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1.50通目の恋文

ちょっと長めになりました。サブタイトルは、50通目の恋文ラブレターです。

10歳の時、右手首に酷い怪我を負ったのをルビウスはずっと気に掛け、終いには本人にしつこいと怒られる程だった。そんな当人には、気になることがあった。

10歳からは中等部、13歳からは高等部となるリリアンヌの学校は、新学期を迎えていた。


「ねぇ、今日もカインド公爵いらしてるわ。」


一人のクラスメイトの言葉に、廊下から顔を出せば、カインド公爵の馬車が学校の門のすぐ脇に止まっている。


「また迎えに来てる…。」


そう、今までほとんど放任主義だったルビウスが、弟子達の送り迎えをかって出ているのだ。リリアンヌが13歳になった今もそれは続き、学校では注目の的となっている。


「先生、また?」


隣から顔を出したのは、六番弟子のレイチェル。三年前の試験にリリアンヌ共々落ち、実家に連れ戻されるところだったが、当人の意志を尊重して師匠であるルビウスが、彼女の母親に掛け合ってくれた。そんなわけで、変わらず仲良く弟子修行に励んでいる。


「うん、ほんと迷惑だわ。」


あまりに目立つ彼の送り迎えは、思春期を迎え始めた年頃の女の子にとっては迷惑以外の何物でもない。


「勝手に帰ると怒られる。」


「わかってる。」


前に一度、今は独り立ちした三番弟子のジョナサンに、裏道を教えて貰って勝手に帰った事があった。そのときのルビウスの不機嫌さといったら、長年カインド邸に仕えているジョルジオさえも、容易に喋りかけられないほどであり、リリアンヌとレイチェルは散々説教を食らった。


「あぁ、憂鬱。」


いきなり過保護になり始めた師に、リリアンヌの反抗は目に見えて酷くなっている。


「レイル、今日は授業がもうないってルビウスは知ってるみたいだから、諦めてリアン兄さんを呼びに行こう。」


普段ならまだ授業がある時間帯であるが、教科担当の都合で休講となっていた。


「リアン兄さん。」


丁度教室から出てきたジュリアンに声をかけ、3人揃って門へ向かう。四番弟子のエリックも同じ学校に通うが、弟子を卒業したためか、最近ではめっきりカインド邸に寄りつかなくなっている。


「リリアンヌ・カインドってあなた?」


憂鬱気味に門へと向かっていたところへ後ろから声をかけてきたのは、ヘレン・ナンシーという公爵令嬢。国で有数の金持ちだとジュリアンが耳打ちしてくれた。


「そうだけど?」


「あぁ、やっぱり。その髪と瞳ですぐにわかったわ。あなた、カインド公爵のお弟子さんでしょう?ちょっと頼まれて欲しいの。」


そう言って渡されたのは、可愛らしい花の柄が書かれた封筒。それを見て、リリアンヌは怪訝そうに眉をひそめた。


「これをルビウス様に渡してくださる?」


いわゆる恋文というやつを彼に渡して欲しいらしい。ますます顔を険しくしたリリアンヌを横目で眺めていたジュリアンは、冷たく茶髪の彼女に言い放った。


「そんなの人に頼むなよ。」


「あーら、弟子でも同じ邸に一緒に住んでいるなら、それぐらい頼まれも良いんじゃなくて?」


リリアンヌよりも年上であろう彼女は、複数の取り巻きを従えて堂々と言い放った。


「私、あの人に恋文を渡すっていう仕事はしてないの。自分で手渡すか、郵便屋に頼むのが普通でしょう?」


「まぁ!古代魔女の分際で生意気なっ。いいこと、この手紙必ずルビウス様に渡すのよ。古代魔女でもそのぐらい出きるでしょう?渡さなかったらどうなるか、わかってるでしょうね?」


つんと言い返したリリアンヌに、無理やり恋文を押し付けると沢山の取り巻きを従えて去って行った。



「ったく、言い迷惑だぜ。」


それを言いたいのは、リリアンヌの方で、実は今日既におなじような手紙を無理やり押し付けられていた。今日いきなり始まったことではないが、なぜか今日に限って多く、受けとった手紙は本日50通目の恋文である。

