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7.貴婦人からの招待状

今回はルビウス視点で。前話(魔法師達の会合)の裏話(?)になってます。別名には、ルビウスの裏事情っていう副題が似合うなとふと思いました…。


早朝、一通の招待状がカインド邸に届いた。


「いかがなさるおつもりで?」


その手紙を読むルビウスの目の前で、待機しているジョルジオが言う。


「勿論、出席するさ。せっかくのお誘いなんだからね」


「…しかし」


何か言いたげなジョルジオ。そんな彼にルビウスは心配するなと返し、手元にある真っ白な招待状に視線を向けた。


「…使えるものは全て利用させて貰わないと」


その呟きの裏に隠された密かな笑みを見て。ジョルジオは静かに頭を下げて部屋を後にした。


貴族の会合に招待される場合、日取りなどの詳細を書いた招待状は、余裕を持って送られてくるのが通例だ。しかし、今回届いた招待状は魔法師達限定の会合で、本日開催されるという内容だった。

随分非常識な招待状ではあるが、強制ではないと書かれてあるその招待状の送り主は、ルビウスもよく知る人物だ。


「会いに行かなければと思っていたところだ。ちょうどいい」


静かな部屋でそう呟き、左手の平にぼんやりとした陽炎を浮かべた。


【門を使用する。いつでも移動出来るように繋げといてくれ】


そうルビウスの声を聞いた陽炎は、ぶるりと身震いをしてからその身を手の平から消した。

陽炎が消えたことを確認して、机の上に積まれていた書類を広げる。報告書から意見書、弟子達の課題内容など片付けても増えるだけの仕事達だ。


〔先生〕


「…オリヴィアか、どうした」


仕事の書類に目を落とした頃、女性にしては幾分低い声が部屋に響いた。姿は見えないその声に、ルビウスは書類に目を落としたまま応対した。

するりと扉を通り抜けて部屋にやって来たのは、華奢な狼の姿になったオリヴィア。魔法を使っているのか、その姿は朧気だ。


〔森に帰ることにしました〕


きっちりと前足、後ろ足共にそろえて腰を落ち着けたその姿は、物分かりの良い忠犬にしか見えない。


「しばらくこっちにいるんじゃなかったのか?」


ちらりともオリヴィアに目を向けないルビウス。その手は書類をまとめたり、署名を書いたりと忙しい。


〔あんな小竜と一緒に住むなんて無理です。ほんとに飼うんですか?〕


若干嫌みを含んだその言葉に、彼は頁を捲っていた手を休めてオリヴィアを見やった。


「役に立つかもしれないじゃないか」


役に立つ以前の問題だろうに。


溜め息を零したオリヴィアは、諦めの表情を師に向けて言った。


〔…生身の小竜は厄介ですよ。まぁ、先生なら気にも留めないようですけど。じゃあ、もう行きます〕


「あぁ、道中気をつけておかえり。…見送りに出れなくて悪いね」


〔いいですよ、レイルが見送りしてくれますから〕


「そうかい?じゃあ、レイチェルにリリアンヌも連れて、後で部屋に来るように伝えてくれ」


〔はいはい、分かりました〕


入って来た時のように扉をするりと抜けて答えたオリヴィアを見送り、ルビウスは再び手元の書類に視線を戻した。

本邸から怒鳴り声(恐らくキャサリンの声)が聞こえてきたこと以外は静かな朝であり、そんな中の作業は実に良くはかどった。

弟子達の課題の冊子をまとめていた頃に、扉を叩く音が聞こえた。


「なんか用?」


扉を開けて早々に投げられた言葉に苦笑し、机の上を片付けて立ち上がった。


「これ、新しい課題だよ。レイチェルと二人分ある。内容は少し違うけど」


リリアンヌに冊子を手渡し、出かける準備をする。上着を整えている最中、リリアンヌの視線が気になった。


あぁ、何か言ってくるだろうな。


そう察することが出来る程の視線の末、リリアンヌが口を開いた。


「どっかに出掛けるの?」


あぁ、やっぱり。


その問いに、嫌な予感がした。けれど、のらりくらりとかわして、予定通りでいけば恐らく帰れるであろう時間を告げる。

ふーんという表情を無視して、やっぱり出掛けると言わなければ良かったかもしれないとルビウスは憂鬱になった。ただえさえ、普段会いたくない人物に会うと言うのに。

溜め息が出そうになるのをぐっとこらえ、外套マントで身を覆い隠し、頭も外套に付く覆いを被った。


「二人で仲良く留守番しているんだよ?ベル、ちゃんと仕事をするように」


返ってきた威勢の良い返事に笑って、瞬間移動魔法を発動させた。

恐らく、リリアンヌとケルベロスは大人しく留守番をしないだろう。駄目だと言われればやりたくなるし、外出するなと言えば平気で外に出て行く。彼女は、そういう女性ひとだ。


