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12.二人の想い

話が切れ切れになっていますが、見切り発車で参ります。

「こんばんは、カインド公爵」


ルビウスの数歩手前で立ち止まった彼は、そう言って軽く頭を下げて丁寧なお辞儀をした。その様子をじっと静かに見つめていたルビウスが口を開いた。


「…自らの身分も弁えずに、随分と自惚れたものだな」


低く呟くようなその声に、頭を上げたジェイドは顔色一つ変えずに答えた。


「随分な言いようですね」


肩をすくめて少し笑ったジェイドに、ルビウスがとんがり帽子を取って彼を眺めた。


「何の用だい?僕に何か言いたいことがあるのだろう」


「あぁ、彼女とは“友人からお付き合い”を申し込もうと思いまして。師である貴方に一言、お伝えしておくべきかと」


爽やかな笑みを湛えた若い青年は、真っ直ぐに彼の面立ちを見据える。


「それはご丁寧に、どうも」


素っ気なく答えたルビウス。だが、その瞳は僅かな威圧感を湛えていて。

対照的な二つの色が、同じ挑発的な色を宿していた。


「兄上…?」


暗雲が漂う中、階段を降りて来たのはルビウスの弟、アレックスである。最下に降り立ち、不思議そうに二人を交互に見つめている。


「こんばんは、シエルダ侯爵。お会いできて光栄です」


そんなアレックスに気さくな笑みと礼を向けて挨拶をしたジェイド。しかし、アレックスはとんがり帽子の鍔の縁から怪訝そうに彼を見やっただけだった。


「では、僕はこれで失礼します。師匠の控え室で待機していなければ行けないので。それでは、カインド公爵。また…」


挑発的な雰囲気をそのままに、軽く二人に会釈をし、階段を上っていくジェイドの後ろ姿をアレックスの視線が追い掛けた。


「兄上、あの者は?」


ジェイドの姿が完全に消えた頃、アレックスは顔をルビウスに向けて尋ねた。


「マクセル侯爵の弟子の一人だ」


そう静かに答えた彼は帽子を被り直し、弟が持つ薄っぺらい書類をもらい受けて目を通した。


「…疲れたぁ」


二人の男性が火花を散らしていることなど、つゆ知らない当人は寝台に大の字になって何もない天井を見上げていた。

部屋には、彼女が脱ぎ捨てた外套と上着が見事な芸術となって寝台の近くに存在している。

そんな事は気にしないといった風に、リリアンヌは広々とした寝台の上で大きくのびをして、目を閉じた。


残った体力で瞬間移動魔法を発動させて邸に帰ったリリアンヌ。出迎えてくれたジョルジオにレイチェルは?と聞けば、自室に閉じこもってべそをかいていると返ってきた。恐らく実力を発揮出来なかったのであろうと察することが出来るその言葉に、リリアンヌも早々に自室へと引き上げたのだった。


開け放たれた窓から入り込んできた熱を持った春の風は、部屋いっぱいに広がって穏やかな眠気を誘う。

鬱陶しくなる梅雨の季節はもう目の前で、夏がすぐそこまでやって来ていた…。


「レイル~?」


静かで広い邸の図書室で、本が規則正しく並ぶ木製の棚の間をリリアンヌがレイチェルの名を呼びながら、その姿を探していた。外はもう暑い初夏の季節で、人々があちこちで過ごしやすい場所を探し求めている。

ギラギラと照りつける外の気候とは正反対のひんやりとした空気が心地よい図書室は、そんな人々に丁度良い休息の場所を与えてくれている。


日差しを遮断するそんな部屋の中で何架目かも分からない本棚の間を覗いた時、ひょっこりと人の顔が現れた。尋ね人とは違うその人物に、リリアンヌが声を上げた。


「あれ、ヴィア姉さん?」


一段と美しくなった気品溢れる姉弟子は、黒と金を交えた半透明の茶色の瞳を細めて妹弟子を見やった。


「久しぶりね。レイルなら棚の隅にいるわよ」


そう言って自身の後ろを見やる彼女に倣って奥を覗けば、棚の最後尾となる突き当たりに、混じりけのない白い髪があるのがわかる。膝を抱えてうずくまるその姿に溜め息を零して、同じように彼女を見るオリヴィアを仰いだ。


「ヴィア姉さん、今日はどうしたの?また婚約者の相手から逃げて来たとか」


呆れたようにそう言う妹弟子に、困ったように首をすくめたオリヴィアは言い訳をするように口を開いた。


「だって、あの人とは相性が合わないのよ」


今年、二十六歳となるオリヴィア。リリアンヌとは十も離れているが、まだ結婚はしていない。親や周りの人間が決めたという婚約者に、決まった日数で会わなければ行けないと言うが、彼女はどうもその人物が好かないと言うのだ。

