第三話 小さな騒ぎ
一部、少しだけ暴言などが入っておりますので、気分を害される方はお気をつけ下さい。
オリヴィアに強引に洗われ、更には衣装部屋のような部屋に連れて行かれた。着せ替え人形のように好き勝手にされたリリアンヌ。グッタリとして大きな卵型の鏡の前にされるがままの状態で腰掛けていた。
「この服、私の小さい頃に来てたお古だけどとっても似合うわ。やっぱり妹はいいわねぇ。レイルは嫌がって」
綺麗になった銀色の髪を櫛で梳きながら、鏡に映ったリリアンヌを見つめた。
「ほんと、目元なんかセドウィグ殿下譲りね。笑ったらそっくりなんじゃないかしら。先生が会議をほっぽりだして探し回ってた気持ちがわかるわ」
「セドウィグ殿下?」
「知らないの?まあ、その内先生が話すだろうから、私は余計な事を言わないでおこうかしら。…さあ、出来た!お昼を食べに下に行きましょ」
「お、わわわっ」
仕上げに赤い紐を取り出して頭の高い位置で髪を一つくくりにしたオリヴィアは、鏡越しにリリアンヌを見て満足そうに頷いた。再び強引に手を引いて部屋から連れ出した。リリアンヌは白い肌着と膝まである淡い緑色のひとつなぎの洋服、真新しい茶色の靴に戸惑い、危うく躓きかけながら必死について行く。
廊下に出ると死角となった扉の脇から歩いてきていた人物とぶつかって、リリアンヌは床に顔面から叩きつけられてしまった。
「リリア、大丈夫!?ちょっとレイル、びっくりするじゃない。いきなり横から出てこないでよ」
「ごっ、ごめんなさぃ」
ひりひりする鼻をさすりながら、上半身を起こして泣きそうな声で謝っている人物を振り返った。
リリアンヌと同じぐらいの年だろうか、ふんわりと柔らかそうな混じり気のない白い色の短い髪を持ち、前髪は右側に流して目尻の近くで花形の可愛らしい留め具で留めている。濃い金色の瞳は涙をいっぱいためて俯いている。
「レイル、私は怒ってるんじゃないの。だから、そんなにすぐ泣かないで」
困ったなあと呟くオリヴィアの言葉を無視して、リリアンヌはぱっと立ち上がった。ポロポロと淡い黄色の衣類を握りしめて泣いている少女の手を取った。
「私、リリアンヌって言うの。あなたの名前は?」
「レイ、チェル…レイチェル・カインド」
ぐすんぐすんと言葉に詰まりながらやっとのことで自分の名前を言った少女に、リリアンヌはにっと笑いかけると手を握った。
「よろしくね」
「う、うん」
機嫌良く笑うリリアンヌと手を繋がれ顔を真っ赤にしたレイチェル。二人を交互に見ていたオリヴィアは、ちょっと不機嫌そうな顔で少女を紹介した。
「なーに?私抜きで仲良くなるなんて、ちょっと妬けるわね。リリア、この子は六番弟子のレイチェル・ディオム。レイルって呼ばれてるから、そう呼んであげて。さぁて、今度こそ昼ご飯だ」
さっさと独りで降りていってしまったオリヴィアを追って、二人仲良く笑いあいながら歩き出した。
リリアンヌが連れて来られていた部屋はレイルに聞けばオリヴィアの部屋だったらしく、あの服の量に驚いたと言えばお洒落はオリヴィアの趣味だと苦笑しながら教えてくれた。
そんな事を話している内に三階から一階の客間を通り、丸い机がある場所まで戻って来ていた。机の上には既に料理が並べられていて、二人の少年がご飯を食べている。
「ちょっと!ちゃんと自分の席で食べなさいよ!マーサ小母さんがいないからって、何ずぼらな事してるの」
「何だ、誰か来たと思ったらヴィア姉さんか。いっつもさぼってる姉さんに言われたく無いね」
「いいじゃん、こんなに席空いてるんだし」
各々に好きな事を喋る少年を見れば、少し違いはあれど直ぐに兄弟だとわかるほど外見が似ている二人は揃って不満げにオリヴィアを見た。
「あら、さぼってなんかいないわよ?休憩してるだけよ、ジョーン。席が空いててもきちんと守るよう先生に言われてたんじゃなかったけ?リアン」
ジョーンと呼ばれた艶やかな茶色の髪を持った体つきのよい少年は、嘘つけと鼻で笑って淡い灰色の瞳をオリヴィアの後ろにいた二人に向けた。一方、少し小柄な年下の少年は少し固そうな淡い茶色の髪に濃い灰色の瞳を自分の皿に向けて一心不乱に食事を続けている。
「また先生、変なのを拾って来たな」
くいっと顎をリリアンヌに向け、物珍しそうに眺めた。リリアンヌはその淡い灰色の瞳に対抗するかのようにじっと視線を離さず見つめ返した。
「あら、女性と初対面でその言い方?失礼だこと。…先生は何をしてんだか。この子はリリアンヌと言うのよ。それに、拾われてきた変なのはあんたじゃない」
