5.ハイディリアの息子Ⅱ
リリアンヌ目線です。
殺傷描写がほんの一部、含まれる部分がございます。好まれないという方は、お気をつけください。
描写は薄いですが、念のためクッションを置かせていただきます。
【古来より仕えし白銀の鷲よ、我の命に応じたまえ】
邸を飛び出して。門をくぐる共に呪文を唱えた。それは、父だと名乗るセドウィグが教えてくれた古きの魔法。
亡き母が、贈ってくれるはずだった古代魔女だけが使う特有の魔法だという。
力強く発したその声を聞きつけ、白銀の光の中から頭上より現れた大きな鷲は、大きな大人が二人は乗れそうなその体を少し旋回させて、ゆっくりと目の前に、茜色の体を落ち着けた。
呼び出すのは初めてだが、受け継いだ古代魔女の血のおかげで、臆することもなく彼女の首元に触れた。まだ雛鳥なのか、ちらほら茜色の毛が抜け掛けている。
毛が抜け切れば、さぞかし綺麗な白銀の毛がその体に輝くことだろう。
「ポータリサに。ルビウスさんがいる場所に連れて行って。急いでね。」
撫でていた手を止めて彼女にそう言うと、慣れた動作で体に乗り、首元に掴まった。茜色の鷲は、声高々に鳴き、成長期のその大きな翼を力強く羽ばたいた。
数回羽ばたいた茜色の鷲は、一気に街中を階下にして、真っ直ぐ東に向かって速度を上げた。
茜色の鷲の長い艶やかな尾が、昼時の太陽に負けじと輝いた。
そんな昼時の太陽がすっかり沈んでしまった頃に、ポータリサの町に降り立った。
初段を受かったといえど、まだ知らない魔法は沢山ある。瞬間移動魔法や変身術などは、ルビウスが危険だからとまだ教えてくれない。そのため、こうして時間と労働をかけなくてはならない。
「…ルビウスさん、どこにいるのかしら。」
茜色の鷲(彼女)が飛び去ると、既に暗くなった町中を見渡した。王都よりも早くも雪がちらほらと積もり、あちこちの家からは光が漏れてきている。その光景に、-あの頃-の記憶が被る。
ぎゅっと目を瞑って、被りを降ると真っ黒な外套を胸元で掻き合わせた。冬用の外套だが、橙色のワンピースと白緑の毛織物を羽織るだけの装いは、決して外出するには不似合いであった。
震える体を叱咤して、足を進めて若干俯き加減に町中を進んだ。
「おや、カインド公爵んとこのお弟子さんではないかね?」
少し進んだ、とある小さな家の前で声を掛けてきた嗄れた(しゃがれた)声の男性がいた。
驚いて顔を上げると、その優しげな薄茶色の瞳を細めて、彼はやっぱりそうだと呟いて続けた。
「夏以外で見かけるのは初めてだなぁ。一人で一体どうしたんだい?」
戸締まりの途中だったのか、重そうな木の扉を閉める手を止めて、聞いてきた。
「…ルビウスさんがこちらにいるって。あの、至急の用があるんです。どこにいるか知りませんか?」
夏に避暑にくるルビウスの弟子達は、よく町の菓子屋に買い物に来ていた。時折挨拶を交わしただけの町の人に、突然話しかけられたことに驚いたものの、ルビウスの居場所を聞いてみる。
「あぁ、確かガズの所に泊まってらしゃったんじゃなかったか。ちょっとここで待ってなさい、すぐに聞いてきてやろう。おーい、母さん。」
「…なんだい?」
そういえばと言った男性は、家の中に声をかけ、現れた彼の妻であろうすらっとした綺麗な女性に言った。
「カインド公爵のお弟子さんだ。寒そうだから、中にいれて何か温かい飲み物でもやってくれ。わしは、ひとっ走りガズの宿屋まで行ってくるから。」
「あら、ほんとっ!」
断るものの家に押し込まれ、男性はすっかり暗くなった町中に飛び出していった。
奥さんである彼女は、温かい飲み物を出し、入り口からすぐの木椅子に座るよう勧めた。
