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1.とある休日

朝、窓から差し込む眩しい日差しに思わず目をしかめた。


玄関で思わず泣いてしまったあの後、あとを追ってきたフレドリッヒに促され部屋に戻った。彼は黙って部屋まで送り届けてくれ、泣き止んだ後もなにも聞かないでくれた。


尋ねられても、言うつもりは毛頭なかったが。


すっかり冷えた寝台に潜り込んだ後も、高まった気持ちのせいで一向に寝れはせず、浅い眠りだけが時折やってくるだけだった。ようやく眠りがやってきたころには、外はうっすらと明るくなっていた。


寝不足の目を無理やり上げて、机の上にある卓上の小さな時計を見れば、起床時間はとっくに過ぎている。

机のそばには、水が張った桶と乾いた布。


誰かが起こしに来たのだろうか。


しかし、随分と邸は静かだ。


のろのろと寝台をおりて、顔を洗い、衣装箪笥の引き出しから無造作に服を引っ張り出した。

亜麻色の肌着と上着と一続きの天鵞絨びろうど色のワンピース。適当に選んだ地味なその服を身につけ、壁に取り付けてある鏡の前で胸元の緑の紐を結んでから、向かいに映る自分を眺めた。

泣いていたのは少しの間だったけれど、目が赤く腫れている。

小さくため息をついて、水で濡らした布で目を冷やした。どれくらいそうしていたのだろうか、真っ白な布が温くなった頃に布を放って再び鏡に向き合った。

少しだけマシになったように思えて、部屋の扉を開けた。


「うわっ!」


「っ!?」


ごく自然に開けた扉の前には、どうやら突っ立ていた人物がいたようで、思いも寄らない声に目を見開いて見上げた。


「お、おはよう…リリアンヌ。えぇっと、その。」


突っ立ていた人物も、まさか扉が向こうから開くなど思いも寄らなかったようで、びっくりした声をあげて、同じように目を見開いていた。しばし見合ってから、気まずそうに互いに目を逸らした。彼が口を開いたのはそれから、しばらくしてからだった。

もごもごと口を濁すルビウスが、昨夜のことを謝ろうとしているのを悟ったが、なかなか切り出しては来ない。


「…退いてくれませんか?」


柄にもなくそわそわと落ち着かないルビウスに、口をついて出たのはそんな素っ気ない声だった。


「…あぁ、すまない。」


部屋の戸口を塞ぐルビウスは、戸惑いながらすんなりと謝って脇に退いてくれた。本来ならば、別のことで口にすべきであろうその言葉を。

内心苦笑しながら、部屋を出るとそっと扉を閉める。

その後も、なかなか口を開かない。

互いに気まずい空気を知りながら、その空気を知らんふりする。

そんな中、ちらりと彼を見やると、蝋色の長ズボンと月白色の毛糸で編んだ上着を着ている。今日は仕事は休みなのだろうか、大ざっぱな服装の首もとから覗く白い襟を見ていれば、ルビウスが困ったように明後日の方向を向いたまま頭の後ろを掻いた。


その様子があまりに幼く見えて、バレないように心の中でひっそりと笑った。

そして、ルビウスが何かを口にしようと息を吸った時。


「リリア、おはよう。」


「あ!おはよう、レイル。」


なんと良い具合に、ルビウスの後ろからレイチェルが現れた。これ幸いとばかりにルビウスの脇を通って、そちらに向かう。

脇をすり抜けた際に、何か言いたそうに目を向けられたが、これ以上今は一緒に居たくはなかった。


「キャサリンがご飯出来てるって。」


「本当?お腹空いてたんだー。あ、ジョルジオ、おはよう。」


階段近くにいるレイチェルの側についてそう言うと、ルビウスに何やら言いたそうな視線を送っていたジョルジオは、にっこりと笑って腰を折った。


「おはようございます、リリアンヌ様。お食事は、食堂の方にご用意しております。」


「わかった、ありがとう。」


後ろに視線を受けながら、レイチェルと共にその場を後にする。ジョルジオは、その後方、ルビウスを見やって深いため息を零すと、後に続いてきた。


「…どいうことだ、ジョルジオ!」


「兄上、落ち着いて下さい。」


食堂で暖かい食事を終えた、お昼前。廊下から響いてきた怒声に、レイチェルと共に飛び上がった。おどおどするレイチェルに大丈夫だと声を掛けて、廊下に顔だけを出し覗いた。見れば、普段は見せない怒りを含んだ顔つきのルビウスと、そんな彼を目の前にしれっと佇むジョルジオがいる。その間で、必死に割って入っているのはアレックスである。


