第四話 賑やかな食卓
賑やかですが。
リリアンヌとレイチェルが部屋でお喋りを楽しんでいる昼過ぎ、マーサ小母さんの怒鳴り声が二人の元へと届いてきた。
どうやら窓硝子の事を怒っているようだ。
二人は、にっと悪戯っぽく笑い合うとお喋りを続けた。
レイチェルはリリアンヌのいた街、レイヘルトンが気になる様子でしきりに街はどんな所だったかと聞いてきた。ほとんど季節は冬で、煉瓦造りの街等々レイチェルに話してやると濃い金色の瞳を更に輝かせて聞き入っていた。彼女の母国は南の国、サンリーチにあるブレハ湖だそうで、レイヘルトンとは真反対の国だそうだ。ブレハ湖が面積を占め、人魚の生息地で有名だと言う。年中暖かく過ごしやすい為、観光客が多く、商売など活気に溢れているそうだ。
「いいなあ。私も行ってみたいな」
ぼそりと呟いたリリアンヌの声に、二段重ねの寝台の下の階に一緒に腰掛けていたレイチェルは、パッと何かを閃いた(ひらめいた)ように顔をリリアンヌに向けた。
「リリア。魔法使いに弟子入りしてる子達は年に一度、夏休みを貰って家に帰る。その時にリリアも家に来ればいい!」
「えっ!!良いの?」
「良い。先生に頼む。家に手紙出す、きっとみんな喜ぶ」
にこにこと言うレイチェルが可愛くて、リリアンヌはうんと頷いていた。
「ねぇ、レイルはいつから弟子になったの?」
高貴な魔法使いの弟子は、弟子であれどそれなりの扱いを受ける。出身がどこであれ、貴族と同じ扱いになる。興味津々といった様子で、レイチェルに質問した。
「一年前」
あっさりと言ったレイチェルに少しばかり拍子抜けをした。どうしてそんな事を聞くのかと首を傾げるレイチェルに、リリアンヌは自分の聞かされてきた話を伝えた。
「だって、素質のある子は生まれて直ぐに修行に出されるんだって聞いてたから」
更に首を傾げるレイチェルは、そんな事は聞いた事がないと答え、言葉を続けた。
「代々魔法使いの家系である貴族の跡取りなら、それもあるかも知れない。けど、面倒くさい試験に合格した者、誰でも弟子になれる。平民は人手が足りない。わざわざ自分の子供を弟子入りさせるのは少ないと思う」
「へぇー、そうなんだ。レイルは合格したから弟子になれたんだ、凄いねぇ」
「そんな事無い。リリアだって簡単に弟子になれる。先生だって、そのつもりで連れてきたんだと思う」
「いや―、私には素質ないよ」
「五年に一回、夏になると有名な魔法使いから弟子の公募がある。先生の所みたいに不定期に募集したり、全く弟子を取らない珍しい家もある。能力も無い奴も沢山応募する」
「へぇ」
「対象者は三歳から六十歳まで。だから、一人前になった時、年寄りの人もいる。審査基準は能力とどれほどの魔力があるかだけ」
「能力と魔力って、どう違うの?」
「魔力は魔法を発動させて操る為の力。その者に莫大な疲労などを伴わせる。能力は反対にその者に負担をかける事無く、ある一部の力が呼吸するかのように使える事だと聞いた」
難しいからよくわかないと言うように、首を傾げて話してくれた。
「レイルは、なんの能力があるの?」
「連水を操れる」
「れんすい?」
レイチェルは黙って頷くと言葉を探すかのように視線を空中に巡らせた。
「連水は、生まれた時から一緒にいる。今も、これからもずっと一緒。兄妹じゃなくて…」
「友達とか?」
「そう!」
助け舟を出した言葉に嬉しそうに頷いたレイチェルは、リリアンヌと同じ八歳と思えない程、幼い印象を受ける。
「その連水に紹介してくれる?」
「うん。でも先生が居ない時に、連水を人前に出してはいけない言われてる。また今度」
「うん、約束ね」
「約束」
二人だけの秘密の約束をするとリリアンヌは先程から気になっていた事を聞いた。
「先生って、皆が呼んでいるカインド公爵って、若そうに見えるけど何歳なの?」
「十九」
「えっ、若いね」
「お前もな」
ズバリと斬り返されたレイチェルにびっくりするとリリアンヌはケラケラ笑いながら言葉を返した。
「そうだった!」
レイチェルもリリアンヌにつられて一緒に笑い出し、その後ひたすら笑った二人はベッドの上に寝そべり、ごろごろと転げ回った。その時、コツンとリリアンヌの頭になにやら堅い角が当たった。
何だろうと体を起こして手に取ってみると、それはずっしりと皮の厚い茶色のおおいで覆われた分厚い本だった。