「俺は狼族、古代魔女、人魚族の血なんか入ってないから。まっとうな人間です」
「何だと?咬み殺されたいのか貴様っ」
突如、雰囲気が変わったオリヴィアを見て、またまた泣きそうになるレイチェル。そんな彼女を横目に、リリアンヌはオリヴィアの袖を引いて尋ねた。
「ご飯にしないのですか?」
「ああ、そうね。ご飯にしましょ。レイル、あなたを怒ってるんじゃないんだから、泣かないで」
ポロポロと大粒の涙を流しているレイチェルに溜め息をつきながらそう言葉をかけた。そして、兄弟が占領している柵近くの奥の席を避けるかのように、オリヴィアは手前にあった椅子を寄せ、リリアンヌとレイチェルを席へと促した。
「好きなのを好きなだけ食べていいから。後、生意気な兄貴の方が三番目の弟子、ジョナサン・ハイディリアで、弟の方がジュリアン・ハイディリアよ。そう言えばリアン、あんた先生からリックと一緒に仕事、言いつけられてたんじゃなかった?もう終わったのー?」
やっと食事を始めたオリヴィアは少女二人に言い、リリアンヌに二人の少年の名前を教えてくれた。大柄の体型をしている少年が、兄のジョナサン。小柄な少年がジュリアンと言うらしい。
こんがり焼けた羊の肉を銀製の食器で突き刺して、ジュリアンに問う。対するジュリアンは食事を終えて既に席を立った兄を追おうとしていた所で、オリヴィアに話掛けられて迷惑そうに顔をしかめた。
「とっくに終わってるよ。後は報告書だけだったから、リックがやっといてくれるって言ったんだ。だから、帰って来たんだよ」
「あら、そう。ご苦労さん。ねぇねぇ、それよりこの前の実技試験どうだったの?」
「別にどうって事ない」
「花びらの舞をしたんでしょう?あれは確かに派手な魔法だけど、今回は防御魔法が課題だったんだから得点に繋がらないだろうってフレッド兄さん言ってたわよ」
「………」
「あれ…?もしかして、その妙な間はダメだったとか?まあ、帰ってきた先生もかなり険しい顔してたから、もしかしてとは思ったけど。まあ、あれだ。今回はちょっと披露する魔法の選択ミスって事で。次は大丈夫よ~」
自分で話を振っておきながら、気まずい雰囲気になってきた事に焦りだしたオリヴィアを横で見ていたリリアンヌだったが、固まったままだったジュリアンの肩が震えているのに気がつき、視線をジュリアンに向けた。
「わかってたなら、なんでいちいち言うんだよっ。そうだよ、実技魔法での課題だった魔法と関係ないのを披露したから先生からも怒られて…。でも、防御魔法が課題だったなんて知らなかったんだ」
「あーっと、多分それ私かな?リアンに来てた手紙、渡そうと思ってたらどっか行っちゃって。その時、魔法禁止期間だったし、面倒くさかったから適当にでっち上げて渡しちゃった~」
「何してんだよっ!」
「ごめん」
「ごめんって謝って済むと思ってるのかっ!?」
「まあまあ、私から先生に言っとくから」
濃い灰色の瞳に怒りを宿したジュリアンを落ち着けと言うように、人参が刺さったままの食器で制しているオリヴィアをリリアンヌの反対側にいるレイチェルが非難がましく見つめている。
すると突然、オリヴィアとリリアンヌの頭の間を抜けて風が吹き、背後で硝子と硝子がぶつかった激しい物音がしたと思うと窓硝子が派手な音を立てて崩れ落ちた。何が起こったのかとオリヴィアを見やれば、平然と紫色の硝子の杯で茶を飲んでいる。
「そんな物があたると思ってたの?ふん、笑わせないで」
睨み合うオリヴィアとジュリアンを交互に見ていたリリアンヌは、ジュリアンの手元に先程まであった深い青色をした硝子の杯がなくなっていることに気がついた。
「仮にも姉弟子である私に物を投げつけるなんて。覚悟は出来てるんでしょうね」
「それはこっちの台詞だ。いいさ、丁度暇だったんだ。ヴィア姉さん、相手してやるよ」
「相手をして下さいの間違いじゃないの?」
そう言って立ち上がったオリヴィアの体は、椅子の上で瞬く間に紫がかった黒色の毛をした華奢な狼へと変わっていった。いつの間にかリリアンヌ達の反対側にある窓辺に移動していたジュリアン。飛びかかってきたオリヴィアの体を全身で受けて、二人共々外へと飛び出した。その際、窓硝子が派手な音を立てて崩れたのは言うまでもなく。