トンと足が着いた先で苦笑を漏らし、歩みを止めずにまだ薄暗い路地をゆっくりと歩く。

本邸から距離があるこの通り。住宅街であるために、普段は静かな通りが並ぶ。

顔も動かさずに辺りの気配を探っていたルビウスは、目を細めて背後に視線を向けた。


鼠の気配が多くなったな。…少し撒くしかないか。


この路地についた時から、一定の距離を保ったまま後を付けて来ている。その不愉快な気配を断ち切るかのように、歩く速度を上げた。見失ってたまるかというように、相手も歩く速度を上げる。

肌寒い冬特有の北風を受けて、ルビウスの外套がなびく。


小さな曲がり角で右に曲がったルビウスは、先程から準備していた移動魔法と分身の術、迷宮の術を順々に発動させた。けれど、その魔法を発動させる速さは、目を見張るものがあった。闇を側に呼び寄せ、身を隠したルビウス。

次の瞬間には、その身は僅かな間もあけずに別の路地にあった。流れるように、目先にある小さな店に潜り込む。

来客を告げる小さな鈴の音を消し、店内に足を踏み入れた。


「…お待ちしてやした、カインド公爵」


店の奥から少し慌てたように出て来た店主の行動を不可解に思いながらも、若い青年を見やった。


「あぁ、今日も頼むよ」


へぇ。と短く返事をした店主に続き、店の奥へと足を進めた。


「…おや?あの銀時計、売れたのかい?」


代わり映えのしない売り物の内、いつも目につくその場所に置かれていた小さな銀時計が、一つなくなっていることを指摘した。


「…え、えぇ、まあ」


途端、びくりと身を固まらせた店主をジッと見つめて、その原因を探ろうとした。


「朝一で売れたんです」


不意に目を背けられ、それは叶わなかったが。

嫌な予感を振り切るように首を振って言葉をかけた。


「…そうか、珍しいこともあるんだね。それじゃあ、僕もいつも君に世話になっているから、何か買わなければいけないね」


滅相もない!と慌てる店主を横目に、がさつに並んだ商品達を眺める。すると、細長い机の端にひっそりと輝く、小さな首飾りが目に留まった。鮮やかな赤色の小さな宝石を一つ主にして、細く短い鎖が左右を繋げている素朴な首飾りだった。

その色が彼女の瞳と重なった。


「お目が高い!この宝石はめったに入らない貴重なものなんでして」


「そんな安い売り文句しか使わなかったら、ろくな商売出来ないよ」


今時使わないであろう言葉を口にする店主に苦笑し、首飾りを指差した。


「…これを頂こうか」


「へい、まいど」


うなだれていた店主はいそいそと首飾りを専用の箱に入れて、ルビウスがいいと言うのに簡単な包装もしてくれた。

苦笑を漏らして代金を払い、商品を懐に仕舞いながら歩き出した。


「もう少し、商売について勉強した方がいいんじゃないか?」


いつも思う事を今日は述べて、深紫の幕を潜った。重い幕の先、緑と青の二色がルビウスを出迎えた。


「ようこそおいでくださりました。カインド公爵」


不意にかけられた声。

深く息を吐いたルビウスは、ゆっくりとした動作で左側を見やった。そこには少し間隔を置いて立ち尽くしていた青年が、一人爽やかな笑みを湛えていた。


「…君は?」


黒い外套を纏うからには同じ魔法師であろうが、その見かけない顔に眉をひそめた。

何者だと問いかけるルビウスに対して、人懐っこい笑みを見せて彼は頭を下げて言った。


「マクセルの弟子、ジェイド・マクセルと申します」


はじめましてと続けた青年にルビウスは、あぁと声を漏らした。


「そう言えば、十何番目かの弟子をとったと聞いたな。君が」


「はい、元の名はウォルターですが。先生から、公爵を案内するよう承っています」


どうぞ、と先を行くジェイドに続いて草原を歩く。


「…ウォルター伯爵の嫡男か。君も変わっているね、あの侯爵の弟子になるなんて」


育ち盛りだろうその青年の後ろ姿に、何気なく声を掛けた。


「えぇ、よく言われます」


はは、とまだ幼さが抜けない愛らしい笑い声を上げて、彼は慣れたように草原を行く。

見渡す限りに広がる緑の絨毯はのどかな風景を描き、いつも多忙を窮めるルビウスを穏やかな気分にしてくれた。


「では、招待状をお預かりします」


点々と間隔を置いて準備された丸い机が見えた頃、青年が立ち止まって振り返った。か細い指先に招待状を置いたとき、不意に彼の金色の瞳から、今まで隠れていた挑戦的な視線が向けられ、ゆっくりと視線を合わせた。