仕方ないので、既に女の子達の恋文でパンパンに膨らんだ鞄に、無理やり手元にある手紙をねじ込んで、ドスドスと足音高く馬車へと近付いていく。


「うひょー、すげぇ量。」


後から追ってきたジュリアンは、おっかなびっくりな様子で呟いた。そんな彼を放って、馬車の扉を開け放つと中で待つ本人に、文句の一つでも言ってやろうと口を開いた。が、中にいたのはルビウスではなく、執事長であるジョルジオだった。


「なんで?」


「ルビウス様は、リド・シエルダ公の元へ一足早く向かっておいでです。お三方も学校が終わり次第、そちらへ向かうようにと。」


予想外の人物の登場で、リリアンヌの苛々は向かう先をさまよい、結局鞄の中にある手紙へと落ち着いた。馬車の中へと投げつけた鞄に続き、リリアンヌ、レイチェル、ジュリアンも馬車に乗り込み、馬車はルビウスが待つシエルダ本邸へと向かった。

さほど時間もかからず、シエルダ本邸へと到着し、ひとの出入りが多い屋敷の中へと案内された。


「あぁ、やっと来たね。」


応接室でくつろいでいたルビウスに出迎えられ、忘れかけていた怒りがまた蘇って来る前に、リリアンヌはルビウスの向かいに座る人物に目を奪われた。


「紹介しよう。こちら、シエルダ公爵の現当主、アーサー=リド・シエルダ公爵だ。僕の叔父にあたる人だよ。」


窓から差し込む光で、彼の癖付いた黄金色の髪は美しく輝いている。そんな一瞬奪われた視線は、こちらを見つめる冷たい鳶色の瞳に打ち切られた。


「叔父上、左から五番弟子、ジュリアン・ハイディリア、六番弟子のレイチェル・ディオム、七番弟子のリリアンヌです。」


それぞれ公爵に挨拶をしたが、座ったままの彼はちらりと弟子達を見やっただけで、何も言わなかった。


「今日君たちにこっちに来て貰ったのは、大事な話があったからなんだ。」


「話って?」


大して興味もないと視線を外したシエルダ公爵から、ルビウスに視線を戻すと、リリアンヌは面倒くさそうに聞いた。


「今、あちこちで事件が多発しているらしくて、僕はしばらくそちらにかかりきりになる。邸にもほとんど帰れないと思う。その間、学校に行く以外はあまり外出しないように。もし何かあれば、シエルダ公爵に言うように。」


「私達は手伝わなくていいの?」


「まだ見習いの君たちには、今回の仕事は危険だから。」


「なんの仕事なの?」


君たちは知らなくていい。そう一点張りのルビウスに、リリアンヌはとうとう怒った。


「あれも駄目、これも駄目。規制ばかり作って、肝心なことは教えてくれないのね!」


いつまでも経っても子供扱いだ。それならば。


「ルビウスさんの言うこと、わざわざ守ってるなんて馬鹿みたい。」


「リリアンヌ?」


手元にあった鞄の中身、大量の手紙をルビウスに怒り任せでぶちまけた。


「何だろうか、これは。」


「あなたに渡せって。私はあなたへの恋文の配達人じゃないんだから!でも良かったじゃない、女の子にモテモテで。女性に苦労することないんでしょ。」


手紙に埋もれたルビウスは、しかめっ面で手紙を見やると、それをすべて払い落とした。


「丁度いい、この中から将来の伴侶を選べ、ルビウス。」


「叔父上、今は悠長にそんなことを言ってる場合じゃないでしょう!」


床に散らばった一通の手紙を広い上げたシエルダ公爵は、怒るルビウスを放って平然と続けた。


「お前がいつも仕事だと言って、結婚をないがしろにしているからではないか。このナンシー家など妥当だろう。今かかりきりの仕事が済めば、婚約すればいい。」


「ないがしろなどしていません。私には将来を決めた女性が…。」


「じゃあ、さっさと結婚したら良いじゃない。」


はっと、リリアンヌを見やったが彼女は目を合わせず兄姉弟子に平然と言った。


「リアン兄さん、レイル。そろそろ帰ろう。私達には関係ないらしいし。」


くるりと背を向けて駆け出したリリアンヌに、ジュリアンとレイチェルは慌てて後を追った。ジョルジオが待つ馬車に乗り込んだリリアンヌは、ルビウスが追いかけてくれるのではないかと少し期待した。けれど、彼は追って来なかった。


