4.ハイディリアの息子Ⅰ
少し長くなったので、2つに分けました。
「リリアンヌ、レイチェル着いたよ。」
「んー?」
「二人ともよく寝ていたね。」
よく耳に届く声に起こされて目を開ければ、目の前にはにこやかに笑うルビウスの顔があった。驚いて起き上がって、辺りを見渡す。
いつの間にか馬車はカインドの邸の前へと到着していた。
「え、寝てた?」
まだ、夢の世界から醒めないレイチェルを置いて、馬車の外に降り立つと出迎えのジョルジオとは別に、中年の女性の声が邸に響いてきて驚いた。
「まぁ!ルビウスっ、この子がそうなのね!」
「あっ、公爵…。」
「ぐぇっ。」
お帰りなさいませと頭を下げるジョルジオの背後から、一瞬にして現れた女性に逃げる隙さえなく、抱きしめられてしまった。
「加減をしていただきませんと、リリアンヌが潰れてしまいます。」
そこへ呆れた様子のルビウスに救出されて、ほっと息つきながら、その女性を見上げた。
「あらあら、ごめんなさい。悪気は無かったのよ。」
「えぇ、わかっています。しかし、わざわざ出迎えなどしていただかなくても。チェスター公爵は、お客様なのですから。といっても、お客様をお待たせしてしまったようですが。」
少し申し訳なさそうに言うルビウスに、チェスター公爵と呼ばれた枯色の髪を緩く編み上げた女性は、気にした様子もなくリリアンヌに桃色の瞳を向けた。
「リリアンヌ、こちらベラ=ヒュンリ・チェスター女公爵。私の母の友人だよ。公爵、リリアンヌです。」
そう紹介された彼女は、ニコッと笑い、そっと右手を差し出しながら言った。
「はじめまして、ね。あなたとは。私、あなたのご両親の駆け落ちに一役買わせていただいたの。お会い出来て光栄だわ。リリアと呼んでも?」
「それは両親がお世話になりました。こちらこそ光栄です。えぇ、お好きなように呼んで下さい。」
女公爵の手を取って、握手を交わしたリリアンヌはぎこちない笑顔を見せた。
「六番弟子のレイチェル?寝ているのね、挨拶したかったけれど。残念、また今度ね。」
そっと覗いた先に、また馬車の中で眠り始めたレイチェルを眺めていた女公爵は、残念そうにルビウスに言った。
「えぇ、先ほど起こしたのですが。ジョルジオ、悪いがレイチェルを部屋へ運んでやってくれないか。公爵、外は冷えます。邸の中へ。」
ジョルジオにそう伝えたルビウスは、女公爵を連れて邸に戻ろうと足を向けた。
「リリアンヌ?君もおいで。」
ジョルジオを手伝おうと馬車の側に佇んでいたリリアンヌに、ルビウスは立ち止まってそう言うと再び邸に足を向けた。言われたリリアンヌは、少し迷っていたが、やがて決心したように二人の後を追った。
「本当に、何年経ってもこの邸は変わらないわね。」
応接室に通された女公爵と共に、リリアンヌはやけに落ち着きなくルビウスを待っている。
「うふ、ローズマリーにそっくりだこと。あの子ったら、殿下に求婚されたときどうしたらいいのか、オロオロして。」
「…お母さんが?」
「そうよ。私の所に来て、オロオロと。一回は、その求婚を断って、でも殿下の方が一枚上手だったわね。」
「上手ではなく、あれは一種の脅迫では?」
うーん、と立ったまま考えていた女公爵の背後の扉から、外出着から少しゆとりのある服へと着替えたルビウスが現れた。
「あら、あれは立派な求婚ではない?」
「かなり強引な、ですがね。」
「そうかしら。」
リリアンヌの隣に腰掛けたルビウスに従って、女公爵も向かいに大人しく腰掛けた。
「で、わざわざ公爵自らおいで頂くほどですから、何か重要な内容なのですか。」
レミかソラ(ルビウスに聞けば、ソラだったらしい)にお茶を出してもらって一息ついた頃、ルビウスが女公爵に話を切り出した。
「えぇ、まぁ。」
カチャリとカップを机に置いた彼女は、少し困ったようにその可愛らしい顔に眉を寄せた。
「チェスター公爵家は、代々ウルーエッドを治めているでしょう?公爵を継ぐために婿として主人が生きてた頃は、あんまり考えなかったの。けれど、ほら。ウルーエッド戦があった時は、三つ子の息子達の一番下の子を身ごもってて、私は北の実家に帰っていたから。それで、主人が戦で亡くなってしばらく経ってから、おかしいことが起こってどうしょうかと。」
「それは、どような事で?」