漆黒の瞳と鮮やかな金色の瞳がしばしの間絡まった。

意図的に笑みを浮かべた青年は、招待状を手に取ってルビウスから目を離さずに言い放った。


「…可愛らしいお弟子さん達をお持ちでびっくりしました。久しぶりに会ったら、あの時よりも彼女は美しくなっていて…。是非、お近づきになりたいものです」


最初に見つけたのは僕だ。

そう言い切った彼に、ルビウスは鼻で笑ってその挑戦的な視線を振り切った。


「残念だけど、君にはその機会は訪れないと思うよ」


「それはどうでしょう」


ルビウスが彼の脇をすり抜けてすれ違った時に、彼はルビウスの歩みを止めるように振り返った。思わず歩みを止めて背後を窺ったルビウスに、彼は笑みを浮かべた。


「ジェイド・ウォルター…と言ったね、君の名前は」


「はい」


「覚えておくよ」


背後に綺麗な笑みを返したルビウスは、そう言って彼に背を向けて歩き出した。

後ろにいるジェイドも、歩き出したルビウスも。

二人は同じような、意味深長な顔をしていた。


「おはようございます、皆さん」


「おや、ルビウス様」


「おはようございます」


各々に丸い机に集まる魔法師達に挨拶をすれば、その場にいる全ての魔法師達の視線を浴びた。

近くに集まってくる魔法師達に挨拶をかわしながら、辺りを窺う。

小規模な今回の会合。

あまり顔を見ない、訳ありの魔法師達ばかりで、全体的に見れば参加人数は多いとは言えない。声を抑えた陰口を小耳に挟みながら、この会合の主催者を見つけた。葡萄酒を手に持つその人は、自身の瞳に魔法を介していた。

不審に思いながらも顔には出さず、辺りの魔法師達をかわして彼女に近付いた。


「…こんな所にいらしたのですか。声を掛けてくだされば良かったのに」


じっと見つめる瞳を探るが、どこに繋がっているのかは分からなかった。仕方ないのでお得意のにこやかな笑みを浮かべて、挨拶した。


「今日はお招き頂き、ありがとうございます。…マクセル侯爵殿」


挨拶を返して来るだろうと身構えていたルビウスは、途端にクスクスと笑い出した女侯爵に目を細めた。


誰に、何を見せている…?


透視目の魔法を使い、さらには複雑な難解式の魔法に苛立ちながらも、平静を装った。


「何を笑っていらっしゃるのですか?」


「…いや、なに。こっちの話さ」


クスクスと笑う侯爵に、舌打ちをしそうになるが、魔法師達にとってお決まりと言える腹の探り合いで、そんなへまをするルビウスではない。


「そうですか。で、お話しと言うのは」


本題をそれとなく仄めかすルビウスを察して、侯爵はニヤリと笑った。


「おや、話があるのはそっちじゃないのかい?まぁ、いいさ。ゆっくり話が出来る場所に移動しようか」


さっと身を翻した侯爵に続き、会場を抜け出した。草原をしばらく歩いて向かった先は、空に漂う硝子張りの温室。日の光を反射させるその眩しい姿に、思わず目を細める。

目を細めた間は、ほんの僅かであったが、視界がはっきりした頃には、温室の入り口が目の前にあった。魔法で移動したことを分かっているルビウスは、平然と侯爵の後に続いて温室の中へと足を踏み入れた。


鬱蒼と茂る熱帯雨林のような室内は、さながら密林というほうがぴったりとくる。植物が生い茂る密林の脇にある、舗装された道を行きながら、めったに見れない珍しい植物達を眺めて言った。


