5.紅の小竜
サブタイトルは《あかのこりゅう》です。
目の前で、長椅子に身を預けてうなだれるのは、すっかり綺麗な衣類に着替えたルビウス。
「厄介な代物を残してくれた。」
そう紅い小竜を見て眉をひそめた彼は、キャウキャウと鳴く檻に入った小竜をそのままに、掃除を続行させた。生身の竜を見るのは初めてであったから、リリアンヌは頻発に見に行っては、ルビウスに怒られたが。
部屋の掃除が終わり、ハイディリアの兄弟の墓に遺品を埋葬するだけとなったが、彼らの墓は遠くに作ったというルビウスに、リリアンヌは不満そうに聞いた。
「どうして王都や兄さん達の実家に埋めないの?」
その答えは教えてくれなかったが、フレドリッヒが理由があって遠くの場所になったと答えてくれた。結局、遺品埋めは今度ルビウス一人で行ってくると言うことで終わってしまった。
「今の状況とこれからのことを話すよ。」
フレドリッヒが仕事が溜まっているからと言って帰って行き、夜も深まった頃に、先ほどまでうなだれていたルビウスがそう切り出した。
「ジュリアンの部屋になぜかいた小竜のことは、とりあえず置いておいて。まず、昨日のこと。オリヴィアも大体聞いてるね?」
小竜をすっかり警戒したレイチェルを右側に座らせたオリヴィアが頷く。
「とうとう、国王を主にした王政派と古来の魔法師達が集まる魔法師派が対立することになってね。…リリアンヌ、小竜は今置いてなさいって言ったろう?こっち向いてちゃんと聞きなさい。」
大切な話なんだから。
少し怒った様子のルビウスに言われ、渋々小竜から目を離して向かい側に座るルビウスに身体を向けた。
「えーっと、なんの話をしようと思ってたんだっけ。あぁ、派閥の話だったね。」
頭が痛いというように漆黒の髪をくしゃりと掻いて続けた。
「王政派と一部の魔法師達は、昔から仲が悪くてね。ウルーエッド戦が起こってからは、更に酷くなった。一部って言ったって、カインドと繋がりのある者ばかりの集まりだけど。今回、国王の新しい政策のせいで、王政派との対立は避けられなくなった。」
ふーんと顔を並べるリリアンヌとレイチェルは、大して興味もなさそうに納得した。
「戦になるってことなんだよ?わかってないのかい、二人とも。今すぐにとはならないけれど、避けれはしない。僕も先頭に立って、戦に加わらなければいけない。邸にばかり気をとられてもいれなくなる。だから、自分の身を守れない使用人達には、隙を出した。」
今日の静けさはそうだったのかと納得したリリアンヌを見て、ルビウスは向かいに座る三人を見据えた。
「君たちの選択肢は2つ。ひとつ目は、ここを去って身を隠すこと。ふたつ目は、ここに残って戦に備えるか。」
自分で選びなさい。
静かに言うルビウスだが、戦に巻き込みたくないと、その口が言っていた。
「選ぶの?」
不安そうに聞くレイチェルを見やって、ルビウスは頷く。
「そう。弟子にしておいて、勝手だとは思う。だけど、自分の未来は自分で選ぶものだから。」
他の皆は、帰る場所があるだろう。けれど、リリアンヌにはもうその場所は無い。
「私は決まってるわ。」
真っ先に答えたのは、リリアンヌ。
「ここに残るから。一人前になるまで、ちゃんと師としての責任はとってもらわなくちゃ。」
まだ、あの事は許してはいないけれど。
この人に、自分は弟子になったのだ。
はっきりと言い放ったリリアンヌに、ルビウスはその漆黒の瞳を揺らして言った。
「風蘭と一緒に行くという手もあるんだよ?ジョナサンやジュリアンみたいに、命を落とすかもしれない。弟子を守れなかったのは、君だって知っているだろう?」