その強引さに断るのは半ば諦めて、大人しく木椅子に腰掛けた。
「しかし、お弟子さんは大変だねぇ。公爵は忙しい人だから、捕まえるのが一苦労だろう?…良い人なんだけどね、今の公爵も。少し変わってるからねぇ。この間も家の屋根を魔法で簡単に直してくれたし、学校によく顔出しては、校長のお喋りにつかまって…。」
陶器の器に湯気立つ茶を注ぎながら、奥さんは三つ編みに編んだ金髪の髪を揺らして、一人休まず、先程からずっと喋り続けている。
小さな窓を見れば、外の闇は更に深まって、それと同時に不安を膨らませた。
「おぅ!帰ったぞ。」
扉を開ける大きな音と共に、再び姿を現したのは、先程の男性。
「遅かったね。公爵はいらっしゃったんだろ?」
「それが、ついさっき王都に急に戻らなくちゃ行けなくなったて。入れ違いになっちまったみたいだな。」
「…そうですか。」
「その変わりっちゃなんだが、レイチェルを見つけたぞ。」
やあと頭をかく男性の言葉に落胆してから、驚きに目を見開いて男性の背後に佇む少女を見やった。
「レイルっ!?」
「うー、リリアぁ~。」
家から漏れる灯りで、レイチェルの涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔は、やけに鮮明に見える。
「…一人で?」
「う゛うん、途中までリアン兄さんと一緒だった。」
けど、置いていかれた―。
うわあんと泣き声を上げて、すがりついてくる彼女を宥め、もう遅いから泊まっていきなと勧める夫婦の好意を今度は丁寧に断って、レイチェルの手を引いてカインドの別荘に向かった。
おそらく、マーサ小母さんがいるはずだ。ルビウスに連絡を取ってもらうしかないな。
そんな事を考えながら、少ない街灯が照らす夜道を誰に急かされるでもなく急ぐ。
道中、泣き止んだレイチェルに何故追いかけてきたのかを聞けば、よくわからないというように首を傾げて言った。
「リアン兄さん、リリアが出て行ってからフレッド兄さんに会いに行った。けど、会えなくて。変わりにリックに会ったて。」
どうやら、エリックに何か言われたらしい。
勝手について来たといっても、レイチェルを置いてさっさと行くなど、根は優しい彼らしくもない。
慎重派であろうジュリアンが邸を飛びだすほどだ、エリックに何を言われたのだろうか。
そんなこと考えていれば、いつの間にか森の入り口にたどり着いている。
森を抜ければすぐ別荘だ。
角灯を持ち合わせていないため、魔法で明かりを灯そうかと話し、レイチェルが青白い光を二人の頭の上に灯した。
歩く速度に合わせて、ふわふわと漂う不安定な光は、少々危なっかしくあるが暗い夜道を明るく照らしてくれた。
「あれ?」
「どしたの、レイル。」
別荘まで幾分近付いたと錯覚するほど経った頃、不意にレイチェルが立ち止まって森の方へ顔を向けた。
「水の…音?」
「えっ!レイルっ、ちょっと。」
そう言うなり、森へと駆け出したレイチェルとその明かり。
突如のことに、置いてけぼりをくらった。残された闇と共に唖然と、既に見えなくなった彼女の後ろ姿を見送ることになった。
しばし呆然となっていて、明かりの光も見えなくなった頃、肌寒い冬の寒さと静か過ぎる森の気配を感じて、ぶるりと震えて正気を取り戻した。
梟が鳴く不気味な声に少し怯えて、赤みを帯びた朱色の光を慌ててつけた。
「…レイチェル?」
灯りをつけて辺りは明るく照らされたが、深い森の木々からどうも見つめられているようで落ち着かない。
呼びかけても戻って来ないであろう、レイチェルを追って渋々真っ暗な森に足を踏み入れた。