リリアンヌは慌てて席を立つと硝子の破片をよけながら窓に近付いた。窓から顔を出せば、暖かい春の風が部屋へと吹き込んできて、外の景色が垣間見えた。草原にいる1人と一匹はまるで端からみると仲良く追いかけっこをしている様で、その光景はのどかな草原によく似合っていた。
「ねぇ、レイル。あの二人っていつもあぁなの?」
食事を終わらせて食器を片付けているレイチェルを振り返って問いかけた。彼女はせっせと食器を重ねながら、答えてくれた。
「ヴィア姉さんは、他の兄弟弟子達とあんまり仲良くない。と思う」
何の感情も込めずに曖昧に答えたレイチェルに、そうなんだと小声で呟いて更に言葉を続けた。
「ヴィア姉さんって狼だったの?」
ぴくりっとその言葉に反応したのを見て、食器を片付けるのを手伝う為に無言でテーブルに近付いた。
「ヴィア姉さんは狼族の長であるオリヴィエの娘だって。ガアナード一族は、他の狼より魔力が強いから人の形が取れるって、先生が言ってた。…狼は怖い?」
片付けの作業を止めてレイチェルを見れば、日の光を浴びて光る濃い金色の瞳がまるで心の奥底を見透かしているように感じた。自然と首を横に振ったリリアンヌは、目を伏せて慎重に言葉を選んだ。
「怖くないと言えば嘘になるかも知れないけど、人型をとった狼は初めて見たから。なんて言うかな、びっくりした」
目を開けてレイチェルを見れば、濃い金色の瞳が穏やかになって表情も少し穏やかになっていた。
「それがリリアの正直な感想?」
素直に頷いたリリアンヌをにっと微笑んで、重ねた食器を持って階段を降りていった。リリアンヌもその後に続くとレイチェルは静かに口を開いた。
「ジョーン兄さんが言った言葉。覚えてる?」
――俺は狼族、古代魔女、人魚族の血なんか入ってないから。まっとうな人間です
彼は確かそう言った。
狼族の血はオリヴィアの事だろう。古代魔女の血はリリアンヌ。では人魚族の血は…。
「人魚族の血をひいてる」
食器を流しに置いたレイチェルは振り返ってリリアンヌを見た。瞬きもせずにレイチェルを見つめた。
「そうなんだ。別に驚かないよ、私もこんな髪と瞳のせいで言われ続けてたし。それに魔族の血が入ってるからって、他の人と何にも変わらないよ」
自分も食器を流しに置いてにっこり笑ったリリアンヌだったが、濃い金色の瞳から流れる雫に気づいてぎょっとした。
「えぇっ!?なんか私、酷いこと言った?ごめん、泣かないでレイル」
オロオロと慰めるリリアンヌを見て、少しだけ笑ったレイチェルは手の甲で涙を拭って小さな声で違うと言った。
「嬉しかった。他の人と何も変わらない、誰も言ってくれなかった。先生もマーサ小母さんも普通の人とは違うって言う。人魚族に生まれたのだから強くなれ、お母さんも言う…」
「そっか…」
「好きで人魚の血をひいて生まれてきたんじゃない。けど、周りは化け物見るみたいに見てくる」
リリアンヌにも同じ過去がある。貧乏施設で育った彼女を院長は他の子と同じように愛情を注いで育ててくれた。今、レイチェルに言った言葉も院長が掛けてくれた言葉だ。しかし、そんな心優しい人など多くなく。
手伝いで行った屋敷からは忌々しいと叩き出され、施設の同じ子供達からはお前なんかがなぜ生きてる、さっさと死んでしまえ、言われた暴言は多々ある。そんな現状だったからこそ、あの場所から離れて独り強くならないとと思った。だから、レイチェルの気持ちはよくわかった。
だけど…。
「ねぇ、レイル。好きで生まれてきたんじゃなくても。そう思ってても、お母さんにそんな事言ったら駄目だよ。多分、悲しむだろうから」
「でも…」
「どれだけ周りに言われてもさ、お母さんが居てこそ自分達は今、ここに居られる。なのに、お母さんにそう言ったら駄目だって。いつか、おっきくなった時に面と向かって生んでくれてありがとうって言えるように。強くなりなさいって昔言われた」
自分で言っておいて反吐がでたが院長に言われた言葉をそのまま復唱しながら、レイチェルの髪に自分の手を置いてゆっくりと撫でた。
「そうか」
納得したようなレイチェルと顔をあわせてお互い笑いあった。リリアンヌは気分を変えるように屋敷を見てみたいと提案した。しかし、マーサ小母さんが帰って来た時、さっきの窓硝子の事でとばっちりを受けるからと屋敷の探検は却下された。うなだれるリリアンヌをレイチェルは自分の部屋で話をしようと誘ってくれた。
渋々、了解したリリアンヌを連れてレイチェルは最上階にある自分の部屋へと案内した。屋敷の外からは時折、人間の姿に戻ったオリヴィアとジュリアンの騒ぎ声が静かな屋敷に聞こえて来ていた。