「私がいつ、守って欲しいなんて言った?守って貰おうだなんて思ってないから。逃げることはしないわっ!」
あなたに守って貰えなくても大丈夫。
そう笑うリリアンヌを見つめていた他の弟子達も笑った。
「先生?私達、馬鹿にしてるのかしら。言っときますけど、私、先生とは二歳しか年変わらないですよ?自分の世話ぐらい自分で出来ます。」
「みんなのそばにいる。」
どんなに言っても聞かないであろう弟子達に、ルビウスは口を開いたが、それは言葉にはならなくて。溜め息へと変わった。
「…わかった、わかったよ。そう自分で選んだのなら、僕は何も言わない。代わりに、これからの話をしょうか。」
幾分、力を抜いたルビウスがそう話だした。
「これから王都を中心に、リヴェンデルは荒れるだろう。…隣国も含めて、だ。外を歩くのもままならなくなると考えた方がいい。学校はしばらく休みなさい。どこから命を狙われるかわからないから、一人での行動は絶対しないように。いいね?」
静かに頷いた弟子達を確認して、先を続けた。
「戦を仕掛けるのは、周りの魔法師達とも連絡を取り合って機会を窺うから、早くて一年半。遅くて二年にはなるだろう。その頃には、レイチェル、リリアンヌ。二人は卒業試験を控えている筈だね。」
嫌な顔をしたレイチェルを笑って、リリアンヌはふと思った。
「試験受けられないの?」
「いや、わからない。もしかしたら、受けられるかも知れないけど。試験の場所と進行が変更にはなると思うよ。取りあえず勉強はしておきなさい。」
「はーい。」
「その返事が、なにやら恐ろしいけどね。」
ポツリと呟いたルビウスは、懐に手を伸ばすと小さな紙切れを取り出した。小さく畳まれたその髪を丁寧に広げて行く。
「なに、それ。」
身を乗り出して眺めるリリアンヌに、ルビウスは静かにと唇に人差し指を当てて制した。
広げた紙切れを手の平に乗せて息を吹きかければ、それは人型の形を取ってひらりと宙を舞った。風もない部屋の中、まるで踊るように窓側へと移動した紙は、窓の隙間を通って外へと出て行った。奇妙に成り行きを見守っていたリリアンヌだったが、眉間に皺を寄せるとルビウスを睨んだ。
「また隠し事?」
「隠し事じゃないさ、向こうの様子を窺う古の術式さ。」
怖い怖いと肩をすくめたルビウスだが、全くもってそんなことを思っていないような顔である。
「ルビウスさんに、なんにも教えて貰ってないんですけど?」
「そうだっけ、必要最低限のことは教えたはずだけど?しかし、なんにもとは酷いね。」
哀しいよと言う彼に呆れて溜め息をつき、先ほどから疑問に感じていたことを口に出した。
「ねぇ、リックはなんでいないの?」
独り立ちしたとは言え、彼はまだ未成年だ。邸に顔を出さなくて、心配ではないのか。
そんなことを思っていたら、オリヴィアが不機嫌そうに身じろいだ。
「あんなの、もうカインドの弟子じゃないわ。」
「ヴィア姉さん?」
「オリヴィア、そんな言い方はないだろう。」
「先生は甘いのよ!あんな子、さっさと始末したほうがいいのに。」
いつもなら、弟弟子にそんなことを言わない姉弟子の剣幕に、リリアンヌは驚いてルビウスを見た。彼は申し訳なさそうに首をすくめて言った。
「リリアンヌとレイチェルはまだ知らないんだよ。いつかは言わなくちゃいけないとは思ってたけど。」
「じゃあ、今言ってよ。」
「………エリックは、カインドとは縁を切ったんだよ。」
あの、熱心なエリックが。
なにかの間違いではないだろうかと耳を疑う。
「おかしいなとは薄々気付いてはいたんだ。卒業試験を終えた頃から、あまり邸に寄りつかなくなって、魔法省に入り浸ったしね。…もっと気を配るべきだった。向こう側に寝返ったみたいだ。」