「レイル、これ何の本?」
字が読めないリリアンヌはまだごろんと横になったままのレイチェルに尋ねた。体を起こしたレイチェルは、いやな物を見たというように顔をしかめて答えた。
「学校の辞書」
「学校の辞書が何でレイルの部屋に?」
公共施設の物はどんな理由があっても外に持ち出す事は禁じられている。
「今日から週末。授業担当の先生、家で宿題やれて言った。一人一冊、特別に貸し出した。この辞書を使って、調べた事を五十枚ほど書かないといけない」
リリアンヌから辞書を受け取ったレイチェルは辞書を寝台の上に置いて、嫌そうにパラパラとめくり始めた。よくよく見れば所々、小さく付箋が貼ってある。
「今使っている言葉はどうやって生まれたか。例えばおはようとか。同じ言語で異なる意味になったのか等」
淡々と喋っていたレイチェルは、急に黙り込んでしまったリリアンヌにどうしたのかと声を掛けた。
「ううん、なんでもない。やっぱり字が読めないのは、致命的だなと思って」
レイチェルが捲って(めくって)いる辞書はリリアンヌにとって只の模様にしか見えない。切なそうに笑ったリリアンヌを見ていたレイチェルはポツリと呟いた。
「学校に行って、習えばいい」
「それは無理だよ」
「どうして?」
「親が居ない子は、学校には行けない」
「そんなの不公平だ」
悔しそうに唇を噛み締めるレイチェルにあっけらかんとリリアンヌは言う。
「仕方がないよ。親が居ない子供が学校に居て何か問題が起こったら、学校が責められる。お金も少なからず必要だし」
この国では貴族から平民まで、五歳から十三歳になる子供は近所の学校で授業を受ける義務がある。しかし、授業費が高く、子供が多い家庭、身寄りもいない子供や授業費が払えない家庭は、学校に通っていないのが普通だ。
最近では国の取り組みにより、授業費の減額・一部無料化などが法に組み込まれ、学校に通う子供が増えたと言う。身寄りもいない子供には、無報酬で勉学を教える者がちらほら居るようだが、教えて貰えるのは大勢いる一部の者だけで、完全な解決とは言えない。
そう、義務だと言って法律を作り上げるのは簡単で。国は沢山の法律を作るが、そこからでた問題はなかなか解決しようとはしないのだ。
リリアンヌのような貧民は発言の自由も貰えず、ただ泣き寝入りをするしかない。
法律を作るだけ作り、何にも解決してくれない国。低級な人々。
違う国はどんな所なのか、見て回れる自由を得たら、どれだけ嬉しいことか。まだ見ぬ未来に夢膨らませた時期もあった。…しかし、現実はそうはいかない。
「ここで生まれて、逃げ出せないなら。その場所で精一杯足掻くしかないんだから」
まるで、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「変えられるかもしれない」
そう言ったレイチェル。何を?と聞かなくても、彼女の瞳の奥は煌り(きらり)と光って希望に満ちて、察することができた。
「そうだね」
――この忌々しい国を。
――人を思いやれない人々の心を。
――今の自分の心境を。
――変えたい。
そうリリアンヌから言葉を聞いたレイチェルは満足そうに頷き、少し笑った。
「やっぱり、リリアは面白い」
「どこが?」
「全部」
「いや、そう言う意味じゃなくて…」
にっこり笑ったレイチェルを見つめると、天使みたいだと思った。笑って泣いて。表情豊かに見えそうだが、それはただ彼女にとって服を着るように自然なことで。その内側にある彼女自身の本性を必死に隠している。
まるで天使の姿をした小悪魔だなとリリアンヌは思った。
「レイルは何を隠してるの?」
その不完全な仮面の奥に。
仮面の笑顔を外して素の笑顔を彼女は見せた。
まるで、悪魔が人を惑わすように。
「知りたい?」
そう言うと寝台から降り、 リリアンヌの目の前へと立った。
「でも、また今度。リリアを怪我させたら、先生に怒られる」
にこっと笑うレイチェルは、なぜか嬉しそうだ。
暫くの間、静かに見つめ会うだけの空間は、しんと静まり返っていた。そこへ、マーサ小母さんの夕飯が出来たと呼ぶ声でリリアンヌは視線を外すと辺りを見渡した。昼過ぎの明るかった部屋はすっかり夕日に包まれており、一日の終わりを告げている。
「夕飯、食べに行こう」