「…凄い植物の数ですね。それに、珍しい植物が多い」


静かに流れる水の音を耳に挟んで、靴音高く侯爵の前に進み出た。


「さすがと言ったところですか」


ここにある植物など、全ては本物ではない。

一般的にある温室の中を変化の魔法やまやかしの術、侯爵が得意とする魔法で変えているのだ。小さな解れさえ見えない確立された温室は、ルビウスにそう言わせたほど。

だが、目聡いルビウスは朝日を浴びて、その僅かな温室の変化を見抜いていた。

しかし、と続けたルビウスは鮮やかな青空を映す硝子の壁に、噴水の脇を通ってゆっくりと近付き振り返った。


「…先程、この玻璃はりで誰に、何を、見せ聴かせておいででいらしたのか、お教え頂いても?」


玻璃はり

それは世にも貴重な七つの宝のひとつであり、世に二つもない水晶である。古くから天然の魔力がこもったこの水晶は、効力も使い方も自由自在で、その魅力故に人々が戦までも起こしたほどであった。その効力を危惧した当時の魔法大臣が、とある魔法師に人知れぬ異空間で管理するよう指示したことにより、人間達の醜い争いが無くなったのは有名な話だ。

そんな玻璃はりが、こんな警備も手薄な場所にあることに、代々玻璃の管理を任されているマクセル侯爵を睨んだ。


「一体、何のことを言っているのか。おお、怖い」


そうおどけたように言って、袖口から煙管を取り出して火を付けた。その態度に、何か裏があると怪しんだが、これ以上問いただしても面白がられるだけであろうと見切りを付けた。

仕方ないと後ろの壁に身を預けて言う。


「構いませんよ。調べれば分かることですから。…ところで、マクセル侯爵は、まだどちらにつくという返事はなさっていませんね。なぜですか」


「はて、なんのことか」


「白々しい。良い条件を提示する者によるのでしょう?」


ふーっとあの甘ったるい匂いを温室に漂わせて、侯爵はちょうどルビウスの向かいとなる噴水の縁へと腰掛けた。


彼女が吸う煙草の葉の成分には、その匂いを吸った者の思考を鈍らせ、身体の自由を奪うものが含まれている。あまり息を深く吸わないように努めるが、密室の温室ではそれも限界がある。


「…聡いこと。そうねぇ、条件次第によるかしら」


「では、こうはいかがですか。こちらの要求は、王自身への審判。こちらの提示通りに王を裁いて頂けましたら、報酬のほどはそちらに一任しましょう」


鈍る頭を必死に働かせて、マクセル侯爵に取引を持ちかけた。不正を働けという内容に、侯爵はただ笑っていた。


「えらく太っ腹だね。カインドの当主殿は」


笑いを含んだその声を上げて、彼女はルビウスを見据える。


「本当はね、報酬などどうでもいいんだよ」


そう言って縁から降り立った侯爵は、流れる様な仕草でルビウスの元にやってきた。右側へと移動した彼女は、目をうっとりと細めてすぐ間近にいるルビウスを眺めた。


「お前さんの父君は、病気のせいで満足に魔力を使えなかった」


「えぇ、存じ上げています」


内心、警戒心をむき出しにしているルビウスであるが、表面上は平静を必死に保っている。


彼女の目的が、なんとなく分かったからだ。


「…若くて、そりゃ素敵でね。若い女性みんなの憧れだった。心身共に丈夫だったならば、きっとお前さんのような紳士になっていただろうに。残念だよ、味見をしてみたかったのに」


侯爵が何を言いたいのかを察したルビウスは、一気に自身の体温が下がるのが分かったが、仕方ないことだと腹を括った。


「…判決を曲げるには、魔力が相当必要でね。私一人の魔力では足りない」


「…それで、条件を呑んで頂けるならば」


魔力を分けてくれないか。


そう音もなく囁いた侯爵に。それでこちらに寝返ってくれるならば、安いものだと苦笑した。


使える物は使えばいい。


そう理屈で感情を押し留めて、ルビウスは瞳を閉じた。

唇に触れた他人の唇は不愉快極まりないが、深い意味はないのだと言い聞かせた。

貪るような口付けに、不快な感情は募る一方だ。

口を開くように促されて、少し開けばその隙間から魔力を吸い取られた。身体中に散らばる魔力も、腹の奥底に眠る魔力さえも問答無用で。血が逆流するような不快感と内臓を押し上げるような圧迫感が、ルビウスを襲った。

息も、体力も。これ以上は限界かもしれないと身を引こうとしたが、侯爵は許さないとばかりにルビウスの首に腕を巻きつけて身を寄せた。さらには衣類に手を掛け、身体を撫で回してきた。

度を超えたその行動に、さすがのルビウスも我慢の限界となった。反撃に出ようと身構えた時、覚えのある気配が存在を増し、その場所に火の気が広がった。

存在を確認するより早く、それが炎を放った。

巨大な炎の渦はちょうど二人の間に向かい、侯爵は飛び退いてかわし、ルビウスは外套で身を庇った。必要以上に取られた魔力のせいで、数歩後退するだけで精一杯だったからだ。