「落ち着けだ?お前も共犯か、アレックスっ!」


「ち、違います。けれど、ジョルジオの言うとおり、少し休まれた方が。」


「そうでございます。折角お休みを頂いたのです、お天気が良いこんな日には外の空気を吸って、お散歩でもされたらいかがかと。」


「ほぉ。それで、執事の分際で勝手に僕の仕事を他人に任せたのか。」


益々機嫌を悪くするルビウスに、ジョルジオは臆することなく続ける。


「勝手にではございません。シリウス様には、きちんとご説明いたした上での判断でございます。シリウス様には、アーサー様がついておられますし、心配する必要がないかと存じ上げております。」


「ウルーエッドにも行かなければ、ならないし…。」


「それは、アレックス様が。ハイディリア家に、代理として行って下さるそうです。」


その言葉に、じろりと睨まれたアレックスは身動き一つせずに固まってしまった。


「ルビウス様は、まずしなければいけなければならないことがおありのはずです。」


そんなアレックスから視線を外したジョルジオは、静かにそう言ってこちらに視線を向けた。促されるようにこちらを向いたルビウスの視線は、落ち着きなく揺れていた。


「リリアンヌ様、レイチェル様をお連れになって、街にお出掛け下さいませ。今は丁度、雪祭りがありますし、皆様で楽しまれて来て下さい。」


手元に持っていた一般の貴族が着る、暗黒色の防寒着をルビウスに渡して更に言った。


「ルビウス様は魔法大臣である前に、カインド家の現当主でらっしゃいます。休日を楽しく過ごすのも、貴族の役目です。」


小さく笑ったジョルジオは、近くを通った侍女に何やら指示してこちらを見た。

その藍色の瞳に、嫌だとは到底言えそうもなかった。


「行ってらっしゃいませ。」


あれから間を空けずに、侍女達に外出用の上着を着せられ、邸から追い出されるように外に出ていた。

ジョルジオの厳しい目から逃れるように、取りあえず足早に広場にやってきた。


どうすればいいのかわからないと途方に暮れるルビウスの隣で、人見知りのレイチェルには珍しく、キョロキョロと辺りを見渡し、ルビウスの袖を引っ張った。


「先生、公園。お店出てる、行こう。塩の綿菓子食べたい。」


「綿菓子?あぁ、レイルの故郷の味だね。」


「リリアも行こう。」


行こう、行こう仕切りに手を引くレイチェルに負けて、ルビウスも重い足をやっと動かした。

前方をレイチェルが、そのため隣に自然とルビウスと並ぶ事になったために、決まり悪く辺りを見渡していると、賑やかな街並みが目に飛び込んで来た。


普段は静かで、石畳の煉瓦が連なる王都の街並み。今日は、ジョルジオが言っていたように祭りのようなものがあるようで、色とりどりの旗が頭上で風に乗って舞い、店先からは活気の良い声が飛び交っている。

