階の踊場から屋敷の裏にあたる森の手前でジョナサンが一人、園芸用具で大きな穴を掘っている姿が見えた。
「レイル、ジョーン兄さん?がいるよ」
「本当だ。何をしてる?」
「行って聞いてみようか」
「うん」
二人は正面玄関から外に出て、屋敷の壁に沿って裏へと回るとジョナサンの背後へとそっと近づいて立った。
「ジョーン兄さん、何してる?」
「あ?なんだお前らか。邪魔だ。あっちに行け」
「何してるんですか?」
「何でも良いだろ」
「「何してるの?」」
「あぁーもう、うっせーな。穴掘ってんだよ。見てわかるだろ!さぁさ、気が済んだら向こうに行け」
二人のしつこい質問に適当に答えたジョナサン。どうやらご機嫌が宜しくないようだ。そんなジョナサンから少し離れて、リリアンヌは左隣にいるレイチェルに話しかけた。
「あんなに怒んなくてもね」
レイチェルは彼はいつもあぁだと答えた。その後は特に何をするでもなく、ぼんやりと屋敷の壁にもたれてジョナサンを観察していた。するとそこへ一人のお爺さんが角を曲がってやってきた。小柄なお爺さんが二人に声をかける。
「おや、レイルじゃないか。こんなところにいるなんて、どういった心境の変化かね。しかもお客さんを連れて…珍しいこともあるもんだ。お隣にいる見かけない顔のお嬢さんは、一体どちらからいらっしゃったのかな」
白い眉を蓄えて、短い白髪頭の上に濃い青色の帽子を被ったその老人は、にこやかな笑みを湛えて右手に麻布で作られた袋を提げている。
「リリアンヌ。昨日、先生が誘拐してきた。一緒に屋敷の探索」
「えーっと、初めまして。リリアンヌです。北の国から来ました」
「ほぉ、北の国から。それはまた遠い所から。私はここの管理を任されているロベルト・ジドルと言う者で。ローベルおじさんと呼ばれてるかの。お嬢さんがリリアだったとは。マーサから話は聞いていましたよ」
「マーサ小母さんが?」
「えぇ。また一人ルビウス様が誘拐してきた、可愛らしい子がいると」
帽子を取って自己紹介してくれたロベルトは、日焼けした地肌が見えるほどの寂しい髪を撫でつけながら愉快そうに笑った。そう言えば、淡い赤みを帯びた黄色の瞳が誰かに似てると思った。マーサ小母さんにそっくりなのだ。
「マリンサは、私の二番の娘ですよ」
リリアンヌが思っていた疑問ににこやかに答えると彼は帽子をかぶり直して最後に言った。
「私の家はこの別荘の向かいにあるので今度お茶でも飲みにいらして下さい。美味しいお茶をご馳走しますから…と言ってもほとんど森と庭なんかに居ますがね。…それでは」
ほっほっと小さく笑いながら会釈をすると彼は歩き出したが、何かを思い出したように立ち止まって背後を振り返った。
「そうそう、ここにいたら砂埃が立ちますから。お嬢さん方、避難された方がいいですよ」
そう言って今度こそ、ジョナサンがせっせと地面を掘っている場所へと歩いて行った。助言を貰った二人はロベルトの言った通り避難する事にして、屋敷の中へと引き返した。
「公爵が言ってたロベルトさんの手伝いって、もしかしてあれ?」
レイチェルに聞けば、あぁと思い出したように答えた。
「かも知れない。あんなもの、先生の罰の内に入らない」
あっさり言うレイチェルに静かに驚きながら屋敷の中に入った。その後は一日をゆったりと過ごした二人だったが。
「何だ、その力のない掘り方は。もっと腰に力をいれて掘らんかっ!それぐらいでへばっていてどうする!」
夕方、日が暮れるまでロベルトの怒鳴り声が屋敷の中まで響いてきていて、少なからずジョナサンに同情したのは秘密である。
その日は結局、夜になってもルビウスとは会わずじまいで、リリアンヌの焦りと怒りはそろそろ限界に来ていた。
「これからどうしょう…」
「ここに住めばいい」
ぼそりと呟いた言葉。
まだ明かりを灯して宿題をしていたレイチェルは、二段重ねの寝台の上段に寝そべっているリリアンヌに、文字を書きなぐりながら当たり前のように助言した。
「それはちょっと。私、人に頼らずに独りで生きていこうって決めてるから」
「明日、先生が帰ってきたら話す?」
「うん。今日、話そう(問いただそう)と思ってたのに公爵は朝に一回しか会わなかったし」
「先生、いつも忙しいばっかり言ってる」
「ふーん」
「明日も帰って来ないかもしれない」