空気を取り込んだ炎は、誰もいない硝子の壁にぶち当たって、四方八方に水のように広がった。高温の炎は硝子を完全に溶かし、その威力の凄さを物語っている。そんな桁違いの炎を吐く主をルビウスは知っている。


「…ケルベロス」


主である自分に向かって火を吐くとは。


忌々し気にその姿を睨んだ。

何に怒っているのかは分からないが、赤みをおびた紫色の瞳は底知れぬ怒りに燃え、こちらを敵視していた。人の背を超えるほどとなった姿は、古来の優美を映す立派な竜だった。

爽やかに流れ込んできた風と共に、新鮮な空気を肺に取り込む。不満げに焦げ臭い煙を鼻から吐き、地面に吹き付けて翼をはためかす紅の竜をジッと見つめた。

結果的には助かったが、悠長にそんなことにこだわってられない。ケルベロスの周りは、さらに勢いを増して火の気が広がっている。

彼女が、誰に連れられここにやって来て、何に怒っているのか。

マクセル侯爵が、玻璃はりで誰に状況を見せていたのか。

考えれば、一つしか答えは出てこない。

紅の竜が高くに舞い上がったのを見届けて、炎の中にいる弟子達の姿を見つけた。

恐らく出掛けるだろうと思っていた。だけど、この会合にやってくるわけないと高をくくっていた。


なんと間の悪いことか。


一人胸の内で呟いて、弟子達の後ろに姿を現したあのジェイドという青年を見つめた。どうやら弟子達を安全な場所に避難させてくれるようだ。

ジェイドの後に続こうとしたリリアンヌが、ふいにルビウスを振り返った。

その瞳に宿る憎悪と嫌悪を看取って、酷く心が傷ついた。それは彼女も同じだろうに、下唇を噛み締めてルビウスの視線を振り切って姿を消した。

当然と言っては当然であろう、彼女の態度に小さく苦笑を零して、天井を旋回するケルベロスを見上げた。


ここは、現実からかけ離れた異空間。深刻な損害も出ないであろうここならば、本来の竜の姿を見るのにちょうど良い場所だ。

しばらく彼女に、ひと暴れしてもらおう。


大切な宝を駄目にされた怒りで珍しく我を忘れ、本性を剥き出しにする侯爵を横目に、ルビウスはケルベロスが開けた穴から外に飛び降りた。


【義兄上、今どちらにいらっしゃいますか】


ケルベロスの炎で魔法が切れた温室は、ゆっくりと降下して地面へと着地した。その姿を少し離れた場所で眺めながら、姉の夫であるローリング公爵に思念伝達の魔法を使い連絡を取った。普段は、北の国で忙しくしている義兄かれ

今日は珍しく、何やら報告があると言って、カインドの本邸に訪ねてくる予定だ。


【なんだ?ルビウスか、いきなり繋げるから、びっくりしただろう】


【今どちらにいらっしゃるのですか】


互いに忙しいために、めったなことでは連絡しあわない。そのため、珍しくも義弟からの連絡に義兄かれは少し浮かれたように返してきた。しかし、無駄な世間話は必要ないとばかりにばっさりと切り捨て、簡潔的に同じ問いを繰り返した。


【うん?雑音が多いな、今どこにいるんだ?】


【聞いているのはこっちです】


目の前の温室が派手な音を立てて炎上したのを冷ややかに眺めながら、飛び出してきたケルベロスを眺めるリリアンヌ達の無事な姿を見つけた。


【そう怒るなよ、機嫌悪いな。カインド本邸のすぐ近くだ。…もう着く】


それがどうした?と続けた義兄に答えながら、リリアンヌがレイチェルを背負って扉に向かう姿を目で追う。


【それならちょうど良かった。カインド本邸の近くに空き家があります。西に面して立つ、小さな屋敷です。今からそちらに向かって下さい。リリアンヌとレイチェルの迎えをお願いします】