「五年ほど前に、変な流行り病がウルーエッドのあちこちで流行って。それで、末の子と長女は亡くなったのよ?それからよ、野菜がどれも変色したり。最近では、魔法師達や弟子が行方不明で、私の三つ子の内の真ん中の子も弟子も行方不明なの。王都でもそうだと聞いたわ。」
自分の息子達が行方不明だというのに、困ったわと呑気に首を傾げている女公爵を、リリアンヌは信じられない思いで見つめた。
「これでも心配しているのよ?」
「あ、ごめんなさい。」
顔にでも出ていたのだろうか。思っていた事を女公爵に言われて、リリアンヌは素直に謝った。気にしていないようだが。
「王都の外れのハーバー男爵の所からは、死人が出たと聞きました。」
そんなリリアンヌの隣で、険しい顔で考えているルビウスはそう呟いた。
「えぇ、これから。山のように死人が出るでしょうね。」
「魔法師の?」
「いいえ、今では誰でも所構わずね。それで、あなたの所も三番弟子だった子が、行方不明だと聞いたから。ハイディリア家の息子さんでしょう?」
リリアンヌに優しい答えた公爵は、ルビウスに視線を戻した。
「ジョナサンです。三男はジュリアンといいます。私も先ほどレイヘルトンから戻らされたばかりで、リリアンヌから話をついさっき聞いただけです。」
「そう、ジョナサンね。レイヘルトンから?じゃあ、あの孤児院に行って来たのね。」
「孤児院?」
「そうだよ。リリアンヌ、君が居た孤児院だ。」
「あなたが居た孤児院が、何者かに襲われたと聞いたの。」
「それ、で…?」
恐る恐る聞くリリアンヌに、ルビウスは無情にも言い放った。
「全員、骨となって見つかったよ。」
「ルビウス、もう少し言い方ってものが…。」
「どう言い方が?彼女に、生半端な伝え方をすれば、また自分から首を突っ込んで行きます。自分がどのような状況に置かれているか、知る必要がありますから。」
窘める女公爵にルビウスは、しっかりとリリアンヌを見つめて言葉を繋いでいる。
「私のせい?私があそこにいたから?ジョーン兄さんも…。」
「ジョナサンのことは、まだわからない。だけど、あいつらは君の逃げ道を塞いでいるつもりなんだよ。今じゃ誰であっても殺して、自分の力を蓄えている。肉体や血液、魂からも魔力は吸い取れるから。頼むから、勝手に行動するのはよしてくれ。いいね?公爵、ハイディリアについて、何か情報が?」
ルビウスには、何度か注意を受けたことがある。けれど、この時の彼は、どこか寂しげで、焦っているようだった。
何故だろうか。
そんな風に考えるリリアンヌから視線を外したルビウスは、いつの間にかいつものように、落ち着いた様子を身につけている。
「殿下から、ハイディリアについて調べて欲しいと連絡を頂いたものだから、息子に調べさせたの。そしたら、長男…えっと、エイドリアンだったかしら?5年ほど前から王都に行ってから、行方不明なんですって。あなたの弟子であるハイディリア家の子については、何も言ってなかったらしいけれど。それを伝えたくて。」
何か言いたそうだった公爵であったが、ルビウスに促されて口をひらいた。
「そうですか、エイドリアンなら家に一度来ましたが。5年前から、向こうにいたということですか。もしかしたら、ジョナサンと何らか関わってるかもしれませんね。貴重な情報をありがとうございます。」
「いいのよ、ちょうどこちらに用事があったものだから。」
さて、そろそろお暇しようかしらと腰を上げた女公爵に続いて、ルビウスとリリアンヌも見送りをするために腰を上げた。
「昔から王都は物騒だったけれど、今じゃどこも一緒ね。」
「えぇ、そうですね。公爵もお気をつけてお帰り下さい。良かったら、お送りしましょうか?」
「せっかくだけれど、遠慮しておくわ。明後日の合同会議に出席するから、しばらく王都にいるのよ。」
嫌だわぁと呟く公爵は、リリアンヌに視線を向けて、人懐っこい笑みを浮かべた。
「今日は会え良かったわ、リリア。また機会が会ったらお会いしましょう?」
「はい、ありがとうございます。」
玄関まで送ると申し出たルビウスと話しながら、部屋を去っていった。
取り残されたリリアンヌは、ぺたんと再び椅子に座って、呆然を宙を見つめた。
ほとんど目が見えないけれど、子供達を見つめる瞳はいつも優しかった院長。生意気で、憎らしかった同じ孤児院の彼らも。
けっして裕福や、居心地がよいとは言えない孤児院だったが、あの頃のリリアンヌにとって唯一の居場所だった。
「みんな。…殺された?」
本来ならば、自分を狙ってのはず。