リリアンヌはその婚約者に会ったことも、名を聞いたこともないが、オリヴィアがそう言うならば恐らく彼女とは真反対の人間なのだろう。


そんな事を頭の片隅で思いながら、ぐちぐちと小言を漏らす彼女をやんわりとたしなめた。


「レイル」


小さくうずくまるその背中に、ゆっくりと近付いて声を掛けた。


「夏祭り、行かないの?」


少しだけ振り向いた彼女に、続けて問いかける。


「行かないなら置いて行くよ」


そう続けたリリアンヌに、レイチェルが蚊の鳴くような小さな声を発した。


「…行きたい」


「じゃあ、行こうよ」


辛うじて聞き取れたその声に、リリアンヌがすかさず返したが、彼女は考え込むように視線を床に落とした。


祭りには行きたいが、知らない人と一緒に行くのは嫌だ。


彼女の発する雰囲気がそう語っていた。どうしたものかと途方にくれるリリアンヌの元へ、図書室の扉付近から声が掛かった。


「リリアンヌ様、ウォルター様がお越しになりました。玄関でお待ちです」


「わかった、すぐに行くって言っといて!」


「えっ!二人だけで行くんじゃないの?」


大声でそう返したリリアンヌに、オリヴィアが驚いたように声を上げた。


「うん、そうだよ?」


何故そんなに驚くと首を傾げるリリアンヌの両肩をオリヴィアが、ガシッと掴んで揺さぶった。


「誰っ?というか、相手はどこのどいつ!」


「え?え?ジェイド・ウォルターって言って、マクセル侯爵の弟子だよ。夏祭りがあるから、一緒にどうだって」


「先生にはそのこと言った!?」


「う、うん」


「で、なんて!?」


オリヴィアの気迫に圧されつつ、リリアンヌはルビウスの許可を貰いに行った時の事を彼女に説明した。


梅雨入りが始まったあの日、自室で書類の処理をしていたルビウスを訪ねた。


封印術の試験の際に死なせてしまった精霊の亡骸は、あの後どうなったのかと聞くためでもあった。ルビウスは彼女を手厚く葬ったと答え、精霊や神々には明確には死というものは存在しないと続けた。消滅することは稀にあれど、人間でいう死ということはないらしい。

彼女の場合、身体に受けた損傷が激しく本人の治癒力だけでは無理だということで、新しい身体を作るために天界に帰ったという。アーサーは、それを死亡と判断して減点したのだ。


ほっと息をついたリリアンヌに、また会える、彼はそう言って締めくくった。


そんな会話の後、リリアンヌがジェイド・ウォルターに夏祭りを一緒に行かないかと誘われたと話を切り出した。が、ルビウスはそのことに何も言わず、しばし黙ったままだった。リリアンヌが再度、行ってもいいのかと問いただせば、彼は重い口を開いてこう言った。


『君が行きたいのなら、行けばいい』


てっきり反対されると思っていたリリアンヌは、思わぬその言葉にしばし黙って考えた。


『じゃあ、行くわ』


やがて、自分の中で出した答えを彼に伝えた。その言葉で眉間の皺を深めたルビウスに関係なく、言葉を続けた。


『いいのでしょう?』


行っても良いと言ったのは、そっちだと言うリリアンヌに、ルビウスは何も言わなかった。

部屋を出るその間際までも、彼はむっつりと黙ったままだった。


「…恐ろしい子」


話を聞いて信じられないと絶句するオリヴィアを眺めて、何が?と聞いた。


「レイルも一緒に行くって言った?」


「言ってないわ。だって、行くのかどうかわからないんだもの」


ひっと小さく悲鳴を上げたオリヴィアに首を傾げ、ジョルジオが待つ戸口へと向かった。ぞんざいに一つに結んだ髪が、彼女の頭の高い位置で揺れる。


「先生に会う前にさっさと帰ろう…」


そんなリリアンヌの後ろ姿を見つめて、彼女がポツリと呟いた。


「オリヴィア様、ルビウス様がお呼びです」


リリアンヌが開いた扉をすり抜けた頃に、ジョルジオの声が図書室に静かに響いた。


「おはよう、リリア」


「…おはよう」


そう言って微笑んで玄関に佇むジェイドに、相変わらず眩しい奴だとリリアンヌは挨拶を返しながら思った。彼は、淡い青色の肌着と茶色いチョッキという装いで、やや身軽な服装である。対するリリアンヌは、淡い緑色をしたひとつなぎの女性専用の服装だ。胸元で結ばれた白い布状の紐が飾りとなって、女性らしさが垣間見える。