【なんだって?おい、ちょっと待て!】


【くれぐれもお願いしますよ】


詳しく説明をしろと喚く義兄との伝達を強制的に断ち切って、激しい竜と狐の空中戦を眺めた。

紅の竜はケルベロス。青白い鬼火を纏う大柄な狐は、変化したマクセル侯爵だ。その様子を静かに静観しながら、雷雨の神、レイガルを呼び寄せた。

分厚い雲の主は、そのレイガルである。

相手に致命傷を与える前に、レイガルに仲裁に入ってもらう予定だ。


一面の濃い灰色の空の下、赤みをおびた黄色の炎を吐く、紅の竜の雄叫びが雄大な大地に響く。

力強く空を切るその鮮やかな赤は、実に神秘的と言えよう。青白い鬼火を纏う狐も、マクセル侯爵の風貌を映し出し、空を蹴る姿はそれこそ美しい。

その青白い鬼火を纏う狐が背後に回り込み、ケルベロスの首筋に食らいついた。悲痛な叫び声をあげるケルベロスは、狐を振り切ろうとがむしゃらに首を振るが、そう簡単に振り切れる筈もなかった。

翼をはためき、身体を捻るケルベロスの様子にルビウスは待機させていたレイガルに合図した。

分厚い灰色の雲の隙間から姿を現した黒豹。先が二つに分かれたしなやかな尾を揺らして駆けていき、ケルベロスの背にしがみつく狐に勢い良く体当たりした。その力は相当だったようで、狐に変化したマクセル侯爵は当然のように吹っ飛び、ケルベロスもそのとばっちりを受けてひっくり返った。


【うひょっ、ちょっとやりすぎたかも!ルビウス、どうしょう】


マクセル侯爵の瞳に、怒りが再び宿り真っ直ぐレイガルへと向かって行った。やっちまった!とばかりにひらりと踵を返したレイガルの声を聞きながら、ゆっくりと降下していくケルベロスの元にルビウスは向かっていた。


【相手をしてやればいい】


【そんなむちゃくちゃな!物凄く怖いよ、このオバサンっ】


何とかして!と叫ぶレイガルの声を断ち切って足を止めたルビウスの数メートル先に、ケルベロスは背を地面に打ち付け、突風を起こした。派手な地響きが辺りに響く。

数多くある扉も舞上げ、ルビウスの黒い外套を激しく吹き上げるその突風に、右腕で顔を庇って身体を踏ん張り風を凌いだ。


【…ケルベロス】


背中から着地し、負傷した傷のせいで身体の自由が利かないのだろう、もがくケルベロスの翼は緑豊かな大地をかきむしり、下に隠れていた土を掘り出している。

砂埃が舞い上がる中、ルビウスが声を張り上げた。


【ケルベロス、鎮まれ!】


主従の契約をその名によって発動させて、ケルベロスの首筋に小さく炎が灯った。うなり声を上げて、漸く大人しくなった彼女に近付きながら、まだ辺りを舞う砂埃に咳き込んだ。


《来るな…、おいらに触ったら、その汚らわしい身を八つ裂きにしてやるんだからな》


はっくしゅんとひっくしゅと互いにくしゃみを上げて、ルビウスとケルベロスは睨み合った。


「ベル、君も怒っているようだけど。僕の方が怒っているということを忘れられたら困るね」


眉をひそめて、ひっくり返ったままこちらを睨む、赤みをおびた紫色の瞳を見つめた。


《…おいら、ちゃんと仕事したもん》


「いくら異空間だといっても、人の所有物を燃やして、主に火を噴き、貴族に喧嘩を売ることが?」


リリアンヌが掛けた中途半端な変化の魔法を解き、彼女の身体を元の大きさに戻してやりながら、ルビウスはさらに顔を険しくした。


《…おいら悪くないもん。ルビウスさんが悪いんだろう》


大げさに唸りながら、身体をひっくり返したケルベロスは、ぺっと血を交えた唾を側の地面に吐いてルビウスを睨んだ。


「自分に非があることを認めろと?」


少しきつい物言いになってしまったのは、ルビウスも彼女と同じように身体中が限界だったから。

大柄な猫ほどに縮んだケルベロスにゆっくりと近付いて、どす黒い血が滴る首筋に手を当てた。

傷の痛みに僅かに目を細めたケルベロス。

そんな彼女に、いたわりの言葉も掛けずルビウスは冷たく言い放った。


「…僕とリリアンヌの問題だ。君が口を出すことではない」


《番犬は番犬らしく、主に従っていればいいって?》


「そうだ」


《けっ、とんだ公爵様だな。リリアに同情する…》


グチグチと呟くケルベロスを抱き上げ、外套の下にくるんで抱える。そして、砂埃も収まって視界が開けた無傷な草原の方へ向かった。


「…カインド公爵」


出口までたどり着けるだろうか。

そんな心配をしていたルビウスの元に、黒い扉を引き連れて金髪の青年、ジェイドがやってきた。


「どうぞこちらからお戻り下さい」


ルビウスを待っていたかのように前方に佇む彼の右脇に、カインド本邸の近くにある空き家に繋がる扉が準備してあった。


「ご親切にどうも」


言葉少なく礼を言って扉に近付き、丸い取っ手を掴んだ。


「マクセル侯爵によろしく」


思い出したとばかりに雨が降り出しそうな空を見上げ、ジェイドをちらりと見やった。見上げた先には、濃い灰色の下で未だに追いかけっこをしている黒豹と青白い狐の姿がある。