『古代魔女は不幸を呼ぶんだろ?』
『ちげーよ、死を呼ぶだって。』
『リリアンヌの側にいたら、死神が来るぞー。』
『古代魔女なんかが生きてちゃ、いけないんだぁ。』
『こっちにくるな!化け物がっ。』
言葉を覚え始めたばかりの子供達にとって、大人達の話の先々に含まれる棘のある言葉を真似して、相手を傷つけることは遊びの一つであった。しかし、それは間違いなく幼いリリアンヌの心に影を作ったことであろう。
膝を抱えて、うずくまっていたリリアンヌにふと、隣に座る人の気配があった。
「どうしたの、リリアンヌ。」
「…なんでもない。」
「こんな薄暗い部屋で、一人うずくまっていて、なんでもないと?」
両膝に顔をうずめているリリアンヌには、ルビウスの表情は見えないが、言葉使いからして彼は確かに顔をしかめただろう。
「ほっておいて。…あっちにいってよ。」
「やれやれ、思春期のお嬢さんの相手は大変だね。世のお父さん方に同情するよ。」
いつの間にか夕暮れを過ぎた部屋は、薄暗い闇に包まれいる。チェスター公爵が出て行ってから、どれくらいふさぎ込んでいたのかはわからないが、ルビウスが心配して様子を見に来るぐらいは経っているようだ。隣に座るルビウスは、いくら経っても立ち去る気配は見せず、静かな静寂がしばし部屋を漂っている。
「なんか用なの?」
できれば一人にしてほしい気分だが、こんなところでずっといた自分がいけなかった。
ため息をつきたい気分で、ルビウスに問えば、彼は静かに言葉を返してきた。
「いいや、特には。だけど、孤児院のことで落ち込んでいるかと思ってね。」
わかっているなら、どうして一人にしてくれないのか。
「リリアンヌ。…こっちを向いて。」
「触らないでっ!」
いまだに目を合わさないリリアンヌに、そっとこちらを向かそうとルビウスが触れた。しかし、リリアンヌはその手を振り払おうと右手を上げた。
「リリアンヌ!」
振り払おうと上げた手は、逆にルビウスに掴まれ、引き寄せられた。
「は、離してっ!」
手を掴まれ必死に抵抗しても、所詮はまだ身体が成り上がっていない少女と、成人した男。その力の差は歴然としている。
抵抗しているうちに、後ろに傾いたリリアンヌにルビウスも自らの体重を掛けて倒れ込んできた。
「…孤児院の人達が死んだのは、リリアンヌのせいだとは一概には言えない。けれど、君が古代魔女だったから。そのせいで死んだのではないのだよ。だから、一人で思い悩むことはないだ。」
「…思い悩んでなんか。」
両手を顔の脇に痛いほど抑え込まれて、身動きが取れないためにリリアンヌは睨みをきかけて目の前にある闇を見据えた。
「じゃあ、何を考えていた?」
ジョナサンが消えた。
それは、自分のせいではないか。ここにいれば、他のみんなを巻き込んでしまうかもしれない。
「僕の前からいなくなるなんて、許さないよ。」
まるで、心を見透かされたように。漆黒の闇は、静かにリリアンヌを見つめていた。
「で、でもっ。」
その闇に負けずと強きに出たものの、結局喉の奥から出たのはか弱い泣きそうな声。
「自分で何もかもしようとしないで、僕に頼ればいい。あの孤児院が君の居場所だったように、今、君の居場所はここだよ?」
ふっと表情を和らげて、ルビウスは瞳を閉じて、互いの額をくっつけた。
「巻き込んでしまう?巻き込んだのは僕の方だよ。…リリアンヌは、周りを気にして我慢しすぎている。悲しかったら泣いて、時には我がままになって。人に、そばに居てほしいと甘えたっていいんだ。」
泣くことは、とうの昔に忘れてきた。
そっとひらいた闇と反対に、リリアンヌはそう思いながら瞳を閉じた。
ぼろぼろになって、けれどそれほど不便は感じなくて。
質素ではあっても、子供達の分は必ず朝晩食べる物を与えてくれた。
同じ孤児院達に酷い言葉を投げかけられても、見ず知らずの人に投げかけられる言葉よりは我慢できた。
雨漏りが酷く、隙間風も酷かったが、何より院長の暖かさがあった。
じんわりと目尻に浮かぶ涙に、ルビウスは黙ってリリアンヌの瞼にキスをした。それに促されるように目を開けたリリアンヌの瞳からは、静かに涙がこぼれ落ちた。
もう時刻は、昼に近い。
窓から差し込む冬の光に起こされて、リリアンヌは目を開けた。
あの後、涙が止まらなくなったリリアンヌを抱きしめて、彼は涙がとまるまで宥めてくれた。結局、涙が止まってから部屋に送ってもらったのは覚えているが、馬車の中で眠ったにも関わらず、その後すぐに眠ってしまったのだった。