溜め息を零して暗くなった外を見やった。
「向こう側?」
「マリエダ・コウリュース。違反者としてあちら側に渡ったんだよ、エリックはね。だから、贈り名も破棄された。元々、小人族は、コウリュースの家系に仕えていた頃もあったから。仕方ない事かも知れない。」
「処分のことはどうお考えに?」
オリヴィアの問いに、ルビウスはその瞳に悲しみを称えて口にした。
「死罪だろうね。そうじゃないと、彼らが浮かばれない。」
「彼らって…。」
「ハイディリアの兄弟とリリアンヌも含めた、兄弟弟子をあの子は売ったんだよ。」
目を見開いて見るリリアンヌから目を逸らし、ルビウスは左手の人差し指から一つの文字を浮かべ上げると、クルクルと円を描いて文字を回して言う。
「エイドリアン、彼らの兄だけど。アレがジョナサンを静寂の森に呼び寄せて、手紙をカインドに送りつけた。…マリエダの指示だろけど。ジュリアンは、フレドリッヒに会いに行ったらしいけど、エリックが上手く裏から手を引いて誘導したんだろう。ジュリアンはエリックに嵌められ、乗り移りと操りの魔法を掛けられた。警戒心が強いレイチェルは、水力で呼び寄せればいいし、オリヴィアは少しの間気をそらせればいい。
後は、ジュリアンがジョナサンを殺して、僕がジュリアンを殺す。手薄になったその間に、リリアンヌを手に入れれば良かったんだろう。そこは、台本道理には行かなかったみたいだけど。」
フワフワと宙を漂っている文字には、エリックの飾り名が。その文字を無表情に眺めて笑った。
「エリックがしたことは、死罪に値する。…相当あの子は、僕に殺されたいみたいだから。」
宙に浮かぶ文字を手に収めて握り潰すと、ブチリと小さな破裂音と共に文字は砂と化した。
「お望み通り、殺してあげるさ。それは今じゃないけれど。」
手から零れて落ちていく、砂と化した文字を無表情に眺めながら言った言葉に、リリアンヌは底知れぬ恐怖を抱いた。
オリヴィアを挟んだ向こう側では、レイチェルがすっかり怯えていた。
「マリエダの手下もどれくらいいるかわからないけど、王都には既に潜伏してるみたいだ。祭りで、道化師がいたろう?あれは恐らく、マリエダの手下だ。」
思い腰を上げ、今では静かに檻の中で寝息を上げる小竜の近くにしゃがみ込んだ。
「こっちは手駒が減って困っているっていうのに…。ジュリアンは、厄介な代物を残してくれたもんだ。」
「なんか言った?」
「いいや?こっちの話だよ。」
にこりと振り返ったルビウスに首を傾げたが、リリアンヌの興味は既に小竜に移っている。いそいそとルビウスの隣へと移動して、小竜を眺め回した。後ろからオリヴィアが危ないと注意するが、そんなものは聞いちゃいない。
「寝てるの?」
「みたいだね。随分と図太い神経の持ち主だ。」
首をすくめて呆れるルビウスは、そっと右手で檻を持ち上げて立ち上がると、しばし思案して小竜を眺めた。
「ねぇ!触らせてっ。」
こんな機会は二度と無いかも知れない。今、触って置かなければ、絶対に後悔する。
手を伸ばして檻を掴もうとするが、ルビウスはリリアンヌの手が届かない更に上へと掲げて、距離を取るようにと指示した。
「どうするの?」
見ててご覧。と左手を檻に翳してリリアンヌ達から遮った。ルビウスの手で遮って間も空けずに、檻からは彼の背さえも越える大きな火柱が上がった。
「ギャアゥ!?」
「ひっ。」
小竜の驚いた声とリリアンヌの声が重なって部屋に響いたが、ルビウスは平然と燃え盛る檻を離して床に落とした。
「ルビウスさん、何してるのっ!?小竜が死んじゃう!」