「…なんで、私こんなに苛々してるんだろ。」


ジュリアンとレイチェルが乗り込み走り出した馬車の中で、リリアンヌは小さく呟いた。



「手紙、渡してくれまして?」


数日後、うっかりあのお嬢様に学校内で会ってしまったリリアンヌは、渋い顔を渡したと答えた。


「あら、では私との婚約が発表されるのも時間の問題ね!ルビウス様、あのお歳で婚約者のお一人もおられないから、いろいろなお噂が立っていたけれど…。」


じっとリリアンヌを見やって、彼女は勝ち誇ったように言い放った。


「お弟子さんの一人に、熱をあげてるなんて噂。…あなたじゃ年齢的にも、身分も容姿も不釣り合いですもの。」


ありえない。そう笑い声を上げて去るお嬢様の後ろ姿をリリアンヌは静かに見送っていた。


邸に戻って、真っ先に向かった図書室で、リリアンヌはいつもの姿を探した。


「…お父さん。」


寂しそうに呟いた声に、応えてくれる優しい声はなく、いつも会いに行けば優しく笑って話を聞いてくれる人は、いくら読んでも姿を表さなかった。

三年前のあの日から、セドウィグはふらりと姿を見せなくなった。最初は、こちらに来ているのがバレたのだろうと思っていた。また、ふらりと遊びに来てくれると待っていたのに、彼はずっと会いに来てくれない。

知ってしまった家族の温かさを恋しく思う自分に、苦笑する。昔は、一人でいるのが当たり前で、優しそうな両親を持つ同じぐらいの子を見ては、自分には縁遠い世界だと思っていたのに。いつしか人の温かさに浸って、忘れていたのだろう。


「最初から、そんないい加減な同情なんかいらなかった。」


そんな言葉を残して、リリアンヌは図書室を後にした。


それから学校にも行かなければ、邸の者とも避けるようになったリリアンヌを心配して、二番弟子のオリヴィアがカインド邸にやってきた。


「リリア、どうしたっていうのよ。」


魔法書に限りつくリリアンヌの背後から、そう声をかけた。


「別に。ヴィア姉さんが心配して来るほどでもないよ。」


「そんな事ないでしょうが。学校にも行ってない、ご飯も少ししか食べないってみんな心配してるんだから。」


リリアンヌが調べていた魔法書を取り上げて、オリヴィアは促した。


「何があったのよ。言ってごらん。」


言わないと返さない。


いつまでも居座りそうなオリヴィアに、リリアンヌは仕方なく折れたのだった。


「ふーん。なるほどねぇ。」


いつも会いに来てくれたセドウィグが、三年も経っても会いに来てくれなくなったこと、ルビウスの一方的な命令。他の人と距離を開けて、魔法の勉強ばかりしている理由をオリヴィアに話した。寝台に並んで座りながら、彼女はなるほどと呟いている。


「で、先生にまだなにかあるんでしょ。」


言ってしまいなさい。


オリヴィアの勢いにおされて、つい口を滑らしてしまった。


「学校からの女の子達から、恋文を渡してくれって頻繁に頼まれて。なんで、私が渡さなきゃ行けないの?すっごく苛々する。それにルビウスさん、好きな人いるって言ってたけど、ナンシーっていう所と婚約するらしい。」


「リリアにも、一足早い思春期が来たって訳か。」


少しニヤニヤと笑うオリヴィアは、リリアに向き直って言い聞かせた。


「先生のことは、私は口を出さないわ。もうちょっと時間が必要だと思うから。で、セドウィグ殿下の事だけれど。」


突然、声をひそめたオリヴィアはそっとリリアンヌに耳打ちした。



―後日―


「リアン兄さん、レイル。早く、早く!」


すっかり秋に染まった華やかな王都の街をこそこそと隠れるように走る人影がある。学校を抜け出した、リリアンヌとレイチェル、ジュリアンの三人である。


「おい、先生に見つかったらマジでやばいぞ。」


仕切りにおどおどと見やるジュリアンをリリアンヌは、大丈夫だと何度口にしたことか。彼をここまで連れてくるのに、かなり骨が折れた。


「そんなに周りばっか見てたら目立つから!」


「ったく、不登校で部屋に引きこもってるかと思えば、いきなりジョーン兄さんの場所に連れてけって言うんだもんなあ。」


堂々と歩いてとトロいレイチェルの背中を押すリリアンヌを見ながら、ジュリアンはブツブツ文句を繰り返している。

今、三人は王都に住むジョナサンの家に向かっている。


うちの住民が噂していたんだけど、今まで幽閉されていたセドウィグ殿下の処分についての会議が、王都で始まってるらしいのよ。だけど、肝心の殿下が行方知れずらしくって。…今はいろいろと物騒な世の中になって来たわよね。』