ぽけっと外を眺めていたリリアンヌの左手をとったレイチェルは、明るい赤色の扉から廊下へと引っ張って行った。
食堂へ入ると一人満足そうなオリヴィアと机に沢山の書類を広げているエリック、先程までなかった絆創膏を額に貼ったジュリアンが、既に席についていた。レイチェルの右側の席へとオリヴィアに促され、リリアンヌは不満ながら席についた。
「さあさあ、夕食の時間ですよ。あら、フレッドとジョーンは?」
右手にした湯気が立った良い匂いの料理を持ち、左手に重ねた食器を持って階段を上がって来たマーサ小母さんは、席が空いているのを見つけると弟子達に問いかけた。リリアンヌとオリヴィアの間に二つ、オリヴィアとエリックの間に一つ席が空いている。
「さあ?フレッド兄さんは先生について行ってるから、遅くなると思うけど。ジョーンはまだ部屋で先生に押し付けられた仕事をしてるんじゃない?」
マーサ小母さんから料理を受け取りながら、オリヴィアがさらりと答えた。
「全く。呼んだら直ぐに来なさいって、あれほど言ってるのに。リック!食事の席に仕事を持ち込まないでって言ってるでしょう!ヴィア、リアン、硝子を二枚も割ったんだから、あなた達のお肉はありませんからね!」
大きな体を揺らして怒りながら、左手の食器を魔法で浮かして配った。ついでとばかりに二人に留めを刺して、マーサ小母さんはジョナサンを呼びに去って行った。
「「えーーっ!あんまりだよ、マーサ小母さん!」」
信じられないっといった表情で、渋々書類を終うエリックを間に挟んで、マーサ小母さんにぴったりと息を揃えて抗議した。
「当然ですっ!!」
拍手をしそうな程揃った抗議の声に返って来たのは、マーサ小母さんのピシャリとした一声だった。オリヴィアとジュリアンがお互いを睨みあっている間にも、人数分の生野菜と飲み物、オリヴィアとジュリアンを抜いた四人分の焼きたてのお肉が勝手に並び、殺風景だった机を彩った。
「良いのかなあ」
「何が?」
左側に座っているレイチェルが、リリアンヌの呟いた言葉に問いかけた。
「私みたいなのが、こんなの貰って」
昼ご飯ではお腹がすいていて、そんな事考える暇も無かったが、こんな豪華な夕飯を前に少なからず怯んで(ひるんで)しまっている。
「食べない方が怒られるよ」
レイチェルは小さく笑ってそう言うと、いただきますと食事を始めた。そうかと思い、リリアンヌもいただきますと言って、有り難く食事を始めた。
「あー、良いなあ!」
声が聞こえて来た方向を見れば、オリヴィアがクンクンとこちらに向かって香りを嗅いでいた。その視線が合うと、口に含んだ柔らかいお肉をゴクリと飲み込んだ。彼女の前には丸いパンが二つと生野菜、汁物に飲み物が置いてあるだけで。健康的な食事が窺える。対するジュリアンも同じで。少し分けた方が良いのかと周りを見やれば皆、黙々と食事をしている。
「ヴィア姉さん、最近太ったって言ってたじゃん。減量になって丁度いいんじゃない?」
「情けは無用」
口々にそんな事を言う弟子達。
「肉が食べたいの!こうなったのもリアンのせいよ!」
「よく言うぜ。自分のせいだろうが」
いつの間にか席についていたジョナサンが、オリヴィアにきっぱりと返した。
「私一人のせいだって言うの?良いわ。ジョーン、あんたの肉を寄越しなさい!」
「わっ、俺の肉を返せ!」
ぱっと横から取られた肉を取り替えそうとジョナサンは、右拳をオリヴィアの頭にぶつけた。
「いったい!そうやって直ぐに手を出すのはあんたの悪い癖よ」
「うるさい!早く肉、返せよ」
「嫌よ―」
肉の取り合いで取っ組み合いの騒動へ発展した。一番近くにいたエリックは、杯に入っていた牛乳を倒され、机一面に真っ白の液体が広がったのを見るとそれが自分の服に被害がでない内に、ぱっと立ち上がって避難した。
「もう!ヴィア姉さんにジョーン兄さん、喧嘩なら他でやって!!」
エリックの非難は耳に届いていないようで、机に並んでいる食器が喧しい音を奏でた。
自分達も避難した方が良いのではないかと考えていた時、まだ半分以上も残っていたレイチェルのお肉が、ぱっと一瞬にして消えた。
なぜ急に消えたのかとリリアンヌが首を捻っていれば、レイチェルがわっと泣き出してしまった。
「私のお肉!酷い、リアン兄さん」
レイチェルの右斜め後ろを見れば、肉を頬張っているジュリアンがいた。