何をしているのだと後ろからも悲鳴が上がるが、ルビウスは駆け寄ろうとするリリアンヌを制して言った。
「大丈夫だよ。死にやしない、あの小竜には火炎の神がその身を守護しているから。」
ルビウスが説明している間にたちまち、なりを潜めた火柱は、ボッと一煙上げてその身を消した。
「ギャウゥ。」
先程火柱が上がっていた場所には、変形した檻の中で元気良く鳴く小竜の姿がある。
「先生、どうするつもり?」
「うーん、今考えてたんだけど。飼い慣らしの術をつけたから、ちょっと出してみようかなと。」
それをまさかと聞くオリヴィアに、にっと笑って指を弾いた。
「ギャウン!」
崩れ落ちた檻の中から、翼を広げれば、伸ばした片腕の長さを越えるであろう紅の身体を悠々と部屋に広げた。
「ぎゃあ、信じられない!」
犬が鳴くような悲鳴を上げて、オリヴィアはレイチェルを連れて逃げ回っている。
「触っていい?」
「捕まえられたらね。」
天井からぶら下がる照明器具を揺らして、遊ぶ小竜はオリヴィアにちょっかいを出している。そんな小竜を見ながら、大喜びでリリアンヌは向かった。
《調子に乗るなよ。新入りが!その身体、食ってくれるわ!》
リリアンヌが向かった先、レイチェルを背にして、部屋の隅に縮こまっていたオリヴィアの堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。華奢な墨色の狼に変化し、小竜に飛びかかった。
リリアンヌの頭の上を悠々と跳び越え、照明灯に留まる小竜目掛けて襲い掛かる。
「あ、オリヴィア。それは…、ちょっと待ちなさい!」
ルビウスが慌てて制した時には遅く、オリヴィアの体重で照明灯は落下。派手な騒音が部屋に響いた。
「ギャウギャウ!」
《このっ!ちょこまかと小賢しい鳥め!》
「明かり、明かりつけていい?」
「オリヴィア!追い掛けるのを止めなさいって、言っているのが聞こえないのか!」
つい先程まで付いていた暖炉の日は、小竜が飛び込んだ事で消え、真っ暗な部屋の中で噛み合わない会話がしばらくの間、レイチェルの泣き声も加わって騒音が膨らんだ。
華奢とは言え、室内には向かない大きな狼が走り回っている事で、あちこちで物が破壊する音が耳に届く。ちょうど、オリヴィアに背中から直撃されて、リリアンヌが棚に顔面をぶつけた頃、ルビウスが明かりをつけて飛び回る小竜を捕まえた。
《私のせいって言うの?》
「いや…、僕のせいだね。」
ひっくり返った長椅子の上で、オリヴィアが琥珀の瞳で羨ましげにルビウスを見やっている。そう答えた彼は、錯乱した部屋の中で右手を小竜の口に、翼を左手でひとまとめにして掴んでいた。真新しかった服の袖口は無惨なほど破られ、肌が顔を出している。
ため息をついた彼は、小竜に身封じの魔法と硬化魔法をかけて、部屋を直し始めた。
「…生きてる竜については、昔の実録が少し残るだけで、ほとんど生態は分かっていないことだらけなんだ。」
「だからと言って、部屋に離すのはどうかと思いますけど?」
元通りに綺麗になった部屋の中、服を魔法で繕いながら説明したルビウスを、オリヴィアはじとりと睨んでいる。
「今度から気をつけるさ。」
人型を取ったオリヴィアだが、相変わらず小竜から距離を置き、今では小竜に近づくのはルビウスとリリアンヌの二人だけだ。
「さて、一体どういう理由でこの小さな竜をジュリアンは、部屋にかくまっていたんだろうか。」
二通りの拘束魔法を解いて、鼻面を軽く人差し指の先で叩いた。すると。
《おいら、言葉が喋れる!》
信じられないと蝙蝠の翼をはためかせ、口で小竜は小さな火を噴いた。槍のような火を交わして、ルビウスは眉をひそめた。