不意に目の端に映った喫茶店では、昼間から麦酒を大きな杯で飲み明け暮れる男性たちがいる。


「…はぐれてしまうから。」


いつもは道に出ていない出店も多く、家族連れや恋人同士でごった返している場所に巻き込まれた時、ルビウスがそっとそう言って手を握ってきた。


突然のことに、反射的にびくりと手を引っ込めようとしてしまったが、優しく、けれど少し強引なルビウスの左手に捕らわれてしまった。

手を取られたことに戸惑っていれば、通り過ぎる人々に押されてよろめいた。


「っわ。」


「大丈夫かい?」


思わずしがみついたのは、ルビウスの暗黒色の上着。支えているのは空いている彼の手、気恥ずかしくなって早々に側を離れた。


「…レイチェルはどこに行ったんだ?めったに一人でうろついたりしないのに。水霊の誘いに乗ったのかな。」


目を逸らすものの、呆れたような呑気な声に思わず、逸らされている漆黒の瞳を見据えた。


「…行こう。」


視線に気づいたのか、見つめる先から瞳を戻してこちらを見ると、繋いだ手を引き寄せて促された。


ひんやりとするルビウスの手に導かれ、ごった返す街中を難なくすり抜けて行く。


やがて辿り着いた、王都の中心部から少し逸れた大きな公園。緑が多いその公園は、王都に住む住人達の憩いの場だという。


「あぁ、いたいた。レイチェル!」


緩やかな階段を共に下りてゆけば、大きな噴水の前で小さな子供達の群れを前に芸をする道化師がいる。あれが噂の旅芸人の一行だろうか。

そんな賑やかな群れから距離を置いた場所で、ポツンと佇むレイチェルがいた。

近くまでいったはいいものの、人見知りが激しい彼女には輪に入って行くのは、まだ少しばかり無理のようだった。


「…先生、綿菓子。」


「わかったわかった、わかったよ。」


「リリアも食べよう、美味しいから。」


気配に気がついたレイチェルが、臆することなくルビウスの腰に飛びつき、遠くに出ている出店を指差し強請った(ねだった)。

レイチェルを受け止めながら、仕方がないと応えて、ルビウスは小さく笑った。


「塩の味がする!」


食べるとは一言も言っていないのに、レイチェルと一緒に買ってくれた綿菓子にかぶりつくと、驚いたことにしょっぱく、塩の味が甘さと共に口の中いっぱいに広がった。


びっくりしてルビウスを見ると、彼は先程買った飲料片手に笑った。

側では、強請った当の本人が一心不乱に綿菓子を食べている。


「レイチェルの故郷、ブレハ湖に売る綿菓子だからね。その味は、ブレハ湖に含まれる海の塩分を使ってあるんだよ。有名な菓子の一つさ。」


のんびりと噴水近くの長い木椅子に腰掛け、三人で遠くから大道芸を眺めた。

あれから、持ち前の性格を発揮して、ルビウスとレイチェルを振り回し、ほぼ全部の店を回った。

おかげで、夕食は入らなくなりそうで、キャサリンに起こられるなとルビウスは苦笑した。


雪祭り。


それは、王都でしか数年に一度ある、小さな祭りの一つだという。

国や地方のあちこちから、商人達や道化師、科学者を招き、交流を計るのが目的らしい。珍しい食べ物や品物が街に並ぶと、より一層人が集まる。


王都に来て五年目の冬となるが、祭りなど初めて来た。ルビウスも、大抵仕事で、まともに店を見て回ったのは初めてだという。


ちらほら白い雪が舞い降りて来たのを見ながら、そんな話をしていた。


「欲しいの?いいよ、あげる。」


雪を見ていれば、隣から食い入るような視線がある。レイチェルが、まだ残っている綿菓子を物欲しそうに見つめていたのだった。軽く笑って渡すと、彼女は目を輝かせてかぶりついた。


「お腹を壊しても知らないから。」


南の国の食べ物は、太っ腹な物が多い。

綿菓子一つにしても、人の顔より大きくてまるで雲が浮かんでいるようだ。まだ半分残っていた綿菓子をペロリと食べ終わったレイチェルは、意地悪く言った言葉も気にせず、不愉快そうに手を動かして、噴水で手を洗ってくると側を離れた。