「夏らしくて可愛い服装だね、君によく似合ってる」


右手を差し出すジェイドに、僅かに顔を赤らめたリリアンヌは、少し頭を下げてお決まりの言葉を言った。


「…本日はお誘い頂き、ありがとう」


「そんなに固くならなくても…、レイルは?」


苦笑してそう続けた彼は、広い玄関を見渡した。


「行きたいみたいけど、行かないらしい…」


「どういう意味だろう、それは…。まぁ、いいや。彼女に何かお土産を買って行ってあげよう」


行こう、と促されて照りつける日差しの中へと足を踏み出した。


「…夕刻にはお戻り頂きますように」


「わかった、行ってきます」


いつの間にか背後に現れたジョルジオにそう言って、二人は少し間隔を開けて歩き出した。


「祭に行くのは、初めて?」


屋敷を出て並んで歩いていると顔を覗き込みながら、ジェイドがそう聞いてきた。


「一度、冬にあった祭に行ったことがあるだけ」


淡い黄色をした風を通す薄い布で頭と顔を隠しながら、リリアンヌは素っ気なくそう返した。


「そっか。でも、夏と冬じゃ売ってるものも店も全然違うから、今日は楽しめると思うよ」


夏によく似合う爽やかな笑みを湛えながら、気にしないと言うように喋り掛けてくる。


「何か食べる?僕のおすすめはね…」


颯爽と先を導く彼に、リリアンヌは小さな溜め息を零して後に続いた。

いつも賑やかな街は、祭が行われているためにより一層賑わいを増していて、からりと晴れた夏の空の下で多種多様な露店が客を呼び寄せている。空から降り注ぐ光は少しばかり厳しく、照りつける道路からはゆらゆらと陽炎が立ち上っていた。

眩しそうに空を見上げていたリリアンヌに、ジェイドが不意に声を掛けた。


「何か冷たい物でも買ってくるよ」


「え、いい…」


「遠慮しないで」


きっぱりと断る前に走り出され、彼は近くの露店に向かって行った。ひょろりとした木が植えられた道端で、木陰に押し込められたリリアンヌは、仕方なくその場で大人しくジェイドを待った。リリアンヌが立つ周りの陰で一服しているのは、小さな子供連れやお年寄り、恋人同士といった者達が多かった。どの人達も暑さに負けて冷たい食べ物を片手に持っている。暑いが故に美味しいと言った風に感想を口々に言う人々を眺めていれば、陰の一番端にじっとリリアンヌを見る視線があった。


「っ!」


からりと爽やかな初夏に不似合いな、黒い外套。背の高いその男の姿に、ぞくりと身が震えた。まるで真冬の寒さのように震えるリリアンヌの視線を遮断するかのように、一人の人物が立ちはだかった。


「お待たせ」


「あっ」


「行こう、大丈夫だよ」


片手に果物を凍らせた氷を持ち、リリアンヌを男から隠すように歩き出した。


「…ルビウスさんから何か聞いているの?」


一際目立つその存在を避けるように、くねくねと道を変えるジェイドにそう尋ねた。


「何も?あの人は僕を君に近づけたくないみたいだし」


颯爽と歩きながら答えるジェイドが、買ったばかりの商品をリリアンヌに差し出した。最初は受け取らなかった彼女だが、ジェイドの無言の圧力に負けて、一つを手に取った。

棒に突き刺したその氷は、ひんやりとしていてほんのりと果汁を含んで甘く、果実が凍って中に入っている。口に含むごとに、火照った体に浸透していく。


「美味しいでしょう?やっぱり暑い時には冷たい物が一番だよね」


そんなことを言いながら、彼は人混みでごった返す路地に飛び込んだ。


「はぐれてしまうから」


そう言って左手でリリアンヌの手を握って引っ張った。引かれるままにジェイドを追うと、こんな事が前にもあったと脳裏に浮かんだ。


――初めて行った雪祭りで、その時に握ってくれた手は少し強引だったけれど、優しい気遣いで溢れていて。大きくて冷たかった。


“あの時”の人物とは全く異なる金色の髪を見つめて、リリアンヌは苦しそうに眉をひそめた。引っ張られるようにして幾分か歩いた頃、ジェイドが足を止めて小さな店を開く小物屋を指差した。