恐らくは、死刑になるのではないか。森ではそんな噂が絶えないという。


王都から離れたポータリサの町だから、本当かどうかもわからない。あまり森を離れなれないオリヴィアは、ルビウスが掴まらない今、王都に詳しいジョナサンに相談したらどうだと言っていた。彼は、王都を庭のように知っており、抜け道、裏道からそれぞれ立つ屋敷の名前まで知っている。がき大将を務めた頃に覚えたのだとか。そんな彼は今、街で自らの店を開いている。


「勝手に教えたって知ったら、怒られるだろうなぁ。」


人に教えるなと念を押されていたらしく、今もリリアンヌを連れて行くのを渋っている。細い脇道に入り込んだ三人は、所狭しと並んだ店に呆気にとられた。


「リリア、何か買っていこう。」


「駄目、ジョーン兄さんの店についてから。」


勝手についてきたレイチェルを引っ張りながら、早足に元気のよい店先を通り過ぎた。


「ここだ。」


その先に表れたのは、質素な造りの酒場だった。閉店と書かれた看板がかかった扉をジュリアンは、平然と開けて中へと入って行く。


「ジョーン兄さん?」


「なんだ、リアンか。」


リリアンヌ達が後に続いた先は、昼間だというのに薄暗い店内。奥の階段から降りて来たのは、今起きたばかりという姿の久しぶりに会うジョナサンがいた。


「おい、リリアとレイルに何勝手に教えてるんだよ。」


「リリアがどうしてもってしつこいんだ。」


酒を飲んでいるのか、かすれた声に、いかつい体格となったジョナサンは、ちょっと柄が悪く見える。


「久しぶり、ジョーン兄さん。」


「ったくよぉ。」


ブツブツ文句を言いながら、カウンターの中へ移動したジョナサンはそんな外見だが、実は優しいところがあるのだと一緒に育ったリリアンヌ達は知っている。

リアンに教えなきゃ良かったぜと呟くジョナサンを変わらないなと少し笑って、リリアンヌはレイチェルと共に狭い店内を歩いていって、カウンターに腰掛けた。


「ジョナサン兄さん、お酒なんて好きだった?」


「いいや、ここはただ飾りもんだ。ほんとは情報屋をやってる。」


夜は本当に営業しているというが、今は昼間なので休みなのだそうだ。


「で、俺に何か用か?」


水をコップに入れながら、そう聞いてきたジョナサンを見ながら、やっぱりここに来て正解だとリリアンヌは確信していた。


「頼みがあるの。」


「頼みだ?」


「そう、今日城で魔法省の会議がこれからあるでしょう?そこに潜り込みたいの。ジョーン兄さんなら出来るでしょ?」


そう言ったリリアンヌの言葉に、ジョナサンは飲んでいた水を盛大に吹き出してむせた。


「嫌だ、ジョーン兄さん汚いよ。」


「おまっ、けほ。リリア、お前自分が言ってることわかってんのか!」


「勿論よ。」


口元を拭くジョナサンを見つめて、リリアンヌははっきりと答えた。


「最近のリリアは何考えてるのか、わかんないよ。今日だって、学校を抜け出してきたんだ。先生に見つかったらただじゃすまないよ。」


「勿論、ただでとは言わないから。」


横から口出してきたジュリアンをちろりと睨んで、思案しているジョナサンに掛け合った。


「潜り込んでどーすんだ?」


「セドウィグ殿下の処分について会議するらしいの。それを知りたいだけ。ルビウスさんとか忙しいらしくて相手にしてくれないもの。ね、お願い。城に潜り込む道だけ教えて。」