「やっぱり、別荘に行ってマーサ小母さんかローベルお爺さんを呼んだ方がよかったかも。」
来た道筋を忘れないように時折後ろを振り返っていたものの、奥へと進むにつれて同じような木々に囲まれてすっかり迷子になってしまった。気づいたときは既に時遅く、時折レイチェルを呼ぶ、自分の声だけが弱々しく聞こえるだけだ。
「変ね、何でこんなに静かなの?」
名の通り静寂であるこの森。
前に一度だけ足を踏み入れたことがあるが、そのときは風蘭がいた。この森に住む姉弟子のオリヴィアも、門番であるアリッサムさえも姿を現さず、生き物の気配が伺えない。
風蘭は、呼んだら来てくれるだろうか。
幽霊が出ても可笑しくない状況で、一人嫌な汗を背中にかいた。風蘭、と言葉を口にしようとしたとき、不意に足元に白い何かが横切った気配がした。
「いやあ!で、でたあぁ―っ。」
すっかり参っていたためか、いつもの勝ち気な性格はどこえやら。大きな叫び声を上げてひっくり返った。
「あいたぁ。あれ、…ねずみ?」
しりもちを付いて、未だ足元をうろついている物体をよく見れば、それはまるまると太った白い鼠だった。
キィキィと耳障りな声を上げる醜い鼠は、まるでさらに森の奥へと誘うように、そのどす黒い瞳を向けてから走り出した。
「あっ、待って。」
誘われるかのように、その後を慌てて追う。
鬱蒼と茂る木々の間を抜けて抜けて。
太っている割に走るのが早い鼠の姿は、少し木々が少なくなった荒れ地に辿り着いた途端、その姿を一瞬にして消した。
「…あれ?」
荒くなった息を整えながら、きょろきょろと辺りを見渡すが、鼠の姿は見えない。おかしいなと首を傾げた時、背後の草むらがガサっと音を立てて揺れた。
体を硬直させて振り向けば、ぼんやりと佇む…。
「うわっ、びっくりした…。リアン兄さん?驚かさないでよ。」
虚ろな目をしたジュリアンが、すす汚れた服を身につけてそこに佇んでいた。
「…リアン兄さん?どうした、」
「リリア!ジュリアンから離れろっ、今すぐだ!」
話しかけても返事をしないジュリアンに、どこか悪いのかと駆け寄って覗き込むと、切羽詰まったように掛ける声があった。
「ジョーン兄さん!」
近づいてくる気配がある右側を見れば、焦った声のジョナサンが。その後ろにはレイチェルがいる。
「ちっ、くそっ。」
駆け寄ろうとした後ろから、不気味な呪文が飛び出したと気づいた時には、瞬時に移動したジョナサンがレイチェルをかばって木の影へと逃げ込んでいた。呪文があたった木は、悪臭を放ちながらみるみる腐っていった。
「っ!!」
振り向けば、彼は薄気味悪い顔に笑みを湛えていた。
その姿に、目を見開いて小さな悲鳴を上げるとじりじりと後ずさって距離を取った。…そんな時。
「おやおや、もう来ちまったのかい?残念だ。今回は儂の出番は無いか。」
すぐ背後の木の上から、しゃがれた少女の声がしたと思えば、あちこちから狼の遠吠えと鳥達の鳴き声が上がった。
「森の者達にも見つかってしまったようだし。新しい駒の働きをとくと見せて貰おうか。ジュリアン、たんと働くんだよ。」
そう言い残して気配は消え、変わりにその隙をついたジュリアンからの攻撃にあった。
「何やってんだっ。」
投げつけられた死の呪文は、間一髪、瞬間移動で飛んできたジョナサンに弾き飛ばされ受けることはなかった。
…変わりに彼から怒声をもらうことになったが。
「ジョーン兄さん、リアン兄さんどうしたっていうの。」
「知らねーよ、とにかくレイルにヴィア姉さんを呼びに行かしたから、この暗黙の闇から抜け出すぞ。」