「あのお店に入ろう」


すっかり溶けてしまった棒状の氷が、リリアンヌの手から滑り落ちて道路に染みを作った。


「ちょっ、ちょっと!」


強引に手を引っ張られるリリアンヌは、仕方なくジェイドに続いた。その二人の後をつけていた黒い外套を纏った人物は、リリアンヌが落とした氷を革靴で踏みつけてその場に立ち止まった。


「ごめんください」


「…はいよ、いらっしゃい」


濃い紫色をした長い暖簾のれんを捲ってジェイドは店の奥へと声を掛けた。その声に答えて薄暗い店内に現れたのは、腰の曲がった小柄なお婆さんだった。大きな鷲鼻と細い目尻が、ごく一般的な魔女の姿にぴったりだ。


「今日も暑いですね。少し涼んでいってもいいですか?」


「あぁ、かまわんよ。ゆっくりしておいき。茶でも飲むかえ?」


「いえ、お構いなく。ありがとうございます」


曲がった腰を叩きながらそう言うお婆さんは、ジェイドの言葉に頷いて近くにあった机に手を添えてリリアンヌを窺った。


「二人は恋人同士かえ?夏祭りは、そう言う輩が多いからの。初々しいものじゃわい」


「いやぁ、違いますよ」


ははっと笑って否定したジェイドに、そうかえ、そうかえと相槌を打ちながら背を向けた。


「わしは奥におるから、用があったらよびんしゃい。…年寄りにはここの暑さは堪える」


店の奥、住居となっているのであろう空間に消えて行ったお婆さん。その後ろ姿を眺めていたリリアンヌは、自身の背後を振り返った。

暖簾に遮られてはいるが、長い布の下から眩しいほどの光が店内へと侵入してきている。ギラギラと照りつける熱を持ったその日差しで店内は陰を色濃くし、涼を採るには最適である。むっとするほどの熱気が籠もった風が暖簾を押し上げ、日差しと共に出入り口に佇むリリアンヌの元にやってきた。


「少しここで涼もう」


店内を眺めながらそう言ったジェイドの元にゆっくりと向かう。


「ねぇ。私、あなたに言いたいことがあって今日、祭りに来たの」


「奇遇だなぁ。僕もそうだよ」


じっとジェイドの顔を見つめて掛けたリリアンヌ。そんな視線に気づいていたらしい彼は、リリアンヌと視線を合わせて答えた。


「…えっと」


「その話は後でしない?どこか喫茶店でも入ってさ」


リリアンヌの言葉を笑顔で遮り、机の上に並ぶ商品に視線を移した。小さな店内に並ぶ机の上には、さほど高くもない品物が陳列されている。明かりもついていない天井からは、網目状の柵が吊されていて、髪飾りや色とりどりの細い布状の紐がぶら下がっている。


「あ、これ」


納得がいかないといった風に店内をぶらつくリリアンヌとは対照に、めぼしい物はないかと商品を眺めていたジェイドが不意に声を上げた。


「お婆ちゃ―ん、これください」


少し距離を置いて彼の姿を眺めているリリアンヌに背を向け、ジェイドは何か商品を買い上げたようだった。


「またおいで」


お婆さんの言葉を最後にジェイドはリリアンヌの元へとやってきて、外に出ようと促した。


店の外に出れば、西から流れてきた大きな雲が王都の空を覆い、照りつける太陽の日差しを遮っていた。


「雲が増えて来たね、夕立でも降るのかな」


「さぁ、そうかもね」


空を見上げて天気のご機嫌を伺うジェイドに、リリアンヌは素っ気なく返事を返した。


「…喫茶店は近くにないみたいだし、どうしょうか」


うーんと唸るジェイドに大きな溜め息を零し、リリアンヌは通りのど真ん中で立ち止まった。


「あれ、どうしたの?」


「…言ったわよね、私。あなたに言いたい事があるって」


突如立ち止まったリリアンヌを振り向いて首を傾げたジェイドは、困ったように笑って言った。


「…脇に寄ろうか」


人通りが多い道を外れ、建物と建物の間にあるひっそりと路地に移動した。その間も、リリアンヌの眉には険しく皺が寄ったままだった。


「なにか、僕が君の機嫌を損ねることをしたのかな?」


美男子と言える彼の容姿は、光が届かない日陰に入っても相変わらず輝かしい光を持っており、その光がリリアンヌをより不愉快にさせた。


「あら、言わなくても心当たりはあるでしょう?」


リリアンヌの言葉を聞いた彼。だが、見当もつかないといった風に首を傾げてみせた。


「ジョルジオから聞いたわ。卒業試験を明けた頃から、頻繁に手紙や茶会への誘いがあなたから届いて来てるって。最も、私に渡る前にジョルジオが処分してたみたいだけど。…なんなの?はっきり言って迷惑してるんだけど!」