「取られるって分かってて、ゆっくり食べてるレイルが悪いんだよ」
いーっと笑ったジュリアンにリリアンヌは、カッとなって怒鳴った。
「ちょっと人の物を勝手に食べるなんて酷いじゃない!自分より年下の女の子に対して!」
「今日来たばかりの赤の他人に説教されたくないね。それにその言葉、ヴィア姉さんに言ってやって」
くいっと顎で向かい側を指してそう言った。リリアンヌが視線をそちらに戻すと先程まで机を彩っていた食器はすべて床にひっくり返っていた。その近くには、喧嘩の真っ最中の二人がいた。リリアンヌが居た施設よりひどい惨状に言葉を失っていると聞き覚えのある声が背後の扉付近から聞こえた。
「随分と楽しそうな夕食じゃないか」
ゆっくりと皆が顔をそちらに向ければ、黒い外出着に身を包んだまま、静かに皆を見つめているルビウスが立っていた。おまけに言えば、左後ろに同じような外出着に身を包み、呆れかえっているフレッドもいる。
先程まで喧しいほど賑やかだった部屋は、水を打ったように静かになった。
「マーサ、料理を作ってくれたところを悪いけど。全て下げてくれるかい?」
すると、一瞬にして机の上の料理と床に散らばった残骸は跡形も無く消えた。
「さて、元気一杯の弟子諸君。出来れば師である僕が言う前に、速やかに席へ座ってくれると有り難いのだけれど」
リリアンヌはストンと席に座り、皆も音一つ立てずに急いで自分の席へ着席した。
「食事の席で説教をするのは好きでは無いけれど。まず、オリヴィア」
静かな口調には怒りを含んでいて。彼の話し方は、その場にいる者全員を震えさせた。
「はい…」
「マーサから高度の魔法ばかりして学校に行っていないと聞いたよ。いつからそんな事を許可した?」
「許可して頂いた覚えはありません」
「ならば、自分がしたことについてわかっているな。週明けから学期末まで毎日学校に行きなさい。こんな当たり前のことをいちいち言わすんじゃない。その間、魔法は全面的に禁止。それから僕の従兄弟の遊び相手がいなくて困ってるそうだ。丁度いい、しばらく王都に行って遊び相手になってやれ。次にジョナサン。また近所の子供を泣かしたんだって?元気な事は結構が限度と言うものがある。罰として一ヶ月、ロベルトの手伝いだ」
顔がひきつっている二人に目もくれず、ルビウスは言葉を続けた。
「ジュリアン。いい加減に、兄貴の後を馬鹿の一つ覚えみたいに付け回すのはやめなさい。来週から七日間、アレックス・シエルダの所に行きなさい。人手が足りないらしい。それからエリックとレイチェル、宿題をちゃんとやるように。リリアンヌは話があるから、私の部屋に来なさい。以上」
淡々と話を終えたルビウスは、くるりと背を向けて立ち去った。その背を呆然と見ていたリリアンヌだったが、レイチェルに肘でつつかれ慌てて後を追った。彼について入っていった部屋は、二階に上って右側の手前にある居間のような場所だった。部屋の中は薄暗く、暖炉の火が灯っているだけで辺りを窺うことは出来なかった。ルビウスは外套ととんがり帽子、上着を脱ぐと奥にある長椅子に腰掛け、リリアンヌを向かい側へ座るよう促した。リリアンヌが向かいの長椅子に軽く腰掛けたのを確認して、ルビウスはゆったりと口を開いた。
「さっきは、弟子達が失礼したね。どうも私の教育が足りないようで」
「…いえ」
「さて、聞きたい事があるだろう?答えられる範囲で質問を受け付けるよ」
どうやらリリアンヌが不思議に思っていた問題を答えてくれるようだ。
「えっと、なんで私はここへ誘拐されたんでしょうか」
「まあ、まず最初はその質問だろうね。断っておくけれど、誘拐したわけじゃないよ。…とんだ誤解だ。君の質問だけど、まだはっきりとは答えられないね。あぁ、そんな顔しないで。僕は答えられる範囲でと言ったよね」
そんな顔とはどんな顔をしているのか、大体想像はつくが。
「私、魔法使いの方に面識なんかありませんし」
嫌味のように返して、質問に答えてくれないルビウスをじとりと見た。
「そうだな。君自身は覚えが無くて当たり前かな」
彼は鮮やかな赤色をした長椅子に深々と体を任せて、暖炉を見ている。
「昔話をしようか」
向かいに座っている暗い黒色の彼の瞳は、赤や黄を交えた暖かい暖炉の火を映し出している。しばしの沈黙の後、彼は静かに口を開いてその昔話を語り始めた。