鼠を追いかけて魔法の罠にかかってしまったようで、ジョナサンは来た道を戻ろうと振り向いた。
その背中に、ジュリアンが投げた火の玉が向かい、寸前のところで背を仰け反らして、彼はそれを交わした。
「ジュリアン!お前っ、誰に向かって…」
振り向いたジョナサンは、怒りのあまり言葉が出ないようで、わなわなと震えていた。
「いやあっ。」
「ジュリアン、あいつ何やってんだ。くそっ、森で火を使うなんてっ。レイル!連水を呼び出せ、リリアは防衛壁を作ってそこにいろっ、動くんじゃねぇぞ。」
遠くからレイチェルの悲鳴が上がり、ジュリアンが呟いた呪文により、一瞬にして辺りは火の海と化した。
ジョナサンは、鎮火の雨を口にして新たに木々の脇から出てきた化け物を始末しようとそばを離れていった。
ジョナサンに言われたように防衛壁を作ろうと苦戦するが、元々防衛よりも攻撃派の為か、いくらたってもまともなものがつくれなかった。
空から舞い降りてくる不気味な死神と悪魔達をかわして、攻撃魔法を向けるものの、火の熱さでそれすらまともな魔法とはならなかった。
「あついっ!リアン兄さん、やめてよ。」
火をよけて雨を呼ぶが、まるで言葉は届かず、ジュリアンは火の能力をさらに上げた。
その顔に不気味な笑みをたたえて。
吹き出す汗を拭ってあちこち逃げ回っていた時、ふらついた足が大きな岩に捕らわれ、体が大きく傾いた。
その瞬間を見逃すジュリアンではない。
『ルビウス・カインド!悪いがお前の七番弟子は貰うぞ!!』
ジュリアンの中にいる“何か”が嬉しそうに声を張り上げてこちらに手を伸ばしてくる。死の呪文を口にしながら。
離れた場所にいるジュリアンを見て、まるで目の前にいるかのような錯覚に陥りながら、自身の力を必死に引きだそうと目を瞑った。
しかし、慣れないことをするには練習が必要だった。
「動くなって言ったろうが。」
「ジョーン兄さん。」
もうだめかも知れない。そんなことを思った頃、目の前に大きな背が立ちはだかってその人物はちらりとこちらを見やってから、ジュリアンに鋭い一撃を向けた。
ジュリアンから受けた、死の呪文をその身に諸に受けて。
『悪いな、ジュリアン。』と。
それが、ジョナサンの最後の言葉となった。
「ジョーン、兄さん?ジョーン兄さんっ!」
「うぁあああ、あぁ…。」
パタリと倒れ動かなくなったジョナサンを必死に揺さぶって揺り起こそうとするが、彼は一向に返事をしない。
目の端に映るジュリアンは、頭を両手で覆って悲鳴を上げている。
彼の悲鳴のあと、先程まで勢いを増していた豪火は、突如吹いたひんやりと冷える強風で瞬く間に鎮火した。
「森から一匹を逃がすな!」
地が震えるような厳しい声が森に響いたと共に、狼達が角を持つ大型の熊に噛みつき、鳥達が空を飛ぶ悪魔を集団で袋締めにしている。ケンタウロスは逃げ回る鼠を槍で追いかけ回した。
「リリア…、ジョーン兄さんどうしたの?」
そんな光景をジョナサンの傍らで呆然と眺めていたとき、身体をすすだらけにしたレイチェルがやってきた。
「ジョーン兄さん、起きて。先生が来たよ…。」
レイチェルは、ジョナサンを挟むように同じように膝を付き、彼の身体に手をかけた。
「レイル、ジョーン兄さん…。死んじゃった………。」
そんな姿を捉えながら、独り言のようにその言葉を呟いた。
「う、そだ。…いや、だ、ジョーン兄さんっ、」
その言葉を理解したレイチェルは、目を見開き首を横に振ってその現状を泣き声で必死に否定した。
しまいに大きな声で泣き出したレイチェルをどこか冷静な頭で見てから、動かない兄弟子を見た。目を見開いたまま、石のように動かない彼は、やはり死んでいるのだと知らされた。