バッサリと切り捨てたリリアンヌに、くすりと彼は笑った。


「そうまで言われるなんて、ちょっと傷つくかな…。でも、好きな女の子が試験で怪我をしたと聞いたら、具合はどうだって聞いてもいけない?…それとも、好きな人か将来を誓った人でもいるのかな?」


「なっ!」


ぱくぱくとまるで陸に上がった魚が、水を求めるように口を開閉して唖然するリリアンヌに、笑みを深めて言った。


「いないのなら、僕が君に想いを伝えたとしても誰も何も言わないんじゃない?」


「…私」


たじろぎ、焦ったように辺りに視線を泳がすリリアンヌ。その様子を眺めていたジェイドが、不意に笑った。


「ふっ、なーんてね!はい、これ君に。今日、祭りに付き合ってくれたお礼」


「か、からかったのね!」


顔を赤らめて怒るリリアンヌに、ジェイドは小さな袋に入った商品を手渡した。


「いらないわっ!」


「からかってなんかいないよ?告白は、一生の思い出になる雰囲気のある場所でするつもり。だから、今日はよしとくよ。それにまずはお友達として」


そっぽを向くリリアンヌの右手を掴み、商品をやや強引に手渡した彼は、そっと甲に唇を落として笑った。


睨むリリアンヌと微笑むジェイド。対照的な二人の間に、生温い風が吹いた。


睨みをきかしても、一向に効果がないと知ったリリアンヌは、溜め息をついて顔を背けて言った。


「私…帰る」


「じゃあ、近くまで送るよ」


「結構よっ!」


「…でも、きちんと邸まで送り届けるって公爵にも」


「しつこい!」


くわっと怒るリリアンヌに構わず、ジェイドは送ると言い張り、互いに一歩も譲らない。

終いには押し問答となってしまった。

そんな二人に近付く、一つの影。


「“うちの娘”になにか用?」


「「え?」」


不意に聞こえた言葉に、二人は驚いたように路地に立つ人物を見やった。


「あなたは…」


「初めまして、ジェイド・ウォルター君?」


「なんで、こんなところに」


するりと黒い覆いを取り外した人物は、ジェイドの名を呼んで微笑んだ。ぎょっとして声を上げたリリアンヌに、彼は黒を帯びた赤色の瞳を細めて微笑んだ。


「リリアの父君でらっしゃいますか?」


じっと彼を観察するように見つめていたジェイドは、そう言って爽やかな笑みを浮かべた。


「…リリがお世話になったみたいで」


「いえ」


「リリ、そろそろ邸に戻った方がいいんじゃないか?」


ジェイドの質問には答えず、リリアンヌに視線を向けた。


「…もう帰るわ」


「そう?じゃあ、一緒に邸まで行こう。僕もカインドの邸に行く途中だったから」


リリアンヌの答えに満足したのか、小さく頷いて顔を上げ、口を開いた。


「ということだから」


「わかりました。これで失礼します」


何か言いたそうに男性を睨んでいたリリアンヌに、ジェイドは笑顔を向けて言った。


「リリア、一週間後の試験発表にまた会おう。じゃあね」


「えっ、ちょっと!これ…」


そう言ってくるりと背を向けて駆け出した彼に、手に持っていた商品を呆然と見ながら呟いた。


「返しそびれた…」


くすりと頭上から降ってきた笑い声に、眉をひそめて振り仰いだ。


「なによ」


「いや、我が娘ながら異性に大人気だなと」


「…はぁ?」


何を言っているんだと呆れるリリアンヌに、困ったように彼は首をすくめた。


「しかし、よくルビンが外出の許可を出したね」


「もうすぐ成人だから、身をわきまえた行動を取るだろうって思ってるんでしょうよ。それに、最近忙しいみたいだし。私にかまけてられないってことじゃない?」


「…それはどうかな」


意味ありげな言葉を呟き、背後を窺うセドウィグが口元を片方だけ吊り上げて小さく笑った。彼の視線の先に、二人がいる路地の角で華奢な女性が一人、濃くなった壁の影に隠れてその様子を窺っていた。彼女はセドウィグが笑みを零したのを見て、黒い外套を翻した。音も立てずに駆け出したその姿は、瞬く間に華奢な狼の姿へと変わった。紫がかった黒色の狼が、力強く地面を蹴ってその場を去っていった。