「…恥ずかしい。」
すっきりとした気分ではあるが、今考えると実に恥ずかしい限りである。
「会いたくないなあ。」
同じ家に住んでいれば、嫌でも顔を合わす。ノロノロと寝台から起き上がったリリアンヌは、気が重いながら着替えを始めた。
しかし、なにやら邸の中が騒がしい。
「お客さんでも来てるのかな。」
着ていた寝着を寝台に放り投げて、慌ただしい邸の中へと向かった。
「帰れよっ!」
「なんだとっ!誰に向かって口を聞いているんだ。」
身なりを整えて騒々しい玄関先に降り立てば、淡い栗色の髪を逆立てて来客に吠えているジュリアンがいた。
「なに?リアン兄さん、どしたの。」
開かれた玄関扉には、一人の青年。灰色の髪に、茶褐色の瞳のその姿は…。
「あ…、ジョーン兄さんとリアン兄さんの兄貴?」
「「兄貴なんかじゃねえ!!」」
若干からかいを含んだ言葉に、見事に息のあった反論をかえされた事に苦笑しながら、ジュリアンの脇に佇んだ。
「何の用なんだよ。」
「お前に用はないと言ってるだろが。腰抜けがっ。」
「あぁ?お前に言われたくないね。」
「まぁまぁ、リアン兄さん。」
兄弟喧嘩の真っ最中であるようだ。小さな犬が吠え立てるような兄弟子をどうどうと抑えながら、あの見下した視線を真正面から捉えた。
「カインドの御当主は?」
「いないよ。」
ふんと鼻を鳴らしてリリアンヌから視線を逸らしたエイドリアンは、ジュリアンにそう返されて顔をしかめた。
「くそっ、仕方ないな。これを帰って来たら渡せ。」
彼は、分厚い背広のポケットから取り出した一通の手紙をジュリアンに渡すと、くるりと背を向けて用は済んだとばかりにさっさと去っていってしまった。
「二度と来んなっ!」
その背中に若干遅れて叫んだジュリアンを横目に、リリアンヌはあまりの寒さに我慢出来ず、一足先に邸の中へと腕をさすって逃げ込んだ。
「何の手紙なんだろね。」
乱暴に玄関扉を閉めたジュリアンに、振り返って聞いた。
「さぁな。ろくな用事じゃねぇだろ。」
しかめっ面で真っ黒な封筒を眺めて、ジュリアンは一拍おいてから封を盛大に開けた。
「なにしてっ!?怒られても知らないからね。」
ジュリアンの信じられない行動に、リリアンヌは目を剥いて叫んだ。
「馬鹿、よく見て見ろよ。宛名。」
中身に目を通しながら、差し出した封筒をリリアンヌは疑問に思いながら、その銀色に光るその文字を読み上げた。
「ルビウス・カインド様とお弟子様へ…?」
「つまり、先生に宛ててあるけど、俺達にも関係するって事。ほら、見てみろよ。」
恐る恐るジュリアンから受け取った真っ白な便箋を見れば、真っ先に飛び込んで来たのは真っ赤な色で綴られた文字達。その文字に目を向けて読み上げた。
「親愛なるルビウス様、そのお弟子様。すっかり雪空となったこの頃、いかがお過ごしでしょうか?今回、お手紙を差し上げたのは、カインドのお弟子様であるジョナサン・ハイディリア殿についてでございます。
つきましては、明日、夕暮れ時に静寂の森でお待ちしております。…愛を込めて、マリエダ・コウリィースより。これって!」
目を見開いてジュリアンに尋ねると、彼は苦々しいそうに小さく呟いた。
「…ジョーン兄さんが捕まった。」
その呟きは辺りの騒ぎを消し去って、リリアンヌの耳にやけに響いて聞こえた。
「そんなっ!」
しばしの間があって、リリアンヌは放心状態であった頭をなんとか働かせて、絶叫に似た叫びを上げた。
「もしかしたら罠かもしれないけど、兄さんが行方不明なんだ。」
ぎりりと唇を噛み締めていたジュリアンは、廊下の奥から姿を現したジョルジオにふらりと近づくと、消え入りそうな声で告げた。
「ジョルジオ、先生に…。」
「リアン兄さん、この手紙私が届けるわ。」
「…リリア?」
そんなジュリアンの背を見つめて宣言したリリアンヌの言葉に、ジュリアンは言葉を切って振り返った。顔には、言ってる意味がわからないと言うように、戸惑いが浮かんでいたが。
「ルビウスさんはどこっ!」
「いけません、リリアンヌ様。」
「リアン兄さん!」
ジョルジオが静かに制する言葉を振り切り、ジュリアンに言葉を促した。
「…ポータリサに、視察に行くって。でも、明日の会議には戻る…リリアっ!」
その言葉を最後まで待たずに、リリアンヌは寒い雪空の中へと飛び出した。