森の悲鳴が、遠くに聞こえる。
〔ハイディリアの息子が?〕
〔…あぁ、可哀想になあ。弟に殺されたんだと。〕
〔やっぱり、ウルーエッドの呪いがまだ残ってたんじゃないか。しかし、この森に巣を作るなんてっ!あの魔女の顔を見るなんて思わなかった。〕
〔まったくだよ。〕
いつまでそこに座り込んでいたのか。いつの間にか森は静かな静寂に包まれ、木々達のひそひそと話す声が耳に届いた。
〔静かに致せ!当主が参られた。
道を開けよ、道を開けるのだ!〕
「リリアンヌ?…レイチェル。」
蹄の音とアリッサムの声の後に、疲れたようなルビウスの声が続いた。
ゆっくりとそちらを向けば、泣き声を上げて駆け寄るレイチェルの姿と戸惑ったようにこちらを向く彼がそこにいた。
「先生!ジョーン兄さんがっ、うっ、ひっぐ。」
一向に泣き止む気配が無いレイチェルを宥めて、同じように疲れた顔をして背後に現れたアレックスに託してこちらにゆっくりと歩を進めてきた。
その姿に唇を噛み締めて目を逸らす。しばらくして、近くで膝を付く気配がして、ルビウスの白い手がそっとジョナサンの首に触れた。
そのまま動かなくなったルビウスは、しばらく経って彼の首から手を離すと彼の艶やかな栗毛を撫でてやり、静かに彼の瞳に片手を被せて優しく閉じてやった。
「ジョナサン…。」
〔当主よ、あのハイディリアの息子がまだ森におるぞ。今すぐひっつかまえよ。これ以上、この森で野放しにするのは許せぬ!〕
そうだそうだと口々に叫ぶ木々達に、感傷に浸っていたルビウスは重い腰を上げて背後を振り返った。
「…わかってる。道を開けてくれ。」
木々達が移動するうるさい音に紛れて、ルビウスが何かを召喚する声が聞こえた。
【黒のヘクトル】
その声に木々の影が、まるで心臓が動き出すように波打ち、次々とルビウスの前に集まった。
【捕まえろ。殺すんじゃないぞ。】
真っ黒な黒龍の顔だけを大きくかたどった黒のヘクトルに命令して、手を振った。ルビウスの命令に大人しく従い、凄まじい速さで木々が道を開けたその広い道を黒い影が、その名残を残して去っていった。
「オリヴィア。」
「…はい。」
見えなくなった姿を見つめながら、呼んだ声に反応したのはいつ間にか姿を表したオリヴィア。
少し離れた場所に、狼の姿で大人しく座っていた。
「リリアンヌとレイチェルを森の出口まで連れて行きなさい。マーサが待ってるはずだから。」
「わかりました。ジョーンは…。ジョナサンはどうしますか?」
「…いや、いい。アレックスに頼むから。」
その応えに小さく頭を下げ、オリヴィアはレイチェルの側へ行って体に乗せた。そのまま側に来ると、促すように鼻面を押しつけてきた。ノロノロと立ち上がって、先を行くオリヴィアの後に続いた。
「リリア。」
知らずに、背を向けたままのルビウスと、ジョナサンを立ち止まって振り返っていた。
オリヴィアが優しく促して、出口に導いた。
一人佇む彼の背中をぼんやり眺めて、視界にこちらを伺うアレックスが見えてから、追い立てられるようにその場を立ち去った。
出口にたどり着くと、心配そうに別荘の前で待っていたマーサ小母さんにレイチェルともに抱きしめられ、別荘の中へと促された。
物が喉を通らない食事は別にして、風呂に無理やり入れられ、元はオリヴィアの部屋だった寝台に二人で入り込んだ時には、随分と遅くなっていた。
次の日、まだ日が昇りきらない頃に玄関から物音が聞こえて目が覚めた。
寝台から起き上がり、肌寒い空気を身につけた。