黙り込んでしまったジョナサンに、リリアンヌは必死に頼み込む。


「城に潜り込むのは簡単だ。けど、城の敷地内にある魔法省の建物はそうは簡単にはいかない。魔法師がうろうろしてやがるからな。」


「…そっか。」


あからさまに落胆したリリアンヌを見ながら、何やら考えていたジョナサンは、一人呟いている。


「会議の内容が聞ければいいんだろ?何も建物の中に入んなくても言い訳だ。よし、しゃーねぇな。一緒に行ってやるから、ちょっと待ってろ。」


「え、いいのっ?」


「ただし、依頼料は高くつくぞ?」


「ありがとう!ジョーン兄さん。」


「まじかよ…。」


喜ぶリリアンヌの脇で、ジュリアンは信じられないと呟いた。


「だから、なんでお前らまでついてくんだよ。」


支度をしたジョナサンに連れられてやってきたのは、城の後ろ側にあたる外門の草むら。瞬間移動魔法で飛んだのだが、何故かジュリアンとレイチェルまでついてきた。


「ここで、帰ったら男が廃る。」


というジュリアンは放っておいて、レイチェルは単にリリアンヌと一緒に居たいだけらしい。


「足手まといになんじゃねぇーぞ。」


そう言って、彼は道なき道を進み始めた。古くに避難経路として使われていたらしきその道は、今では蜘蛛の巣が張り雑草が元気よく生えていたりして、全く使われていないようだ。


「ねぇ、まだ着かないの?」


城の隅にあった隙間から、腹這いになってしばらく進んだあと、地下路を歩き始めてかなり経った。そんな頃、ぐったりした姿でリリアンヌは同じようにぐったりした姿のジョナサンに聞いた。避難経路は、城敷地内で災害が遭ったときの為に造られたもので、人々が早く避難できるようにつくられている。地上を歩くより短時間でつくように計算されているので、城内につくのも早いはずだという。


「もう、この上が魔法省の本部の建物の筈だ。地上に出てみるか。」


すぐ真上にあった天井を持ち上げて、よじ登れば広い敷地にそびえ建つ、魔法省の建物が姿を表した。


「ここが魔法省本部だ。で、この最上階で会議は開かれる。」

紅い煉瓦造りその建物は空まで届きそうな程高く、黒縁の窓が不規則に並ぶ。急な傾斜を描く屋根は不気味なぐらい真っ黒である。

首が痛くなるほど建物を見上げていたリリアンヌは、首を揉みながら側に立つジョナサンを見上げた。男性はどうも背が高い人達ばかりで、首が凝る。


「ねぇ、上までどうやって行くの?」


「…登るしかないな。」


「えぇっ、これを登るの!?」


「しゃーねぇだろ?中に入ったら誰に見つかるかわかんねぇし、魔法を使ったら一発でわかっちまう。嫌ならやめるか?」


「誰もやめるなんて言ってない。行くわ!」


…というわけで。



「おい、リリア。ヤバいって、落ちたら死ぬって!」


「言われなくてもわかってるわよ!だから、下で待ってたらって言ったじゃないっ!」


地上から遙か離れた空の上。へっぴり腰でついて来たジュリアンは、さっきから先に進んで登るリリアンヌに叫んでいる。リリアンヌも、少し風が出てきたために怒鳴り返し、終始怒鳴り合いの会話が繰り返されている。


「喋ってたら落ちるぞ!」


下の方から、レイチェルを手伝ってやりながら登ってくるジョナサンに怒られ、リリアンヌは会話を切り上げて、さらに上を目指す。何階建てなのか想像もつかないが、気が遠くなりそうなこの建物は、幸いなことにあちこち出張っていて、楽々と登れることが出来た。避難経路共に古くに造られたそうで、所々雑な設計である。

途中、拓けた手すり付きの場所で休憩を挟んだ後、随時と上の方まで来たと実感した。


「あ、リックがいる。」


「あいつ学校サボってやがる。」


レイチェルの声に、同じ場所の窓を覗き込んでいたジュリアンが、羨まそうに共に声を上げた。

少し離れた場所の窓から、リリアンヌも同じように張り付いて中を覗き込んだ。弟子は卒業したが、まだ10歳の彼は義務教育が終わるまで、学校に通わなくては行けないはずだ。見れば、沢山の書類を抱えたエリックが忙しそうに廊下を駆けて行く所だった。