「それは…困るね」
「そうならないように祈ってる」
「ありがとう。…そろそろ寝ようかな」
「そう。おやすみ」
「おやすみ」
リリアンヌとルビウスの戦いはまだ始まったばかりであった。
次の日、レイチェルと二人、ルビウスが帰って来るのを二階の窓から顔を出して待っていたリリアンヌは、草原にジョナサンが歩いているのを見つけた。ふらふらと危なっかしい歩き方をしている。
王都に行っているというオリヴィア、ルビウスについて行ってるフレドリッヒ。ジュリアンは昨日からルビウスの弟だという、アレックス・シエルダ侯爵の所に行っていて居らず(あのミミズクの弟だ)、エリックは部屋で宿題を書いているとかで屋敷はひっそりと静まり返っている。
「何をしてるのか、見に行こうか?」
暇を持て余していた二人は、さっさと屋敷から出てジョナサンの元へと向かった。彼は草原の端、崖となっている場所を目の前にしてしゃがみ込んでいた。
「ジョーン兄さん」
レイチェルが声を掛ければ、彼は面倒くさそうに振り向いた。
「今日は何してる?」
「またお前ら二人か、暇人だな。…ジジイから薬草を摘めって言われてんだよ。あぁ腰が痛てぇ」
「なんなら手伝ってあげようか?」
どうせ暇だしねとレイチェルに同意を求めるとこくりと頷いた。ジョナサンは目をまん丸にさせて驚いた。
「まじかよ!じゃあ、これと同じ薬草を摘んでくれ。すぐ手前に崖があるから気をつけろよ」
言葉は悪いけれど、さり気なく注意を促してくれた彼に、隠れた優しさを見たリリアンヌは根は悪い人ではないと悟った。
ジョナサンが持っている薬草は、万能薬として使われるバールン・ハリウと言うらしい。小さいその花は人差し指と親指で摘み、薄黄緑色の花弁だけを使う。その花を手の平大の籠一杯に摘まなくてはならないらしい。
「大変だね」
「ジジイの罰は地味にキツいんだ。まあ、俺やリアンは慣れたもんだけど」
今年、十二になるというジョナサンは国境境ウルーエッドの近くで農家を営む、ハイディリア家の次男坊だと自己紹介をしてくれた。
「土掘ったりとかは弟子になる前に散々やらされてたし、慣れてたはずなんだけどな。だけど、やっぱ久しぶりにすると体にくるな」
そう言って笑いながら話すジョナサンは何故だか嬉しそうだ。
「俺は空中浮遊の能力を持ってるんだ」
能力があるのかと聞けば、そう答えてくれた。
「くうちゅうふゆう?」
「そっ、物を浮かせたり空を歩いたり。雲の傍まで行ける」
「いいな―」
「なんなら今度、連れてってやろうか?」
「えっ、いいの?」
「あぁ、こいつのお礼」
喜ぶリリアンヌ、ニコニコとその様子を見つめるレイチェル。辺りには春の暖かな日差しが降り注いでいた。
お昼を食べ終えたお昼過ぎから、シエルダ侯爵の所から帰って来たジュリアンも加わり、せっせと薬草を摘みながら賑やかに話を咲かせた。
「で、昨日から先生を掴まえようとしてたわけだ」
「そう」
「無理に決まってんじゃん。ねぇ、ジョーン兄さん」
話題はリリアンヌがルビウスに話を切り上げられた事。
「うーん。弟子になれば先生と話をできる時間は増えるだろうけどな。今のまんまじゃ、只のお客さん扱いだ」
「弟子?」
「あぁ、そろそろ七番目の弟子をとったらどうだって、話が確か来てたんじゃないか?なぁ、リアン」
「うん、シエルダ侯の所でも弟子の志願者が沢山いるのに、なかなか七番目の弟子を取ろうとしないってさ」
「そういや先生、七番の弟子に関してはなかなか取ろうとしないよな。何でだ?」
「さぁ。偉い人程、弟子を沢山とるのにね」
「七番目の弟子については、やけにこだわってるよな」
「弟子かぁ」
そうだねと答えるジュリアンの声を聞きながら、リリアンヌがポツリと呟いた。
「どうやったら、弟子にしてもらえる?」
「手っ取り早いのは直談判とかか?」
「自分を売り込むとかね」
「それに金も貰えるしな」
「えっ!お金が?」
「そっ。ちゃんと仕事が出来てたら、給料として貰えるんだ」
お金が貰えると聞いてリリアンヌが瞳を輝かせた。普段、黒みを帯びた暗赤色であるはずの彼女の瞳は、鮮やかな赤色となっていて。――光を取り込んで鮮やかな血の色合いをしていた。
そんな彼女の瞳に、誰も気づくことはなく。
リリアンヌは勢い良く立ち上がって叫んだ。
「決めたッ!私、七番目の弟子になる」