「…分かりました」


じっとこちらを見つめる金色の瞳もルビウスも静かに見つめ返して、扉を手前に引いた。扉から溢れ出るように漏れる真っ白い光に目を細め、足を踏みだそうとした。


「カインド公爵」


不意に聞こえたその声に、足を止めて彼を見る。


「あなたは、僕に彼女に親しくなれる機会はないと仰いましたよね?けれど、他人の人生の中で、それを制限することをあなたは出来るのでしょうか。…ほんの僅かな好機を僕は逃しはしませんから。どうぞ覚えておいて下さい。…彼女を幸せに出来るのは、あなたではない」


身分さえも気にせず、はっきりと言い切った青年に、ルビウスはふっと笑って真っ直ぐなその瞳から視線を逸らした。


「そうかい。…じゃあ、精々足掻けばいい」


それだけ言って、光あふれる空間に足を踏み入れた。

四方が真っ白な光の空間の先に辿り着いたのは、人が住まなくなって久しいであろう古びた空き家。

既に辺りは静かな闇に包まれている。空に登るであろう月の光が、硝子も嵌められていない吹き抜けの窓から、青白く明るい光を空き家に降り注いでいた。


汚れた煉瓦で造られた小さな空き家の中、ひんやりとした空気がルビウスを包んだ。その空気の中、がらんとした部屋の中ほどにも届かない月灯りを避けるように、目の前にある木の扉へと近付く。

そっと押し開けようと力を込めた左手に視線を落とし、力を抜いて左肩と頭を扉にもたれ掛けた。


「…何をしているんだか」


自嘲に似た呟きと小さな笑いが漏れる。

力を抜いて、背を扉に任せてずるずると地面にしゃがみ込んだ。床板も付けられていない冷たい剥き出しの地面が、ルビウスの体温を奪っていく。


「君は呑気だな」


懐でプスプスと鼻息を立てて眠るケルベロスの寝顔を見れば、そんな言葉が口をついてでた。


守りたいと思って、自分の元に連れてきて早五年。

言った言い付けは絶対に守らないし、勝手に外に出て行ったと思えば問題を起こし。考え方と思う気持ちの違いは当たり前で。いつも自分の考えを押し付けた。

守りたいのに、傷つけてばかり。

彼が言った事は正しいかもしれない。

何もかも彼女のためだと理由をつけ、他人に奪われるものかと彼女の自由さえも許さなくなっている。


「…まるで餓鬼だな」


気に入った玩具を取られまいとするかのような自分に、溜め息が零れた。その溜め息と共に咳き込み、あの不愉快な感触を拭うかのように左手の甲で口を拭った。


帰れば、きっと責められるだろう。嫌悪されても罵られても。


「手放すことなど出来ない」


恋い焦がれた人だから。


「…どうかしてるのかもな」


乱れた前髪を掻き上げるように、左手で握り締めて俯いた。


この気持ちは、彼女が成人するまで伝えないでおこうと、彼女を引き取った時に心に決めていた。けれど、すぐ身近で成長する彼女の魅力に、感情が掻き乱された。だから、距離を置こうと。

大きな戦を前にして、他のことを考えてる暇はないのは分かっているから。

分かっているのに…。


「…リリアンヌ」


傷つけた。


そのことが、ぐるぐると頭の中を回っている。


深く息を吐いて心を落ち着けた。


とにかく、邸に帰ろう。


髪から離した左手を地面につけて支え、腰を浮かした。立ち上がって重いケルベロスを抱え直した。その時に、むにゃむにゃとケルベロスが寝言を上げたが、気にせずに重みがある木の扉を今度こそ押し開いた。

しんと静まった王都の街並み。

その通りを足音を静かに立てて行きながら、カインド本邸に向かって歩く。

整備された煉瓦の道のりは、時折明るい月灯りに照らされたり、建物で遮断され先さえ見えない暗黙の闇が続く。その闇は場所によって様々な顔を見せる。いつもは街のあちこちで暗い夜道を照らす街灯の光があるはずなのに、今宵は何故か全て明かりが灯っていなかった。