「何してんだろ。」


そう言えば、将来は魔法省で働きたいと言っていたななどと思いながら、ジョナサンに急かされて先を急いだ。

てっぺんの会議室についたのは、すっかり日も暮れた頃。


「会議、終わってんじゃないか?」


まだ壁に張り付いたままのジュリアンは、近くにあった大きい窓に体重をかけてのぞきこんでいる。


「おわっ!」


「り、リアン兄さん!?」


鍵が掛かっていなかったのか、彼の背ほどある大きな窓は、簡単に開き、ジュリアンは部屋へと転がり込んだ。


「いててて。」


「リアン兄さん、大丈夫?」


ジュリアンに続いてリリアンヌも部屋へと入ると、そこは会議室ではなく、長椅子がいくつかあり、背が低い長い机が一つあるだけの殺風景な部屋だった。

「ここは控えの間だな。会議室は隣の部屋…おい、別行動をするなっ。レイルっ。」


後からレイチェルと共に部屋へと入ってきたジョナサンは、ふらりと廊下に出て行った妹弟子を追いかけて行った。部屋に残された二人も後を追おうと扉に手を掛けたが、向こう側から重々しい会話が聞こえてきてはたっと立ち止まった。ジョナサン達が帰って来たかと思ったが、二人以上の足音と重々しい会話から、どうやら二人ではなさそうだ。


「やべっ。魔法師の誰かじゃないか!?早くどっかに隠れないとっ、リリアっ!」


「えぇっ!」


わたわたと隠れる場所を探した二人は、部屋の隅にあった小さな机にかかっていた白く大きな布の中へと潜り込んだ。潜り込むと同時に扉が開かれ、かなりの人が部屋に入ってきた。


「おい、資料はすべて揃っているだろうな?」


「なに、リド様は欠席?ったく、良い身分だよな、公爵様は。」


「しっ、誰かに聞かれたらどうするんだよ。」


「おーい、もうすぐ会議が始まるってよ。」


「本部会議なんかしねーで、さっさと死刑にしちまぇばいいのによ。」


そんな会話が過ぎ去るとともに、静かな静寂が部屋へと舞い戻ってきた。大勢の人達は、隣の会議室へと消え、ジュリアンとリリアンヌの吐く息だけがやけに響いて耳に届いていた。