「どういう意味?」


セドウィグは、眉間の皺を深めたリリアンヌに笑ってごまかし、雲が広がる王都の空を見上げた。


「いいや?こっちの話だよ。さぁ、早く帰ろう。雨が降りそうだしね」


一つに結んだ黒い髪を靡かせ、リリアンヌを促した。夏独特の空は、リリアンヌ達が邸に着くと同時に雷を轟かせて一変した。激しく地面に打ちつける大量の雨音が、玄関に佇む二人の元に聞こえて来ている。


「ルビン、ルビン!」


「セドウィグ様、ルビウス様は先程からお仕事の関係で自室にこもられたままで…」


「えっ、僕が来たのに会わないって言うのかい?」


玄関で声を上げるセドウィグを冷ややかに見つめていたリリアンヌ。そこへ、近くの階段を降りてきた人物が声をかけてきた。


「…どうした、ジョルジオ。さっきから何を騒いでって…セド?」


「ルビーン!久しぶりだ」


会えて嬉しいと喜びを露わにするセドウィグに、階段を降りきったルビウスは呆れたように彼を見つめている。


「久しぶりって連絡も寄越さずにいたのはそっちだろう?」


「まぁまぁ。堅いことは言わないで、たまには男同士で一杯どうだい?」


「そんな暇はないさ。そろそろ仕上げにかからないといけないから。そう言うセドこそ、どこをほっつき歩いてたんだ?」


「…ほっつき歩いてたなんて失礼だな。僕は僕の役目をしてただけ、敵味方に限らずにお馬鹿で目を引く王家の人間だから。腹を空かせた獣達にはさぞかし間抜けな餌に見えただろうよ」


「じゃあ、鼠と百獣の王はちゃんと網に掛かったってわけか」


「そういうこと」


「鼠かなんだか知らないけど、ルビウスさん。来週は朝の九時にレイルと一緒に、旧館に行けば良かったの?」


ひそひそと声を押し殺して話しだした二人に、リリアンヌは片眉を上げて問い掛けた。


「あ、あぁ」


「じゃあ、私はベルに会いに行くから。後はお二人でどうぞ」


付き合ってられないと零して階段を上がり始めたリリアンヌに、踊り場からレイチェルがひょっこり顔を出して階下を見下ろした。


「リリア」


「あ、レイル」


「帰って来るの早かった」


「うん、雨が降りそうだったから」


そんな言葉を交わすリリアンヌの姿を二人の男性の視線が追った。そのことに気付かないリリアンヌ。娘を眺めるセドウィグが、こっそりルビウスに耳打ちした。


「ねぇ、ルビン。おちおちしてると、どっかのお坊ちゃんに愛しい人をかっさわられてしまうよ」


眉をひそめてセドウィグを見るルビウスを彼は、至って面白そうに眺めている。


「…そんなことはさせない」


「どうかな?お相手は随分行動力があるようだし。…まぁ、綺麗な女性に監視させるようなどっかの紳士よりかは、娘を預けてもいいかなって思うよ。父親の立場で言えばね」


「…セド」


「冗談だよ。可愛い弟弟子には、ちょっと力になってあげてもいいけど」


くすりと笑って、彼はこっそりと言葉を耳打ちした。途端にルビウスの表情が険しくなった。


「精々、取られないように気を付けるんだよ。最も、僕としてはあの子の相手は君にと考えているけど?誰かさんの今後の身の振り方にもよるけどね。さぁ、別室で話でもしようか。ルビウス君」


ちらりと上の階にいるリリアンヌ達に視線をやってから、我が物顔で邸を歩き出したセドウィグの後をルビウスが追った。玄関先には、一部始終を静観していたジョルジオだけが残された。


激しく降った雨により、程よく気温が下がったその日の深夜。リリアンヌは喉が渇いて一人、台所に降り立っていた。いつもは蒸し暑い真夏の気候で睡眠が妨害されるが、今宵はそんなこともなく住人達は幸せな夢を見て眠り、邸はひっそりと静まりかえっていた。


喉を潤して部屋に戻ろうと振り向いた時、ぼんやりと白い人物像が戸口に立っていた。


「…ひっ!」


小さな悲鳴を上げて流しにへばりついたリリアンヌに、白い人物がゆっくりと近づいて口を開いた。


「リリアンヌ?」


瞬きを繰り返して目を凝らせば、不思議そうにリリアンヌを見ているルビウスだった。未だ起きていたのか、彼は白い肌着と黒い洋服姿だった。寝ぼけていたリリアンヌは、彼の肌着が最近読んだ恐怖心を煽る小説の一節に重なったようだ。