「座れ。痛い目にあいたくなければ、大人しくしているんだ。目の前にいる狼に、食われたくなければの話だがな。」
まるで犬を躾るように、床に座る小竜に言うルビウスの姿は、普段見れないなかなか貴重な場面である。そんなルビウスの後ろでにまにまとしながら、リリアンヌは小竜を観察していた。紅の身体は、艶やかな赤色でくりっとした瞳は葡萄色だ。翼と身体の割合は翼の方が遥かに大きいが、ルビウスに言われて翼を畳めば、猫ぐらいの体格だ。ぺたりと床にお尻をつけて座る様子は、幼い赤子のようで、何とも愛らしい。
長い爪は鋭い鍵爪となっているが、透き通るほど綺麗なことに驚いた。
「触っていいでしょう?」
もう、我慢出来ないとばかりに返事を待たずに小竜の鼻面に触れた。
「こら、リリアンヌ!」
《おいら、良い子にしてるぞ?》
うっとりと瞳を細める小竜の鼻からは、時折煙が上がり、プスプスと音を立てている。
「可愛い…。」
短い尻尾を振りながらゴロゴロと言わす様は、犬のようで猫に近く思える。思わず、そのような言葉が口をついて出てくる。ルビウスも、危険はなさそうだとキャサリンに頼んで来ると身を
「…竜って何を食べるのかな。」
《肉だよ!焼いてもいいけどやっぱり、生で食べるのが一番かな?野菜は食べないから。》
「注文が多いヤツだな…。」
間を空けずにルビウスが戻って来たときには、麻袋二つ下げ、顔が何とも言えぬ顔をしていた。
「ほら、飯だ。キャサリンに後で礼を言っとけよ?」
《うぁわーい、久しぶりの食事だ!》
ごろりと床に転がった生肉の塊に、リリアンヌとレイチェルはぎょっとして目を剥いた。
「…しばらく肉料理は食べられないな。キャサリンが今、邸にある肉全てだって言っていたから。」
涎を垂らして生肉にかぶりついている狂暴さを目の前にして、肉を食べたいとも思わないが。そんな言葉が出そうになった。
「…名前をつけてやらないとな。」
小竜を眺めながらポツリと呟いた言葉に、小竜とリリアンヌが反応した。
「えっ、名前って。うわっ、あついっ。」
《名前を付けてくれるのか!?》
ゴォと炎を嬉しさのあまり、リリアンヌに向かって吐き、それを寸での所で交わした。少し掠っただけでもヒリヒリと痛む。火の熱さが想像を超えていることに、リリアンヌはおののいた。
げふっとげっぷを吐きながら、目を期待に輝かせる小竜を指差し、叫んだ。
「「飼うの!?」」
何とも良い頃合いで被った声の主は、リリアンヌとオリヴィアである。リリアンヌは、小竜を指差しながら唖然とルビウスを見、オリヴィアは正気かと言う顔で、信じられない、頭がどうかしていると呟いている。
「ケルベロス。」
冷ややかに微笑を湛えながら、小竜を見下してルビウスはその名を口にした。
【汝、カインド現当主・ルビウス=レオ・カインドの名において服従し、主従の印をここに結びたまえ。その制限は、ケルベロスと名に限ることをここに誓う】
ボッと小竜の周りに円を描くように上がった炎に、リリアンヌは後退ったが、小竜は少し翼を羽ばたかせただけだった。炎は、ゆらりと文字を象ると小竜の長い首へと吸い込まれていった。
《ちょいと!なんだっていうのさっ。本人を差し置いて、勝手に主従の契約結ぶ?聞いたこと無いねっ!それに、ケルベロスって番犬、つまり犬の名前だよね!おいら竜だいっ、犬と一緒にしねぇでよ。…酷すぎる。おまけに男の名前なんて!おいら、女の子なのにっ。》
「「女の子ぉっ!?」」
ぶるりと不愉快そうに身を震わせた小竜は、高らかに嘶いた。リリアンヌとオリヴィア、レイチェルまでも小竜の言葉に衝撃を受けている。
言葉使いからして男の子だと思っていたが、どうやら女の子だという。