「…ジョーン兄さん達遅いな。」


「しっ。誰かまた来た。」


そんな静寂に耐えきれなく、先に口を開いたジュリアンを黙らして、耳をすました。


「アレックス、皆はもう全員揃っているんだな?」


「はい、すぐに会議を始められます。」


扉の開閉音の後に聞こえて聞こえてのは、久しぶりに聞くルビウスの声とそれに答えるアレックスの声だった。


「…では行こうか。」


扉の向こうに消えた二人を追って、リリアンヌも急いで布から這い出ると、会議室の扉にへばりついた。


「ジョーン兄さん達どこ行ってんだ?」


あまりに遅い彼らを心配して、ジュリアンは廊下側の扉を覗いている。


「ちっとも声、聞こえないわ。」


そんなジュリアンを放って、リリアンヌは再び、開けっ放しの窓から外へと身を乗り出した。


「リリア、何やってんだよ。」


「外からなら聞こえるかもしれないから、ちょっと行ってくるわ。リアン兄さんはここにいたら?」


「お、おい…。」


足場の悪い壁を慎重に進み、会議室の窓の際で、リリアンヌはそっと耳をそばだてる。


『セドリック殿下の処遇ですが―。王からは―――が妥当ではないかとのことで。』


『それではあまりも…。』


『しかし―。』


強まる風の音と、はためく法衣の音がうるさくて、断片的にしか会話が聞き取れない。


「リリア、どうだ?」


すぐ背後で尋ねられた言葉に、焦って背後を振り返ると、同じように壁に張り付いたジュリアンがいつの間にかそばにいた。


「…びっくりしたっ。いきなり背後に来ないでよ。」


「悪い。だけど、ジョーン兄さんもレイルも帰って来ないし、一人で部屋に居たくなかったんだよ。」


「だからって。」


こうも側に来られれば、身動きが取れないではないか。


『大臣はどうお考えですか?』


不服を口にしようとした時、おそらくベクトルの声だろうか、ルビウスに意見求める男性の声が届いて隙間に耳を近づけた。


『死刑などと、物騒な考えを仰る陛下の意見には、賛同出来かねますね。』


その意見に否を唱える者、賛成を促す者、一斉に騒がしくなった室内で、ルビウスの凛とした声が響く。


『彼は、リヴェンデル王族のれっきとした王家の嫡子です。それを勝手に部外者が絶っては、王家の存続の危機になりましょう。』


ざわざわと騒がしい中、少ししゃがれた男性の声が響いた。


『レオ殿は、確かセドリック殿下と親しい間柄ではなかったか?』


『そうだとしたらなんだ。レオ殿は、王家の血筋を引いてらっしゃる。親戚にあたる殿下を庇うのは当然だ。』


『ならば、今おられないジウ様もそこにいるロイ様も、あなたと親しいチェスター公爵もサリア公爵も否を唱えるだろう。今、肯定されないリド様は欠席。セドリック殿下の死刑が、否決されるのは当たり前なのです!』


その言葉で、納得出来ないと多くの者が講義の声をあげている。


『静まれっ!おい!』


『叔父上は単に会議に興味無いだけだけど。では、こうしよう。』


アレックスの怒声で静まらなかった声を静めたのは、しばらく黙っていたルビウスの声だった。


『とりあえず、今日はこれまでとして。後日、魔法省で魔法師を対象とした大型会議を開こう。どんな理由であれども、基本的に欠席は無し。それなら、割と公平な意見が聞けるんじゃないかな?』


ルビウスの意見に、しばらく渋っていた人達は渋々それで納得したらしく、部屋を出て行く足音が聞こえた。


「お、終わったのか?」


長い間冷たい風に打たれていたジュリアンは、体力の限界を迎えていたようだった。それは、同じように外でへばりついていたリリアンヌも同じで、会議室に誰もいないことを確認すると窓を無理やり外して、転がり込んだ。


「な、なにやってんだ?誰か戻ってきたら…。」


「あら、その間は優しいリアン兄さんが見張ってくれるんじゃないの?」


「調子いいよ、まったく。」


まだ壁から部屋に入り込めないジュリアンは、文句を言いながら必死に身体をねじ込んでいる。どうやら身長も体つきも大きくなった彼は、リリアンヌの外した窓では部屋に潜り込むのは少し無理があるようだ。


隣の控えの間からこればいいのにと頭の片隅で思いながら、何か会議の資料がないだろうか、大きな真ん中が抜けた長方形の机の上を見て回っていた。ほとんど魔法師達が持って出てしまったのか、まったくといっていいほど参考になる資料は残っていなかった。


「…これじゃ会議の内容がわかんないじゃない。」


早くしなければ、あの人が死刑になってしまうかもしれない。


焦る気持ちを抑えて、今度は机の下を詮索し始める。


「…あ。」


「なんだ?なんか見つけたのか。」


いまだ窓と格闘するジュリアンが、リリアンヌの小さな呟きに反応して尋ねた。


「これ…。」


【第5回 本部会議資料】と表紙に書かれた紙の下で見つけたのは、ルビウスに渡したあの可愛いらしい花柄の恋文。


「なんだよ、何を見つけたんだ?」


窓枠に挟まったまま叫ぶ彼は無視しておいて、リリアンヌは少し迷ったがその手紙を広いあげた。可愛いらしい丸っこい字で、ルビウス・カインド様と書かれた面をひっくり返せば、ヘレン・ナンシーと書かれた送り主の名がある。封が開いている所を見ると、彼はこの手紙を読んだのだろう。


なんて書かれてあるのだろう…。


人の恋文など興味がない。けれど、それは関係がない人であったらの話で、これはルビウスに宛てた手紙だ。封は開いているのだし、少しだけ見るだけならバレない筈。


そろそろと分厚い手紙の中を抜き出したリリアンヌは、そっと開けて中の文に目を通そうとした。


「げっ。」


「人の手紙を盗み見るなんて、関心しないね。」


ジュリアンの悲鳴に続いて、冷ややかな声が背後からかかった。手元にあった手紙は、その声に呼び寄せられるようにリリアンヌの元をスルリとすり抜けていった。その手紙の行く末を追うように恐る恐る振り返れば、控えの間に続く扉に寄りかかり、微笑むルビウスの姿があった。


「さて、何から言えばいいかな。」


漂ってきた手紙を右手に収めながら、漆黒の瞳はリリアンヌを静かに見やっていた。



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