「なんだ、ルビウスさんか。驚かせないでよ」


「ふっ、お化けかと思った?」


「ち、違うわ!」


あからさまにホッとしたリリアンヌを小さく笑いながら、彼は流しの近くにやってきて言った。


「お化けやそういうものは苦手なのに、小説やなんやらを遅くまで読んでいるからだよ」


「だって…」


ルビウスは、硝子の杯を近くの棚から取り出して水で杯を満たし、少し煽ると窓の外を覗き込んで言った。


「もう遅いからおやすみ」


「私、もうそんな小さな子供じゃないわ!来週で成人だもの。ルビウスさんも、遅くまで起きてるのは身体に良くないわよ」


「分かってるよ。仕事をほどほどに切り上げて寝るから」


「そう言うのは口だけで、いっつも明け方まで明かりがついてるってジョルジオがぼやいてた」


「…あのお喋りな奴め」


小さく溜め息を零したルビウスに、リリアンヌは背を台所に預けて言った。


「ねぇ、セドウィグ殿下と夕方、何を話してたの?」


「うん?…あぁ、こっちのごたごたが済んだら君を引き取りたいって」


「え?」


「父と子で水入らずで暮らしたいってさ」


「…父親ぶるのもいい加減にして欲しいわ」


「仕方ないよ、会えない時間が長かったんだから」


「それで、ルビウスさんはなんて答えたの?」


僅かに首を傾げて問いかけたその質問にルビウスは答えず、どこか寂しげに窓の外を眺めている。

静かな沈黙が包む部屋に、先程まで分厚い雲に隠れていた月が、台所に備え付けてある窓に月光を照らした。

肥えた月がまだ欠けたその歪な姿を見せれば、淡い黄色を帯びた光が二人のいる部屋を満たした。不意にリリアンヌに視線を向けたルビウスが、何かに気がついたようにその瞳を僅かに見開いた。


「…その髪飾り、どうしたの?」


「え?…あぁ、ジェイド・ウォルターに貰ったの。いらないって言ったんだけどね」


言われるまで忘れていたと言うように、リリアンヌは一つくくりにした髪に手を添えて笑った。


「赤色をした紐に、白い薔薇。白い薔薇の花言葉は『私はあなたに相応しい』、赤は情熱や愛を表す色…」


細い布状の紐に、白い薔薇の装飾品がついた髪飾り。それを真剣な眼差しで見つめて彼はそう言った。


「この髪飾りを女性に贈る意味を君は知ってる?」


「意味なんてあるの?」


手近にあった髪飾りを手に取っただけだったのに、まさか意味があったとは思わなかった。そう驚くリリアンヌに、ルビウスは静かに言った。


「『貴女を私色に染め上げたい』それが、この髪飾りの意味だよ。最も男性が女性を誘う時に贈るんだ」


「なっ!これは、祭りに付き合ってくれたお礼って」


「…とんだませ餓鬼だな」


真っ赤になって慌てるリリアンヌを眺めながら、毒づいたルビウスは忌々しげに髪飾りを取り払った。


「ちょっと!」


「貰った物をつけているってことは、承諾したの?」


「なにが!」


互いに少し怒ったように声を荒げるとルビウスは、目を座らせてリリアンヌに顔を近づけた。


「だから、相手に交際を申し込まれただろう?付き合うことを承諾したんだろ」


「…そ、そんなわけないじゃない!告白されてもないし、第一、私はあいつのこと嫌いよ」


「本当に?」


「本当よ!けど、ルビウスさんには関係ないでしょう」


「…関係あるよ」


ぷいと視線を逸らしたリリアンヌに、そっと暖かい温もりが彼女を包んだ。


「勝ち気で頑固で。けど、本当は寂しがり屋なのも知ってる。気がついたらそんな君に惹かれていて、近くに居て欲しかった。だけども、君は離れて行くばかりで。…本当はもっと早く君に想いを伝えれば良かったのかもしれないけど、君が成人するまで待とうと決めてたから。でももうすぐで成人するのだから、少しぐらいいいよね?」