「カインドの番犬として頼むよ。ちょうど言い名前だろう、ベル。」
愛称として、ベルと呼ぶルビウスに、ケルベロスと名付けられた小竜は、ベルはいいかもしれないとキラリと歯を覗かせた。女の子に護衛させるとは、常識的にどうかとは思うが、分別では女の子であれど、自らをおいらなどと言う、本人(竜)なので、名はもうケルベロスで良しとしよう。
先ほど話していた内容が、すっかり抜け落ちてしまいそうな会話の格差に、ついていけそうもないリリアンヌだった。
「さて、ベル。君はなぜジュリアンの部屋にいたのか、そこから説明してもらおうか。」
長椅子にゆったりと腰掛け、後ろ脚で顎下を掻くケルベロスは、言っている意味が分からないと首を傾げた。
観察すればするほど、行動はさながら猫のようだ。
《なんでって?ジュリアンに、暖かいところに連れて行ってって、言ったんだ。そしたら、ここにいただけさ。》
暖かいし、ご飯は美味いし。言うことないと歯を見せるケルベロスに、ルビウスは小さく唸って言い方を変えた。
「…じゃあ、質問を変えよう。ジュリアンに会った時、いつ、どこにいたか。」
《うーん。ありゃ冬だな、寒いところで!》
「…真面目に質問した僕が馬鹿だった。」
頭が痛いとうなだれたルビウスに習って、オリヴィアもはぁとため息をついて席を立った。
「あれ、ヴィア姉さん。どこ行くの?」
「…もう寝るわ。なんだか面倒になってきたから。今日、泊まって行くつもりにしていて良かった。」
オリヴィアを見送って、視線を戻すとケルベロスのくるりとした葡萄色の瞳にぶつかった。
なんと可愛くのだと思わず腕に抱き込んだ。
「…君達も、もうお休み。」
「一緒に寝て良い?」
リリアンヌの懇願に、ルビウスは顔をしかめて否を示した。
「リリアンヌ、それは犬や猫じゃないんだ。一緒に寝る必要はない。」
「…えぇー、でも。」
《おいら、暖かいところで寝たい!寂しいと死んじゃうよぅ~。》
ぷらんと重力に従ってぶら下がる後ろ足をパタパタと動かしながら、ケルベロスは抗議した。
「寒いのが嫌なら、暖炉の中ででも寝ればいい。」
「ルビウスさん、冷た~い。」
《ルビウスさん、冷たーい。》
真似して言う小竜に、睨みを効かすとすくりと立ち上がった。
「何かあってからじゃ遅いんだ。」
「何かってなんデスカー?ベルは良い子だし、女の子だし大丈夫でーす。」
《なんデスカー?大丈夫でーす。》
キャッキャと笑い声を上げながら寝室に向かった一人と一匹に、ルビウスとレイチェルは首を傾げて見送った。
《おまえ、リリアって言うのか?》
「そう、リリアンヌ。よろしくね、ベル。で、さっきも言ってたけど、ルビウスさんがここの当主。私の師だけど、保護者みたいなもんだよ。」
《ほぇー、保護者ってなんだ?》
「保護者は…、弱いものを守る者のことかな。」
《ふむふむ、あいつはルビウスさんか。あの狼になった女は?》
「ヴィア姉さん。オリヴィアっていうんだよ。私とかの姉弟子。」
《あの人魚のおなごは?》
「レイル。レイチェルは私と同じ年。」
寝室までの道のり、ケルベロスはここに住む邸の者の名を知りたがった。なので、こうして教えているのだが。一つ、困ったことがある。
ケルベロスが、リリアンヌの言う呼び名の通りに覚えてしまうのだ。今も、リリアンヌの腕の中で、ヴィア姉さん、レイルと繰り返している。
《うっかり食っちまったらいけねえからな。》
その言葉にぎょっとするが、彼女は名前を復唱するのに必死だ。
「…食べないでね?」
《心配すんなっ!》
思わず聞けば、任せとけ~と鼻息荒く、威勢良く返事が返ってきた。
…非常に心配だ。