窓から外を覗けば、うっすらと霧が立ちこめている。そっと窓を離れ、まだ熟睡しているレイチェルの足元を音を立てずに通り過ぎた。
部屋を出て階段の踊場に降り立つと、階下から声を抑えたままではあるが、厳しい言い争いの声が踊場まで聞こえてきた。
「…この子は、まだ未成年ではありませんか!…お願いですから、やめてくださいましっ!ルビウス様っ。」
「じゃあ、あの魔女の判断に任せろと言うのか!?あの魔女なら、ジュリアンにどんな仕打ちをするかわかったもんじゃないぞっ!」
柵の間からそっと覗くと、開け放たれた玄関扉の手前で言い争いをしている二人の姿が見える。
マーサ小母さんは、随分と取り乱して黒服に包むルビウスにすがりついていた。ルビウスといえば、いつもは見せない苛ついた様子で、マーサ小母さんを怒鳴りつけているではないか。
ただ事ではないその様子に、急いで階段を駆け下りた。
「リリア…。」
「…リアン兄さんをどこに連れて行くの?」
階段を駆け下りてきた気配に気づいたルビウスがこちらを向き、僅かに顔を辛そうに歪めると問には答えず、マーサ小母さんに向きなおった。
「マーサ、爺様に連絡を取って会議に僕の変わりに、出席するように伝えてくれ。僕はすぐに戻れないから。」
「ルビウス様っ!」
簡潔にそう伝えて、マーサ小母さんの声も、向けられる視線も。全てを拒否するかのように背を向けて、彼は外套を翻し、乱暴な魔法で扉を音を立てて閉めた。
その後を、閉められた扉に体重をかけて無理やり開いて、外に飛び出した。
「ルビウスさん、待って!」
外では、黒い布で身動きが取れないジュリアンをルビウスがレムの上に乗せていた。
叫んだ声も無視して、近くにいたアレックスに何やら指示をしてレムの逞しい背中に飛び乗った。
そして引き留めようと駆け出したとの同時に、彼はレムに声をかけると瞬く間にまだ明るくなったばかりの空に駆け上がった。
「やめとけ。」
空を睨んで、自らも追おうと身構えた背後から、冷たい制止の声が掛けられた。
魔法で背後に移動したのか、いつの間にかアレックスがいる。
彼も、苦々しそうに空を睨んでから、こちらを同じように苦々しそうに睨んだ。
「兄上を追うなんてことは、やめとけ。大人しく屋敷の中に入れ。」
「ルビウスさんからの命令?」
「わかってんなら、いちいち聞かずに大人しく言うことを聞け。」
キツく睨むものの、臆することもなく彼は背を向けて屋敷に歩き出している。
戻りたくなくて、しばらくその場で渋っていたが、ふと視界の端に一匹の狼の姿を見つけて目を奪われた。
墨色の華奢な狼は、寂しそうにルビウスが去った空を眺めている。
「…ヴィア姉さん?」
声が聞こえたのか、遠くにいる彼女は不意にこちらに琥珀色の瞳を向けてから、静かに腰を上げ、霧立ち込める森へと帰って行った。
「おい。」
なかなか屋敷へ帰らないことに苛立った様子のアレックスが、突然首根っこを掴み、無理やり引っ張った。
「うっ、何するのっ!私、犬じゃないんだからっ。やめてよ。っ」
「嫌だったら自分でさっさと歩け!ったく、世話が妬ける。」
親切丁寧という言葉を知らないのかと言うほど乱暴な連行にあい、その手から逃れようと暴れた。が、結局別荘に投げ込まれてしまい、外出禁止を言い渡された。それに随分反抗したが、到底かなうわけがない。
沈んだ気分で、起きてきたレイチェルと、朝ご飯が出来るまで窓を眺めるが、霧はいくら経っても晴れなかった。
王都に戻っても、その霧は留まり。
五番弟子のジュリアン・ハイディリアが、師・ルビウス・カインドによって殺害されたという話が耳に届いたのと、やっと霧が晴れたのはほぼ同時であった。