驚きで固まるリリアンヌの顔を覗き込んで笑うとルビウスは、静か声で告げた。


「愛してるよ、ずっと君だけを見てきた」


いつもよりか幾分低いその声は、真っ直ぐにリリアンヌへと届き、彼女は顔を赤面させてうろたえた。


「…いや、ちょっと」


「リリアンヌ、君は僕のことをどう思っているの?」


逃がさないとばかりに腕に捕らわれ、リリアンヌはすっかり取り乱している。


「まだ心の準備が…」


「えっ、なに?」


ぶつぶつと小さく呟いたリリアンヌの声を聞き取ろうと、ルビウスが更に顔を寄せた。


「ちょっと近いっ、近すぎる!」


「じゃあ、答えて。僕を師ではなく、どう思っているのか」


両腕を突っぱねて距離を保つリリアンヌをルビウスは更に追い込んで逃がさない。初夏の気候である王都では、夜も変わらない暑さが住人達を悩ませる。寝間着はどれも風通しがよく作られ薄く、質素な作りの下着も相手が触れればその体温が伝わってくる。

バクバクとうるさい鼓動を立てる心臓の音が、相手に聞こえるのではないかと思うほど、リリアンヌの心臓は今までないくらい動いている。


「…その、嫌いじゃないと言うか」


「ん?」


「だ、だから!ジェイド・ウォルターは嫌いだけど、あいつよりかは好きって言うか…その」


上手く言えないと焦るリリアンヌをルビウスは優しい面差しで見守っている。やがて、伏せていた視線が意を決したように上がり、鮮やかな赤色せきしょくが闇夜を貫いた。


「…ルビウスさんが、女の人と仲良くしてたら嫉妬してしまうし、多分これが好きって気持ちだと思う」


瞳を見開いて驚くルビウスは、しばらく間を空けた後に柔らかな笑みを浮かべて微笑んだ。


「良かった。もし他の男に君が染められるくらいならいっそ僕が、って思うほどどうにかなりそうだったから…」


「あら、私は誰の色にも染められたくないわよ?でも、もし染められるならそれはルビウスがいいわ。だから…あなたが私を染めて見せてよ」



勝ち気に笑ったリリアンヌに、ルビウスは自嘲気味に笑って答えた。


「ふ、殺し文句だね。いったいどこでそんな男を誘う言葉を覚えたの?」


「女の子は知らない内に女性になるんだから」


「肝に銘じて覚えておくよ、君が他の男に取られないためにね」


そっと顔を寄せたルビウスは、リリアンヌの耳元に何やら囁くと彼女の顔色を窺った。リリアンヌは、真っ赤になりながら恨めしげに彼を睨んだ。


「そういうことをする前に、普通許可がいるの?」


「いいや?前のように平手打ちを食らったらたまらないから」


「あれは、ルビウスがいきなり…」


「わかってるよ、あの時は本当に悪かったと思ってる。…だから、ねぇ?」


少し笑って顔を寄せると唇をそっと重ねた。軽く触れるだけの接吻をして、離れると許しを請うようにリリアンヌを見つめた。しばし見つめ合った二人。やがて、ルビウスはリリアンヌの腰を引き寄せて優しく唇を重ねた。


突っぱねていたリリアンヌの腕は、力無くルビウスの肩にそえてあるだけだ。


月光が照らす二つの影は、大きな影となって一つとなり部屋へと伸びた。その伸びた一つの影の周りに、まるで月光から逃げるように部屋の隅にいた闇がゆっくりと存在を現して大きくなった。

膨張した闇は、この世にある全ての音を消し去り、二人を包みこんだ。

それは、ほんの一瞬の出来事で。

闇が四方に散るように去った後、倒された硝子の杯から水が机を伝って床へと落ちていた。小さな水溜まりを作るその近くには、白い薔薇の装飾品の部分が壊された髪飾りが一つあるだけだった…。


「ちょっと、誰かいるの?」


そこへやって来たのは、不機嫌さを露わにしたこの部屋(厨房)の主。

月夜に輝く明るい金色の髪と若葉の瑞々しい緑のような瞳を持つ、美しい一人の女性。戸口付近で、零れたままの硝子の杯を無言で眺めていた彼女は、困ったように首をすくめて左手を小さく一回振った。


その動作が終わると同時に部屋は、元のきっちりと片付いた姿へと戻っていた。

厨房を振り返らずに戸を閉めた彼女は、妨げられた安眠を取り替えすべく、大きな欠伸をしながら真っ直ぐ自室へと向かって行った。


だから、彼女は勿論知らない。


西館にある一室から煌々と照らされていた灯りが、不意に消えて暗夜に溶けたことも。


やがて、どこかの扉が閉まる音が邸に響いて、月明かりを身に受けた赤紫の黒みを帯びた風変わりな邸は静寂に包まれた。



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