人魚族である彼女。


水音が聞こえれば、誘われるようにその場に引き寄せられるのだという。水霊達と戯れるレイチェルを眺めていたら、控えめに隣から掛ける声があった。


「…リリアンヌ。」


こちらを伺ってくる気配がするが、真っ直ぐ前を見つめたまま聞いた。


「なに?」


「君に、謝らなければいけないことがあるね。」


素っ気ない言葉にも臆することなく、ルビウスは静かに言葉を繋げてきた。それに、大人しく耳を傾ける。


「…昨日、酒で酔っていたとはいえ、紳士として師として最低なことをしてしまった。…本当にすまなかった。」


未だ顔を合わせないままであるが、隣でルビウスが頭を下げたのがわかった。

ちらりと目をやれば、彼はその体勢のまま言った。


「すぐには許してもらえるとは思っていない。けれど、少し時間が経ったら、考えてはくれないだろうか。」


公爵であり、師という立場であるにもかかわらず、彼は深く頭を下げたままだ。

その誠実さに、呆れたものの少し考えてから口を開いた。


「二度とあんなことしないって約束出来るなら、…考えてもいい。」


我ながら、全く可愛げがない返事だ。


内心落胆しながら、そう言った言葉に、しばしの間があってから顔を上げたルビウスは、困ったように呟いた。


「…それは。…どうだろう。」


「はぁ?未成年に手を出しておいて、なによそれ。本当なら、顔も見たくないし、口だってききたくないんだから!」


ジョルジオに追い出されて、仕方がなく一緒にいるだけだ。

そのところを勘違いされては困る。

さっき、誠実だと思ったのはやっぱり却下しよう。最低だこの男は。


「あ、いや。違うんだ、うん。約束する、本当だよ。信じておくれ。」


慌てて弁解するルビウスだが、こんな話をいつまでもするつもりはない。


「…いいわ。公爵様にはただ酔いに負けて、近くにいた手頃な女の子に手をつけたんでしょ。誰にも言わないわよ。世間ではどんなにちやほやされているか知らないけど!だから、昨日のことは忘れて。私も忘れるから!」


ぴしゃりと言い切って、椅子から勢い良く立ち上がって、大股でレイチェルの元に向かう。が、不意に伸びてきた腕に捕らわれて、足が止まった。


「待って、リリアンヌ。確かに、酔いに負けたのは認めよう。だけど、誰でも良かった訳じゃない。…君だったから。あの時、辛くて、精神的にボロボロだった、僕の側にいたのが君だったからだよ。」


恐る恐る振り向いた先には、真っ直ぐ見つめてくるルビウスが。この先を聞きたくはない、けれど、生まれつき持った性格ゆえに、逃げずに漆黒の瞳を見つめかえした。


この先を聞いてしまえば、戻れない場所に連れて行かれそうで…。いや、もうすぐ側までそれは来ているのかもしれない。


そんな事を考えていれば、ルビウスの口が開き、言葉を発した。しかし、その言葉は突如吹いた風に掻き消され、耳に届くことはなかった。

布地がはためく、煩い耳音は止まずに、辺りの木々や噴水の水まで巻き込んで、小さな竜巻が離れた場所に現れた。それも、あまり時間をかけずに消滅して、竜巻が消えた場所にはぼんやりと佇む、黒い外套で身を包んだ一人の男性がいた。


『ルビウス』


「…爺様。」


耳鳴りが治まらない内に、その男性が声を掛けてきてやっと気がついた。そう、シリウスであった。しかし、本人が居ないその幻影は、酷く朧だ。その代わりと言ってはなんだが、シリウスの声はすぐ側にいるように、やけに鮮明に聞こえる。


『魔法省に来るんだ、あの馬鹿がとんでもない事を言い出した。今から召、喚をする…心づ、もりを』


シリウスの言葉が終わる前に、砂嵐のような嵐に中断されて幻影も消えた。


「爺様?あぁ、何だっていうんだ。レイチェル!」


一体どうしたのかと戸惑うのはルビウスも一緒のようで、足元の砂がひとりでに複雑な円を書き始めた頃にレイチェルを呼び寄せた。慌ててレイチェルが側に来た頃には、ことのほか性急に掛かれた歪な召喚の魔法が描かれていた。

ルビウスが慌ててレイチェルも近くに引き寄せた時、陣が光を発し、それほど多くない砂を吸い込み始めて、地面が吸い込まれるように穴が空いた。

当然、立つ場所を失った者達は、その穴に吸い込まれていく。


「「きゃーぁ。」」


しかし、突然のことで足場を失った為に、レイチェルと一緒に悲鳴を上げてルビウスにしがみついた。




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