住宅に挟まれて存在する細く薄暗い路地を出て、月灯りを受ける開けた場所に出た。

すぐ目の前に見えるのは、カインドの裏門だ。

ルビウスは、直ぐには裏門に向かわず、開けた場所で歩みを止めて言った。


「…それで隠れているつもりなのですか?マリエダ様」


ルビウスの背後、ちょうど高い煙突状の建物の陰となる光沢のある赤黒い瓦屋根の上で、複数の影が身じろいだ。


「久しく銀の魔女を見かけぬで、どこにおるのかと王都に来たのさ。そしたら銀の魔女と人魚族の娘が呑気に出掛けていたと言うんでな、ちと眺めておったのだよ。しかし、面白い物を抱えておるな。ルビウスよ」


光沢のある赤黒い瓦屋根に腰掛ける小柄な少女が、灰色の外套を纏って面白そうにルビウスを眺めていた。

闇に浮かぶ白くうら若い手足。

すらりと細い素足を組んで、右肘をその上に乗せている。まるで敷布を被った子供のようなその風貌に不似合いな、不気味な笑みをその灰色の覆いの下から覗かせていた。


「また器を替えられたのですか。今度はどれくらい保つんでしょうかね?…これはカインドの所有物ですよ。手出しなさいませんよう」


月灯りを背に浴びて、自身の影に隠すようにケルベロスを抱え、横目で睨むように見やった。


「そうかい、残念だこと。この器はなかなか丈夫で良いのだ。お前さんに破壊された分身のせいで、本体まで影響があって再生するまで随分と時間が掛かったからの。新しい器に慣れるまで苦労した。だが、やはり古代魔女の身体には劣る…。あの娘の魅力は日に日に増すわなぁ」


舌鼓を打つかのような上機嫌な少女に、ルビウスは底知れぬ怒りを露わにして相手を威嚇した。建物の狭間や辺りに存在する闇が、ルビウスの怒りに反応して震えた。ゆらりと闇が揺れてまるで海が荒れるような荒々しい波が、不規則な波を立てて少女に向かう。


「…おぉ、今夜は随分と機嫌が悪いな」


「どうぞお帰りください」


建物の隙間を縫って勢いを増した闇の波は少女の足元の下、建物の壁にぶち当たって流れが左右へと分かれた。

嗄れた笑い声を上げる彼女に、冷たく言い放ち睨みつける。


「なんじゃ、お主に懐かしい者の顔でも見せてやろうかと思っていたのに。のぉ、エリック」


すぐ近くの建物の脇から、身長は昔と変わらない四番弟子が顔を蒼白にさせて現れた。その姿を冷たく見つめて鼻で笑った。


「よくのこのことやって来たな。呆れを通り越して感心する。…一体何のようだ?こちらにはお前に用などないが」


「…先生」


深緑の瞳に悲しみが宿るも、ルビウスはさらに不快感を募らせた。


「…まだ僕を師と仰ぐのか?二度とその口で師などと呼ぶな。反吐が出る…。その顔も見たくない。二度と他の弟子達の前に現れるんじゃない。勿論、僕にも。…精々僕に殺されるのを静かに待ってるんだね」


「待って下さい!話をっ」


「聞こえなかったのか。…去れと言った」


闇の住人を召喚しようと左手を持ち上げたルビウスに、エリックは恐怖で目を剥いた。


「久しぶりの師弟の再会がこれとはな。…行くぞ、エリック」


面白い物を見たと笑みを浮かべたマリエダは、立ち上がって身を翻した。困惑しながらもエリックはその行動に従って身を翻して、路地の奥へと消えた。


「…良いのですか?」


「あぁ、放っておけ」


ミミズクの姿でカインド本邸の赤黒い塀へと舞い降りたアレックスは、真っ黒な瞳を彼女達が去った方向を見やりながら尋ねてきた。

その脇を通り過ぎながら、僅かな興味もないと言うようにルビウスは言った。


疲労と言うことを聞かない弟子達への怒りを交えた、どす黒い独自の雰囲気を漏らすルビウス。共に過ごして来た年月が長い弟は、その尋常ではない彼の怒りを悟って身を固まらせた。裏口からルビウスが邸に入ったことを確認してホッと力を抜き、ぶるりと身を奮わせて力強く塀を蹴った。

欠けた月に向かって舞い上がり、黒みを帯びた茶色の翼を月灯りが照らした。


ミミズクは、実兄の機嫌の悪さの元凶となった出来事としばし、実兄の機嫌の悪さが続くだろうということを悟って、小さな溜め息を零し、高く高く空に舞い上がって行った。



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